第78話 豪奢なる遁甲

「さあさ、皆さんご覧あれ!」


ともろ肌を脱いだ毛むくじゃらの大男が瓶子から直に油を口に含み、松明に息を吹き付けてぼん!と巨大な火焔を吐き出すのを見た若者が、驚きのあまりのけ反りそうになるのを従者が背後から肩を抑えて止めた。


(いくらお忍びとはいえ武官が曲芸を見て、いちいち驚いていては怪しまれますぞ!)


(そ、そうだな…以後、気を付ける)


と従者に向かってうなずく若者の正体は実は見回りの武官に変装した阿保親王で、


護衛の武官は田村麻呂の三男でことし21才になる坂上浄野さかのうえのきよのであった。


上皇さまのご病気快癒。


の報をどこで聞いたのか、


やれめでたや、我らの芸を披露し旧都平城京を盛り上げてやろうじゃねえか!


と三十年も前に

「大衆的で猥雑なことこの上ない雑芸は風紀を乱す」と桓武帝の不興を買い、都で芸をすることを禁じられて事実上追放状態にあった…


雑事師ぞうごとし、踊子、傀儡師くぐつしたち大道芸人が各々集まり、ここ平城宮前の芝生の広場で芸事をして「芝居」の語源になった宴を連日繰り広げ、かつての万葉の頃の華やかさを取り戻しつつある、大同五年の夏 。


「お前もこのような狭苦しき離宮にこもってばかりで窮屈であろう。父の代わりに芝居でも見て楽しんで来い」


と平城宮にお移りになられて半年ですっかり心身に生気を取り戻された父、平城上皇が上機嫌で阿保に物見をお勧めになられたのだ。


年明け前に最も愛する我が子である皇太子、高岳親王と離れ離れになり、朝原内親王を始めとする上皇の妻たちのほとんどが「幼い子供たちが心配ですので」

と平安宮に留まる事を懇願し、正妻の朝原内親王に至っては、


「だって、お兄さまと私はお父様がお決めになった政略結婚で夫婦の契りは交わしてないし、都を離れて付いて行く気持ちも義理もありませんもの」


と情愛のかけらも無い言葉の矢を放ったので上皇の心は深く傷付いた。薬子以外の女たちに見捨てられた体で平城宮に着いて輿から降りた彼にさらに追い討ちをかけたのは、


建材のほとんどを平安宮に移築されて空いた跡地のほとんどを田畑にされてしまい、申し訳程度に残された王城を改築した小さな離宮のみ。というさびれ果てた平城宮の有り様だった。


これが二十数年まで「都」だった平城京なのか?

