第2話 働く怪人さん

 “怪人さん”こと沼田孝行は、ショッピングセンターへ向かうバンに揺られながら、自分のリュックサックに取り付けてある懐中時計を落ち着きなく眺めていた。時間は6時18分。日曜日の街はまだどこか眠たげだが、頭の中を駆けめぐる様々な考えのせいで、沼田の目は十二分に覚めていた。

 だがしかし、周囲にはまるで注意を払っていないのか、目の前でひらひらと振られている手には気付く様子がない。同乗者の噛み殺した笑い声も耳に入ってはいない。不意に、ひらひらと揺れていた手が止まった。代わりに、中指と親指で円が作られ、めいっぱい指に力が込められる。親指が離れると、中指が勢いよく沼田の額にぶつかった。

「ひわっ!!?」

 沼田は思わず情けない悲鳴をあげて、座席から数センチ跳び上がる。彼は数度まばたきを繰り返すと、デコピンの犯人――隣の席に座っていた中西哲也を涙ぐんだ目で見やった。

「ヌマ、相変わらずだなー」

 中西は、そう言ってからからと笑う。人懐っこい笑顔のせいか、それとももともと童顔なせいか、20歳になってもどこか学生のような子供っぽさが彼には残っている。

「あのな、お前ら、ガキじゃねえんだから……」

 助手席の安城が振り向いて呆れた様子で言いさしたのを、運転席の大木が、まあまあとたしなめた。

「緊張しすぎるのもよくないが、全然しないよりは、いいだろう。油断するのが、一番よくない」

「だとよ、テツ」

「はい、わかってます」

 中西は真面目な顔でうなずく。いかにもクラスのお調子者のような外見の中西だが、彼が仕事で手を抜いたりするような人間でないことは、まだ付き合いのそれほど長くない沼田もよく知っていた。

「すみません。3ヶ月も経つのに、まだ慣れなくて……」

 すっかりしょげかえった沼田が言うと、紅一点の青山がすかさずフォローに入った。

「大丈夫だよ。動きはだいぶよくなってきてるし、沼田くん、子供に大人気でしょう?」

「まあ、こんなリアルな怪人見せられたらなあ」

 中西が、沼田の右腕の外殻をぺちぺちとはたきながら言う。人間ならば皮膚と呼ぶべきその部分は、彼の場合、ざらついた分厚い甲羅で覆われている。まがうことなき怪人。中西の言には、誰もがうなずくところだった。

 沼田はその言葉で、近所の小学生たちを思い出していた。引っ越したてのころは、それこそ外見だけで怖がられていたし、石を投げられたり定規で叩かれたりしたこともあった。それでも、ちょっと脅かせばみんな蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。子供のすることだと、笑って許していたのだが、最近は沼田が絶対に攻撃しないことを知ってか、やたらまとわりついて体中触ったり、触覚を引っ張ったり、左腕のハサミで色々なものを切らせたりしてくるのだ。沼田は少し泣きそうになった。

「怖がらせる立場として、人気なのもどうかと思うんですが……」

 相変わらず涙交じりの表情で沼田が言うと、今度は運転席の大木が笑った。

「子供に好かれるのは悪いことじゃないさ。ヒーローでも、怪人でもな」

「ヒーローショーなんざ、子供に楽しんでもらってなんぼだしな」

 助手席の安城が続けた。“ショー”という言葉で、後部座席の3人の気が一気に引き締まる。目的地のショッピングセンターは、次の信号を曲がった先だ。

 そう、彼らはヒーローショーのアクターなのだ。



 沼田の所属するチーム・エースは、スタントを主軸に活動する芸能プロダクションの中の1部門だ。いわゆるヒーローや怪人の“中の人”たちが所属している部門にあたる。と言っても、業界大手とは言いがたい彼らの主な活躍場所は、ショッピングセンターのイベント広場や小規模な遊園地。それでも、テレビで活躍するヒーローのイメージを、子供たちの夢を壊さないよう、彼らはプライドと責任を持ってこの仕事にあたっている。

 沼田は子供のころに観た特撮番組の幹部の怪人に憧れて、この業界の門を叩いた。基礎工事のアルバイトをしながら養成校に通い、晴れて初舞台に立ったのが3ヶ月ほど前のことだ。以来、だいたい同じ仲間とショーをこなしている。

