戯言詩編集

やましん(テンパー)

『戯言詩編集』

◎『慌てるおじさんは 残りが少ない 憂いあれば 備えなし』


(解釈)

 しだいに、日々残り時間が少なくなってゆくと感じる時になれば、だれでも、焦るに違いない。

 若く元気なころも、同じように残り時間が減っているのに、そのことには気が付きにくいものだ。

 しかし、慌てるようになる頃には、もう新しいことが手につかなくなっていることが多いものだ。

 いつかやりたいと思っていることは、少しずつでも準備しておかなくてはならないものなのだよ。



◎『火気喰えば 鐘が鳴るなり 救急車』


(解釈)

 何かといらいらして、部下をやたらしかりつけたり、やけ食いしたり、大酒を飲んで仲間や家族にからんでみたり、やたら大言壮語したりして、怪気炎を巻き上げれば、ついには救急車を呼ぶことになるのだぞ。なにごとも、ほどほどにしておきなさい。「カロウシ」するのも、手伝うのも、いやでしょう。



◎『三歩進んで 五歩下がる 偉人又しかりか』


(解釈)

 なんだかんだと偉そうに言っても、結局人の一生は、だんだん後ずさりしてゆくのがむしろ普通である。若いころは進歩的な人も、出世したら、いつの間にか保守的で保身に走るものよ。(逆に、そうではない人こそ、真に偉人である。)  



◎『前門のパンダさん 後門のコアラさん』


 (解釈)

 なんだか、ちっとも怖そうには見えないが、いざ突破しようとしたら、なかなかうまくゆかないたとえである。翻って、ものごと何事も甘く見てはいけない。慎重であることに越したことはない。



◎『人生宝くじのごとし 当たらずとも 気に病み過ぎぬべし。』


(解釈)

 努力をしても、すべての人が成功できる訳ではないが、成功した人に努力をしなかった人はいないだろう。一方、当たらなくても、当たらなくても、人は宝くじを買うではないか。だから、もし、なかなか成功しなくても、気にし過ぎることはない。また、成功するまで努力すれば良い。




◎『苛政は虎よりも毅し』ですが、『人の事は我の事』であり、しかし『人の事より我が事』でもあり、でも『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』のであり、それでもまた『悪法もまた法なり』なのである。また『ばかも休み休み言え』でもある。


(実例1)

 フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」の中のお話し・・・

『ウンタモは兄弟のカレルヴォ一族を皆殺しにする。カレルヴォの子のクレルヴォは、生まれてすぐに復讐を予告。恐れたウンタモは、クレルヴォを鍛冶のイルマリネンに売り飛ばす。しかし、クレルヴォはイルマリネンの妻からいじめにあい、策を使って妻を野獣に殺害させる。逃げたクレルヴォは、実は母は生きていると告げられ、家に帰る。すると妹が行方不明だという。それで、(なぜか)父は税金(地租)を払いにゆかせるが、これがまた悲劇の発端となったのである。妹を凌辱し、自殺をさせ、家族を殺した兄を殺害し、そのあげくに、結局本人も自殺することになる・・・・・』おそるべき、筋の通らない悲劇が終わる。

 

(実例2)

 日本国憲法第30条「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」


(解釈)

 やるべきことを、きちんとやったうえで、筋を通したうえで、文句があるならそれから言いなさい。

 また、逆に、自分がきちんとできないことを、他人にやれというのは、いささか苦しいものだし、自分ができないことで人を批判するのは、いかがなものかと思うけれど、『それを言ったらおしまいよ。』となってしまう。

 そういう意味では、上司という方々はけっこうつらい立場ではありますね。だって、やったこともない仕事を命じられ、すぐにきちっと部下を管理しろと言われるなんて、気の毒としか言いようがないでしょう。でも、大部分の人たちは、そこを何とかしてしまうのだから、それはもう大したものだ。そう言う意味では、世の「上司」と言われる方々は、みな恐るべき才能と能力があると言える。主任さんも、係長さんも課長さんも、是非自信を持って仕事をしてください。どんなに賞賛しても足りない位なのであるからです。つまり、みな本当に、尊敬すべき人たちだという事であり、そのことを、部下たるものはよく、認識すべきなのである。(あとで、自分が苦労することでもあり。)また、上司に対しては、それなりの言葉使いをいたしましょう。多少おべんちゃらでもいいから。(ぼくは正直すぎたのか、それは苦手でしたけどもね。で、後で天罰が来ました。)会社などの雇い主さんも、また同様ですが・・・。でも、従業員さんには、ちゃんと給料やお手当を払ってあげてくださいね。

