午後12時15分 T-15にあるNG社研究施設 地下一階

 ヘルメットに備わった三点のLEDライトの強力な光が沈殿した闇を切り裂き、地下の通路の行く先を照らしながらゆっくりと滑っていく。三人分の足音だけがトンネルのような通路に反響し、それが返って無人の不気味さと恐怖の演出に一役買っていた。

「結構長い距離を歩いていますけど……まだなんですか?」

「ぼやくんじゃないよ。まもりびとに出くわさないだけでも、幸運だと思いなさい」

 スーンの口から出た言葉は恐怖ではなく、例の防火扉に至るまでの道則が想像していた以上に長いこと対する文句だった。地上の入り口から地下へと続く階段、そして今自分達が通っている通路の距離を含めて、彼是二十分以上は確実に歩いている

 だが、ヴェラの言う様に現時点でまもりびとの一匹たりとも遭遇しておらず、順調に進めているというのもまた事実だ。もし遭遇していたら、通常以上の時間が掛かっていたに違いない。

「ヴェラさん」

 そこで不意にトシヤが彼女を呼び止める。振り返れば彼の顔は地面に向いており、それに釣られてヴェラも目線を落とすと、夥しい血痕を引き摺って出来たと思しき赤い掠れた線が床に描かれていた。それも大人一人分に匹敵する大きさだ。

 既に乾き切ってはいるが、大きな血痕からして致死量に到達しているであろう事は素人の目にも明らかであった。けれども肝心の死体は何処にも見当たらず、矛盾する現実に誰もが内心で首を傾げた。

「ここで何があったんでしょうか?」

「さぁね。過去に遡らない限り、それは永遠に分からないでしょうね。けど、私達が追い求めている場所は見付けたわ」

 ヴェラが血痕の道筋に光を当てながら辿らせると、アマダから聞いた例の防火扉に辿り着いた。そして血痕の出発点も、その防火扉からであった。

「どうやら此処で襲われたみたいですね。血痕の後から察するに、辿り着けたのは一人だけみたいですね」

「アマダが言うには、此処に辿り着いた部隊は手分けして建物内を探索していたらしいよ。それが仇になったみたいだけど」

 シャッター状の防火扉に跳ねた血痕に指を当てながら左右を見回すものの、防火扉を上げるレバーらしきものは見当たらない。やはり、この扉の向こう側にあるのだろうか。そう思いふと下へ視線を逸らすと、ヴェラはある事に気付いた。

「ねぇ、ちょっとこれ見て……」

「どうしたんですか?」

 ヴェラが腰を屈めて床と防火扉の境目を指差しで示すと、スーンも彼女の指差す場所をよく見ようと隣にしゃがみ込んだ。

「この防火扉、溶接されて床と癒合しているわ」

「え?……あっ、本当ですね。床にぴったりと引っ付いちゃってますね」

 本来ならば床と防火扉の間に僅かな隙間がある筈なのだが、ヴェラが指摘したとおりに目の前の扉は溶接され、床との境目を無くしていた。これでは力尽くで開けるのはおろか、正規の方法を踏んでも開けれないのは明らかだ。

「侵入されるのを恐れて、此処を封鎖したんでしょうか?」

「そうかもね。或いは……―――」

「或いは?」

 不自然な所で言葉が途切れ、疑問に思ったスーンが振り返る。実際には不自然に切ったと言うよりも、その先を言うのを躊躇っていると言う方が表現としては正しかった。やがて耳元のマイクに、苦々しいヴェラの声が伝わって来た。

「誰かを閉じ込めたか……」

 その可能性を耳にした瞬間、スーンの背筋に薄ら寒い感覚が駆け上がった。誰かとは人間か、それともまもりびとか。前者ならば既に息絶えているだろうが、後者ならば生きていたとしてもおかしくはない気がする。そう考えると無意識にスーンは溜めこんだ唾をごくりと飲み込んだ。

「兎に角、扉を開けるよ。ここから先へ進まない事には、目的は果たせないからね」

 赤く熱した斧を分厚い防火扉に突き刺し、バターを切るように切れ目を入れていく。そして人一人通れる四角い入り口が出来ると、三人は焼け溶けた鉄に触れぬよう慎重に防火扉を潜り抜けた。

 防火扉の先も自分達が通って来た通路同様に暗闇が支配していたが、唯一違うのは左右の壁一面がガラス張りになっていた事だ。ガラスの向こうには大小様々な機材が置かれている。

