午後20時00分 T-12の一角にある国有地
業火に包まれたT-12の中心部から少し離れた場所で、ズズンッと重い振動が走る。地震とは異なるし、爆発によるものでもない。やがてコンクリートに覆われた地面が盛り上がり、その上で根を張っていたユグドラシルが複数転倒する。そして大きく裂けた灰色の大地を突き破って登場したのは、ヴェラ達が乗る巨大なクラブマンだった。
「よし、外に出たぞ! 流石はクラブマンだ! 何ともないぜ!」
「やっぱりコンクリートで覆われてたかぁ。万が一に囚人の逃走を恐れて対策をしているんじゃないかって思ったけど、案の定だったよ」
「何はともあれ、これで自由に走れるんだ。あとは俺に任せとけっての!」
自信満々に胸を叩くオリヴァーが座る操縦席のコンソールには、T-12の地図が表示されている。東に三キロ走った先に壁があるが、このクラブマンの性能を持ってすれば壁を突破出来るだろう。
「兎に角、T-12を出ないとね。オリヴァー、任せたわよ」
「おうよ、任せろ!」
「スーンはクラブマンの車輪周りを映した安全確認用のカメラで敵の有無を確認して。トシヤは出番があるまで休んでいて。出番が無いに越した事はないけど」
「分かりました」
「了解しました。ヴェラさんも休んでくださいね」
スーンがカメラの映像が並ぶモニターの前に付き、トシヤは休息を取るべく後部ハッチにある作業員用のベッドに向かった。残るは自分とリュウヤ、そしてミドリだけになってしまった。他に何かやるべき事は無いか、広い後部座席に座り込みながら思考を巡らしていると、突然目の前にミドリが現れた。
彼女の登場に少しびっくりし、ゆっくりと視線を上に持ち上げると相手を気遣うような眼差しを向けるリュウヤと視線が合った。
暫し互いに視線を交差し合っていたが、何時しか差し出されたミドリを受け取とらなければならないという雰囲気へと発展し、彼女は恐る恐るミドリを抱いて自分の膝上に乗せた。そしてリュウヤも狭い通路を挟んだ向かい側の座席に腰を下ろすと、暫し沈黙した後に意を決するように語り掛けた。
「あんまり自分を追い込み過ぎるなよ。これ以上追い込むと、身が持たないぞ」
「大丈夫よ、心配しないで。でも、自分の不甲斐無さには一種の怒りや情けなさを覚えているけどね」
「アンタは十分にやったさ。悪いのは……そのゲイリーとか言う男だろう?」
「あまり印象は良くなかったけど、まさか此処まで愚かだったなんてね」
ゲイリーとの遣り取りを思い出しただけで怒りが込み上がり、ヴェラの眉間に深い皺が寄る。彼女の心境を察したリュウヤは話題を変えようと、咄嗟に思い付いた話を持ち出した。
「ところでよ。あっちの研究施設で言っていた話だが……本当なのか?」
「ええ、事実よ。証拠は此処に」
ヴェラがアーマーのポケットから取り出したトリイの日記を見せると、そのままリュウヤに手渡した。それを受け取ったリュウヤは日記のページを徐に捲るが、ページが進む毎に表情が険しいものへと変化していく。
「これまた……えげつない実験をしていたもんだな」
日記に記された想像絶する実験内容と結末に言葉を無くしながらも、漸く絞り出した彼の意見にヴェラは深く同感した。
「あの話の続きだが、ホンダの目論見はまもりびとの制御にあると仮定しよう。もしそれが実現したら、どうすると思う?」
「日本に残っている人間をまもりびとにして、支配下に置く……かしら」
「その為に大魔縁の大司祭になった……と考えると、妥当だわな。で、どうやってホンダの野望を阻止する気だ? 期待していたアメリカからの救援も応援も、国連の協力も無い。かと言って奴等が俺達を狙わないとは限らない。補給を受けられる場所だって無い」
「そうね……。でも、何とかしないと。もし奴が日本を支配したら、今度は世界に目を向けるのは間違いないわ」
四面楚歌のような状況下の中、どうやって活路を見出すべきか。ヴェラが泥のような思考の泥濘に踏み入れそうになった時、スーンの声が上がった。
「車両を確認! 大魔縁です!」
「おいでなすったか!」
