第47話 遍照金剛

密教の密は、親密の密。


真言、

それは行者と仏の間で交わされる言語。

吟遊詩人が一族の歌を伝えるように恵果は真言を唱え、空海は聴こえたままを歌うように唱えて少しでも強弱の違いがあると「それでは何の効力もない」と何度も唱和をやり直させた。


印、

それは行者と仏との間で交わされる手話。

舞いの振り付けをするように恵果は次々と手の形を変えて見せて空海に教え、空海も見たままの師の動きを印相で体現し、少しでも間違うと師自ら手を取り、「指の曲げかたが深すぎる。ここはこう結ぶだけでよいのだ」と改めさせた。


加持祈祷、

それは行者が体内に仏を呼び込み一体となって祈る儀式。恵果は法具の意味と持ち方、一つ一つの動作やどんな気持ちで向かうかを空海に伝え、それをさせて少しでも弟子に心のゆらぎを見つけた時は

「月のように清らかな心でこれに向かわなければだめだ」と穏やかな声で厳しく指摘し、納得いくまでやり直させた。


灌上かんじょう


それは師に認められ密教僧として認められる儀式。

目隠しをして師に認められた修行僧が曼陀羅の上にしきみの葉を落とし、(投華得仏)落ちた先にある仏を自分に最も縁の深い仏を決める。この後師の前にひざまずいて頭に水を振りかけてもらい、仏の真理を伝えた事にする。


空海が青龍寺の門をくぐって道場に入った(805年5月)翌月には胎蔵界濯上、さらに翌月には金剛界灌上、さらに翌月には結縁灌上を受け、いずれも投下した樒が大日如来の上に落ちたので、阿闍梨号と遍昭金剛(この世の一切を遍く照す最上の者)という灌頂号を授けられた。


両部灌上で空海の手から離れた樒が大日如来の上に落ちた時、恵果はつい吹き出してしまった。


「大日如来の現世でのお姿は不動明王、まあそういうことだよ」


と言う師の言葉に空海は「何のことでっか?」と首を傾げたので


「ま、まさか今まで何の自覚もなかったのか!?戒明和尚に何か言われなかったか?」


「へえ、初対面の時『お前はなんで燃えているのだ?』みたいなことは言われましたが、酔っていらしたので…それにしても遍照金剛とはけばけばしい、いえ、きらびやかな名は自分には恥ずかしいですな」


と小さくはにかむ空海を前に逆に恵果自身が驚く始末。


いや…自覚が無いのが「本物」なのかもしれないな。不空さまも豪放磊落で物事を深く考えない性格だったし。


とすぐに思い直して椅子から立ち上がった。


三月みつきの修法によく耐え、満行したね。『空海阿闍梨』よ、さあ外に出ようではないか」


と言って杖を突きながら空海と共に道場を出て寺の敷地内にある小さな庭園の蓮池の前まで来ると、ちょうど朝の光を浴びた蓮花が紅い花弁を開かせる光景を恵果と空海と義操の3人でしばらく眺めた。


「空海よ、貴方年はいくつだったっけ?」

「31です」

ふうん、と恵果はひとつ肯いてから池のほとりにしゃがんで蓮花を愛おしそうに眺め、


「わしも師の不空様に逝かれてこの寺と密の教えを継いだのは30年前、貴方と同じ年頃で、急に大勢の弟子を導く身になった重圧と金剛頂経の教えだけでは何かが足りない、


どうすればより多くの人に密の教えが受け入れられるのか?