 左側には電子顕微鏡・細胞凍結機・細胞培養攪拌装置と言ったバイオ医療研究に用いられる道具が、右側には研究員用と思しき50台余りの薄型パソコンと、研究データを纏める大型のサーバーで埋め尽くされていた。それを見た途端、機械関係に明るいスーンは鼻孔を膨らませた。

「うわ! 凄いですよ! 流石はGエナジー研究の本場ですね! こんな大設備を御目に掛かるのは、生まれて初めてですよ!」

「スーン、静かにしな。此処には何があるのか分からないんだ。とりあえず、右側の部屋から調べてみるよ。もしかしたら私達が探している物に関するデータが残っているかもしれない」

 三人はガラス張りの扉を開けて、埃以外に目立った傷の無いパソコンの前に立つ。当然、それを操作するのはスーンだ。彼はアーマーから取り出したバッテリープラグをパソコンに差し込み、アーマー内に蓄電させた電力をパソコンに注ぎ込む。するとパソコンの画面が真っ白く光り輝き、数年ぶりに息を吹き返した。

「良い調子だ。……よし、開いた! 何から調べます、ヴェラさん?」

「依頼された通信装置関連の機材、そしてオリヴァーのアーマーの修理に必要なパーツを扱っているか調べて頂戴。この施設のデータベースなら、何を取り扱っているかは一目瞭然の筈よ」

「了解!」

 スーンの指がキーボードの上で軽快に踊り出し、それに合わせてパソコンの画面に複数の小さい窓枠が出現する。一つ一つがヴェラ達の求める情報を探し出そうと、一秒で百件近いデータを網羅するも、最終的に答えはゼロ……彼女の求むものは記載されていなかった。

「うーん、ここのデータには無さそうですね。やっぱり、あの防火扉は此処のデータを守る為に封鎖されたんじゃないですか?」

「かもしれないね。でも、もし此処に私達の探している物が無かったとしたら、態々此処まで来た意味が―――」

 ヴェラが話している最中、通路を挟んだ向かい側の部屋からガンッと何かを叩く音が聞こえ、三人はバッと其方へ振り返る。しかし、窓越しからライトを照らしても、これと言って変わった所は見受けられない。そもそも、何が倒れたのかさえ分からない。

「い、今の音……何ですか? まさか僕達以外に誰かが居るとか……?」

「あの防火扉は溶接されていたんですよ? 誰かが侵入するのは到底不可能ですよ」

「だとすれば………」

 三人は斧を握り締めると、パソコンの部屋を後にして左側の部屋へと移った。パソコンの置かれた部屋に比べると、此方の部屋は多少荒れていた。機材が横倒しになっていたり、グラフやデータが書かれた書類が散乱し、更にその上には踏み付けられたかのような複数の足跡が残っている。

 誰かと争ったのか、それとも単に慌てていたのか。どちらとも取れるような部屋の有様を気にしつつ、部屋の中を進み続けると不意にトシヤが声を上げた。

「ヴェラさん、これ……!」

「何か見付けたのかい?」

 トシヤの方へと振り返ると、彼の手には一冊のキャンパスノートが握られていた。人間社会で生まれる情報や記録の殆どが電子(データ)化されている現代において、紙端末を用いた物はかえって珍しい。そう思いながらヴェラとスーンはトシヤの両脇に寄り添うように立ち、彼が捲るノートを覗き込む。

 ノートの中身はとある研究対象の観察と、その経緯を詳細に記したものであった。折れ線グラフの図を始め、推測・仮説・結論の学術に基づいた文章が隙間なくビッチリと埋め尽くされている。これらの情報はヴェラ達の役には立たないものばかりだ。がしかし、そのノートに張られた生々しいカラー写真を見た瞬間、彼等は息を飲んだ。

「これって……まもりびと!?」

 両手足を固定され、手術台の上に乗せられたまもりびとの写真がノートに張り付けられていた。それも一枚だけでなく、檻の中と思しき場所に監禁されているところや、切断された手足だけが撮られたものさえあった。写真の中に居るまもりびとは、どれもモルモットのような扱いを受けている印象が強い。

「何なの、これは……!?」

「分かりません。けど、この写真の日付を見て下さい」

 驚愕と興奮を隠そうとして失敗した上擦った声で、トシヤは写真の左上に表示された日付を指差した。そこを食い入るように見遣ると、今から8年前の日付が記されていた。

「3749年4月9日!? 今から8年も前じゃない!?」

「ちょっと待ってください。リュウさんの話が正しければ、まもりびとが現れたのは約四年前ですよね? まさか、もうその頃から……いや、災厄が始まる前から既に?」

「何にしても、此処には何かがありますよ。私達の想像を絶するものが」

 思いも寄らぬ大発見をしてしまった。しかし、それは決して発見してはならない負の遺産だ。ヴェラが内心でそう独語していると、再びガンッという音が部屋に響き渡る。それも一度や二度ではなく、何回にも渡ってだ。