神野よ、これが実の兄で上皇である我に対する仕打ちか。頂から降りた者はもう用無し、ということか…


かつては万葉集で


あをによし寧楽なら京師みやこは咲く花のにほふがごとく今盛りなり


とまで歌われ栄華を誇った都が今は、


「寺と田畑とこの離宮以外に何もない、何とも寂しく惨めな場所になってしまったものだ…」

とこぼすと輿から降りて離宮にお入りになった上皇は気落ちして床に寝付いてしまわれた。


実は平安京を出る前、


上皇が在位中に最も力を注いだ観察使制度を嵯峨帝は即位直後に廃止し、地方に任官していた貴族たちを呼び戻して参議制度を復活させてしまったのだ。


観察使という役職は国司や郡司等の地方行政官が律令を遵守しているかを見張る今でいう監察官の仕事である。


その選抜は主に三位以上の参議が兼任して直接現地に赴き、

地方行政の実態を太政官を通してすぐに天皇に報告できる朝廷から地方への指揮系統を一本化するための計画だった。


もちろんこの政策は参議たちからの反発を招いたがそれを押しきって参議号を廃止し、半ば強制的に貴族たちを

東海道、北陸道、山陰道、南海道、西海道の六道に派遣したのである。


そうしてまで地方の民の声を掬い上げようととした自分の努力が…


弟の勅の一声で全て、無かったことにされた。


そういう経緯で失意のどん底に落とされた上皇を快癒させたのは、


上皇の食事をこと細かく管理して自ら毒味役を買って出てまで愛する平城上皇に尽くした尚侍、藤原薬子の看病と献身のたまものであった。


「体は元気になったが、やる事がないというのも辛いものだな、薬子よ」


とただ一人平城宮まで付いてきた女人である薬子に向かって気弱な笑みを向けると薬子は上皇のお手を取り、


「いいえ、今の奈良の賑わいは上皇さまが民に好かれているという証なのです。必ずや取り戻せますわよ、かつての万葉の頃の輝きをこの『都』に」


と指を絡めて女人のように白い上皇の手のひらを我が頬に押し当てた。


そうだな、と上皇は薬子の手の甲に口づけすると顔を上げ、真剣な眼差しで

「事が成ったらお前を正式に妃にする」

と薬子に告げた。


その言葉を聞いた薬子ははっとした顔で相手を見つめ、

「よ、よろしいのですか…?」と急に畏れ多い心持ちになったのか怯えた目になり、握り合っていた手を離そうとしたので「構わぬ」と薬子の手を捕らえて力強く抱き寄せた。


「今わかった。幾人もの妻を持ったが私を本気で愛してくれたのはお前だけだ、薬子」


ああ、上皇さま…と活力に満ちた9才年下の恋人の胸に顔を埋めて、薬子は啜り泣いた。自分が今何故泣いているのか薬子にも分からない。ただ、この御方のためにならとやってきた良き事悪しき事の全てが、

報われた。と思ったのは確かだった。


平城上皇と藤原薬子。

このふた月後には政変で全てを失う二人にとってこの時が人生で最も幸福なひと時であった。


傀儡師が巧みに糸で操る人形たちが三國志ものの中で最も有名な逸話、


勇猛呂布が「詔である」と叫んで暴虐を極めた義父菫卓を剣で刺して暗殺する場面で観客たちはどっと盛り上がる。


中には「やれい、やっちまえい!」「悪人なんざ何倍も痛めつけていいんだ!」と握りこぶしを振り上げて叫ぶ庶民の男も何人かいた。


「裏切りと謀略と暗殺の話は古今東西や身分を問わず人々に受けるものなのだなあ」

と阿保が男たちの粗雑な言動に驚いて浄野に話しかけると、


「はい、復讐を果たす場面ほど客は盛り上がります。

民にはたまの憂さ晴らしも必要ですのでそこは大目に見ています」


と浄野は、

毎日食うために働いて生きているだけの民には楽しみも必要、将来的には大衆的な娯楽も緩和すべし。という自分の意見を暗に述べた。


さて、上皇の子でありながら叔父である今上帝に通じている私はさしずめ劇中で父の董卓に

「この裏切者」

と罵られる呂布だろうか?


いや、私は呂布ほど勇猛果敢ではないな。とかぶりを振ったところで人形劇は終了し、拍手喝采と共に投げ銭や食べ物の入った袋が傀儡師の子らが掲げる籠に向かって投げ入れられる。


阿保も父に持たされた銭袋の中から和同開珎硬貨を一握り入れようとすると浄野に「払い過ぎですよ」と注意されそれでも五枚入れると「珍しく太っ腹なお役人様ですぜ!」と周りに驚かれた。


皇族って本当に金銭感覚が無いな…と傍で見ていて浄野は呆れたが、まあ仕方がないか、阿保さまが銭に触れるのも使うのも今日が生まれて初めてなのだから。と思い直して銭袋を阿保から預かるのであった。


人形劇の向かい側では小柄な男が逆立ちで綱渡りをし、その向こうでは天竺人の老人が籠の中の蛇を縦笛で操っている。方々に立った屋台のせいろからは何やら肉と香辛料の混じった旨そうな匂いや菓子の甘いが立ち昇る。


これは…見ていてなんと楽しきものではないか!


まるで年老いた命婦から伝え聞いた聖武帝の御世のごとく、空海阿闍梨から伝え聞いた唐長安の西市の賑わいのごとく。


このように活気溢れる人々の賑わいを見たのは生まれて初めてだ…


何故我が祖父桓武帝はこれら一切の大衆向けの宴を禁止なされたのだろうか?


