第71話 東国の勇者

武人の家に生まれ、元服を過ぎた頃から戦場に赴いては稲穂を苅るように敵の首を獲ってきた。


主の身を守り、主の敵であると認識したらためらいもなく討つ。それが武人のつとめであり存在意義だ。


地獄に堕ちるのは承知の上。血の池地獄なんて、俺にとっては温かい寝床さ。


なれど…


あの時救えなかった命を田村麻呂は今でも悔やんでいる。



延暦8年(789年)の蝦夷征伐は朝廷軍一万の兵が1500の蝦夷の兵に奇襲されて壊滅するという屈辱的な大敗に終わった。


内容はこうである。


朝廷軍は蝦夷の拠点とされる胆沢いさわ(岩手県奥州市)の前の衣川(岩手県西磐井郡平泉町付近)に陣を張ったまま、一月ひとつきも動かず、桓武帝の叱責を受けてしぶしぶ進軍した。


朝廷軍は北上川の西側に古佐美率いる六千と

渡河して東側に渡る後軍四千に別れて北上川を挟むように北上して巣伏村すぶしむらを目指した。

そこで後軍は蝦夷の兵300騎と出くわして争い、数に圧されて慌てて敗走する敵を見て、


なんだこんなもんか。このまま行ける!


と勢い付いてそのまま巣伏に進軍し、後は北上川左岸から河を渡りこちらに合流してくる筈の前軍と合流する筈だった、が…


最初に戦った敵に陽動されて深入りしてしまった愚に気付いたのは、追っている敵兵が急に反転し、生い茂る草木の中に隠れていた800の騎兵を加えて猛攻してきた時だった。


裸馬を操り、けたたましく雄叫びを上げながら鉄製の刀身のなかごに紐を巻いただけの共鉄柄ともがねづか蕨手刀わらびてとうを手に追いまくる、顔に刺青をした異民族の男たちを目の当たりにした寄せ集めの兵たちは…驚きと恐怖で理性を失った。


「逃げるな!背後の川に流されたらひとたまりもな…」


と別将、丈部善理はせつかべのぜんりが馬首を翻し、逃げ出す部下を叱咤する間もなく…


「ばかめ、後ろを振り返る将なんてあるか!」


と長い髪を頭頂部で結わえ、目の上下と両頬に刺青を施した蝦夷の長、アテルイに蕨手刀で喉を掻き切られて絶命した。


東岸の部隊はさらに北東の山林に潜んでいた400の蝦夷の兵に背後から襲われた。


アテルイの作戦は北上川を自然の罠にした挟撃。


敵が川を渡るのを好機、とばかりに300の兵を使って陽動作戦に打って出たのだ。


たとえ一万の兵だろうと待たせればいつか命令されるか焦れるかして分散して川を北上するであろう。


後は川の東岸に渡り終えた兵を威圧して広大な北上川に敵を落とし込めば…


「誰でも恐怖して泣きわめくさ。実戦に慣れてないヤマトの兵の、なんと脆弱なことか…」


とアテルイは副将のモレを振り返ると、呆れ果ててそう呟き。


「まったくです。こんな愚かなやつらに支配されたくはないもんですな」


とモレはひとまずは奇略で先勝した喜びと安堵で端麗な顔に笑いを浮かべながら答えた。


副将モレは突き抜ける程の長身に乳白色の肌灰色の髪と瞳をした明らかに渤海人特有の外見をしている。


エミシの民は古来より渤海、果ては蒙古、と大陸からの渡来人と東国の先住民が混ざりあって共生する、いわば東日本の多民族社会であった。


アテルイは溺れもがいて次々と川底に沈む兵に哀れみの眼を向けてから、


「これで当分ヤマトの軍は来ないであろうが…次に来る兵士は、本気だ。気を付けろ」


と厳しい顔つきで副将と部下に忠告してから


「さ、後は敗残の兵に帰る道を作ってあげようしゃないか」


と川岸に全ての騎兵を並べ、武器を鳴らして蝦夷の言葉で奇声を上げ、対岸の敵を思う存分威嚇した。


征東大将軍紀古佐美せいとうだいしょうぐんきのこさみ率いる前軍は川の向こうで、


奇襲で恐慌状態に陥り、

服を脱いで泳いでこちらに逃げ出して来たり、心を失って一歩も動けず川の中で溺死したりする者のほとんどが…いざ敵を前にして戦うことも出来ないという「主力部隊」のていたらくを見せつけられるしかなかった。


