午前10時23分 羽田空港跡地

 彼等が上陸の場として選んだのは、海に面していた地で比較的に被害が少なく上陸し易かった羽田空港だった。比較的にとは言え、それでも状況は無残の一言に尽きた。

 航空機の離着陸にも耐える頑丈な滑走路を真下から突き破り、天に向かって伸びるユグドラシルの樹木の群れが空港の存在意義を無に還してしまっている。滑走路でこの有様なのだから、空港の建物そのものの方は言わずもがなである。

 それでも仮設基地の建設には十分なスペースがあると判断され、大勢のアメリカ海兵隊員と彼等の数に見合う膨大な物資を乗せた複数のボートが戦艦から発進し、マングローブのように湾内一帯に張り巡らされたユグドラシルの根を掻い潜り、次々と暗緑の緑に支配された空港に上陸していく。

「廃墟と化した空港を臨時基地にね。ホラーもいい所だぜ」

「オリヴァー、口を動かしてないで手足を動かしな」

 そして上陸する部隊の中にはナチュラルグリーン社アメリカ支部の人々……即ちヴェラ達も混ざっていた。

 緑を基調とした迷彩柄の軍服を着ている海軍兵に対し、ナチュラルグリーンの社員達が身に着けているのは『コング』と呼ばれる、ユグドラシルに囲まれた特殊な環境下での活動を想定して開発された作業用パワードスーツだ。

 何トンにも及ぶユグドラシルの大木の重さにも耐える超硬チタン合金を何層にも重ね合わせた多層装甲は驚くほどに滑らかな曲線を描いており、それが前腕と上腕、肩、胸、胴体、鼠径部、大腿部、膝、脛と人体の大部分をカバーしている。

 更に重機が入れない場所での作業の効率化・円滑化を目的に、パワードスーツ内に強化人工筋肉を内蔵。それによってスーツの厚みは増し、その姿は厳つさとマッシブさを兼ね備えた筋肉質の巨大なゴリラを彷彿とさせる。

 そのせいで嫌でも注目を浴び、上陸した部隊の中で彼等だけが異様なまでに浮いた存在となってしまっている。現に海兵隊達から向けられる奇異の眼差しが後を絶たない。

 四方から舐められるような視線に耐え切れなくなったスーンが苦手意識を表情に滲ますと、選抜チームの纏め役ボスであるサミュエルが彼の隣に立ち、一部の視線を遮断してくれた。

「おい、スーン。そんなに気を張り詰めんな。周囲の視線が気になるのは分かるが、連中と手を取り合って仕事する訳じゃないんだ。この際、いっそのこと部外者の目は無視しろ。俺達は俺達の仕事に専念すりゃ良いんだ」

「は、はい。分かりました」

 低音のダンディボイスでアドバイスを送ると、サミュエルは平然と葉巻を取り出し口に銜えた。それを見たヴェラが「サムさん?」と当人を愛称で呼び、ニコリとほほ笑む。

 そこから先は何も言わないが、彼女の視線に込められた思惑を察知したサミュエルは葉巻を口から離し、ヴェラのほうへ振り向く。

「そう目敏く反応すんなって。良いか? 俺にとっちゃ葉巻はトレードマークなんだ。これがあってこそ、俺は俺なんだ。例えば星の入っていないアメリカ国旗がアメリカ国旗と呼べるか? つまりは、そういう事だ」