 ところで、「憲法第30条」が憲法改正論議の対象となることは、ちょっと考えられない。これは肝に銘ずべきでありまする。

 ・・・まあ、引退後の人間は、あまり偉そうに言えません。

 

 ちなみに「カレワラ」は、フィンランドの、エリアス・リョーンロット博士が、散逸していた文化遺産を、命がけで集めたフィンランドの偉大な民族叙事詩。ちょっと無理してつなぎ合わせているので、筋がうまく通らないところもあるのです。でも、これだけまとめて集大成したのは、ほんとに、ほとんど奇跡です。

 シベリウス先生は、この「カレワラ」をテキストとして、出世作「クレルヴォ」を書きました。

 ぼくは高校三年生の時、ほとんど受験勉強もしないで、図書館で借りたこの「カレワラ」第一巻を、大学ノートに深夜まで必死に筆写してました。まったく変な奴ですな。「お前は何の役にも立たない知識ばっかり持ってる」と、いつも職場で非難されてましたけど、まあそれは真実です。『蘊蓄を傾ける』といえば、かっこいいけど、熱く長く語る人は、本人が思う以上に、時には敬遠されますから、ご注意を。『口は災いの門』であり、『見知らずの口叩き』になりやすい。『見ざる聞かざる言わざる』が、最良の出世の手段の一つでしょうけれど、でも、それだけじゃあ、やっぱりだめですよね。『釈迦に説法』はむなしいですが、『話せばわかる』のでもあり、『お魚に説教するパドヴァの聖アントニウス』さま、でもありますから。『人を怨むより身を怨め』




◎ 『お客さん目が高いねー』

 

(解釈)

 品物があまりに遠くにありすぎるかのように、あなた、よく見えてないですなー、と言われたのです。なので、こう言われたら注意が必要です。たとえば、ぼくがある指揮者のCDセットを買いますでしょう。一万円だったとします。「さすがやましんさん、お目が高いなあ。これはレアですよねえ。わかる人にはわかるんだなあ・・・」とか言われて、ルンルン気分になっていますよね。で、家でネットを見ていたら、同じものを四千円くらいでいっぱい売ってた(例えばですよ!)なんていう感じです。こういう場合、悔しくてまた、四千円でも買ってしまうなどという行動をとったような、話も聞きます。ということを総合して言えることは、このことばは、モノを収集することの、あまりの危険性を、あなたに訴えているのだと感じるべきです。そうして、需要と供給曲線の交わる点を、まったく不必要に高めてしまう愚かな行為ではないかと、自戒すべきなのです。 

 

 


◎ 「みさいる」 《自》


(解釈)

 他人が気に入らないことを、あえて言ったりやったりして、相手をいたぶりながら、自分に振り返ってほしいと訴えたり、または、単に喜んでいる行為の事を現して言う。時に本当に大きな被害を与える意味で使うことがある。

 用法(1)『けさ、部長を「みさいる」っちゃった。』

   (2)『あいつ、本当に会社を「みさいるった」らしいぞ。』

   (3)ぼくはね、このごろ彼女から「みさいる」されているんだ。

   (4)けさ、家が「みさいる」されて、全壊しちゃった。どうしよう。

 参考:「みさいる至りて渠拡がる」

     「みさいる至りてまた元気になる」    




◎ 「人間は確かにおばかさんだが、考えるおばかさんである。」


 人類は、もしかしたらもうすぐ宇宙の謎さえ、解くかもしれませんが、その過程は難しすぎて、ぼくなどには、到底わかりません。

 それほど優秀な人類なのに、なんで喧嘩が絶えないのかは、どう考えても、なおさら分かりません。

 子供の頃から、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という名言を教えられ、一方で競争して勝つことを教えられるのですから、この両方を心の中で両立させ、しかも実行するのは、なかなかむつかしいことだとは思います。