カメラのモニターに映し出されたのは数台の車両。ヴェラ達が乗っ取った荷台に機関銃を設置したのと同タイプの車両もあれば、普通自動車の天井に開けた穴から銃を持って半身を覗かせるタイプのものまで様々だ。
「流石にクラブマンはデカイから目立っちまったか。だけど、どうせ見付かるんだ。さっさと行こうぜ!」
オリヴァーがアクセルを深く踏み込むと、三車線を支配する程に巨大なクラブマンに搭載されたハイパーエンジンが獣のような咆哮を上げた。そして目の前に立ちはだかるユグドラシルの大木を強引に根っこから押し倒し、ドンドン前へ前へと進んで行く。頑強なボディに物を言わして進む姿は、正に硬い甲殻を持つ
武装を施した車両達がクラブマンの横に付き、機関銃やライフルを巨体に向けて発射する。しかし、ユグドラシルを押し倒しても凹まない頑強なボディだ。ライフル銃はおろか機関銃で傷を付ける事は出来ず、全弾が明後日の方向に弾き返されてしまうのがオチだった。
「そーら! 退いた退いたー!!」
オリヴァーは愉快犯さながらに加虐的な笑みを浮かべながらハンドルを切り、隣に並行して走っていた武装車両にクラブマンの巨体を寄せた。車両は避けようとするもユグドラシルが生茂る森では十分な回避行動を取る事が出来ず、結局ユグドラシルに激突するか、クラブマンのタイヤに潰されるかの二つに一つの選択を強いられる羽目になった。無論、どちらを取っても死は免れないが。
「正にオリヴァーの独壇場だな」
「今日一日活躍も無く留守番を強要されていたようなものですし、鬱憤が溜まってたんでしょうね」
「なら、彼に任せても問題なさそうね」
「はっはー! どんなもんだ! 俺とクラブマンの前に敵う野郎なんて居ねぇぜ! ひゃっはー!」
その後もクラブマンはオリヴァーの運転テクニックと相俟って大魔縁の信者達を乗せた車両を数多く撃破し、目的地であるT-12の区域に沿って作られた壁に到着した。
ベルリンの壁さながらに分厚い壁だが、強化コンクリートと剥き出しの鉄板が継ぎ接ぎされたかのような姿は、災厄後に建造を開始したが故に壁の材料集めに苦心した人々の努力と困難を物語っている。
本来ならばT-12を外敵から守るのが目的だが、そのT-12が滅びた今、壁の存在は無意義となった。即ち、壁を壊す事に誰も疑問や躊躇を抱いていなかった。
「オリヴァー、壁をブチ壊しな」
「イエッサー!」
ヴェラの命令にオリヴァーが機嫌良く答えると、操縦席の両脇にあったレバーを掴んだ。クラブマンの両脇に収納された巨大ハサミ――通称カニバサミ――を機動させ、操作するレバーだ。
本来ならばユグドラシルの大木を切る為の装備だが、ヴェラ達が使うヒートホーク以上の超高温を纏う為に壁を焼き切るのは造作も無かった。
ハサミの刃に当たるチェーンソーが赤熱化すると共に高速回転し、スポンジケーキにフォークを突き刺すかのように分厚い壁にハサミを深く食い込ます。上下の刃を動かさず、ハサミを開かせたまま壁を紙のように溶断し、クラブマンが余裕で通れる程の四角い穴を作るとオリヴァーは納得の出来だと自賛するかのように頷いた。
「さぁて! この区域ともおさらばだ!」
オリヴァーが再びハンドルを握り締め、タイヤを動かそうとした。その時だった。後方から落雷にも似た激しい砲音が鳴り響き、クラブマンの左手にあったユグドラシルの幹が中心から吹き飛び、上半分が崩れるように地面に落下した。
「ユグドラシルが折れた!? いや、吹き飛んだのか!?」
「今の雷が落ちたみたいな音……まさか!?」
「こ、後方から大魔縁の部隊が近付いています!」
後部を映すカメラが捉えた映像には、大魔縁の車両が徒党を組んで此方に向かってくる姿が映し出されていた。その徒党の中には、嘗て自衛隊が所有していたリニアタンク『雷電』の姿もあり、苦笑いを浮かべるオリヴァーの表情に納得の色彩が加わった。
「やっぱりな。今のはリニアタンクのレールガンの砲撃音だったか。くそっ、あんなのが命中したらこっちは一溜まりも無いぜ!」
「そんな事を言っている暇があるなら早く行け! 戦車と距離を置くんだ!」
