美舞☆バレンタインデーの長い前夜

いすみ 静江

第1話 チョコレート

「バレンタイン……。バレンタイン……。バレンタイン……」


 三浦美舞みうら みまいには、地獄の様な甘い香りの誘惑だった。

 日独ハーフで黒い瞳と碧眼のヘテロクロミアであり、黒髪を後ろで編み込みにしていた。

 ピンク系のボーダーシャツの袖を捲り、ジーンズを穿いて、親友日菜子が描いたにゃんきちのワンポイントが入っている白いエプロンをしていた。

 制服から、着替えたばかりであった。


 ――午後三時半。


 取り敢えず、キッチンをうろうろしてみた。


 ぱたぱたぱたぱた。


 スリッパの音がこだまする。

 

 何度、カレンダーを見ても、明日がバレンタインデーだと再認識させられた。


「あー、僕にはできない! チョコレートは、甘すぎるよ……! お菓子って」


「どうした? 美舞。落ち着かないで」


 その様子を見かねて、美舞の父さんがひょいと顔を出した。


 父さんのウルフは、銀髪を後ろできゅっと縛り、碧眼に美舞を優しく映して、Yシャツを開襟し、グレーのスラックスを穿いていた。

 美舞が悔しい程、スタイルも良く、お肌も透ける様に綺麗であった。


 父さんのウルフは、バレンタインは天国派だ。

 なにせ、ケーキ屋さんかと見粉みまごう程、なんでもこしらえてお茶の時間を楽しむ。

 最近は、アイスボックスクッキーに入れ込んでいる。

 この辛党娘の美舞をレモンティーだけは唸らせた腕前があり、“娘らぶ”で、仕方がない。


「お嬢さん、一段とお綺麗になりましたな」

 などと、自分の三浦診療所で、患者様に言われようものなら、胸を高鳴らして、一日中過ごせる。


「あのさ、父さん、僕は、高二にもなって、まだ辛党なんだよ」

 仔犬の様な瞳で訴えた。


「それで、美舞はバレンタインのチョコレートにお困りな訳か。母さんも今は居ないし、父さんで良ければ、作り方教えるけど。……誰にあげるの?」

 ちょっと怖い顔をしたウルフには、美舞は勝てなかった。

「父さん、僕の心配をしてくれているんだよね? ははは」


「それもあるけど、受け取る方に合わせたチョコレートとか、ラッピングとか、急がないとね」

 そう言った後で、呟いた。

「……男勝りな美舞相手のヤツが来たと、腰が抜ける程驚かされた婚約者の土方玲ひじかた れい君だろうな」


「そうか! 僕は、生まれて初めてだから、分からなかったよ」

 素敵にチョコレート菓子を作ったり包みたい気持ちが、胸一杯になった。

 これが、きゅんきゅんってヤツかなと美舞は自分の胸を右手でぐっと押した。


「初めてじゃないだろう。父さんにくれたのを忘れちゃったかな?」

 ウルフは、最高に笑顔を示した。

「え? 一〇〇パーセント有り得ないのですけど!」

 本気で驚いた。

「美舞が私立みなもと幼稚園の時だよ」


 ――ぱぱ、だいしゅき。

   おててだして、ちょうだいなして。


「そのチョコレートは、格別過ぎた。はう……。胸がほろりと来る想い出だよ。苺味だった。食べかけのをくれた様だったよ。バレンタインデーの贈り物は、好きな相手を想っていれば、喜ばれると思うよ」


「そうか……。父さん……。そうだよね」

 胸にぐっと来た。


「で、どんなの作りたい? 美舞」

「最近、父さんが出してくれるアレ……。アイスボックスクッキーにしようかな……?」

 父さん程、お菓子に詳しくないのも一つの決めた要因であった。


「おおー、いいね。それナイス! 美舞は分かっているね! 今は、波に乗ってるじぇい!」

「オー! レッツ、クッキング!」

 親娘共々、気の合う者同士としか言い様がなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る