第43話 アンネローゼの説得

 中央広場でユリアーナという名前のローフェル族の女に出会って以来、正直、心休まる日は無かったように思える。


 こっちの世界にきてからようやく腰を落ち着ける事が出来ると思った矢先に、恐らくは俺と同じ、元は日本人であろう女に会ってしまった。


 しかも彼女は絶対の俺の方を見て笑った。まるで俺の事を日本からの転生者だと知っているかのように・・・。


「旦那様、もしかして具合でも悪いのでは・・・。医者をお呼びします!」


 俺が答えの無い考え事を延々としていると、突然アンネローゼがそんな事を言い出した。


「いえいえ大丈夫ですよ!大丈夫!」


「そうですか?さっきからため息ばかりついておられましたので・・・」


 アンネローゼにわかるくらいのため息を吐いていたらしい。まったく気が付かなかった。彼女を見ると俺の方を心配そうに見ている。いかんいかん、おれがしっかりしてないと彼女まで不安にさせてしまう。


「そういえば・・・」


 俺はアンネローゼの顔を見て、以前話した「市民権獲得試験しみんけんかくとくしけん」の事を思い出した。


 この前市民権の話をしたときは、現状維持が良いという事で断られたんだけど、正直今後俺に何かが起きないとは限らない可能性が高くなった。


 と言うか俺の立ち位置からして今後何も起こらない方がおかしいんだ。すっかり忘れてたが俺はハイランドから追われて逃げて来た身だ。


 俺に何かが起きたらアンネローゼが再び路頭ろとうに迷う事は確実だろう。ここはやはり、多少強引にでも早急に市民権を取ってもらおう。


「アンネローゼ、お話があります」


 俺は、「そういえば・・・」とつぶやいた後、ずーっと考え事をしている俺を心配そうに見ていたアンネローゼに話しかけた。


「はい、なんでしょうか?」


 アンネローゼは少し不安そうな表情になりながら、俺の前まで歩いて来る。


「アンネローゼ、以前話した市民権の事を覚えていますか?」


「はい。でも確か、とりあえず保留ほりゅうということになったはずですが・・・」


「そうですね。ですが、アンネローゼには今すぐにでも市民権を得てもらおうと思っています」


「え?」


 アンネローゼはかなり驚いていた。まあ、このタイミングでその話をし返されるとは思ってもいなかっただろうしな。

 

「とは言ってもアンネローゼが望むなら、市民権獲得後も、このまま我が家で働いてもらうことに異存はありません」


「え?あ、は、はい!」

 

「とりあえず今度、市民権獲得試験への応募を私がやっておきますので、そのつもりでいてく・・・」


「あ、あの!」


 アンネローゼは俺が矢継やつぎ早に話していくのを強引にさえぎって来た。


「はい、なんでしょうか」


「あの、お話はわかりました。ですが何故急に試験を受けろと言われるのでしょうか?申し訳ありません。旦那様の言い付けなので反論は認められないことはわかっているのですが・・・」


 まあ、言いたい事はあるよね。この前の話し合いで、とりあえず現状維持って判断を出したばっかりだからなあ。さて、どうやって説得すればいいものか・・・。


 俺の考えだと、今後俺に何があるかわからないからと馬鹿正直に話してしまうのは良くないと思う。俺に危険が迫っているかもしれないと聞いたら、ますますメイドとして家から離れなくなる可能性が高い。


 なので一番良いのは、俺の仕事上の都合と絡める事だろうと思うんだよな。あくまでもお仕事の関係でアンネローゼに市民権を獲得してもらいたいんだ、と。よし!それで行こう!


「これはもうちょっと後であなたに言おうと思ってたんですが・・・」


「私に・・・ですか?」


「はい。実はですね?アンネローゼに僕の仕事・・・と言うより、今回のプロジェクトの手伝いをしてもらおうかと思ってたんですよ」


「え?私がですか!?」


「はい。それでですね、奴隷のままですと色々と支障が出てしまう事が多いと思うんですよ」


 これは事実。奴隷の身分だと、いくら優秀でも任せてもらえる仕事は限られてくる。それと社会での信用度が著しく低い。


「ですので、この王国のプロジェクトを手伝ってもらう為にも、市民になってもらわなければ困るんです」


「私が旦那様のお手伝いを・・・」


 お手伝いと言っても、別に俺につきっきりで何かを行うような仕事は無いだろう。サポートセンターの人員として働いてもらうかもわからないが、それもやはり俺の手伝いとは言えると思う。要は、アンネローゼに市民権を獲得してもらえるなら何でもいいんだ。


「どうですか?」


「旦那様のお手伝いが出来るなら、私なんでもやります!」


「良かった。では、詳しい方に試験の申込方法を聞いておきますね?それほど難しい試験では無いと聞いていますけど、一応心積もりだけはしておいて下さい」


「はい、わかりました!」


 はあ、良かったあ。これで嫌だって言われたらどうしようかと思ったよ。とりあえず明日にでも、ルーカスに申請方法なんかを聞いておく事にしよう。試験内容については詳しくは知らないけど、アンネローゼなら問題なく合格出来るんじゃないの?


