第22話 菜摘22・菩提心の果実

乞児は仏教の法具らしき妙な道具を持ち歩き、山林に入って霜を払ってそこらへんの菜を食い、雪を払って我が肘を枕とする苦行者である。


「でも、人間の行為で最も大切なのは忠孝です。しかるに貴方が父母に仕えず乞食の中に混っているのは恥辱ではないのですか?」


と広場に居る誰かが問うと、乞児


「直接両親に仕えなくても、天下のためにつくせばそれは大孝であると思います」


と言い返す。


「貴方は何処の出身なのですか?」と問う者には


「三界に輪廻転生するわれわれは、行為の善悪によって何処に生まれるかわからないから、定まった住所や身分なんてありませんよ」


としれっと答える。


まあまあ、私の説く四つのたとえ話をお聞き下さいよ、と乞児はまずは「無常」について説く。


「途方もなく大昔から現在にいたるまで、『初め』というものもなく、その数も無限なのです。

私たちは、まるで輪のようにぐるぐると、すべての生物の間を迷いながら生まれかわっていくのです。


…人間の身体ははかなく空しい。四苦八苦によって心は悩まされる。煩悩はいつも盛んである。


たとい美しかった娘さんでも年を取れば婉麗な眉白い歯は落ち、死しては花のような眼や耳はつぶれ、赤い唇やきれいな瞼は鳥についばまれる。


黒髪や白い手は腐敗し、九つの穴から腐臭を放つ液が流れ出る。


愛すべき妻子とも離別か死別かで必ず別れ、立派な衣も年月が経てば襤褸ぼろと同じ。宏大な建築も永くとは保てない。


人間が久しく止まれる場所ってのは…ねえ、やっぱり墓場なんですよ。


無常の風は神仙を論ぜず、貴賎を問わない。誰も死を免れることなんかできゃしません」


次に、生前犯した罪の報い「受報」を説く。


「まず死骸は墓で腐りますね。


霊魂はというと…地獄に堕ちて獄卒によって釜の中で煮られ、また刀で切られ、かんかんに熱く灼けた鉄の車輪に轢かれ、湯や鉄火を喉に入れられ、獅子や虎狼に食われ、朝な夕な苦しみの叫びをあげる。


閻魔王に頼んでも無駄です。『もう裁きを下したから』と取り付く島もない。なんと悲しいことなんでしょうねえ…」


これを聞いて亀毛らは臓を焼かれるような悲しく痛ましい気持になり、悶絶した。


「われわれは久しく瓦礫のような教えを信じていたが…今あなたの慈悲深い教えによって私の道が浅はかな自己満足に過ぎなかったこと知った!」


尚、乞児は重ねて「生死海の賦」を説く。


生死海の賦


「欲界、色界、無色界からなる三界は極まりなく広いんだ。その中に生き物全ての種類をふくむ。その有様はまことに盛んである。


その中の魚類は貪欲が限りなく、口を開いて食を求めます。離欲の船も、慈悲の船もそこに沈む。


鳥類は悪行が限りなく、十悪に沈み、正直・廉潔をついばみ、小動物を食う。しかし矢に当って血を流します。


禽獣は憍慢・忿怒・嫉妬・自讃・毀他・放逸などの数々の悪行を行い、互いに殺し合う。このように、動物たちが、上は有頂天から下は無間地獄に至るまで櫛の歯のようにずらりと並ぶ」


そして「大菩薩の果」で己が仏教論をまとめる。


大菩薩の果


「だから覚りを求める心(菩提心)を起し、最上の果報を仰がねばならない。


施し、戒律を守る、忍耐、努力、精神統一、悟りからなる六波羅蜜を筏とし、


正しく見る。正しく思う。正しい言葉を発す。正しい行いをする。正しい生活をする。


正しく努力する。物事を深く考える。精神統一をする。という八つの教えからなる八正道の舟にのって愛欲の海をわたり、


真実の法を常に思いとどめて忘れないこと 。 智慧によって真実を考え選び取ること 。


たゆみなく努力すること 。 修行することに喜びを感じること 。 心身を快適な状態に保つこと。


心を集中させ散乱させないこと。心が一方にかたよらず平安に保たれていること。の7つの修行からな 七覚支の馬にまたがり、



身体の不浄を観ずる。


一切の受は苦であると観ずる。


心の無常を観ずる。


法の無我(いかなる事象も自分に非ず)を観ずる。


四つの観からなる四念処の車にのって迷いの世界を越えねばならない。


そうすれば、十地の菩薩が修行する長い道も僅かの時間で経つくし、無限に長い劫も究めることは難しくない。そうして煩悩を転じて菩提を得ることが出来、苦しみから解放されるのです」


