第70話 阿修羅

「さて…あなたには『この子』がどんな表情に見えるのかしら?」


その美しい御方は漆を塗り固めて出来た像の前に私を連れだして、試すように質問なされた。


ぎゅっと眉根を寄せて前方を見据える少年の顔をした阿修羅は、まるで怒りを内に溜めているように見え…


そのまま伝えるとその御方は、


「あなたの心の中には怒りがあるのね」


と自分でも気付かなかった本心をずばりと言い当てて下さったのだ。



「平城宮の改装工事で奈良にも人が増えました…工事に当たる木工座の職人、道を整備するための人足。それ目当てに物売りが市を開き、旧都もひさかたぶりの賑やかさです」


興福寺の阿修羅像を見上げながら徳一が隣に並ぶ老僧、実忠に語りかけるとふいに、


「お前にはこの阿修羅のお顔が何に見える?」


と我が師で親がわりでもあった老僧に問われ、


「何かに恐れを持っているようにも見えますが」


と率直に答えた。そうか、と実忠は含み笑いを洩らし、


「お前が恐れているのは、最澄が作ろうとしている天台宗の戒壇だろ?」


とずばりと本心を言い当てられた徳一は眉根を寄せて…阿修羅よりも険しい顔になった。


なぜこの時代、最澄がこれ程までに奈良仏教の僧侶たちから憎悪されていたのか?


五十年以上も前に流行った法華経の教えを今更引っ張り出してさも我が論であるかのように高説を垂れるからか。


それとも「全ての衆生は救われる」という最澄の論と、

「全ての衆生が彼岸にたどり着きたいわけではない」という法相の教えは合致せず、


何処にも落とし処の無い無駄な論争に仏教界を引きずり込んだからか。


若輩者のくせに桓武帝に取り入って内供奉十禅師ないぐぶじゅうぜんしという過分な役職を与えられたからか。


いや違う、徳一が最澄を恐れているのは…最澄が天台宗独自の戒壇を求めているからだ。


戒壇。


そこに昇るのは僧尼令そうにりょうに規定された国家公認の僧侶になる証。


最澄は我が弟子を戒壇に上げて我が手で受戒を授けることを最終目標にしている…


権力を欲しがっている危険な人物。


と奈良仏教の僧たちから見なされていたからである。


「最澄に戒壇を許可したら奈良の仏教はこの先どうなる!?」


と最初に激怒したのは受壇の権限を持つ律宗の僧侶たちであった。


あれは延暦の時代だったからもう15年くらい前になるか。大安寺から逃げ出した若い正僧が比叡山で新しい宗派を立ち上げようとしている…という噂を先輩の僧から聞いた時は、


新しい宗派?そんなのひとりでは無理さ。


と鼻で笑ったものだ。が、最澄の真の目的が戒壇の設立と受戒の権限だと解った時…


僧侶にあるまじき野心ではないか!


と腹を立て、最澄の思うがままにさせては奈良仏教は危ない。


自分より若いくせに帝に取り入って出世するやり方は僧侶ではなく貴族のそれではないか!

と嫌悪さえした。


実際、最初に会った時の最澄の印象は背が高く細身で人と眼を合わせるのが苦手な、気が弱そうな男。


というものだったが、


いざ論戦となるとまるで何者かが取り憑いたかのように饒舌になり、

「では貴方は、人には五種類あって現世でそれぞれの役目を果たすように生まれついている。と仰いますがねえ…それでは救いが無い。というものです!

法相の教えは、民の心に響かないんだ!」


と言ってのけるではないか!


生まれて初めて、徳一の闘争心に火が点いた。


「最澄、お前の言葉は全て詭弁である!」と鋭い舌鋒で徳一は最澄の論に噛みついた。


こうして後の世に


三一権実諍論さんいつごんのじつのそうろん、と呼ばれる徳一と最澄の生涯をかけた論争が始まったのである。


何度か論争している内に徳一は、もしかしたら最澄は…


個人的な理由で東大寺を強く憎悪しているのではないか?


