小法師

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「白勒殿が!? 仕事をしたのか?」

 桐辰はやや仰け反り、それから前に体を乗り出した。

「本当に?」

 疑う桐辰に同意するかのように将寿もうんうんと頷く。

「ですよね。まずそこなんですよ。あの飲んだくれが云十年前にはまともな坊主だったことに驚くんだ。けど、白勒の慕われ方を見れば納得でしょ? 旦那だって鎌鼬の件で真っ先にあの人の所に足を運んで、怪異でないか意見を仰いだ。そうやって白勒を頼る者が少なからずいる。なのに当の白勒ときたら、『鵺』の一件以来あの様らしい。迷惑なのかありがたいことなのか、依頼人達はあの人の認めた紹介状を提げてアタシの所にやってくるのさ。おかげでアタシはあの人の弟子扱いでさぁ」

「何か、あったのか? その『鵺』を封じた時に」

 鵺が鳴けばそれは凶兆だという。黒雲とともに災いを呼ぶのだと、平安の世の貴族達は彼の獣が鳴いた日には物忌みの為に屋敷に引きこもった。

 大坂と京といった西にその亡骸を葬った塚があるという話は知っているが、栄戸にそういった話があると聞いたことはない。少なくともこの五十年の間に鵺が出たということは記録にないことだ。


 ましてや、白勒が封印を施したなど聞いてもいない。


 桐辰が出会った頃から彼は人として尊敬できる人物ではあった。だが、坊さんらしいところなど毎朝『一応』読経をする事くらいで、それ以外は酒と女にうつつを抜かすばかり。

 とても、羅刹をも退した当代一の祓屋の面影など見つけることはできなかった。



 ――『鵺』が……白勒を『天狗』から『人』にした。



「さぁね。アタシだって、あの人に拾われたのは十年と少し前のことでさぁ。ついこの間八年振りに会ったんでぇ、旦那と付き合いの長さはかわりやせんぜ。旦那と同じで、アタシも詳しいことは知らないんですよ。まぁ、少なからず何か思うところがあって祓い屋家業から手ぇ引いて、真っ当じゃない坊主に転身したんでしょうけど」

「そうなるよな」

「そうなります」

 将寿は首肯する。

「で、話を戻しますが……」

 将寿は神妙に俯く桐辰の鼻先に樒の枝先を突き付けた。油断していた桐辰は鼻の曲がるような甘い香りに驚いて仰け反る。すると、将寿がそれを見て、無表情のまま鼻で笑った。

「今回の件、羅刹は関係ないと考えていいですよ」

「根拠は?」

「この栄戸に人喰いの羅刹はたった三人だけだったのさ。一人はお花兄さんであの人は嫁さんの血しか口にしない。で、もう一人は旦那の母君を食らった羅刹だが、すでに退されて存在自体がない。最後の一人は傀儡師くぐつし菖蒲あやめ。奴はアタシが喰いました。だから、です」

「色々と聞きたいのを後に回すが……その三人以外がいるとしたら?」

「いないね。断言してもいい。彼らの祖に当たる鬼がもっとも嫌うのが、血の穢れを受けてその誇りでもある角を黒く染める行為。つまり、羅刹でいうところの色素の欠乏症に陥ることなんでさぁ。彼らは、もしも、黒く染まった者がいれば同族狩りも厭わない。羅刹ってぇのは人には想像ができないほどに情に篤い一族なんです……と、同族に殺されかけた兄さんから聞きやしたんでぇ」

 「それに」と将寿はまた、樒の枝を振った。

「羅刹じゃない根拠は他にもありやす」

「他?」

「猿と言ったのは旦那でしょうが。歯形に合う顎を持った獣。大型の類人猿。そして、荒らされた封印塚。もうお分かりでしょ?」

「分からん」

 と言えば、将寿に呆れた顔をされた。

「妖の鵺は顔が『猿』で体が『虎』、そして、尾が『蛇』の生き物です。それを封印した塚が崩れていたのであれば、放たれた鵺が様子を見に来た塚守を襲ったとみるのが自然でしょう」

 そうだ。それが自然である。

 しかし、桐辰は狼が鳴いていたことがどうしても気になった。

「狼が鳴いていた。お前も聞いたのだろう?」

 山で鳴いていたのではない。至極近くの山裾か町のすぐ側で。普段、栄戸で野犬が鳴くのを聞くことがあっても、狼の声など聞かない。そもそも、彼らが山を下ることなど滅多とない。

 それが聞こえた。その夜に、塚守は殺された。

「無関係だと考えられない」

 桐辰の言葉に将寿は僅かに眉をひそめた。

「鵺は虎鶫に似た声で鳴き、黒雲をつれてやってくる。黒雲―つまり、雷雲―に乗ることから正体は雷獣だとも言われる獣。その真はその姿を見た者ですらあやふや……目撃者達のその証言に一貫性がない。正体不明こそ鵺の恐ろしさと言えましょう。だから、と言っては変でしょうが、鵺のことについてアタシも他の妖ほど詳しくはない。狼も無関係ではないと考えていいでしょうね」

