午後18時50分 T-21(旧足立区) NG本社から8km程離れた位置

 日本に来てから三度目となる夜を迎え、ヴェラ達の頭上に重苦しい重圧感を纏った闇が圧し掛かる。だが、これは彼女達にとって好都合だ。敵の本拠地に接近する上では、夜の闇は自分達の姿を包み隠してくれる絶好のカモフラージュ偽装だ。

 また装甲車自体の塗装が黒を基調としている事もあって、時折定期的に偵察をしに回る大魔縁の部隊の目を欺く事にも成功している。

 敵に自分達の存在を気付かれぬよう、慎重に慎重を重ねるように遠回りの迂回を幾度となく繰り返し、漸く本社から8km以内の距離にまで近付く事に成功した。

「あれがNG社の本社……ですか」

「だろうな、しかし遠目からでも分かるけど……凄いな」

 助手席に乗っていたスーンの呟きにオリヴァーがそう答えると、ディスプレーに映った本社の映像を拡大させた。他のビルは電気が通っておらず暗闇の中に沈む人工物と化していたが、本社だけは違っていた。

 一階から最上階近くまでが淡い緑色の灯かりで満たされており、またビルを取り囲むように同色の炎がキャンプファイヤーの焚火のように燃え上がっているのが見える。凄いと称したのは緑色の明かりに染まった本社ビルか、それとも餌に群がる蟻の大軍のように炎に集まる人々か……。それはオリヴァー本人ですら判断が付かなかった。

「中世の魔女狩りかって感じだよな。見てるだけでゾッとするぜ」

「魔女狩りでも、ここまで狂気に満ちちゃいないでしょ」

「どちらにしても、信仰心は人を狂わせるってのは確かさ。そうは思わないか、ヴェラ?」

「せめて振るのなら、明るい話題を振りなさい」

 オリヴァーの話題に嫌悪感を示しつつも、ヴェラの視線は本社ビルへと注がれていた。もう少ししたら海軍の応援が到着し、陽動を始める。その隙に建物に突入し、まもりびとに関するデータの入手と、もしもあればの話だがユグドラシルの製造法のデータ消去も果たしたい。

 そして―――ミドリを取り返す。ミドリの泣き声が今でも耳にこびり付いており、それが脳裏でリプレイされるとヴェラは無意識に両手を握り締めた。

「そろそろ作戦が始まります。ここから先は車を降りて進みましょう。その方が見付かり辛い筈です」

「ええ、そうね」

 ヴェラ達が車から降りると、丁度他の車からもサムや仲間達がゾロゾロと車から降りつつあった。全員が揃っている事を目で確認すると、彼は本社の置かれた方向に首を傾けてGOサインを出した。

「気を付けろ、何処に人が居るかも分からん。足音をなるべく出さず、物影に隠れながら進むんだ」

 サムの慎重な声が鼓膜を撫で、同僚達はサムを見倣って腰を低く落とし、影から影へと渡るように進んでいく。暫く進み続けると、武装を施したトラックを数台横に並べたバリケードが遠目で見えた。

 荷台には機関銃が積み込まれており、車両の前ではライフルを肩に掛けた緑頭巾の男達が懐中電灯を片手にウロウロと歩いている。あんなライトを構えててもまもりびとに襲われないのだろうか、そんな疑問がヴェラの頭の中で一瞬だけ過ったが、すぐにバリケードをどうやって突破するかという疑問に摩り替わる。

「どうする? あのバリケードを迂回して、別の方角から進入を試みてみる?」

「いや、待て。そろそろ海軍の応援が来る頃合いだ」

 崩壊したビルの残骸に身を寄せ、バリケードの前でうろつく男達を窺いながらサムはディスプレーに表示された時刻に片目を張り付けた。時刻は19時一分前だ。

 事前に打ち合わせをしていた通りならば、そろそろやってくる筈だが……と思っていると、通信装置から空電が鳴り響き、それが鳴り止むと30代ぐらいと思しき男性の声が鮮明に耳に滑り込んだ。

『こちらアメリカ海軍所属のマッカーサーから派遣された援軍部隊だ。聞こえるか?』

「ああ、聞こえているぞ」

『そちらは今、何処に居るんだ?』

 サムは自分達の居る座標をディスプレーで素早く確認すると、即座に通信の向こうに居るで援軍に位置を告げた。

「元NG本社から東に7キロ離れた場所に居る。だから、パーティーをするなら反対側で盛大にやってくれ」

『了解した』

 サムの言うパーティーの意味を理解したのか、了承を告げた兵士の言葉には愉悦が含まれていた。「余り良い性格では無さそうだ」と、通信を切ってサムが本音を零した時だ。頭上から超高速回転するローターの音が響き渡った。

 ヘルメットに備わった暗視モードに切り替えて頭上を見上げると、そこには複数のオスプレイが群れとなって東京上空を飛行していた。しかし、その数は明らかに100機は超えている。おかしい、自分達と一緒にアメリカから派遣されたオスプレイは、精々30機程度しかなかった筈なのだが……。

「どういう事なの? あの数は多過ぎるわ……」

「恐らく、沖縄からも援軍を寄越したのでしょう。ほら、翼に描かれたマークを見て下さい。アメリカ国旗と日本国旗が並んでいるでしょう?」

 スーンが指摘した翼をズームすると、確かにオスプレイの左翼にアメリカ国旗と日本国旗が描かれてあった。このマークが描かれているのは、唯一災厄を免れ、現在では完全なアメリカ基地と化した沖縄に配備された兵器だけだ。