 そこで彼女達は初めて気付いた。最初に物音を聞いた時、てっきり室内からの音だとばかり思い込んでいた。だが、実際に音が聞こえるのは室内ではなく、部屋の天井裏からだった。

「ヴェ、ヴェラさん!」

「二人とも! 下がって!!」

 そう言って三人が騒音の聞こえる天井から距離を置いた直後、一層激しい騒音と共に天井の一部が壊れ、通気管ダクトの残骸と共にまもりびとが降って来た。両目から放たれる燐光がヴェラ達を捉えると、大きく開けた口から奇声を放ち襲い掛かる。

 ヴェラは咄嗟に斧を横に差し出して相手の爪を受け止め、まもりびとの腹を頑丈なブーツで蹴飛ばす。倒れ込んだまもりびとは直ぐに崩れた体勢を直そうとするも、既に間合いに飛び込んでいたトシヤが斧を横一閃に振り抜いていた。

 赤く輝く灼熱の軌跡が一瞬だけ宙に描かれ、まもりびとの首が放物線を描いて刎ね上がる。そして首がドンッと床に落ちると、残されたまもりびとの体も力尽きて動かなくなった。

「通気管から来るなんて……本当に神出鬼没ですね……」

「ええ、そうね。でも、幸い一匹だけで――――あら?」

 首から上が無いまもりびとの死体を見下ろしてたヴェラがある物を見付け、死体の傍に手を伸ばした。よくよく見ると、このまもりびとは他のまもりびととは異なり、体の上に上着を纏っていた。

 裾や袖がボロボロに千切れ、血や汚れのせいで元の色が何色だったか判別出来ない程に黒ずんでいるが、形状や繊維からして恐らく医者が羽織る白衣だろう。

 しかし、何故まもりびとがそれを羽織っているのか? そんな疑問がヴェラの頭を掠めて行ったが、すぐに彼女の思考は白衣の胸ポケットに収まっていたカードキーへと向けられる。

「これは……カードキー?」

「この建物にカードキーで入れるような場所があるんですか?」

「あるかもしれませんね。このまもりびとの写真が、もし同じ建物内で撮られたものだとしたら……」

 トシヤに言われてノートに張られた写真の背景を見比べると、確かに写真が撮られた場所は、この地下一階にある部屋ではなさそうだ。だとすれば、このカードキーを必要とする秘密の部屋への入り口があるのかもしれない。

 「それにしても……」とヴェラは内心で愚痴を零した。何だかヤバい事に片足を突っ込み、そのまま後戻り出来ない所にまで沈んでいるような気もしないでもない。が、一方でこのまま中途半端に終わらせたくないという好奇心半分使命感半分から来る気持ちも存在していた。

「名前は――」くるりとカードキーをひっくり返し、表に書かれてあった持ち主の名前を口にする「ロバート・サカキ。ここの研究員かしら?」

「ええ、研究員です」

 ヴェラの呟きに対しトシヤが断言すると、二人は瞠らせた目を彼に向けた。

「どうして断言出来るの?」

「このノートの持ち主もロバート・サカキだからです」

 そう言ってトシヤがノートの裏面を向けると、下側にロバート・サカキと横文字で記されてあった。この衣服の持ち主とカードキーの持ち主が同一人物だとすれば、彼はまもりびとに関係ある重要人物であったに違いない。それを確かめる術は既に最早無いが。

「じゃあ、ロバート・サカキは密かにまもりびとの研究をしていた。けれど、災厄の影響でまもりびとが脱獄したか何かで檻から飛び出し、それで殺されたって事ですか!?」

「そこまでは分からないけど……事はそう単純なものじゃないと思う」

「どういう意味ですか?」

「あくまでも私の直感で、コレと言った明確な答えは見つけ出せていないから、今は何とも言えない。でも、そんな単純な理由で此処の地下が封鎖されたとは思えない。もっと……私達でも計り知れない程の深い裏があると思う」

 光りが強まれば強まるほど、同時に闇も濃密となる。それと同じように、一つの事実が明らかになると、別の疑問と謎が次から次へと湧き出てくる。これは答えを見付けるには時間と労力が掛かりそうだ。無論、そこに辿り着くまでに自分達の命があればの話だが。

 その時の自分の思いを言葉にするのも難しいが、これだけは確実に言える。自分達は今、踏み込もうとしている。常識を逸脱した、深い闇答えに……。

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