 また、ある一人だけが偉い人だと教えられていると、他の人の優劣は、あまり問題じゃなくなる気もします。

 でも、実際は、どういう社会の形態であれ、あらゆるステージで競争することになるようですし、負けると、形の上であれ実質的にであれ、社会からは消えてしまいます。

 でも、どちらにしても、実際のところ、本能以外が活躍することを誇る人間様が、なんでいつまでたっても、あらゆるレベルで喧嘩するのかは、どうもうまく解釈できません。本能だから絶対直らない、という説も聞きます。

 結局人間は、「おばかさん」なんだ、で解決する以外には、さらによい答えが、どうしても見当たらないような気がして、本当に悲しい毎日です。

 と、言ってる本人が、結局は一番の「おばかさん」です。 




◎ 「読書百篇、義、自ら見(あらわ)る(通ず)」

        ↓

  「読書百遍、義、自ら見れず(通ぜず) しかし、隠すべからず」


 これは難しい問題です。なぜならば、ぼくは同じ本を百回も読んだことはないからです。(教科書は、最も嫌いで、実に読みにくい本でした。表情と言うものが、まったくないのですからね・・)

 最もよく読んだと思われる『銀河鉄道の夜』でさえ20回くらいでしょう。

 果たして本当に、100回読めばわかるのか?

 例えば、数学がさっぱり分からない僕が、物理学の本を、一部分だけでも100回読んだら理解できるのでしょうか?

 答え・・・だいたい無理

 今の世の中は、知らなければわからない基礎知識が積み重なってしまったおかげで、素人には皆目見当がつかない世の中になっているのです。(じゃあ、勉強しろよ! というのがたぶん正論。)

 よほどの天才ならばともかくも、全ての事を知り尽くすのは、とっても難しい社会なのです。(ただし、ぼくは、発達障害だった可能性があるので、必ずしも一般的ではないのかもしれませんけれど。)

 よくわかる人々は、これを「秘伝」とか「秘密」とか言って一般からは、よく隠そうとした時代もありました。

 でも、今は、必ずしも、そう言う時代でもありません。(そう言うものも、中にはあるらしいですが。)

 水爆の細かい作り方や、国家機密、企業秘密などと言うものは、ともかくとしても、お金を払えば、大概の『人類の知識』に関する資料は手に入ります。

 でも、ぼくが持っていても、眺める以外には使い道がないものの方が、この世の中には、圧倒的に多数です。

 これは、な、なんと悲しい現実でしょうか。

 見えるのに理解できない!

 つまり、ぼくは、やっぱり「おバカさん」なのです。

 何百回読んでも、分からないものは、多分、けっして分からないのです。

 そんなやつはいらないと、職場でも何となく、(はっきり言われたこともありますが・・・)言われたような気も・・・

 しかし、それでも、「お前は余計な事は知らなくてよい!ただ働け!あとは帰って食べて寝ろ。それが、適材適所だから。」と、あっさり言われるよりは、まだ、この方が良い現実であることは、きっと大切にすべきですよね。



◎ 「どじを喰らわば皿まで」


 まあ、少しやはり、年なのか、このところ「どじ」が多いのです。

 むかしは、買ってきたばかりのLPレコードを聴いていて、ぷちっ。とか言うと、真っ青になったものですが、このところほとんど中古しか買わないせいか、少々針飛びしても(たぶん二十歳くらいの人には、こういう概念もないかもしれませんが)まず気になりません。しかし、今日珍しく聞いていた、マタチッチさん指揮のぶる9(ブルックナーの交響曲第9番)の演奏があまりに素晴らしく、わくわくしながらB面に行こうと盤面のクリーニングをしておりましたところ、うっかり指でひっかいてしまいました。つめ切ってなかった! と思えど、時すでに遅し。