「無理だ! こっちはユグドラシルを薙倒しながら進んでいるんだ! いくら距離を置こうが、
リュウヤの必死の訴えに対し、オリヴァーは正論でこれを一蹴した。恐らく先程の一撃を敢えて外したのは、止まらなければ撃つという警告を意味しているのだろう。仮に停止に従っても、向こうが此方の命を助けてくれる保障なんて何処にも無いが。
「此処まで来たのに……!」
後部カメラに捉えた大魔縁の部隊がジリジリと詰め寄って来る姿を目にし、ヴェラはギリッと奥歯を噛み締めた。無意識にミドリを抱き締める腕に力が籠ってしまい、腕の中に居た幼子は窮屈を嫌がり柔らかい無垢な手足で押し退けようとするもビクともせず、遂には泣き声を上げて抗議した。
「うぇ、うぇえええええ!!」
「み、ミドリ……!」赤子の泣き声にハッと我に返ったヴェラは、そこで自分が想像以上に強く彼女を抱き締めていた事に気付いた。「ごめんなさい、少し強く抱き締めちゃったかしら? リュウ、ミドリを預かってて貰っても―――」
「ま、まもりびとだぁ!!」
ミドリを抱き締めていた腕を開放し、リュウヤにミドリを預けようとした時だった。モニターの前に座っていたスーンがガタンッと音を立てて、その場から離れるように立ち上がり、仰天を意味する引っ繰り返った声でモニターを指差した。
その場に居た全員の視線がモニターに向けられ、画面一杯に映し出されたまもりびとの群れを目にし、息を飲んだ。直に睨み合っている訳ではないが、何度も命を狙われた化物の目をモニター越しで見るのも中々どうして精神に来るものがある。
大魔縁だけでなくまもりびとも加わり、状況は益々不利になった―――と思いきや、まもりびとは暫しモニターのカメラを見詰めた後、興味を無くしたかのようにそっぽを向いて走り出した。
「な、なんだ!? 連中は何で無視したんだ!?」
「いえ、違うわ。まもりびとはそもそも生物以外に興味が無い。奴等は乗り物に乗った人間は襲えど、乗り物にまでは攻撃していない」
ヴェラに言われて過去の記憶を振り返ってみれば、確かにまもりびとは人間が生み出した建物や乗り物に何ら危害を与えていない。それよりも後方から近付いてくる大魔縁の部隊の方に興味が向けられるのは、至極当然の事だと言えよう。
そして後部カメラの映像には大魔縁の部隊に接触したまもりびとが牙を剥き、爪を振るいながら襲い掛かる姿が映し出された。向こうも銃を発射しながら必死に応戦し、最早此方に構う余裕なんて無かった。
「オリヴァー! まもりびとが大魔縁に夢中になっている間に脱出するよ!」
「あいよ! 皆、掴まってろよ!」
今度こそアクセルを踏み、クラブマンは壁に作った穴を潜り抜けて、業火に包まれたT-12を脱出した。
燃え上がる区内の至る場所からはけたたましい銃声と想像を絶する悲鳴、そして人間ではない異常な咆哮が響き渡っていたが、それも一時間ほどすると聞こえなくなった。
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用語解説
『クラブマン』
「災厄が起こる直前に開発されたユグドラシル運搬車。ユグドラシルが樹勢している場所でも木々を薙倒して進める程の高出力エンジンを搭載している。本気が開発された経緯と目的は不明だが、ユグドラシル運搬という名目が既に付けられていた事から、恐らくユグドラシルの栽培地拡大を見通して開発されたものと考えられる。
災厄直前の日本はユグドラシルの栽培地を広げるのは困難な状況にあり、そこで夢の島を始めとする埋立地に栽培するのを検討していた。しかし、一々埋立地に職員を向かわせるのは合理性に欠く為にクラブマンみたいな大型作業機器が必要だったと思われる
完成直後に災厄のグリーンデイが発生し、NG社の管轄下にある施設で放置されていた一機をT-12の自衛隊が見付けて極秘裏に回収した。また日本からの脱出に備えて、機内には非常食や機材等が搭載されてある」
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