午後19時14分 T-12にある監獄一階

 ヴェラとトシヤが監獄の前に築かれたバリケードを退かし、苦労の末に足を踏み入れると、屋上で迫撃砲を撃っていたオリヴァーを除くスーンとリュウヤ、そしてリュウヤに抱かれたミドリが二人の帰還を出迎えてくれた。

「ヴェラさん!」

「皆、無事だった!?」

「ああ、無事だ。この建物自体がT―12の奥まった場所にあったのが幸いしたぜ。狙われたのが最後の方だったからな」

 ヴェラの言葉にリュウヤが答えると、今度こそヴェラは目に見えて安堵の溜息を零した。この襲撃で仲間が欠けていたらと想像しただけでゾッとする。目の前で死なれるのも嫌だが、目の届かぬ場所で先立たれるというのもまた嫌だった。

「オリヴァーさんは?」

「俺を呼んだかい?」

 トシヤがオリヴァーの居場所を聞くのと同時に、入り口の右手にある階段から軽い足取りでオリヴァーが降りてきた。その身に修理の終えたばかりのコングを装着し、仲間に万全である事をアピールしていた。

「修理は終わったようね」

「ああ、スーンとリュウヤのおかげでな! 二人が居なけりゃ、今頃どうなっていたやら。本当に助かった、礼を言うぜ」

 復活して元気になったオリヴァーを見て、漸く元に戻ったという地に足が付くような安心感がヴェラを満たす。そして気持ちを切り替えるのと同時に表情を引き締め、スーン達に尋ねた。

「それでアマダは何処に居るの?」

「彼ならこの建物の地下だ。そこで皆を待つとさ」

「地下? 何でそんな場所に?」

 リュウヤの言葉にヴェラの脳裏に二つの疑問が浮かんだ。今にも此処は大魔縁の猛攻で陥落しそうだったと言うのに、何故彼はこの場所の地下で自分達を待ち続けているのか。そもそも彼は自衛隊のトップに近い地位を持つのに、守りが薄いのは何故か。

 ヴェラの疑問に答えてくれる人は居なかったが、「行けば分かるさ」とオリヴァーが嬉しそうに語っては地下へと先導し始めた。どうしてオリヴァーが嬉しそうなのかという新たな疑問が加わったが、地下に行けば自ずと明らかになるという彼の言葉を信じて、今は黙って後を付いて行く事にした。



 監獄の地下はシェルターのような頑丈な作りをしていた。トンネルのような円形の通路の壁にはチタン合金の鉄板が張り巡らされており、通路そのものを支える役割だけでなく、外からの圧力に屈しない頑強さを備えているのが分かる。

 LEDの蛍光灯が照らす明るい光を潜り抜け、ゴール地点と思しき分厚い黒鉄で出来た鉄扉の前にアマダと彼の主治医の姿があった。アマダは彼等が姿を見せると嬉しそうとも、申し訳無さそうとも取れる曖昧な笑みを浮かべて軽く一礼した。

「アマダさん! ご無事だったのですね!」

「ヴェラさん、態々此処まで御足労頂き有難うございます。そして申し訳ない、折角貴女に通信施設に向かって頂けたのに、結局はこのような事になってしまい水の泡となってしまった……」

「気にしないで下さい。それよりも此処は?」

「此処に来るまでの通路を見て薄々理解していると思いますが、ここはシェルターです。災害や震災などで都市の機能が一時的にダウンした場合に備えて、受刑者を非難させる場所です。尤も、一番の目的は受刑者が脱走しないようにする為でしょうけどね」

「それで……私達を此処に呼んだのは、どういう理由からですか? もう此処は安全ではありません、一刻も早く避難しないといけません」

 ヴェラが非難を促すと、年相応の笑みを浮かべていたアマダの顔付きは危機に面した人間が浮かべるのと同じ真面目なものへと変貌した。

「そうです。最早此処は安全ではなくなった。そして此処を拠り所としていた人々も、私が育てた部下達も、大勢が死んだ。ここの陥落は時間の問題です。ですが、我々が避難出来る場所なんて何処にもありません」

「えっ? それは、どういう―――」

 意味を聞き返さずとも、アマダの言わんとする言葉を理解していた。そこに隠された意味も。だが、それでも聞き返したのは無意識に働いた抵抗だったのかもしれない。しかし、ヴェラの抵抗も虚しく結局アマダの口から本心を聞かされる羽目になるのであった。そして、その本心はヴェラの想像していた通りだった。