という焦りで自分がどうにかなりそうだった。結局自分に自信がなかったんだな…

そこで翻訳されてまだ新しい大日経の教えを訳者、善無畏ぜんむいさまの弟子に請い、隅々まで読み込んで自分なりに理論を考えた。


どうすればこれを図案化できるだろうか?と悩みに悩んだある日の朝、この池で蓮花が開いているのを見た瞬間、閃いたのだ。

蓮華の中に小さな仏たちを包み込む優しい仏としての胎蔵界の大日如来の図案を」


「…」


「大日如来とは太陽の光のような仏であり、幻のような仏ぞ。見よ」


恵果は懐から小さな水晶のかけらを取り出して日に透かして、もう片方の掌で輝く小さな虹を二人の弟子に見せた。


「こうして玻璃はり(水晶)に通して見ないと、光の正体が本当は五色と気付かないように人は皆、両のまなこで見た景色だけを見てこれが現世だ、と認識して満足しているのだ。

この庭の景色を美しい、と見て通り過ぎる人が居てもいい。

しかし、庭の中には豊かな土壌やそれに根を張る緑の草木やそれを潤す雨水、草木を育てる光の全てが揃ってこそ手入れする人がいてこそ、

庭は庭として成り立つのだ。


全ての命は火、水、木、金、土の要素が相克し合って生かされているのだ。それが胎蔵界の大日如来のはたらき、ただ見るのではなく、本質は何かと思って観るのが僧侶のものの見方ぞ

…空海」


「はい」


「もうここまで来たんだから白状しなさい。貴方最初から密教の真髄を学びに来たと。故国でいにしえの密の秘法を修得している、と」


「…恵果さまにはかないまへんなあ」


と空海は葛城山での満行以来、ずっと隠していた目的を見破られて悪戯がばれた子供のように頭を掻いて両頬にえくぼを浮かべた。


やはりそうだったか!どうりで。

と義操は空海の秘法の習得があまりにも早すぎるので過去に何処かで身に付けたのではないか?と疑っていたのだ。


空海阿闍梨は女人のような大人しい顔して、実は性格に難ありなのではないか?と少し苦い顔で義操は空海の横顔を眺めた。


「日の本の山々に、修験者と呼ばれる人を超える程の荒行をする山の民がいます。

わしの師は修験者の頭で孔雀明王くじゃくみょうおうの呪法を得意とするお方。

…修験者とは、大陸から伝わった密の教えの継承者たちではないかとわしは思うのです」


そうか、と恵果は遠い目をした。


「海の向こうにも密の教えは伝わっていたのか、その修験者たちはどうして山の民になったのかね?」と問うと空海は


「師の話によると150年ほど前に孔雀明王の修法を終えた遠行者えんのぎょうしゃさまが修験道の開祖で、最初の頃は貧しい麓の里の者たちに雨ごいや病の平癒などの祈祷などを行って人びとを助けていた、と。


やがて、噂を聞きつけた役人や貴族たちが修験者を訪ね、より実利的な呪法を依頼してきました。

…敵対する人間を呪殺するために」


と日の本の密の来し方と暗い真実を翳りを帯びた声で伝えた。


よこしまな気持ちや自分の利益だけで術を使えば必ず自分に返って来る…それを知っている修験者たちは偉い奴らから逃げて、山中に結界を張って隠れ住むようになったのだ。


と30代半ばの若さでとうに涙も涸れ尽くしたような目をするタツミが、山から世間を見下ろしながら語ったその背中は、暗く重い孤独を背負っているように空海には見えた。


「どうやら日の本の密は行く先を間違えてしまったようだね。空海、貴方に唐土に行くように言ったのはその師ではないのかね?」


あ…確かに「おまえ唐に行け」と最初に仰ったのはタツミさまだったではないか。それから修験の行を終えてすぐに、久米寺で大日経に出会ったのだ。


今になって思いだすなんて…!