 次の日。


「あ、やっぱり試験受けさせるんだ?」


 ルーカスに申請方法や試験内容等を聞いた時の反応だ。


「はい、はやり権利を獲得してもらって、僕の仕事なんかを手伝ってもらおうかと思いまして」


「ああ、なるほどね。奴隷のままだと色々と制限があるもんね」


「そうなんです」


 ルーカスが察しの良い奴ですげえ助かるわ。


「そうだな。とりあえずベアトリクス所長に話してみたら?所長の方で手続きやってくれるんじゃないかな」


 そういうわけで、今度はベアトリクスに相談する事に。


「あら、やっぱり結婚する事にしたのね」


「違うと言ってるじゃないですか!」


「いやね~冗談にきまってるじゃない」


 こ、このばばあああああああああああああああ!


「勘弁して下さいよ。最近この話をする度に「結婚」しか言われないので、少し辟易していた所なんですから」


「まあ、奴隷を市民にするための目的の9割はそれだから仕方ないわよ」


「まじですか・・・」


 まあ奴隷からしても、これまでヒエラルキーの最下位だった身分からいきなり貴族の嫁と言う、まさに玉の輿状態だからなあ。双方にメリットがある話と言えばそうなのかも。しかし9割って・・・。


「試験内容もあの子の能力を考えたら、問題ないんじゃないかしら」


「そうですか!?」


「ええ、余程の事が無い限り合格すると思うわよ。一応、貴族であるあなたの後ろ盾もあるしね」


 ベアトリクスのお墨付きももらえたし、ちょっとほっとしたぜ・・・。


「手続きの方は私がやっとくわよ。あ、それとも、前回の試験内容を先に聞いとく?」


「ぜひ聞かせてください」


 ベアトリクスから聞いた試験内容は、簡単な読み書き、計算、運動、一般常識部門の4つだった。と言うか余程の事が無い限り、試験に落ちることは無いでしょ、って言われたよ。


 例えば、以前の試験での出来事らしいのだが・・・。


 その時の質問はこうだった。


 ・リバーランドで歴史上、一番偉大な人物は誰ですか?


 こういう場合、大抵は健国王の名が挙がるものなのだが、その時の回答で「旦那様です」と書いた奴隷の家政婦が居たらしい。そして彼女は見事市民権を獲得した。


「嘘でしょ?」


 思わずそう言っちゃったよ。歴史上一番偉大な人物だぞ?ありえねーよその回答は。


「まあ、私だってそれ聞いた時は「え?」って思ったわよ。でも、彼女の後ろには割とおおきな貴族がいたからね」


 はあ、さすが貴族社会ですな。黒も白ってなりそうだ。つーか実際そうなる事も多いんだろう。


「あれ?じゃあその理論で行くと、貴族の最下位である僕の後ろ盾じゃ、そういうのは期待できないってことですか?」


「まあそこまでの極端な贔屓ひいきは受けられないと思うけど、アンネローゼなら実力で大丈夫じゃないかな」


「あ、そうか、そうですよね!」


 いかんいかん、なんか変な貴族特権を聞いてしまったが為に、妙な思考に取りつかれてしまったようだ。俺から見てもスーパー出来る子アンネローゼだから、大丈夫だろう!


 そして試験当日。


 俺は当初、アンネローゼに一緒に着いて行こうとしたんだが、どうしても抜けられない仕事が出来てしまい泣く泣く諦めたんだ。


 最初は結構リラックスしていたアンネローゼだが、時間が近づくにつれかなりそわそわしだし、お皿を割ったり熱湯の紅茶が出てきたりと、そりゃもう見てて気の毒なくらい動揺していたように見えた。


「アンネローゼ、僕が言うのもなんですけど、試験に合格しなかったからと言ってアンネローゼが僕のメイドで無くなる事は無いんですから、そう固くならずに試験を受けてくださいね」


 落ちる事は無いと思ってはいるが、万が一そうなったとしても、俺が自分からアンネローゼを手放すことは無い。


「はっ、すみません!かなり動揺していました。平常心ですよね平常心!大丈夫です!旦那様の不名誉となるような結果だけは決して残さないよう、このアンネローゼ、全身全霊を捧げて試験を受けてまいります!」


「あ、うん。頑張って下さいね」


「はい!では行ってまいります!」


 そう言って、アンネローゼは、右手と右足を同時に前に出しながら歩いて行った。

 あー、すげえ不安だ・・・。


*************


 そして後日。


 夕刻の一番人通りの多い時間帯に、リバーランドの大通りで軽快にルンルンスキップで歩く一人のメイドを見たという目撃報告が、大勢の知り合いから俺に寄せられた。

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