 久しぶりに、大量に落ち込みました。(なにせ、昼間、大事なラジオさんを落っことして、傷を入れてしまったばかりで、なおさら、落ち込みましたのであります。)

 奥様が、洗濯物のえもんかけを、後ろにいる僕に、二つ続けてぶん投げてきたのが、このすぐ後。何が気に入らないのか、というと、理由はちゃんとわかります。体調が悪いとはいえ、仕事にもゆかず、パソコンにかじりついているから。

 でも、こんなこと書いているのは、内緒なのですけれど。

 こうなったら、みんなぶっ壊してやるー!とか思って実行した場合が、表記のような場合であります。

 しかし、これは絶対に避けなければなりません。

 昔見た「バラのつぼみ」だったかな、あの映画の主人公みたいになったら、あまりにあわれです。

 でも、気持ちはもう、あれです。

 「やけ」はいけません。深呼吸して、落ち着きましょう。楽しい事を考えましょう。

 なんと、また地震警報が鳴っている。

 あすからは、テレビもラジオも電話も全部切ってやりましょう。

 家じゅうかぎを掛けて、一切出入り禁止です。

 今夜は、睡眠薬、3倍飲んでやる~。

 こらこら、言ってることが違います。


 でも、あんな深遠で、気の毒なブルックナーさんを聞いたら、心が痛まずにはいられません。

 あれは、本当に「神聖な、悟りきった神様のような」精神状態だったとは、僕にはちょっと、思えないのです。

 もうぐちゃぐちゃに苦しい、ずたずたな思い。そうしてその中から、まるで台風の目の向こうに、はるかなかなたに、まったく澄んだ天国が、少し垣間見えているのです。第三楽章終末の、弦のアンサンブルは、たぶんそれです。

 ブルックナー先生は、ずーーっと、その苦しみを一人で背負って、追及し続けたような気がします。

 普通の人間には、そんなことは出来ません。

 どこかに逃げ道を作って、休憩します。

 ぼくなんか、休憩しぱっなしです。

 でも、ブル先生は、片時もその苦しみから逃れることなく、ひたすら、追及し続けたのでしょう。

 そんなぎりぎりの音楽に、まともに触れてしまったら、命も危ないです。

 でも、危ないものは魅力的。もう一回、聞こうかな・・・。寝るの止め!

 

 

 ◎ 『天、二物を与えず』


 これは、まず、『あまりに物事を深く勘ぐってはならない』、という意味なのです。

 といいますのも、大体天は、二物も三物も四物も、五物も六物も気前良く与えてしまうからです。 

 ゲーテさんとか、作曲家ではメンデルスゾーンさんとか、サン=サーンスさんもそうですし、さまざまなことで、才能を沢山発揮できる方は多いものです。それを捉えて世の中平等じゃないと言ってみても、手も足も出ませんから、そういう方を祝福するべきです。でも、逆にそうした方から偉そうに言われるのは、確かになかなか我慢出来ません。それがいやだったら、ぼくのようにさっさと引退するしかないのですが、そろそろ喰えなくなってきているのには、難渋します。四~五十年ほど前なら、もう死んでておかしくない年ですが、昨今は70歳くらいまでは若者のうちです。80台でやっと一人前、そこまでは自力で何とかしないといけない世の中になりつつあります。それが、いいんだか悪いんだかは、よくわからないですけど。



◎ 『金の切れ目がこの世との縁の切れ目』


 これは、非常に切実な問題であります。

 世の中は、すでに60歳定年ではなくて、本人が望めば65歳までは働ける環境であることが基本なのであります。

 この65歳は、そう遠くなく、70歳になるでありましょう。

 一方公的年金の支給開始は、どんどん遅くなってゆきます。

 さて、元気で能力も意欲もあり、仕事が継続して出来る方は、まずは良いとして、病気など、何かの事情で同じ量の仕事がこなせなくなったり、職場の中には、他に可能な仕事が見当たらなくなって退職なさった方などは、60歳前か、または少し越してからかして、転職せざるを得なくなるでしょう。そのまま頑張ろうとしても、自分にも周囲にも無理が行き、はっきりいじめとは言えない、『疑似いじめ』が始まることもあるでしょうし、まあ、何かとご本人も居づらくなることは目に見えています。