ぽかんと口を開けて片手でこめかみを押さえる空海の仕草が可笑しくてたまらず、恵果は晴れた空に向かってあははは!と声を上げて笑った。


「空海、日の本に正しい密の種を撒いて深く根を張るように育てる。それが貴方の役割だ。貴方が持ち帰るべきものは急いで作らせているから。

完成したらもう長安を出なさい…明日からは西明寺からここに通うように。

行ってよいぞ」


はい!と駆け出して行く後継者の後ろ姿を見送った恵果は

「少し…眠ってもいいか?」と義操の助けを借りて庭石に腰掛け、瞼を閉じるとそのまま眠りに入った。


恵果さまは空海阿闍梨に力を注がれたぶん、お体が小さくなられた気がする…と義操は木陰の下で眠る師の姿を寂しさと哀しみの入り交じった気持ちで見つめた。


恵果、その人生残り3ヶ月。


「大日の幻は消えたかね?」

と不意に宿曜経しゅくようきょう(天竺の占星術書、不空訳)から目を離して霊仙に尋ねた老僧の名は牟尼室利三蔵むにしりさんぞう


ここ醴泉寺れいせんじで国家事業としての経典の翻訳に携わる般若三蔵の盟友で、学僧たちに梵語だけでなく数学、天文学、工学などの実利的な学問を教え、手相、顔相、占星術などの占術にも長けた、齢80近い天竺僧である。


「へえ、消えました。ここで大日経の解釈が終わった。と思った瞬間…不思議なことです」


「それも大日如来のお導き。あなたは仏教のために無くてはならない人物だから当然のことです」と読書を中断した師僧は茶を啜り、蓮の実をかじった。

牟尼室利さまは時々、顔相見で人の過去を当てたり、あなたはこういう運命だ、ときっぱりした口調で言い切ってしまう相当変わったところがある。


「子供の頃からの幻、というかこだわりが消えたことで気持ちはすっきりしました。でも、大日経は理解できても…わしは密教が好かんのです。

いくら青龍寺が最新の仏教を教えていても密教僧が使う修法はうさんくさくて受け入れられません」


思い切ったことを打ち明けたので霊仙は叱責を受けるかと思ったが師僧はにかっと笑って「それでいいのだよ。心が受け入れていないのだから当然だ」と言ったので霊仙は自分が心底救われたような心持ちになった。


「釈迦入滅から千年の間、天竺の人びとは仏教は有難がっても古来の信仰で生活習慣にまで浸透した婆羅門教ばらもんきょう(ヒンドゥー教)は捨てきれなかった。

時には仏教に婆羅門の神々や呪法を植え込み、やっぱりそれではいけない、と釈迦が生きていた頃の仏教(原始仏教)に原点回帰して何度もそれを繰り返した。


千年に渡る仏教と婆羅門教の相克の末の融和の形で生まれたのが大日如来という概念で、それを掲げるのが密教なのだよ」


「存在でなくて概念ですか…」


なるほど、師僧らしい合理的な考えだ。


自分も納得がいくまで物事を考える性質なので大日如来は存在する、と盲目的に認めるのではなく仏教も婆羅門教も結果的には天竺の中で残っているではないか。


二つの教えが共存して行けたのにはもう仏も梵天も越えたなんらかの働きがあり、それは出家前の釈迦王子の姿をした大日如来と言う概念が天竺びとの中にあるからだ。と師僧は言っているのである。


「今までの教えの中で一番腑に落ちました」と霊仙は師僧に向かって合掌すると、相手は急に険しい目つきになり、


「おまえ…密の呪法で何かひどい目に遭っていないか?」と言われると霊仙は血が凍るような感覚に襲われた。息が苦しくなり、膝を掴む手が震え出す。

耳の奥で男たちの真言が響き出す。霊仙はつい耳を塞ぎそうになり、そうしようとした時、


「牟尼室利さま!霊仙はん!」と懐かしい明るい声がした。空海が室内に飛び込んできて「密教の実行、満行致しました」と報告して深く礼をする空海に


「あんた無事だったか!?…そうか、そうか。正しい師に付いたあんたは運が良かったなあ」と霊仙は抱き締め、涙さえ浮かべた。


空海、空海か?と他の学僧たちもわらわらと集まって来たので牟尼室利は霊仙にそれ以上何も言えなかった。


それから間もなく、空海は感謝の気持ちとして青龍寺や不空三蔵ゆかりの大興善寺から500人にものぼる人々を招いて宴を開いた。招待客の中には梵語の師である般若や牟尼室利、そして故国の留学僧たち。当然その中に橘逸勢もいた。