「我々は此処に残ります。そして時間を稼ぎます。その間に、貴方達はT-12を出なさい」

「ま、待って下さい! どうしてですか!? 他にも脱出したいと願う人達は居るでしょう!? どうして私達だけが……!?」

 納得がいかないと言外に訴えるが、アマダは首を左右に振って彼女の言葉を聞き入れなかった。だが、彼の態度は拒絶だけでなく、どうしようもない諦めも含まれていた。

「確かに市民の大勢が此処から……日本から出たいと願っていたでしょう。しかし、彼等は此処を脱出するという希望を捨てて、恭順の道を選んだ」

「恭順?……まさか――」

「そう、大魔縁の支配を受け入れたのです」

 大魔縁―――あの狂った宗教組織に無条件で従うと言うのか? それほどまでに人々の心は擦り切れ、絶望していたのか? ヴェラの脳裏にT-12に暮らしていた人々の姿が思い浮かび、彼等に対して憤怒とも驚愕とも異なる、複雑ながらも純粋な『何故』という疑問の感情しか出て来なかった。

 しかし、脳裏に浮かんだ彼等がヴェラの疑問に答えてくれる筈もなく、そしてアマダは今のT-12に起こった出来事について事細かに教えてくれた。

「大魔縁の襲撃に対し、私達は市民を守るべく彼等の大半が住まう地下都市へ向かった。だが、市民の中には大魔縁に従うのが生き残る為の唯一無二の選択なのだという思想に取り憑かれた者が何名か居ました。しかも、性質の悪い事に思想は伝染する。状況が悪くなれば悪くなる程に、生温い希望よりも劇薬のような過激的な思想を是としてしまう」

「では、兵士達が大勢死んだのは……」

「そう、大魔縁との戦闘もありますが、一番の原因は大魔縁に寝返った市民との間に起こった内輪揉めです。内憂外患とは、正にこの事だ。今回の戦いで自衛隊はほぼ全滅し、生き残っているのは監獄の守りに付いた少数の戦力のみ。そして内輪揉めの被害は我々だけでなく、向こうの市民達にも出た。今、感情論に突き動かされた彼等が次に出る行動は何か、容易に想像が付くでしょう?」

「……私達を殺すか生け捕りにして、大魔縁に差し出すこと」

 ヴェラの言葉に何人かが息を飲み、アマダは深々と頷いた。

「その通りです。彼等は自分達が従うべき頭、頼るべき組織を自衛隊から大魔縁へと挿げ替えた。となれば、大魔縁にとって喜ぶ事は何かと考えて行動すべきでしょう。恐らく真っ先に狙われるのは、ユグドラシルの調査という名目で来た貴方達だ」

「ならば、貴方や生き残った自衛隊の人々も一緒に逃げるべきです! こんな所で死ぬ必要なんてありません!」

 ヴェラの必死の説得にアマダはニコリと微笑み、首を振った。だが、周囲に居た人々の目には、単純な拒否ではなく寧ろ感謝の意を込めて首を左右に振っているかのように見えた。

「有難う、ヴェラさん。だが、我々が貴女達と一緒に行っても荷物になるだけだ。他の隊員達も、私と同じ考えだ。そして彼もだ」

 そう言ってアマダはチラリと車椅子の取っ手を握り締めている主治医に目を向けた。主治医は何も語らないが、温かく優しい眼差しでアマダを見て、そしてヴェラを見遣った。

「それに救援は来ないのだろう? なら、逃げ場のない我々が此処に残ろうが何処へ向かおうが結果は同じだ。違うかね?」

「どうして……それを!?」

 アマダの言葉に目を丸くしたのは彼女だけじゃない。スーンやオリヴァーも同様だ。但し、此方はヴェラがアマダの意見を肯定した台詞に驚愕したのだが。

 途端、二人の口から「何故」だの「どうして」だのという抗議のような疑問が噴出するが、それをトシヤが何とか宥めて落ち着きを取り戻すと、再びアマダは口を開いた。

「キミ達には話していなかったが、あの通信施設の交信記録は此方の監獄にも受信出来るように改造してあったのだ。万が一に何者かが使用し、個人的な欲望から救援者との間に密約を交わした場合に備えてな」

 アマダは懐から一つのメモリースティックを取り出した。半透明にキラキラと輝くソレは、まるで水晶を削った工芸品のようだ。

「貴女を信用していなかった訳ではない。だが、それでも私は部下や市民を預かる身として、無暗に他者を信用する訳にはいかなかった。だから、この一件を伝えられなかったのだ。その事に付いて謝罪すると共に、これを貴女に託したい」

「これは?」

「この中に貴女とゲイリー大佐とやらが交わした会話の情報が入っている。もし貴女が彼から不当な要求を突き付けられた場合、これを武器にして足元を固めなさい。さすれば向こうの裁判でも勝てる筈だ」