と阿保親王が思いを巡らせている時、芝生の広場の中でひときわ大きな喝采が起こったので「行こう」と浄野と共に駆け寄って見ると、こちらを巡回の役人だと思っている見物客たちは自ら場所を開けて最前列でこれから始まる演目を見ることが出来た。


年の頃は阿保と同じ16くらいの少年二人。

一人は目が細い穏やかな顔付きで、もう一人は切れ込んだ二重瞼の目をした彫りの深い顔立ちをしている。二人とも動きやすいよう白装束の袖と脛を革で巻き付け、裸足のままでいる。


二人が観客に向かって大仰に一礼すると互いにぱっ、と一間ほど離れ、細目の少年は籠の中から掌ほどの大きさの瓜を両手に持ってほい、ほい!と高く空中に放り投げて相方の少年が一個ずつ瓜を投げてやると何の苦もなく受け取り、1つ増え2つ増えしていく度に拍手が起こり、

瓜が10個に達した時にはわぁーっ!と観客が感嘆の声を上げた。


「まだまだこんなもんじゃねえぜ。ソハヤとスガルの凄さはよ」


とこの演目の常連客らしい中年男がにやりと笑って阿保に囁きかけた。


手元を少しも違わず長い間瓜を操り続けるスガル(常連客から名前を聞いた)が目で合図をすると、


うりゃあーっ!


と声を上げて相方のソハヤは両手で弄んでいた短刀を一本ずつ空中の瓜目がけて飛ばし、一番高く放り投げた瓜のど真ん中を貫いた。


次の動作からはただ投げるだけでなく宙返りしながらだったりスガルに背を向けて上体を折り股の間から狙って投げたりと、いちいち客を飽きさせない工夫を凝らした芸当であった。


単刀に貫かれた瓜から果汁が滴り夏の陽光の中で煌めく様に阿保はなんと生命力に満ちた演技か!と心踊った。


見届け役の白装束の娘が「命中ぅー!」と甲高い音の鉦鼓を鳴らす度に客はいけ!いけ!ぶっ刺しちまえ!と声を上げる。


ソハヤはおもむろに両腕を組んで最後の10本めを片足の親指と人差し指の間に掴んで最後の瓜に命中させた時にはもう見物客が前のめりになり、この日一日の中で一番大きい歓声を上げた。


この二人、少年ながらとんでもない武力だ!


と嵯峨帝の春宮時代に騎射に優れていたため近侍に選抜された浄野の目にも、ソハヤとスガルが只者ではないことが解った。


拍手と銭が雨のように降り注ぐ中でソハヤが短刀が突き刺さった瓜を高々と掲げたのを見た瞬間、浄野はやっと気づいた。


黄色い瓜の中央に深々と突き刺さっているあれは…!


「刃物を扱う危険な芸なので一応取り調べておきますか」


と言って浄野は阿保を連れて銭袋を抱えて帰路につく少年二人を後を付けて彼らの一座が住まう木組に布を張っただけの多きなあげはり(テント)に入った所で「今から武官の真似事をしますよ」阿保に合図した。


二人は途端にわざと厳しい顔つきをして「ご用改めである!」と幄の中に踏み込むと、そこには、


古代の踊り巫女の装束に身を包んだ白銀の髪と眼をした艶やかな女が背後にソハヤとスガルを従え、その後ろには20人近くの巫女姿の女たちが頭を垂れ、片膝でひざまづいて二人を迎えた。


「瓜に刺した蕨手刀が一目で解るのは坂上家の人間だけ…お待ちしておりましたよ、阿保親王さまと坂上浄野どの。

わたくしは修験者タツミの妻、トウメでございます」


「…まさか、芝居の中で一番客を呼ぶ天河の踊り巫女たちがわれわれの密偵だったとは夢にも思うまい」


と言って阿保親王はまるで神がこしらえた宝玉みたく美しいトウメの容姿に見惚れて呟くと、

「まさか、我が子である阿保さまが帝の間者であるとは上皇さまも夢にも思いますまい」


とトウメは少し意地悪っぽく笑った。


「さて、ふた月ほど前から急に湧いて出た芝居の芸人達を不審に思われたでしょう?」

「うむ、父上のご快癒の情報が何処かから漏れたに違いない」

「実は、上皇さま御自ら土蜘蛛たちをお呼びになり、芸人たちの中に紛れ込ませているのです」


土蜘蛛、それは天皇直属の暗殺者集団の呼び名であり過去の様々な皇族の不審死の影には必ず土蜘蛛の働きがあった。


未遂に終わったが四年前の最澄暗殺計画も、二年前の自殺に見せかけた伊予親王殺しも、全て平城上皇が土蜘蛛に命じて行わせたのだ。


「私たち修験者の女たちはふた月かけて土蜘蛛たちの人数と氏素性と顔かたちを芸人たちの中から徹底的に調べあげ、すべての情報を記した文をしたためました」


とトウメは紐飾りの付いた自分の簪を外し、

(紐の中に文を忍ばせてあります)

