オバサンが僕にくれたもの
@tsuki-yomi
第1話
就職活動は散々だった。
一応、一流私大と言われる大学に通っていたのだが、厳しい買い手市場の中、百社以上受けてなんとか引っ掛かったのは二社のみ。どちらもとりたてて行きたい会社ではなかったが、就職浪人になったところで、来年は一社も受からないという可能性も否定できない。ずいぶん悩んだ末、女の子にウケがよさそうなアパレル系のM社を選んだ。
アパレルと聞くとオシャレで華のあるイメージだが、入ってみると実態はまるで違った世界だった。一応アパレル業界の名誉のために言っておくが、たぶんこの印象はM社特有のものだと思う。たぶん。
M社の経営は、ワンマン社長とかんしゃく持ちの専務という、泥臭くて理屈の通じない兄弟が牛耳っていて、「体育会系で活気がある」と説明があった社風は、「ガサツで人使いが荒い」の超訳だったのだ、と入社したその日に気づくありさまだった。現実は予想よりキツいということはわかっていたつもりだったが、それを上回るギャップに、ただ慄くしかなかった。
絶望とあきらめの新人研修が終わり、僕が正式に配属されたのは、営業部通信販売課だった。
配属初日に用意された席に着くと、
「よろしくお願いしますね」
と挨拶してきたのは、隣の席に座るパートのオバサン。四十代半ばくらいだろうか。
一見普通のオバサンに見える彼女だが、メンタルが強いのか、年齢からくるゆとりなのか、ピリピリとした営業部室の空気などどこ吹く風で、ひとりマイペースな雰囲気をかもし出していた。そしてほかの社員が社長や専務から名字を呼び捨てにされる中、パートなのに、いや、パートだからなのか、なぜか唯一「さん」付けで呼ばれている。
オバサンは普段、必要最低限のことしかしゃべらない。かといって冷たいわけでもなく、僕がこき使われて昼ごはんも食べられなかった日には、こっそりパンやおまんじゅうをくれたりした。
そんなオバサンのパソコンの画面には、時々クロスワードパズルらしきものや間違い探しゲームらしきものが映し出されていることがあった。「らしきもの」というのは、オバサンは耳の横あたりにでも目があるのかと思うくらい、僕が見た瞬間にサッと画面を変えてしまうので、ちゃんと確認できたためしがないのだ。
絶対に尻尾をつかませないが、オバサンが仕事をしているふりをして時々サボっているのは、たぶん間違いないだろう。でも、だからといって仕事をしていないわけではなく、むしろ人の二~三倍は事務作業をこなしていた。
取引先から売り上げデータがメールで送られてくると、五分以内には画像つきのわかりやすい表にアレンジして部内や役員に一斉送信されるし、月末の売り上げ明細表も、経理担当者よりも早く正確に作成し、会議に間に合わせる。もし経理との相違があれば、間違えているのは必ず経理のほうだった。
それなのにとっとと定時きっかりに帰っていくのだから、オバサンが本気になったら、この課の仕事はすべてオバサンひとりでまわしていけるのではないだろうか。
でも、オバサンはこんなにデキる人なのに、どうして正社員ではなくパートなのだろう? 不思議に思って訊いてみた。
「どうしてって、あなたたち社員のお給料を時給に換算したことある? 私の時給の半分にも満たないわよ」
「えっ、そうなんですか?」
「営業部だからって、残業手当もつかないしね。それに時給でもらうと、会社は人件費を抑えたいから、定時に帰ってもらいたがるでしょ? まさにウィンウィンの関係ってやつね」
ううむ、確かに。オバサンは仕事がデキるだけあって、計算も得意なのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます