午後15時09分 T-11 地下都市内

 ヴェラ達が街に足を踏み入れた時、既にそこに人の生は微塵も感じられなかった。化物に弄ばれたかのような無残な死体が散乱し、粘着質な血の赤が街を焼き払う業火に照らされて不気味な輝きを発していた。中には業火の煽りを受けたと思われる焼死体も転がっており、体に張り付いたゆらゆらと揺れる炎が妙に印象的だった。

「うへぇ、もし今空腹じゃなかったら胃の物全部吐き出していたよ……」

「こりゃ酷い……。紛争地でも、こんな悲惨な光景はお目に掛からなかったぜ」

 従軍経験の無いスーンは鳩尾辺りを抑えながら呻くように呟き、嘗てアメリカ空軍の一員として戦場へ向かった経験のあるオリヴァーでさえも目の前の惨劇に眉を顰めた。

 今も街の至る場所では爆発音が鳴り響いており、更に化物達の雄叫びも合間合間に飛び込んでくる。このままモタモタしていたら、被害は拡大するばかりだ。火事であれ化物の仕業であれ、遅かれ早かれ街に残っている人間が全滅してしまう。

 そして差し迫る危機的問題はまだ他にも存在した。

「ヴェラさん、ヤバいですよ」

「どうしたんだい、スーン?」

「上を見てください」

 既に都市の頭上を見上げているスーンに言われるがままに、ヴェラも首の角度を上げた。そこには燃え上がる街から放出された煙が溜まっており、その黒雲は今にも地面に触れてしまいそうだった。しかし、ヴェラにはそれの一体何がヤバいのか分からず、不思議そうに首を傾げながらスーンの方へ振り返った。

「見たけど……何がヤバいんだい?」

「あの煙が溜まっているって事は、この地下都市の空気を入れ替える循環装置が止まっているって事ですよ! このままじゃ町の住民だけでなく、僕達も窒息死してしまいますよ!」

 コングのヘルメットには人体に悪影響を及ぼす有害物質を遮断する防護機能が備わっているが、空気を作り出す機能や酸素を蓄えるボンベ等は備わっていない。即ち、スーンの言うように火事や煙で酸素を奪われてしまえば、その瞬間に全員否応なくあの世行という訳だ。

 この場で活動出来る時間は限られているという新たな制限が課せられた事により、より敏捷且つ適格な行動が彼等に求められる事となった。

「音響センサーで人の声を拾い上げるんだ。そっちに行けば生存者に会って話を聞けるかもしれない」

 ヴェラの言葉に従い、全員が音響センサーを作動させた。センサーの線が人間の悲鳴をキャッチして鋭い波を打つが、すぐにブツリと途絶えてしまう。化物に襲われたか、それとも火に飲まれたか。どちらにせよ心地の良いものではなく、誰もが遣る瀬無さを覚えた。

 吐き気を催す嫌悪感と戦うこと二分、『逃げろ!』と叫びながら一定の方向へ向かう人々の群れをキャッチした。ヴェラ達の居る場所から10時の方角へ約一キロ、大して遠くもない距離だった事も幸いし、彼女達はすぐさま声の方向へと駆け出した。

 都市内に巡らされた主要通路の大半は、分厚い炎の壁や電気自動車の残骸で築かれたバリケードによって事実上封鎖されていた。

 コングの怪力と防護性を考慮すれば強引に突破する事も可能だが、突破した先に待ち構えているのは例の化物達だ。彼等を一々相手するのは時間が掛かる上に骨も折れる。おまけに時間も限られているとなれば、この強硬策は賢い選択だとは言えない。

 そこでヴェラ達は火の手の回っていない細い路地や崩落していない建物の中を梯子するように通り抜け、戦いを回避しつつ目的地に向かうという遠回りを選択した。

 その最中に改めて地下都市に設けられた建造物を見渡したが、そこは都市と呼ぶには派手さや煌きも無い、まるで研究施設の延長線に位置する無骨な建築物が軒並みを連ねているだけだ。瞳を楽しませてくれる色彩も無いので極めて退屈極まりなく、あくまでも非難した先でも人並みに暮らせて行ける程度の設備しか整っていないのだろう。大昔のアパルトヘイトに比べれば大分マシではあるが、それでも精神的に酷な事に変りない。

 こんな場所で五年間も暮らしていたら厭きる前に発狂しそうなものだが、あの化物相手では仕方がなかったに違いない。そうヴェラが結論付けた時、四人は路地裏の通路を通り抜け、地下都市の西側エリアを走る大通りに飛び出した。

 既にそこも火の手は回っているが、他の場所に比べればマシと言える程に微々たるものだ。そしてコンクリートの地面を舐める炎の向こう側には、着の身着のままで逃げ惑う生存者の姿が見えた。

 遠目からなので詳細に関しては定かではないが、パッと見た感じでは難民のように困窮している風には見えない。統率が取れて且つ人並みの生活を維持しているからだろうか。

 逃げ惑う生存者の一部が脇道から現れたヴェラ達に気付いて足を止め、目を丸くしながら彼女達を指差した。そして他の仲間達に彼女の存在を伝えようと口を開き掛けたが、背後から飛び掛かって来た化物達の爪で肉体を貫かれ、知性的な言葉ではなく空を切り裂く断末魔を上げて事切れた。

 瞬く間に生存者達は複数の死体へと変わり果て、爛々と輝く化物達の瞳が次なる獲物を求めて左右を彷徨い、偶々そこに居たヴェラ達に焦点を結んだ。そして猿のように低い姿勢で駆け抜け、揺らめく炎の屋根を飛び越えて彼女達に襲い掛かってきた。

「くそっ! 結局こうなるのかよ!」

「皆! 散らばらないで! 背を預け合って一匹ずつ確実に仕留めるのよ!」

 迫って来た化物の一体がヴェラに向かって枯れ木のような細くて鋭利な腕を突き出すが、彼女は両手で構えていた斧を真横に振り抜き、化物の腕を弾き返した。そしてカウンターよろしく振り抜いた斧を反転させ、高熱を含んだ赤い軌跡を描きながら化物の胴体を切断した。

 オリヴァーは化物の足を斧の柄で鋭く払い、地面に倒れこんだところを容赦なく斧を叩き込んだ。化物の悲鳴が鼓膜を叩くが、彼は自分の命を奪う得体の知れない相手に情けを掛けてやる程の温情は持ち合わせておらず、更に三度立て続けに斧を振るい相手を黙らせた。

 戦闘が得意ではないスーンはトシヤと協力し合う事で、二対一の有利な状況を作りながら堅実に化物を仕留めていく。オリヴァーやヴェラに比べると動きに今一つ活発さが無く、二人一組で一匹ずつ仕留めているので絵面的に言えば地味だが、彼はその手の華を求めてはいなかった。

 そしてオリヴァーの振るった斧が最後の一体の首を刎ねて、戦いは一段落付いた。が、スーンは独り不安げに頭上を支配する煙の集合体を見上げながら呟いた。

「ヤバいですね。さっきよりも煙が迫っている……。あと一時間もしない内に、ここは煙で支配されてしまいますよ」

「限られた許容時間が切迫しつつあるって事か。ヴェラ、そろそろ俺達の逃げる方法を考えないとヤバいぞ」

 オリヴァーの意見にヴェラは苛立ち交じりの悔しさを覚えた。折角生存者を見付けたと言うのに、誰一人救えないまま、おめおめと退散するしかないのか。しかし、チームメートを生かすというリーダーとしての使命がある以上、彼等を無用な危険に付き合わすのは良くない。

「仕方ない、全員―――」

 撤収すると言い掛けた矢先、彼女の音響センサーの線が人の声を捉えてピクンと跳ね上がる。声と言っても、それもまた例に漏れず人間の泣き声であり、この地下都市の状況を考慮すれば何ら珍しくもない。


 だが、その声は男性の野太い悲鳴や女性のヒステリックな金切り声などではなく、純粋で無垢なの泣き声だった。


 ヴェラが声のする方へ振り向けば、通路を挟んだ向かい側の路地から赤ん坊を抱いた小太りの男が現れた。かなりの距離を走って来たのか呼吸する度に肩が大きく上下し、汗だくとなった顔は火災で発生した灰等の粉塵が纏わり付いているせいで煤けてはいるが、火傷にまでは至っていなかった。