「なあ空海、お前こんな盛大な宴を開いて大丈夫か?金はあるのか?」と本当に心配そうに逸勢が耳打ちしたので、空海は

「…あなただけにお話ししまっせ」と実際留学費用として持って来た金の額を正直に逸勢に打ち明けた。それは、他の遣唐使が持って来た留学費用の3倍以上の金額であった。


その内容は実家から援助してもらった金の他に、伊予親王からの援助(半分は大僧正の脱税の金)、修験者タツミが丹の商いで儲けた金を脱税して空海に渡した金であったので、後ろ暗くてどうして集めたのかは決して言わない空海である。


「悪人じゃない、と思ったから私は積極的にお前に声を掛けたのに…」


とあまりの内容に顔をしかめた逸勢は杯の酒を一気に飲み干すと、


「お前、本当は凄く性格悪い奴なんだな!!やっと解ったぞ。写経を手伝ってやったの一生忘れんなよ!」と叫んで空海を指さしで責めた。


橘秀才きつしゅうさいはどうしたのだ?」と逸勢の書の師匠、柳宗元が才能を認めた弟子の荒れっぷりに怪訝な顔をする。

「どうやら御酒が過ぎているようですな」

と鼻も顎も尖ったちょび髭の書の大家に向かって空海は微笑んで見せた。


秋が過ぎて、空海が持ち帰る経典、絵画、設計図、法具も完成して冬が訪れた。


そして空海に教えの全てを伝えきった恵果の命も終わろうとしている。


恵果の床の周りには空海、義操、義明と両部灌頂を授けた弟子の周りに4人の阿闍梨たち。


「空海、杯に全て水を注ぐように貴方に全てを注いだ。今度は日の本の民に光を注いでやりなさい」


「はい…」

師の手を握る空海は咽びあげそうになるのを喉元で必死にこらえていた。


「そして義明、後はお前に頼む」


この一言で青龍寺の住職は義明に決まった。それは最初に阿闍梨号を授けておきながら病身のため敢えて後継者にしなかった愛弟子に対する恵果の、せめてもの謝罪の遺言だった。

「承知しました」

「義操、惟上、義円、辨弘、恵日。善く義明を助けるように」

「はい!」


思えば私の人生の始まりは7歳の頃の不空さまとの出会いからだった。生来病弱だった私を不空様は我が子のように慈しんで育てて下さり全てを与えて下さった。


そして、私も人生の終わりに空海に全てを与えて世を去ろうとしている。


始まりも終わりも「空」の名のもとに。では、その間にあった我が人生とは?


不空様、私は全てをやりきったのでしょうか?と死を自覚しながらも清明な意識で問いかける恵果の眼前に、金剛界と胎蔵界、二つの曼荼羅が左右に現れてちょうど真ん中で重なり、その中央には何もない円が輝いている。その向こうから、懐かしい声が聞こえた。


おめえは本当によくやった!だから、もう何も考えずに飛び込んで来い。


不空様、今やっと解りましたぞ!


死に瀕している恵果がさもおかしそうに声を立てて笑ったので弟子たちはあわてて師の顔を覗き込んだ。


「全てのいのちの正体は、空から空へと漂う光の粒子…空に漂うその刹那にあなた達は本来の姿、役割を取り戻す。迷ったら『空』の一文字を思い出せばいい」


と眼だけを動かして弟子たちを見るとやがて微笑みを浮かべながら恵果は瞼を閉じ、その目は開かれることは無かった。


永貞元年12月15日(806年1月12日)


恵果入寂、享年六十。その魂は師の声に導かれ、空の光の中へ飛び込んで行った。


醴泉寺の庭で恵果の死の報を聞いた般若三蔵は


「唐土から光が消えました」

とその場でくず折れ、顔を覆って泣いた。彼の肩に手を掛けた牟尼室利三蔵は、宵の一番星を見上げながら言った。


「般若よ。光は、受け継がれていくものなのだよ」と。

























 

  

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