と囁いてから阿保に手渡す。簪から紐を解いた阿保は何のためらいもなく烏帽子を外し、自分の髻に紐を結わえてからまた烏帽子を被り直した。


「私からもお前たちに重要な知らせがある。上皇は早くともひと月以内にここ平城京に都を再遷都なさるご意向だ。その次は…」

といい淀む皇子に向かってトウメは、


「その次は帝を弑して重祚ちょうそ(退位した天皇が再び即位すること)なさるおつもりなのね…なんて浅はかな考え。臣は誰もついてこないわ」


と高貴なお方に向かってずけずけと口憚る事態を指摘すると、


「恥ずかしい話ではあるが、父上皇とはそういうお方なのだ。薬子以外誰も信用なさらぬから独善に走り、臣下の諫言も受け入れない孤独な王なのだ」


「ほんとにね、孤独な王様ほどたちの悪い生き物は居ない。死ねばいいのに、と皆から思われている王ほどなかなか死なないのよねえ」


と言ってトウメは袖で口を覆って笑い、やおら立ち上がると、


「親王様のご無事を祈って舞を舞わせていただきますわ。これからわたくしの出番なので」

と二人を外の広場に誘った。


その日の最後の演目で離宮からも見える高台に白い幕を張り、桶の上に一人乗ったトウメは勾玉の首飾りを髪に巻きつけて肩には薄衣の領巾をまとった古代の巫女姿で裸足のまま桶の上に立ち、右手で榊をかざすと…

盲目の老婆が弾く二胡と、娘たちが鳴らす横笛と太鼓の伴奏に合わせて、


くるり、くるり、とつま先立ちで右に旋回し、領巾と袖を翻しながら次第に回転が早くなる。


これは…古代からの神楽と大陸から伝わった胡人(ソグド人)の民族舞踊である胡旋舞を合わせた振付だな。なんと見事な舞だ…!


榊を捧げる細長い指、裾から見える象牙のような太腿。そして、時折私を見て微笑むトウメの夢のような美しさはこの先何があっても生涯忘れないぞ。


と阿保はわが胸に誓い、その日の夜、浄野を護衛に平安京に向かった。


密書に目を通し、阿保の報告を聞いた嵯峨帝は、

「よりによって再遷都と重祚をお考えとはね…阿保よ、お前の父はその土蜘蛛とやらに朕と妻子を皆殺しにさせる気なのだよ、

…愚かだな。落ち着いてきた世に再び乱を起こすなんて天皇にあるまじき考えだ」


と呆れ果てて全身でため息をつき、傍らに控えていた冬嗣に臣数名の名を告げると、


「そ、それではこの御所ががら空きになってしまいますぞ!」といちおう冬嗣がお諌めしたが、

「構わぬ、彼らを全員平城京へ派遣する。表向きは上皇に礼を尽くすふりをしてやろうじゃないか」


とお笑いになられたがその笑顔の凄まじさに阿保は思わす身震いした。


大同5年9月6日(810年10月7日)、平城上皇は平安京を廃して平城京へ遷都する詔勅を出した。


最初反発するかと思われた嵯峨帝は拍子抜けするほどの素直さでこれを受け入れ、造営使として、


藤原冬嗣、坂上田村麻呂、紀田上きのたがみらを派遣して自分が最も新任する臣たちに平城京を造営させて上皇に何の敵意もないように見せかけて…実は上皇側を牽制することが目的なのである。


そして、最後に嵯峨帝が平城京に派遣の詔を出した相手は…


「空海阿闍梨、お前を東大寺別当に任ずる。奈良の僧侶たちを全て朕の側に付かせろ」


と、先手。の意味を持つ黒い碁石を空海に手渡した。


「は、帝の御心のままに…」


こうして短い期間ながらも空海は帰京してたった一年余りで奈良仏教の頂点に立つ事になった。


嵯峨帝、かりそめの新都を寵臣たちに作らせ敵である上皇がわの目眩ましをすること、


豪奢なる遁甲の如し。


































































































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