蝦夷のやり方は青々と生い茂る森林に潜んだ兵がいつどこから飛び出して来るか解らないいわゆるゲリラ戦法。


紀古佐美は背後の「見えない敵」の存在を妄想して怯え、兵を連れて撤退した。


逃げ道、といっても北上川を南下するしか無いので撤退する途中で川に流されて溺死する兵もいた。


後に「巣伏すぶしの戦い」と言われるこの戦いで、別将の丈部善理ら戦死者25人、矢に当たる者245人、川で溺死する者1036人、裸身で泳ぎ来る者1257人。


この戦いで初めて「阿弖流為アテルイ」の名が日本の歴史に登場する。


大敗した朝廷軍の将、紀古佐美が衣川から動かなかったのは無能だったからではない。


8年前に蝦夷の長、伊治呰麻呂これはりのあざまろが起こした反乱では征東副使として東国に鎮圧に赴き、蝦夷の兵の勇猛さを肌身を持って知っている。


都からの武器と食糧の補給のことを考えて、衣川までが朝廷の進軍の限界で、蝦夷軍と戦うには、ここしかない。という現実的な判断から来るものであった。


つまり深入りして河を北上するのは危険だ。と古佐美は長年の武人としての経験と勘で動かなかったのである。


「それを強引な勅で軍を進ませてしまい、むざむざと多くの兵たちを死なせてしまった…この古佐美、人生最大の失態であるよ」


と砂埃にまみれた姿で帰京した古佐美が意気消沈して嘆くのに田村麻呂は、


「いいえ、あなた様の最大の功績はご自身の判断で軍を解散させた事です。朝廷の命に背いてこれ以上の兵の無駄死にを防いだ。これは、英断です」


と肩を抱いて武名高い56才の将軍を労った。


桓武帝から厳しい叱責は受けたが結局、古佐美はこの敗戦の責めを一切負わなかった。


長年の朝廷への功労が認められたから。と記録にはあるが、あるいは、


桓武帝が後で考え直して古佐美の判断は正しかった。と認めたのかもしれない。



だいたい軍備が満足に揃ってない中で遠征に行かせるのが愚策だったのだ…


遷都と同時期に兵を出して、都が襲われたらどうするつもりだったんだ?


三年後に田村麻呂が征東副使に任命された時、


「この田村麻呂、一命を賭して必ずや蝦夷を蹴散らして参りましょう…ですが、アテルイと正面から戦ってはまた負けますよ」


「ではどうすればいいのだ?」

と征夷大将軍で直属の上司である大伴弟麻呂おほとものおとまろに問われた田村麻呂は、


「これは武人のやり方ではないんですがね」

と上司の耳元に口を寄せ、東国に着いてからの綿密な計画を打ち明けた。


「…それで、うまく行くのか?」と弟麻呂は最初はいぶかしんだが、

「今はそれしかありません」

と歴戦の勇者である田村麻呂にきっぱり言われたので従わざるを得なかった。


あの戦闘から四年。東国には平穏な日々が続いている…


「ヤマトの武人たちは近隣のエミシの民たちを脅かすどころか丁重に扱い、今までにない友好関係を築いています」


と探りを入れた部下の報告を聞いたアテルイは殺生小屋で血を抜いた熊の腹を裂いて臓腑を丁寧を取り剥がしながら、


ヤマトの将め、武力で敵わないと思って今度は懐柔策に出たな。


俺の読み通り今度の将は、本気だ。


と鉈に付いた血を水で洗い、眉根を寄せて考え込んだ。


「今のヤマトの将と各部下たちの人となりをどう思う?」


「は、将軍は弟麻呂という武官ですが…

民に一番人気があるのは副将の田村麻呂という男でして。通訳を通してヤマトの農耕の仕方を教えた結果、収穫が増えたので民は喜んでいます」


「ふうむ」


「これは我が目で見た事ですが」


「言ってみろ」


言いながら、アテルイは器用に熊の解体作業を続け、14才の息子に臓腑を渡して塩漬けにするよう頼んだ。

小屋の外では妻と娘たちが採った木の実や果物を細縄で括って干す作業をしている。

この穏やかな生活を脅かしに来るヤマトの兵どもなんて何度来ても戦って追い払ってやるさ…俺たちエミシの男は女子供を守るために常に己を鍛えている。強引に民兵を駆り出して戦地に赴かせる卑怯なヤマトの王とは違う。