しかし、と乞児は言葉を続ける


「菩薩の四つの大きな誓願がまだ成就しないのに、衆生は苦海に苦しむ。


そこで仏は百億の国土に百億の応化身を出現させ、釈尊の八相成道をもって衆生を済度する。


そこで一切衆生は縁に従って仏教に帰依する。天龍八部衆は仏徳を讃えて詠唱する。


仏は一音をもって仏法を説き、衆生の邪見を砕き、甘露の法雨をふらしてこころを持つ全ての生き物を救う。


衆生は仏の教えを聞いて喜ぶ。以上が仏教のあらましで…



神仙の小術など、これに比すれば取るに足りませんよっ!」


と乞児、儒教道教をまとめて小術呼ばわりして笑い飛ばした。



そこで亀毛らは恐れ恥入り、哀しみ、また笑う。


要するに仮名乞児の教えにすっかり感心してしまい、これを受け入れ、同時に周孔、老荘の教えは浅薄であることを知った。


その場に居た兎角、蛭牙、亀毛、虚無たち4人は


「今より後は、この身の皮を剥いで紙とし、骨を折って筆を作り、血を墨に代えて、髑髏を曝して硯として、つつしんで大和上の慈しみの教えを書き記して、生死輪廻の海を渡る航海のしるべと致しましょう」


と誓うのである。


乞児が皆に優しく言う。


「それぞれの席にお戻りなさい。今、まさに儒・道・仏の三つの教えを開き示して、十韻の詩にまとめて、仏法とめぐりあったあなたがたの歌い鼓舞する楽しみに代えましょう」



最後に三教をまとめる十韻の詩が書かれ、神野は朗読しながら長い、長い空海からの手紙を読み終えた。



居諸冥夜を破り


三教癡心(ちしん)を褰ぐ


性欲(しょうよく)多種あり


医王薬鍼(やくしん)を異にす




綱常は孔に因って述ぶ


受け習って槐林(かいりん)に入る


変転は耼公(老子)の授くるところ


依り伝えて道観に臨む



金仙(仏)の一乗の法


義益最も幽深なり


自他兼ねて利済す


誰か獣と禽とを忘れん



春の花は枝の下に落ち


秋の露は葉の前に沈む


逝く水は住まること能わず


廻る風は幾たびか音を吐く



六塵は能く溺るる海


四徳は帰する所の岑(みね)


已(すで)に知んぬ三界の縛


何ぞ纓簪(えいさん)を去らざらん




日月は暗い夜を破る 三教は愚かな心を向上させる


人々の欲求はさまざまであれば 仏はその素質に応じて教えを用意する


三綱五常は孔子が述べ それを受け習えば三公九卿の地位に登る


万物の変転は老子が授け これを伝授されれば仙道に入る


大乗の法は 教義の益するところ最も幽深である


自己と他者とすべて利益救済し 獣や禽も忘れない


 春の花は枝の下に落ち 秋の露は葉の前に沈む


 流れ行く水はとどまることなく 疾風は音を残して過ぎ去っていく


 六塵は人々の溺れる海であり 四徳は帰るべき峯である


 すでに三界の束縛を知ったのだから 世俗の栄達を捨て去ろう…



この空海という男、漢詩がうまいな!

まあ私ほどではないが。


「已に知んぬ三界の縛 、何ぞ纓簪を去らざらん…面白い!実に面白いではないか!」


と真夜中から明け方に変わろうとする刻限に神野は夜着のまま外の庭園に面する廊下に出でて、


全身の血潮が奔流するままに空に向かって声を上げた。


ほどなく「親王様、うるそうございますぞ!」


と宿直の命婦が出てきて叱られる破目となったのだが…

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