「アタシはサムの奥さんから旦那が禁煙しているって聞いたんですけど?」

 世間話でもするかのようにヴェラがサミュエルの嫁から聞いた話を持ち出した途端、快晴だった彼の表情に困惑の暗雲が漂い始めた。

「……お前、何時から俺のカミさんと仲良くなったんだ?」

「最近ですね。と言っても、一年近く前ですけど」

「やれやれ、俺の憩いの場は家や会社、日本にも無いのかよ。世知辛い世の中になっちまったもんだぜ」

「奥さんはサムの体を気遣っているんですよ。肺ガンになったら困るでしょう?」

「そりゃ有り難いね。この仕事が終わって家に帰ったら、嫁さんに命を救ってくれて有難うって言っておくよ」

「サービスして服の一着でも買ってあげたら、もっと喜ぶかもしれませんよ?」

「いいや、愛情を物で表現するのは無粋なヤツのやる事だ。俺はスマートに言葉のみで表現してやるぜ。ベッドの中でな」

 そう言ってサミュエルは葉巻を腰につけていたポーチの中へ丁寧に仕舞い込み、肩を竦めて降参を表明した。陽気な黒人というフレーズが似合いそうな明るい笑みを絶やさなかったが、彼に背負われている哀愁さが何とも言えない物悲しさを謳っており、傍にいたオリヴァーは内心で「ご愁傷様」と呟いた。

 彼との遣り取りを終えてヴェラが視線を前へ戻そうとした矢先、彼女の隣を数台のカーゴトラックが走り抜けていく。通り過ぎ様に剥き出しの荷台へ視線を遣ると、銃を持った兵士を満載しているのが見えた。

 カーゴトラックの群れはヴェラ達に見送られながら、彼方も見通せないユグドラシルの大森林に入っていく。その光景はさながら底の見えない深淵のような暗闇が支配する魔の森に自ら進んで飲み込まれていくかのようだ。

「あれが例の先発隊ですか?」

「ああ、Gエナジーとユグドラシルの扱いに長けている俺達の身に何かあったら大変だからな。先ずは彼等が安全を確保してから、俺達が後に続くという形を取った訳だ。まぁ、何も無いと思うが念の為というヤツだ」

「だったら良いんですけど……」

 暴走したユグドラシルも五年経った今では落ち着きを取り戻しており、数年前に起こった災厄のグリーンデイみたく最悪の事態は起こらないだろう。しかし、それでもヴェラの胸中は穏やかじゃなかった。寧ろ、安心とは正反対の不安が岩下に潜む蟲達のように蠢き、騒めき合っていた。


 彼女の今までの経験からして、こういう時に覚える胸のざわつきは十中八九的中するのだ――――で。



 罅割れたアスファルトの上に溜まった砂埃を巻き上げながら、カーゴトラックはユグドラシルの森の中を進んでいく。何処を走っても無造作に立ち並ぶユグドラシルが兵士達を見下ろし、そこから無作為に伸びた木枝が折重なって生まれた夜をも凌ぐ冷たい常闇が彼等の行く手に待ち構えていた。

 トラックの強力なライトを付けて走行しても薄暗く感じ、おかげで慎重にならざるを得ず、速度は40キロにも満たない。亀甲状に割れた樹皮の割れ目から漏れ出ている薄緑色の蛍光色――Gエナジーの元である樹液の輝き――が一定間隔で脈打ち、それが微かに道を照らしてくれているのがせめてもの救いだ。

 しかし、彼等が走っている場所は東京と呼ばれた日本の首都の一端だ。既に日本の高度経済成長を裏付ける高層ビルや、高名な建築家が作ったであろう独特な作りを成した建築物が一同を出迎えてくれていた。

 但し、その全てが無残且つ悲惨な傷跡を残した過去の遺物と成り果てていた。ユグドラシルの大木が波打つように建物一つを貫通し、元あった原型を大きく変貌させてしまっているものもあれば、複数のユグドラシルが同時に生えたのか根元から崩壊している建物すらある。

 五年前の大災厄の傷跡が癒される事もなく不変のまま残り続け、しかも大災厄を象徴するユグドラシルの間を通り抜けるという自分達の状況に、心身共に鍛え上げられた兵士達も流石に肝が重く感じた。

 ハンスもその一人だ。比較的に若者の部類に入る彼は、今回の任務を聞いた時「ちょっとした肝試しみたいなものだ」と軽く受け止めていたが、日本に入った途端にその考えが甘かった事を痛感させられた。亡国に渦巻く得体の知れない空気と不気味なまでの静寂さを前にして、肺の奥底に大量の土砂が流れ込んだかのような重い不安と緊張が溜まりつつあった。