「その田村麻呂、エミシの子らに襲いかかって来た猪を槍のひと突きで倒す程の武力の持ち主で」


「そいつ、面白いな」


と主が彫りの深い顔に悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべたので部下は嫌な予感がして…


「アテルイさま、アテルイさま?」


と止めようとしても無駄なことだった。


3日後、単騎駆けで裸馬に乗ってやって来た大柄な蝦夷の男に駐屯地の武人たちは最初は警戒したが、


男が戦士ではなく農夫の格好をしていて、蛇避けの杖を背中に差しているだけで武装していない事から、


どうやらヤマトの評判を聞きつけた物好きな農夫だろう。

と判断して「タムラマロ」と連呼するその男を本営で読み物をしている田村麻呂に引き合わせた。


「ふうむ、お前は農夫にしては引き締まったいい体つきだな、名前は?」


「我が名はモレ、農夫だ」


とぬけぬけと副将の名で騙って自己紹介するアテルイに通訳の老人、伊治呰麻呂これはりのあざまろは顎が落ちんばかりに口をあんぐり開けて驚いた。


この呰麻呂、前の蝦夷の長であり、朝廷から官位も授かり上治群(宮城県栗原市)の領主を勤め朝廷と蝦夷との仲立ちを務めていた男だったが…


朝廷のエミシへの侮蔑的な扱いに耐えかね、10年前に起こした乱に負けて今は朝廷軍の捕虜となり、通訳として生かされている。


男の正体を教えるか否か。一瞬呰麻呂は迷ったが、


「余計なこと言ったらその目玉、抉りとってやるからな。そもそもヤマトとの関係が悪化したのはお前のせいだ」


とアテルイがエミシの言葉で話しかけて牽制したので諦めて通訳に徹するしかなかった…


「ヤマトでは昔、エミシという言葉は『とてつもなく強い男』という意味だった。

蘇我蝦夷そがのえみしどのや佐伯今毛人さえきのいまえみしどの…エミシと名付けられて誇りにしていた男たちもいたのだ」


と読んでいた書物を脇に置いて田村麻呂は片言のエミシの言葉でアテルイに語りかけた。


「お前、エミシの言葉が話せるのか…」


と息を呑むアテルイにまだ完全ではないがな、と田村麻呂は照れて頬を掻いた。


「相手を理解するために言葉も風習も学ぶのは当然のことだと俺は思ってる。評判だけ聞いて罵るのは子供でも出来る」


ましてや…とそこで田村麻呂は唇を噛み、


「言葉も風習も信じるものも違うからと言って、相手を忌み嫌い拒絶し、力で滅ぼそうとするのは人間として一番の愚だ」


と言い切り、エミシに「夷」という漢字をわざわざ当ててエミシをもう同じ国土で共生していく人間ではなく、


不倶戴天の異民族。


として討伐しようとする桓武帝のやり方に一番憤っていたのは他ならぬ田村麻呂自身だった。


古代の大陸では未開人、蛮族をさして「夷」と呼んだ。今度の東征が「征東」ではなく「征夷」と名称が変わったのは…エミシの民を大和朝廷に隷属させる冷厳とした目的があるからだ。


「我が主はこの国の政のやり方をなんでも唐国風に真似しようとする生真面目なお方だ。


が、異民族を全て隷属させようとする唐国の悪い思想にまで『かぶれて』いなさるのさ」


と田村麻呂が吐き捨てるように言ったところで、


「…おまえ、本当に武人なのか?」


とアテルイが田村麻呂の挙措端正さや極めて客観的に朝廷の実情を語る冷静さ。


そして敬意を持ってエミシの全てを学び、理解しようとする姿勢に…正直、感銘を受けていた。


「残念ながら主の命令に従って生きる武人さ。但し、これにかぶれているがな」


と田村麻呂は先ほどまで自分が読んでいた書を広げて見せた。

書に書かれた文字を見てそれが仏教の教典であることを知ったアテルイは…


「仏教かぶれの武人か…お前、本当に面白い奴だな!」

と肚の底から笑った。気の済むまで笑ったアテルイはやがて笑いを収め、


「また来る」と言って立ち上がると愛馬に跨がって帰って行った。


さすがはエミシの長よ。鞍も付けずに乗りこなしている。


田村麻呂はアテルイの乗馬の巧みさにいたく感心し、さっき仏教の教典を見せただけで笑ったアテルイを、


ヤマトの言葉も文字も唐国の文章も習得している教養の高い男だ。と即座に理解した。


「あの男がまことのエミシの王なのだな?」


と背後でまだ震えている呰麻呂に問うた。


「は…アテルイさまこそ生まれながらエミシの王となるべく育てられたお方でございます。我は只の交渉人」


それから田村麻呂が都に呼び戻されるまで農夫モレに扮したアテルイと田村麻呂との会談は実に十回以上。


その内四回は棍棒を剣に見立てて仕合い、互いの武力がほぼ互角。


と一時(二時間)の長い激しい打ち込み合いで互いに汗みずくになり、乱れそうになる息をやっと整えて二人は距離を取って黙って見つめ合っていたが…


「実は都に呼ばれてな」


と先に口を開いたのは田村麻呂だった。


「今度の勅で俺は征夷大将軍に任命されるだろう」


「そうか」


とアテルイは静かに言って二人は同時に棍棒を下ろした。


それからアテルイはじゃあな、と言うと愛馬にひらりと跨がり振り返りもせずに走り去った。


…アテルイの姿が見えなくなると田村麻呂は早速帰京の支度に取り掛かった。


坂上田村麻呂とアテルイ。


今度会う時は朝廷軍と蝦夷軍の敵将として死力を尽くして戦うことになる。


そんなこと口に出して言わなくとも二人は互いを理解しきっていた。




















































































































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