と話の内容が華厳の教えに触れた時に人が変わったように激昂する最澄を見て思うようになったのである。


「最澄の戒壇を恐れている、と言われればそうです」


と徳一は実忠の問いに素直に答えた。


「最澄は一見、水のように落ち着いた男です…しかし論戦の時は炎が燃え盛るみたいに怒り…まるで傍に誰もいないかのように自説をまくしたてるのです。

あの炎には不純物が混じっています。最澄を増長させるのは危険です」


実忠は視線を阿修羅の面から徳一の横顔にずらし、青い瞳に優しい笑みをたたえて我が養子に、

「わしは決めたぞ徳一、空海を東大寺に呼ぶ」

と宣言した。


「し、しかし空海は今は帝の寵僧で宮中に…!いくら実忠さまでも」


とうろたえる徳一に、


「なあに、その内呼ばなきゃいけない事態になるさ」

と済ました顔で東大寺権別当は言ってのけたのだ。


「徳一、この阿修羅像は元々は恐ろしい悪鬼の面をしていた。

それを光明皇后さまが『こんな恐ろしい形相をした神を、弱った民が受け入れてくれる筈が無い』と天竺人の仏師にわざわざ作り直させたのだ」


「そのような話初めて聞きました…」


そういえばお若い頃の実忠さまは光明皇后さまの寵僧だった聞いたことがあるが、実忠が光明皇后との思い出を語るのはこれが初めてだった。


この少年のような美しいおもての下に悪鬼が?


と徳一は改めて阿修羅像を見つめたが、阿修羅は相変わらず眉を顰めて何を考えているかわからない表情をしている。


「ちょうどお前の位置にわしが控えていた。50年以上も前のことだ。


今のわしの位置に光明皇后さまが立っておられて、

お前には『この子』がどんな表情に見える?とお聞きになられた。

怒っているように見える、と申し上げたらお前の中には怒りがあるのね?と心中を見透かされたよ…


『この阿修羅は見ている者の心を映し出す鏡なのよ』と皇后さまは仰せになられた。徳一、阿修羅とはなんぞや?」


「は、阿修羅は元々天竺の婆羅門教ばらもんきょうでは悪鬼、仏教では八部衆に属する守護神で、帝釈天に敗北した悪鬼が改心し眷属になったものと」


「違うよ、阿修羅アフラとは元々拝火教(ゾロアスター教)の最高神で光の神だ。

湖の言葉でアフラ・マズダ-と呼ばれるこの世で最も古い一神教の神なのさ…なあ徳一、


宇宙はたった一つの光から生まれた。


という説を是とするなら、この阿修羅アフラ廬舎那仏るしゃなぶつもも大日如来も同じようなものと思わんかね?」


そこまで聞いて徳一は、


空海を東大寺に呼ぶ。


と言った実忠の真意を悟り、陽気な声で


「この徳一、修二会しゅにえが楽しみで仕方ありません。久方ぶりに心が晴れました!」と言って本堂から立ち去ろうとしたが急に立ち止まり、


「光明皇后さまは何故、阿修羅像を『この子』とお呼びになっておられたのですか?」


と心に引っ掛かっていた事を口にした。


「光明皇后さまはこの像に幼くして身罷られたわが子、基皇太子もといこうたいしの面影を重ねておられたのだ…」


そう答えて阿修羅像を見上げたまま合掌する実忠の背中が、とても寂しげだった。


「そうでございましたか」


と涙で声を潤ませた徳一も阿修羅像に合掌し、深く瞑目した…。



代々伝わる家宝の龍笛を丹念に手入れし、懐にしまうと橘逸勢は、


「では行って参る」


と妻、高階浄子たかしなのきよことことし3才になった長男の達保たつやすに挨拶してから宮中に参内するのが彼の日課だった。


帰京してすぐに逸勢は当時はまだ皇太弟であられた神野親王に請われ、侍講じこう扱いで神野の書の家庭教師となり、また雅楽寮うたまひのつかさに仕える楽人たちの指南役という職を与えられて我が身一つで働いて、橘家の家計を支える身となっていた。