 しかし、年金が出るのはまだ5年近く先となると、相当の貯金がないと無職での生活はなかなか成り立ちません。

 長期勤務後に、定年後も可能な限り勤め上げて、初めて転職するという方については、受け入れる職場側からすると、とりあえず、かなり安心感があります。長年、最後まで元気に勤めたという実績は確かに大きいのです。

 問題は、様々な事情で、そこに、言葉はとても良くないのですが、中途半端に当てはまらない場合です。

 これがつまり、このことわざに当てはまってくる可能性が増大する領域なのです。

 

 最近ようやく、中高年齢者の引きこもり問題に、少し光が当たり始めました。

 しかし、国の調査は60歳以上には、まだあまり及んでいない様です。

 この先、50代後半から60代中盤までにかけての人たちの間に、自殺問題が急増するのが、かなり心配です。

 あまり元気ではないけれど、人当たりも苦手だけれど、すごく期待されたら困るけど、長時間勤務も無理だけど、年金が出始めるまで、なんとか自力で繋ぐ方法を見出す必要があるというケースが大幅に増大するでしょう。勤務延長が65歳から70歳になれば、さらにそれは、必要になることでしょう。もちろん、本人の努力も必要ですが、前・中期高年齢者が、あまり無理しないで、なんとか安心して働ける社会環境が必要です。

 首相様がほめてくださるような、あるいは、テレビでも紹介してもらえるような、『きらきら高齢者』には、ちょっと手が届かないとしても、なんとか、そうだなあ・・・、くそ真面目が唯一のとりえ、とか、普通よりは少し下くらいにはなんとか出来るとか、ぶきっちょだけど、その分多少給料下がっても・・・とか、様々な条件を柔軟に受け入れられる、個人だけで競争に勝つことだけが目標ではない、より懐の深い、可変的な高齢者社会になる必要性があります。でないと、『きらきら高齢者』以外の人は消えてしまうしかなくなります。外国にできて、日本には出来ない、なんてこと、ないでしょう?


 当面『自動老人廃棄社会』にならないようには、してほしいなあと思います。

 高齢者がみんな病気ではないけれど、生きていれば、必ず高齢者にはなるのです。  

 あなたもね。


 もっとも、「実は、おまえがとりあえず危ないんだろう?」と言われると、まあ、そうなのですが。



◎ 『 さくら、散ったら ごみ 』


 美しい桜さんも、散ってしまったら、ごみです。


 しかあし! たとえば、ご近所の小さな小さな天満宮の桜さまでも、散ったあとは、ご近所の方が総出ておかたずけをしています。


 大きな場所でも、やり方は知りませんが、管理の方が人知れずかどうかはともかくも、きちんとかたずけをされているに違いありません。


 ものごと、始まったら終わりが来ます。


 なにごとでも、あと片付けこそが、人類の使命なのです。


 片付けられるときに、あまりご迷惑をかけないようには、したいものです。


 

◎ 『敗軍の兵は将を語らず』


 ここまで負けてしまったんだから、いいかげんに首謀者が誰なのか言えばいいのにと思うけれども、そこは義理堅いのか将来のことも考えているのか、自分のことで精いっぱいということなのか、なかなか真実を語らない様子のこと。

 まあ、もし語っても、首謀者は逃げるだけで、自分だけが損するだけだ、と読んでいると考えた方がいいかもしれません。



◎ 『案ずるより産むが易し』


 確かに、相手がどんな新兵器持ってるか、心配で気になって仕方ない向きも、あるんだろうと思いますが、心配するくらいなら、先にすっごい兵器を作ってしまったほうが、話が楽。と、いう意味合いです。


 それにしても、ほんとに大丈夫かなあ。やましんが中学ゆくころ、『核拡散防止条約』が、どうなった!とか世の中騒いでおりましたが、あのなが~い日々は何だったのかなあ、と、ちょっと気になるお年頃のやましんです。はい。











 

 








 

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