 紅一点の青山は司会のお姉さん役。長身痩躯で演技派の安城は主役ヒーローを務めることが多い。バンを運転していた最年長の大木は、年季の入った演技で堂々と怪人を務める。中西はアクロバットと各種格闘技が得意だが、(本人は、体格ではなく実力が安城に及ばないのだと断言しているが)小柄なため主役を務めることは稀で、大抵はサブのヒーロー役だ。沼田はほとんど下っ端の戦闘員と変わらない子供の脅かし役なのだが、その異様な風体のおかげでチーム・エースの人気者である。

 チーム・エースの面々による会場の設営と本番前のリハーサルは滞りなく終了し、後は出番を待つのみである。秋の連休中であることが手伝ってか、会場には親子連れの客が多く集まってきている。

 控え室で出番を待つ沼田は、体を動かしてようやく落ち着いたのか、車で移動していた時よりはずいぶん明るい表情を見せていた。隣で軽いストレッチを続けていた中西と目が合う。

「ヌマ、いつも通りにな」

 そう言って歯を見せて笑う中西に、沼田は自分も微笑んで見せた。


 30分ほどの短いショー。下っ端の沼田の出番はそれよりなお短い。けれど、彼は――いや、チーム・エースの面々の誰もが、手を抜くことなどしない。

 開演を告げるBGMが鳴り、一足先に青山が舞台に立つ。青山の明るく透き通った声と、子供たちの元気な挨拶とがイベント広場に響き渡った。舞台袖には沼田と戦闘員2人、そして大木の演じる怪人がすでにスタンバイしている。

 沼田は今一度深呼吸をして、“怪人”を演じることに全神経を集中した。“怪人”は人類の敵。暴力を行使して、人を害し、抑圧する忌むべき敵――沼田は精一杯恐ろしげな表情を作ると、司会の青山の声と観客の歓声を合図に、ステージ上へと躍り出た。

 あらかじめ用意された音声に合わせて、怪人たちは大げさな身振りで観客たちを威圧する。主役のヒーローたちが登場する下準備を整えるのが彼らの仕事だ。彼らが恐ろしければ恐ろしいほど、ヒーローたちへの期待は高まるのだ。

 沼田はステージから跳び下りると、手近な子供たちをにらみつけたり、手に持った武器で叩く素振りを見せたりなどして脅かしにかかる。(実際作り物ではないのだが)とても作り物とは思えない沼田の風体には、周囲の大人たちもぎょっとする。出だしは順調だ。

 ある程度会場が温まったところで、それぞれ赤と黄色と緑の衣装に身を包んだヒーローが3人、ステージ上に姿を現した。子供たちから応援の声が上がった。沼田は重々しい甲羅に包まれた身体でステージ上に躍り上がると、大木たちと共にヒーローに向かい合った。

 沼田は中西の扮する黄色のヒーローと対峙する。沼田がヒーローに飛びかかりながら武器を振り下ろすと、ヒーローは剣でそれを弾き、沼田の腹に蹴りを見舞う。沼田がたじろぎながらも後ろから突進すれば、ヒーローは半身になってかわし、振り向き様に剣で切り上げる……あらかじめ決められた動作とはいえ、そのやられぶりは見事だった。幾度かのそうしたやりとりの後、怪人たちは一度舞台から退場した。

 舞台袖に戻った沼田に残された出番は、もう後半の全員そろったヒーローとの戦いだけだ。戦闘員を演じていた他の2人は、続けてヒーローを演じるべく衣装を着替えている。一人生身で怪人を演じる怪人は、こうした一人二役ができないことを、申し訳なく思っていた。

 いよいよステージがクライマックスに差し掛かると、沼田は大木と共に再びステージ上へと飛び出した。子供たちの応援を背に受けながら、ヒーローたちはそれぞれの武器を振るう。怪人たちは攻撃をくらったりかわしたり、逆に攻撃を加えたりしながらステージを縦横無尽に駆けた。

 5人のヒーローとの大乱闘の末、必殺技を受けた怪人二人はもんどりうって倒れ、一際高い歓声と拍手が会場を包んだ。子供たちのヒーローを呼ぶ声が聞こえた。沼田はステージ上に突っ伏したまま、満ち足りた気持ちで空を仰いでいた。

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