「どうして沖縄在軍のアメリカ部隊までも来ているんだ? 通信してた時には、そんな一言も言っちゃいなかったのに」

「それだけ向こうも本気だって事でしょうね……」

 そしてオスプレイの大軍が自分達の上空を通り過ぎてから数秒後、自分達の居る反対側で凄まじい爆撃音が響き渡った。その凄まじさたるや木々や辛うじて原形を保ったビルの隙間を縫う様に、爆発の閃光がヴェラ達の居る場所に届く程だ。

 するとバリケードを作っていた男達も慌てて車に乗り込み、爆撃が行われている場所へと急行してしまう。これでヴェラ達を遮っていた壁は取り払われたという事だ。

「よし、行くぞ」

 サムの掛け声と共に十数名のNGAの社員は行動再開させるが、ヴェラは不安を拭い切れなかった。今まで海軍は自分達の言葉に耳を傾けなかったのに、何故今回に限って本腰以上の本気を見せたのか。応援を寄越すと約束はしたが、正直ここまでだとは予想すらしていなかった。

 手厚いまでも応援はヴェラに感謝の念を抱かせるどころか、不思議を通り越して深い疑問を抱かせた。

 しかし、直ぐにどう足掻いても分からぬ疑問を考えるのは中断し、ヴェラは目の前の事に専念しようと心掛けた。相手の思惑がどうであれ、自分達が先に成し遂げてしまえば、それで良いのだ。

 目指す先では激しい爆撃のせいで、燃える赤を背負った本社が異様に引き立つ形でヴェラの目に映り込んだ。



 本社の入り口まで300mを残すところまで接近したが、ヴェラ達の想像に反して大魔縁の人間と殆ど接触しなかった。いや、厳密に言えばヴェラ達の方に回す人手が無いと言うべきか。

 既にアメリカ海軍は爆撃で着陸ポイント付近を一掃及び確保し、ドラグーン作戦を展開しつつある。武器を持った信者達は、全員が海軍の相手に向かったのだろう。未だに辺りに鳴り響く爆発音と銃撃戦が、彼等の戦闘の激しさを物語っている。

 しかし、流石に本部の守りも薄める程に愚かではないらしい。正面扉には盾を構えた二人の信者が仁王立ちし、目の前を通り過ぎる一人一人に目を光らせている。

「どうします、一気に突入しますか? 二人だけならば……」

「いや待て」スーンの提案にサムが待ったを掛ける。「今の内に二手に分かれよう。ロッシュとハミルのチームは後方から回り込め。恐らく非常階段や裏口の類がある筈だ。俺とヴェラのチームは、正面から突入する。位置に着いたら知らせろ、俺が合図を出す」

「分かりました」

 サムが命じると半数に当たる8人が影に寄り添うような隠密行動を取り、ヴェラ達を残す形でその場から離れていく。そして数分後に、ロッシュから位置に付いたという旨を知らせる通信が入る。

『サムさん、位置に付きました。幸い、こちらは警備が一人だけです』

「仕留められそうか?」

『ええ、盾も持っていません。武装もマシンガンのみ。アサルトライフルでも狙いを付ければ、頭に一発ズドンとやれますよ』

「分かった。なら、俺達も行動を開始する。合図を出すから暫し待て」

『了解』

 そう告げて通信を切ると、サムは残った仲間達の方へと振り返った。

「突入するぞ。準備は良いな?」

 真剣な声色で確認を求めると、全員が首を縦に動かして何時でも動けることを示した。そして彼は再び通信を入れ、裏口に居るチームに合図を告げた。

「よし、行け!」

 その合図と共にサムは窮屈そうに屈めていた身体を立ち上がらせ、本社へ走り出した。その背中を追う形で、ヴェラ達も続いて走り出した。

 正面扉で警備をしている男達は自分達の仕事に専念しようと努めようとしたものの、やはり爆撃と銃撃の音が気になるのか、チラチラと頻りに視線を向こうへ忍ばせていた。それ故に本社の陰から迫り来るヴェラ達の存在を察知する事が出来なかった。

 最初にサムが正面扉の左側に立っていた男に飛び掛かり、アーマーの力を借りて首の骨を素早く圧し折る。そこで漸くもう一人の門番も侵入者の存在に気付き、慌てて銃口を向けようとするも、ヴェラが振るったヒートホークでマシンガンを弾き飛ばされ、無防備になった所でオリヴァーに顔面を殴られて卒倒した。

「気付かれちゃいないな?」

「……恐らく、大丈夫です」

「恐らくじゃなくて、絶対にと断言して欲しいが……まぁ、今は贅沢なんて言っていられんか」

 スーンの言葉に付けたされた『恐らく』がこの上なく不安だったが、どちらにせよヴェラ達はこれから敵の本拠地に乗り込むのだ。遅かれ早かれ自分達の侵入がバレるのも、時間の問題だ。

「敵の装備を念の為に回収しておけ、何かの役に立つかもしれん」

 そうサムが命じると、彼のチームの一人が門番が所有していたマシンガンと盾を回収した。マシンガンが役に立つかは分からないが、この盾はユグドラシルの樹木を元にしているので防弾性に秀でていそうだ。

 ヴェラは正面入り口から視線を上へ滑らせ、本社を見上げた。瞑々とした建物の中から微かに零れる緑色の光りを暫し見詰め、サムの出発を告げる声と共に視線を下に戻した。


 ヴェラ達の最後の戦いの幕が切って落とされた……

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