 そして顔のサイズに合っていない細い眼鏡フレームの奥にあるミニトマトのような小さい目がギョロリと動き、ヴェラ達の姿を捉える。そして彼は唾を飛ばしながら、必死になって懇願した。

「た、助けてくれ!!」

 最初の一文字を告げた時、小男の背後にある路地の陰から一匹の化物が泥沼から這い出るようにぬるりと姿を現した。そして彼の後頭部目掛けて鋭い爪を振り下ろさんとするのを見た時には、ヴェラは既に行動を起こしてた。

「伏せて!!」

 今から走っても間に合わないと察したヴェラは、手にしていた斧を化物目掛けて豪快にブン投げた。射線上に立っていた小男は「ひぃっ!」と悲鳴を上げ、赤ん坊を抱えたまま地面に蹲るように頭を下げた。直後に競輪の車輪のように高速回転した斧が男の頭上を通り越し、背後に立っていた化物に直撃した。

 斧は化物の頭を唐竹のように真っ二つに裂き、胴体半ばに達する程に深々と突き刺さる。そして裂けた部分から夥しい体液を撒き散らしながら仰向けに倒れ込み、二・三度痙攣した後、そのままピクリとも動かなくなった。

 そこで小男は後ろへ振り返り、事情を把握するや「うひゃぁっ!!」と情けない声を上げて尻餅をついた。腰を抜かしたようだ。そこへヴェラが駆け寄り、男に手を差し伸ばした。

「大丈夫かい?」

「あ、ああ。助かったよ」小男は伸ばされた彼女の手を取る。「でも、せめて斧を投げる事情を事前に教えて欲しかったけどね」

「すまないね。説明する暇が無かったんだ」

 そう言いながらヴェラが小男を引き上げると、彼はニッと白い歯を見せて微笑んだ。直後、けたたましい爆発が連鎖的に鳴り響き、地下都市全体を大きく揺るがした。振り返れば彼女達の居る方向とは真逆に当たる東側のエリアから巨塔のような黒煙が朦々と昇り、頭上を支配する暗雲と合流していた。

 それを見た小男は「くそ!」と忌々し気に悪態を吐いた。

「この区画のエネルギープラントがやられた! 『まもりびと』め! 滅茶苦茶に暴れやがって!」

「まもりびと?」

 聞き慣れない言葉にヴェラが復唱するも、小男は彼女の疑問に取り合ってくれなかった。

「説明は後回しだ! もうこの区画は持たない! 一先ず付いて来てくれ! 安全な場所まで逃げよう!」

「ちょっと待ちなさい! この町に残っている生存者はどうするの!?」

「生存者!? どこに!?」

「あっちに逃げた連中の事よ! 彼等だって助ける必要があるでしょう!?」

 そう言ってヴェラは生存者達が逃げていった方角へ指差すが、小男は力無く首を横に振った。それはヴェラの意見を否定するものではなく、彼女の諦念に呼び掛けるものであった。

「無駄だ。生存者達は知る由もなかったかもしれないが、あっちも既にまもりびと―――あの化物共が陣取っている。今更助けに行っても、恐らく手遅れだ」

 その言葉にヴェラはグッと奥歯を噛み締めた。もしも少しでも早く到達していれば、生存者を助けられたかもしれない。そう思うと歯痒さにも似た悔しさと怒りが込み上げてくる。

 だが、そんな一時的な感情の濁流に押し流され、決断を誤らせる訳にはいかない。小男の言う通り、今は安全地帯へ逃げて心身を休ませる必要がある。彼女だけでなく、他の隊員達も空腹や疲労で心身共に疲弊し切っていた。彼女は込み上がった後悔と自分への怒りを心の奥底に封じ込めると男に向き合った。

「分かったわ。その場所は何処にあるの?」

「こっちだ、付いて来てくれ!」

 赤ん坊を抱えた男が駆け出し、その後ろを四人が付いて行く。

 その僅か一時間後、地下都市は轟々と燃え上がる業火の海原に沈み、頭上に溜まっていた黒煙の天幕は街の終わりを見届けるという役目を終えた後、ゆっくりと街に覆い被さったのであった。

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