 メモリースティックを受け取ったヴェラは、そこで初めて顔をくしゃりと歪めた。彼が信頼しなかった事は別に気にしていない。彼の立場を考えれば無理からぬ事だ。しかし、彼等が願った希望を叶えられなかった事が無性に悔しくて悲しかった。

「ごめんなさい……! 私達の力が及ばなくて……こんな事に……!」

「貴女のせいじゃない。それに貴女はゲイリーとかいう男に怒ってくれた。何と言ったかな、そう確か……『くたばれ! くそ野郎!』。ふふ、胸が透く思いだったよ。私達の怒りと悔しさを代弁してくれた。それで十分だ」

 壁に付いていた指紋認証システムにアマダが右手を置くと、システム上に緑のラインが横切り指紋を認識する。そして確認が取れると扉のロックが外れ、重々しい音と共に開かれた。

「これは……!」

「ああ、凄いだろう! ユグドラシル伐採車両『クラブマン』だ! 俺も今さっきコイツの存在を教えて貰ったばかりなんだが、初めて目にした時は無茶苦茶興奮したぜ!」

 自慢気に語るオリヴァーの声を聞いて、漸くヴェラは彼が上機嫌な理由を理解した。扉の向こうにあったのは、巨大なユグドラシルの伐採及び搬送する事を目的に開発された特殊搬送車両クラブマンであった。

 旅客機並の巨大なタイヤが左右に四つずつ計八つ装着しており、カブトガニのような丸みを帯びたボディの左右には、フレキシブルなアームの先に付いたカニのような爪……もといハサミ型の特大チェーンソーが折り畳まれる形で装備されている。

「この車両……一体どうしたんですか!?」

「これは災厄後に接収したNG社の関連施設の一つに、奇跡的に無傷のまま保管されていた特殊車両だ。このクラブマンの頑丈な装甲と八つのタイヤが生み出す高い走破性、そして両腕のハサミならばユグドラシルの森を切り開く事は余裕だ。これで道を切り開き、それで出来た道を避難民を乗せた車やバスで通るというのが我々の脱出計画だった。尤も、それも机上の空論で終わってしまったがな」

「ですが、どうやってコレを運び出すのですか? いや、そもそもどうやって此処まで運んだのですか?」

「それに付いては僕から説明します」

 ヴェラの疑問にスーンが手を上げて説明に名乗りを上げると、彼女のディスプレーにあ監獄の見取り図を送り込んだ。そして彼女達が居る現在地の部分が赤く点滅しており、その隣にある壁一つ隔てた空間も関係があるのか青く点滅している。

「この監獄、元々はUTP……地下都市計画のプロトタイプとして設計されたシェルターなんです。最新鋭技術と新素材を投じたシェルターの開発と実験、地下通路の問題点や改良点を洗い出すのが主な目的でした。その後、UTPが正式に発動されると実験場の役割は終わり、大部分の改装を施して囚人を閉じ込める監獄となった……という訳です」

「どうりで災厄後も残っている訳ね。で、この青いライトの点滅している空間は? 見る限り地下通路のように見えるけど?」

「はい、この青で点滅している空間は地下通路の実験場みたいな場所です。この通路の先には大型エレベーターが備わっています。恐らく地下都市を作る為に、円滑に資材を運び込む方法も模索していたのでしょう」

「使えるの?」

「エレベーターに関しては問題はありません。問題なのはエレベーターで出る場所です。アマダさん達の話によるとT-12の国有地らしいのですが、そこが今はどうなっているのかは情報不足で詳細は分かりません」

 不安げな締め括りで説明が終わると頭上からズズンッとくぐもった爆発音が聞こえ、細かい破片と埃がパラパラと降って来た。時間が無いと建物自体が訴えているかのようだ。

「コイツの鍵は?」

「俺が持ってる」

 オリヴァーが紐に通した一回り以上も大きい鍵を、手首に掛けた状態でヴェラに見せる。それを見てヴェラが頷くと、最後にアマダと主治医の二人に視線を向けた。

「アマダさん、本当に……本当に有難う」

「此方こそ有難う。貴女達のおかげで思い残すことや、憂いはない。さぁ、お行きなさい。そして生き延びなさい」

「……はい!」

 潤んで歪み掛けた視界をリセットするかのように勢いよく前へと振り返り、仲間達と共にクラブマンに乗り込んだ。彼等の旅立ちの一部始終を見届けたアマダは充実した表情を浮かべ、主治医の手を借りて黒鉄の鉄扉をシェルターの外側から閉じた。

 それを運転席から見ていたヴェラは心の中で感謝と別れの言葉を告げ、そして彼の言っていた生き延びるという約束を果たす為に出発を宣言した。

「皆、脱出するよ!」

 その言葉と共にオリヴァーがエンジンを掛けた。そしてクラブマンは、数年にも渡る長い眠りから目を覚ました。

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