人というのは不思議なものだ。留学前は病弱で武術も出来ない役立たず。と他家の子弟から馬鹿にされていた我が身が、唐で学びを終えて帰国してからは…


橘秀才きつのしゅうさいどの、橘秀才どの。ともてはやされ、やれ唐の最新流行の書を教えてくださいだの楽を教えてくださいだの請われ、貴人にものを教える立場になっている。


「箔を付ける、とはこういうことなんだな。私度僧あがりのお前も、落ちぶれ貴族の私も今こうして帝に仕える身となっている」


「へえ、遣唐使さまさまで。お互い面の皮もえろう厚くなりましたな」


「では、確かめてやろうか? 」


「こちらこそ」


とむんずと頬をつねり合って笑う逸勢と空海を見て嵯峨帝は、


命を懸けて海を渡り、異国の地で共に学びあった遣唐使の絆というのはかように深いものなのか!


と目の前の二人を羨ましく思った。


「さて、そろそろ」という嵯峨帝の合図で逸勢と空海はは、と前庭に降りて所定の位置についた。


前庭に敷かれた地布(絹製の縁布)には14人の奏者がそれぞれの楽器を手に持って準備している。


最前列に釣鉦鼓、楽太鼓、鞨鼓。二列目には向かって右側に琴、左側に琵琶。

そして三列目には龍笛、篳篥、笙の奏者が3人ずつ。


琴を担当するのは嵯峨帝の異母弟で中務卿佐味親王なかつかさのかみさみしんのう。そして空海は琵琶を抱いてばちを構え、逸勢は龍笛、藤原三守は篳篥、良岑安世は笙に唇を当てて音を出し、雅楽寮の楽人たちと共に調律を始める。


ひととおり調律が終わると残暑の陽射し照り付ける前庭は不気味なくらいしん、と静まり返った…


御簾の向こうの嵯峨帝と妃の高津内親王、きつ夫人ぶにん嘉智子、とう夫人緒夏ぶにんおなつ多治比夫人高子たじひぶにんたかこと明鏡をはじめとする宮女たちに向かって、


橘逸勢が口上を述べる。


「わたくし、きつの逸勢は唐土で留学生として楽を学びたる頃、手すさびにこの空海阿闍梨に琵琶の手ほどきを致しました。

暑気払いの管弦の宴という晴れの舞台で我が弟子に演奏させていただけるとはまことに光栄のきわみ…」


と一礼する演奏者たちに嵯峨帝がお声を掛ける。


「逸勢」

「は」

「せっかく空海が琵琶を弾く、という面白き趣向の宴なのだから、曲は『あれ』しかないだろう、と朕は思うのだが」


「は…では、これより陪臚ばいろを献上し奉りまする」


と逸勢が家宝の龍笛に唇を当てて鞨鼓と共に二拍子と三拍子からなる唐楽の夜多羅拍子やたらびょうしからなる音色で先導し、続いて吹物ふきもの(管楽器)の奏者たちの勢いのある音が地上から空中へ駆け上り、弾物ひきもの(弦楽器)奏者のかき鳴らす深い音色が心に染み渡る。


「まあ…なんと素晴らしき楽なのでしょう!」と妻たちが喜んでくれているので嵯峨帝は空海の進言でこの管弦の宴を実行して良かった。とは思った。


しかし、この宴の真意は…



「なんて騒がしいんだ!あの楽をやめさせろ!」


と頭から敷物を被って耳を抑える平城上皇と、その御身の上に被さり攻撃的な楽の音から主を庇うのは尚侍藤原薬子。


「よりによってこの時に楽をするとはなんて無粋な…今すぐあの楽を止めよ!」


と薬子が周りの宮女たちに命令するが、

「神聖な楽を止める権限は私たちにはありませぬ故」とわざと外を向いて宮女たちは上皇と薬子を無視した。


薬子は縁側に立って楽を聴き入る中納言、葛野麻呂を縋るように見たが、

「女たちの言う通りだ。今上の帝主催の宴を中止する力は私たちには無い」とすげなく返された。


やめろ、やめてくれ…と歯を食いしばって耐える平城上皇をかき抱きながら、


もう宮中に、私たちの味方は居ない。という事実を目の当たりにし、薬子は慄然とするのだった。


「上皇さまは夜は眠りが浅いゆえ、昼過ぎから夕方まで午睡なさいます」


と平城上皇の寵姫、伊勢継子から聞き出した上皇さまの生活習慣を、この際利用させていただき一刻も早く内裏から出て行ってもらおう。と空海がわざとこの刻限を選んで宴を開き、