 そして森に入って二キロ程走ったところで車が止まった。兵士達一同が運転席と通じるリアガラスに目を遣れば、運転していた兵士が窓を開けて厳つい横顔を覗かせた。

「残念だが、ここで限界だ。ここから先は木が多すぎてトラックが入り切らない」

「一番隊! 車から降りて安全の確保を急げ! こいつはピクニックじゃないんだぞ! 気を引き締めて行け!」

 隊長の激が飛び出すのと同時に、兵士達は急いでタラップを駆け下りて車の前で陣形を組んだ。目の前には五年経ても樹勢が衰えるどころか、朽ち果てる気配の見せないユグドラシルの大軍が分厚い鉄格子のように道を遮っていた。成程、これではトラックも通れない訳だ。

 陣形を組んだ兵士達は互いにフォローを入れられるよう適度な間隔を空けながら、森の中を慎重に進んでいく。何処を見渡しても建物の残骸と同じ木ばかりしか見えず、正直に言うと殺風景を通り越して飽き飽きする光景しか見当たらない。

(安全の確保と言われても、一体どんな危険があるんだよ? もうこの国は滅んだんだ。強いて言えば野生動物ぐらい―――)

 そう思い掛けて、ハンスはふと気付いた。彼の故郷の傍には広大な森があり、そこでは動物達の鳴き声や鳥の囀りが豊かな自然の賛美歌を奏でていた。だが、このユグドラシルの森にはそういった美しい歌声が一切無い。あるのは風で揺らぐ木枝の物悲しい騒音だけで、あとは耳が痛くなる程の恐ろしい静寂が広がっているだけだ。

(人間が居なくなるのならまだしも、動物の気配すら無いだと?)

 もしかしたら自分達は想像をとんでもない場所に足を踏み込んでいるのではないのか……それに気付くのと同時にハンスは怖じ気付いた。

 もしかしたら自分の考えは行き過ぎた臆病なのかもしれないが、それでも隊長に自分の抱いた危惧を伝えようと振り返ろうとした。

 その時だった。天辺からガサガサと木枝を揺らす音が降ってきたのは。

 ハンスは開き掛けた口を食い縛るように閉じ、瞬時に頭上へ銃口と顔を向けた。他の隊員達は天を見上げるだけで、銃は地面に向けたままだ。隊内で唯一違う行動を取ったハンスに自然と全員の視線が集まり、やがて一同はニヤニヤと意地汚い笑みを口元に張り付けた。

「おい、ハンス。気合を入れ過ぎだぞ。ちったぁ肩の力を抜けよ」

「もしかしてビビっちまったか? まっ、こんな不気味な森の中じゃ震え上がるのも当然だよな」

「もし不安だったら、今晩一緒に寝てやろうか?」

 仲間達は口々に冗談交じりの嘲笑を零したが、彼等の意見を聞いてもハンスは依然として銃口を下げず、必死の形相を浮かべたまま目だけを仲間の方へ向け遣った。

「おかしいと思わないか?」

「おかしいって……何がだ?」

「この場所がだよ! 動物の気配すらしないのに……! 今の音は何だ!? 明らかにおかしいだろう!」

「おいおいおい、マジで落ち着けって。そう神経を尖らせてちゃ、普通のものだって変に見えたり、おかしいと違和感を覚えちまうぞ? それと野生の動物には気配を消す術を覚えているヤツも居るんだ。つまりだ、全部お前の取り越し苦労ってヤツだ」

「そうそう、どうせ木の上に居るのは猿だろ。日本には猿が居るって聞くからな。まだ生き残りが居たとしても、何らおかしくはない。もしそれでも心配だって言うんなら、手っ取り早く確かめようぜ」

 最後の台詞を言った隊員の一人が銃口を天へと向けて構えるのを見て、ハンスは制止の意味を込めて目を見開かせ、隊長は叱責の意味を込めて目元を鋭く尖らせる。しかし、本人は「一発だけさ」と気楽に言って、二人が言葉を放つ前に引き金を絞った。

