カラスと光る翼

京正載

第1話 何、アレ?

 今まで何度も来たことのある、よく見知ったとある林道を、彼のオフロードバイクは疾走していた。

いずれその林道も途切れ、ほとんど獣道となっていたが、バイクは止まらず走り続ける。

250㏄のエンジンを積んだ黒い車体。

生産終了されてすでに十数年、もはや年代物とさえ言われるくらいに古い車種で、今では中古車の雑誌でさえ、滅多に見かけない。

もうそろそろ買い替え時期か、などと彼も思いはするものの、長年に渡り乗り続けてきて愛着もあり、修理に修理を重ねてずっと乗ってきていた。

そのおかげか、そのバイクは今も元気に走り続けている。

先日の雨で泥濘んだ地面の泥をはね上げ、彼の愛車は森の奥へ奥へと突き進んで行った。

何かを求め探すように、そして、何かから逃れるように…………………。

とはいえ、もはやこの森へ来るのはいつものことであり、逃げるように走っているにも関わらず、向かう先はいつもの河原であり、後部座席には、これまたいつものように撮影機材一式が、そこを指定席だとばかりに鎮座していた。

「結局は、ここに来ちまうわけか…………」

目的地である、いつもの河原近くにバイクを停め、いつものようにカメラを取りだす。

近くとはいっても、そこからさらに1㎞は森の中を行かなければならない。

そこは殆ど人も来ない、かなり山奥にある、小さな河原であった。

いや、河原というほどのものでもない。

どこかの川に繋がる、小さな支流のほとりと言った方が正しいだろう。

しかもその辺りは、四方を深い森に遮られ、時間によっては日中でも日の光が届かないこともある、ちょっとした秘境のような場所であった。

当然のことながら、キャンプ客もいないし、ハイカーも滅多に来はしない。

実際ここは、ハイキングガイドにも載っていないし、実は地図にさえ載っていない、とんでもない山奥であった。

日本にもまだ、こんな所があるんだな、などと感動したのは、ここを発見した当初だけで、何度も来ているうちに、そういった感覚もいつの間にか失せてしまっていた。

「フィルム装填、絞り優先でF8に設定! レンズは少々心もとないが600㎜で、と」

彼は愛用の35㎜一眼レフカメラに、そのカメラより数倍も巨大な、超望遠レンズを装着して、近くの草むらに身を隠すように屈み、レンズを河原に向けた。

そしてファインダー越しに、あたりを探る。

すると、河原のそばの木の幹に、今回の被写体を発見した。

「来たっ、ヤマセミだ!」

ヤマセミとは、白黒模様とタテガミのような頭が特徴の野鳥である。

彼はヤマセミを驚かさないよう、地面に伏してカメラを構えた。

絶好の被写体をファインダーに捕らえ、最良のシャッターチャンスを狙う。

だが、野生の鳥は警戒心が強く、そう簡単に近付いて撮るのは至難の業だ。

いかに超望遠レンズとはいえ、この小さな鳥を画角いっぱいに捕らえるには、かなり近くにまで近寄らなければならなかった。

高価な超望遠レンズであっても、心もとないと言ったのは、そういった理由もあってのことである。

草むらの中、地面に這いつくばりながら、少しずつヤマセミに近付いていく。

被写体を画面いっぱいに捕らえるには、もう少し近付かなければならなかった。

意を決し、息を殺してもう一歩近付く。

だが、相手はやはり野生動物。

ヤマセミはすぐに彼の気配に気付き、慌ててその場から逃げるように、飛び去って行ってしまった。

樹々の間に消えたヤマセミを目で追いながら、

「あ~あ、また逃げられたか……………」

ガックリと肩を落とし、彼は気だるげに立ち上がった。

すると、もう何もかもがイヤになり、次の被写体を探す気さえ失せてしまった。


 動物写真を専門とする、アマチュアカメラマンの彼、間幸介は、ここ最近スランプ気味だった。

彼自身、元々はカメラマンになど、なるつもりはなかったのだが、学生時代に、東北地方の実家で産まれた仔犬が、母犬にじゃれている何気ない様子を、偶然そのときに持っていた使い捨てカメラで撮って、それを何気なく雑誌の公募に送り、優秀賞をもらったのが、そもそものきっかけだった。

写真撮影の面白さに目覚めた彼は、その後、独学で写真撮影のイロハを覚え、幾つかの公募で、何度か賞を得るまでになっていた。

 だが、ここ最近、自分でも納得のいく一枚が撮れないばかりか、かなりハードルの低い賞への入賞さえ、縁遠い状態になっていた。

先月も、とある写真コンクールで絶対の自信作を応募したが、それが入賞どころか、一次審査にも、かすりもしなかったのである。

「あ~あ………オレって、やっぱ才能ないのかなぁ? やっぱり、誰かプロの下で勉強すべきだったかなぁ?」

近くの岩に腰掛け、樹々の合間から見える空を、ボケ~と見上げて彼は呟いた。

時刻はまだ昼過ぎで、陽光が樹葉にキラキラと反射し、木の上の方が眩しい。

日はまだ高いというのに、すでに気力は完全になえて、早く帰りたい気分だった。

 本当なら今回は、来月に予定されている愛鳥家主催による、鳥の写真コンクール用の写真を撮るつもりだった。

それに備え、いろいろと野鳥の勉強もして、愛鳥家に人気のある鳥も調べた。

そして、彼の秘密の撮影スポットである、この森のこの河原へやって来たのだった。

ところが、前回のショックからまだ立ち直れず、なかなか撮影意欲がわかないし、さっきのヤマセミに逃げられたことで、最後の気力も無くなってしまった。

 彼は岩の上で横になり、空を見上げた。

このまま、もうカメラマンなど辞めてしまおうかと思った。

それほど、気分が落ち込んでいたのである。

するとそのとき、寝そべる彼の視線の先、30m程上空を一羽の鳥が横切った。

太陽光でシルエットになり、その姿はよくは見えなかったが、

「な、何だ、今の鳥はっ?!」

思わず立ち上がり、その鳥が飛んでいった先を目で追うが、すぐにその姿は木陰に消えて見えなくなった。

彼は鳥が消えた方を、しばし呆然と見つめていた。

言葉もなかった。

何より動けなかった。

どんな鳥だったのか、一瞬だったので分からない。

ただ言えるのは、あんなにも美しい鳥を、彼は今まで見たことがなかった。

鋭い鋭角を描くクチバシから、なだらかに広がる尾羽へと続く、まるで戦闘機のようなシャープな胴体。その体から、空力学を芸術的にまで表現した、優雅で滑らかな形状の翼。

そして、あまりに一瞬だったのでよく見えなかったが、太陽光を反射した翼が、青く、または赤く、いや、虹色に輝く光沢を放っているように見えたのである。

その翼は、本当に輝いていた。

「あ、あれは…………何なんだっ?!」

無意識に絶叫し、彼は駆け出していた。

あんな素晴しい被写体を逃してなるものか。

あの美しい鳥の写真さえ撮れれば、次回のコンクールはいただきだっ!

確信にも似た何かを感じ、彼は走った。

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