楽を以て上皇さまを睡眠障害に陥らせる。という直接手を下さず相手を肉体的精神的に弱らせる策を嵯峨帝に上奏したのは半月前。


それを聞いた嵯峨帝は最初、

「なるほど、午睡を取らなければならない兄上にとって楽は、騒音にしかならない、が、ちと陰湿すぎやしないか?」

と実行に難色を示したが、


「僭越ながら帝、先んずれば即ち人を制し、後るれば即ち人に制する所となる、という故事に倣いましょうや。親政を執りたい、というご意思があるのならまずは勝たなければ」


と空海にしては珍しく強い口調で言われたので、そうであるな。同じ内裏に住まう自分より同等もしくは上に立つ上皇さまを、


もう兄としてではなく、敵として認識して手を打たなければ。


と決意すると嵯峨帝は顔を上げ、「ではこれは、と思う楽人を選んで早速稽古につけよ」と準備をさせて今回の管弦の宴に至ったのである。


実は選ばれた楽人は…

伊予親王の政変で、何の理由もなく解職された伯父の橘安麻呂、兄の橘永嗣の代わりに憤る橘逸勢。


陰謀で実家の藤原南家を貶められた藤原三守。


大好きだった兄、伊予親王を失った安世。


薬子の兄仲成の狼藉に遭い、左目の上に一生消えない傷を負わされた佐味親王。


そして、唐留学に一番出資してくれた恩人、伊予親王を失った空海。


皆、平城上皇と外戚の藤原式家に傷を負わされ、相手への報復の意思を肚に抱えている者たちばかりだった。


陪臚ばいろ


この曲は聖武帝の御代に婆羅門僧正として名高い菩提遷那ぼだいせんなと林邑(ベトナム)僧の仏哲によって伝えられた…


戦いの出陣の時に演奏される曲なのである。


奏者たちは剣の代わりに笛を持ち、とりすました顔で琵琶を弾く空海は、己が内に秘めたる阿修羅を解放し、攻撃的な音色で内裏におわす「敵」を苦しめ続けた。


因みに陪臚ばいろの曲名の由来は毘盧遮那仏びるしゃなぶつのサンスクリット語での呼び名、


ヴァイローチャナのヴァイロから名付けられたものとされている。


そう、空海が掲げる密教の最高神、大日如来も梵語ではマハーヴァイローチャナと呼ばれ、密教では毘盧遮那仏も大日如来も同じものとされている。


陪臚ばいろ。それは

空海自らが奏者となって攻勢に出る曲として最も相応しい曲なのである。


「あの曲は陪臚ばいろですな」


と右大臣内麻呂と雑談していた征夷大将軍、坂上田村麻呂は顔を上げ、後宮から聞こえる力強い音色に聴き入った。


あれは蝦夷遠征に出立する時であった。


桓武帝が俺たち朝廷軍に向けて雅楽寮総出で陪臚ばいろを演奏し、出陣の舞いで先勝の祈りを俺たちに授けて下さったのだ。


…あの勇ましい響き。なんと懐かしい!


「どうなされたのだね?将軍どの」


「なに、この田村麻呂…老骨ながら武人としての血が騒ぎましてな」


と田村麻呂は目元にふてぶてしい光を宿し、ちらりと白い歯を見せて笑った。


後の世に薬子の変。あるいは平城太政天皇の変と呼ばれる、


壬申の乱以来の皇族同士の戦いの火蓋は、こうして切って落とされたのである。


















































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