 一発の乾いた銃声が翁鬱とした森の中で何度も木霊し、やがて途絶えた。そして無音に等しい静寂だけが居座り続け、銃弾を放った兵士は満足そうにハンスの方へ振り向いた。

「ほらな、何事も無いだろ? お前の気にし過ぎ―――」

 そう言い掛けた矢先、突如四方からザザザザザザッと無秩序な大軍が草木を掻き分けて押し寄せるかのような足音が森中に響き渡った。音が反響し合っているせいで音源が何処からなのか分からず、誰もが頻りに視線を辺りに巡らしている。が、それでも音の正体は一向に姿を現さない。

「何だ、これは!?」

「くそ! 何処から聞こえてくるんだ!?」

「全員! 一旦撤収するんだ!!」

 隊長もこの状況に嫌な予感を察知し、隊員に撤退命令を下した。この命令に反対する者は居らず、全員がトラックの方へ駆け出していく。

 状況を顧みれば正しい判断ではあろうがしかし、撤退に移るには余りにも遅過ぎた。駆け出した直後に大の男の野太い悲鳴が聞こえ、ハンスが振り返ると銃弾を天に向かって撃ち込んだ仲間が倒れていた。だが、彼が注視したのは倒れた仲間ではなく、その仲間の背中に覆い被さっている生物だった。

 姿形こそ小柄な人間に近いものの、不気味さを強調する蛍光色の光を発する黄色い眼球や、体全身を覆う固い樹皮のような皮膚など、明らかに地球上に存在する生物に当て嵌まらない特徴ばかりだ。既にハンスの脳裏では、目の前の生物に対して『化物モンスター』という名称すら付けてしまっていた。それほどにまでソレは異形だった。

「た、助け―――」

 倒れた兵士が口を開き掛けて声を――もしくは悲鳴を――上げるのもままならず、まるで果実の実を刈り取るかのように、化物は兵士の首を捥ぎ取った。

 首の筋肉繊維と皮膚組織が音にし難い悲鳴を上げて引き千切れ、骨髄に収まった神経系の集合体は鈍い音を立てて破壊される。胴体と離れ離れになった兵士の頭は、驚愕に満ちた感情を表情に固定したまま地面に転がり落ちる。

 その光景にハンスのみならず、共に逃げる何人かから吐き気を催した呻き声が聞こえてきたが、当人は目を反らさず、死んだ仲間の背後に跨っているソレに視線を凝らし続けた。

 化物は死んだ仲間の死体を布人形のように引き千切っていたが、やがて千切れる部位が無くなるとハンス達の方へ黄色い目を向けた。

「に、逃げろ!! 逃げろぉ!!」

「く、来るなぁぁぁ!! うわああああああ!!」

 激しい銃撃音の雨と、雷鳴のような人の悲鳴、そして木々の隙間を駆け抜ける化物達の足音という悍ましい地獄の三重奏が響き渡る。それを聞きながらハンスは改めて、自分の認識が正しかったと実感した。

「み、皆に伝えないと!! 危険だ! ここは……日本は―――!」

 仲間に伝える台詞を忘れぬよう口走りながら後ろへ振り返ると、自分に向かって飛び掛かる数匹の化物達の姿が彼自身の瞳に映し出された。

 そして化物達は彼の頭目掛けて、鋭く折れた木枝のような爪を容赦なく振り下ろした。それがハンスの見た最期の光景であった。


 やがて逃亡者達が化物達の手によって等しい最期を遂げると、ユグドラシルの住人達は兵士達がやって来た方角へ足を向けて進み始めた。


 幕が開ける。亡国の地で、緑の悪魔が牙を剥く。


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用語解説

『グリーンエナジー(通称Gエナジー)』

「ユグドラシルから抽出されるエネルギー資源。資源の枯渇した世界において救世主に等しい存在となっており、主産国である日本が滅びた後もGエナジーは貴重な資源として重用されている。

 車のガソリンから電気に至るまで、多種多様に及ぶ資源の代役をこなしており、それによって日本に莫大な富を齎した。富を独占していた日本が滅びた後は、その富を巡って各国の醜い争いが水面下で繰り広げられている」

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