 将寿は眉間に筋を作る。

「アタシは所詮、悪所の用心棒風情。妖という者がどういう者かを知っていても、祓い屋家業を生業にしてる者ほどモノを知らない。祓うと言っても、自分のために『喰う』というのが大きい。だから、旦那がアタシでなくて白勒を頼ったのは正解でした。が、肝心の本人がいないとなるとねぇ……」

「どこへ向かったか聞いてないのか?」

「ええ。ただ、二・三日の間出るので寺を頼むとだけ。それも、今朝方早く――空も白む前に鬼灯楼まで血相変えて来たんでさぁ。アタシもこりゃあ急ぎの大事と留守番役を引き受けたんですが……そういえば、山がどうのと言っていた気がするねぇ」

「塚守が襲われて時を置かずにか」


 『山』に『狼』に山神『鵺』。

 そして、白勒。


 正体不明こそ鵺そのもの。猿であり、虎であり、蛇でもあり、雷獣だとも言われる獣。そして、山神として祀られていた。

 幼い頃を山で過ごし、子天狗と呼ばれていたという白勒。

 二つを繋ぐモノは『山』であり、今、白勒はその山へと向かった可能性が高い。

「どこの山に行ったかは判らないよな……」

高尾山たかおさんに行くって出ていかれましたよぉ」

「高ぉ……――おぉ!? や、柳瀬!?」

 桐辰は後ろを振り返って目を見開いた。

 そこにいたのは猫のようなつり上がった大きな目をした青年・柳瀬。青年とは言っても、見た目は元服前の童子の様に小柄で、顔もその目方通りに幼くあった。しかし、彼は柳町奉行所の同心であり、れっきとした侍である。

 それがどうしてかまるで小坊主然として真っ白な袍に墨染の袴を履いていた。手には刀ではなくはたきを持って。

「お前、しばらく栄戸を離れるんじゃなかったのか?」

 鎌鼬の一件の一部始終を桐辰は柳瀬に伝えていた。自分が妖に憑かれていたことも、その為に五人の殺害を行ったことも理解している。

 彼はしばらく頭を整理したいと、栄戸を離れると桐辰には伝えていた。

「柳瀬の旦那、ここの寺まできて腹切ろうとしたそうですぜ」

「はぁ!? あ……や、柳瀬?」

 桐辰の問いに簗瀬は頭をかいて苦笑した。小さな体は丸まってさらに小さくなる。逸らされた視線は桐辰の左膝頭を掠めていた。

「妖に憑かれていたとは言え、ちっぽけな自尊心のために、嫉妬に駆られて五人も殺したことは事実。先輩にも迷惑かけておきながらのうのうと同心なんて続けられる訳ないじゃないっすか。正当に裁かれれば、打ち首の上に晒し首は免れない。だからと言って、勝手に腹を切って死んでいいってものじゃないことくらい解ってます。でも、下手人を裁く側の同心が人を殺めてるようじゃあ、お奉行様の顔に泥を塗りかねないと思って……」

「それでここへ来たはいいが、白勒の奴に説教食らって小坊主紛いにこき使われているらしいですぜ。アタシはその見張りもかねて。また、この人が腹を切るなんて言い出さないように」

「せめて供養と心の穢れを落としてから死ねと言われたっす」

 白勒の言いそうな事だ。

「そうか……で、白勒殿は高尾に行くと言ったのか?」

「はい」

 高尾山と言えば猩々しょうじょうを頭とする狒々ひひの治めるという霊峰だ。栄戸とも近く修験者達の霊場ともなっている。

「目的は聞いてないよな?」

田彦たひこさんって昔の知人に会いに行くって言ってましたね。あと、何かを止めなきゃとか、話しておくべきだった……とか? 兎に角、夜中にいきなり山へ登る支度を整えて、出ていかれたっす」

 それを聞いた将寿が樒を回す手を止めた。


猿田彦さるたひこだ」


 桐辰は首を傾げた。

 顔をつき合わせた二人の間で柳瀬は一人合点と手を叩く。

「高尾の大猩々かぁ!」

「高尾といやぁ、白勒が坊主になる前に住んでた山です。田彦というのはおそらくその大猩々の猿田彦のことでしょうね。そうか。だから、狼の声を聞いて飛び出したんだね」

「ユキ君が言うとおりに猿田彦の所へ行ったのなら、今回の件が絡んでくるんすかねぇ。昔馴染みが人を手に掛けたとしたら、放っておけないですもんね」

 一人、話についていけなくなった桐辰が二人を止める。

「待て。つまり、下手人は狼でなければ羅刹でも鵺でもなく、その猩々だと言うのか?」

 また、狼の声だけが取り残された。

 しかし、二人の言い方では鳴いたのが『狼』だった事が猩々へと繋がる糸となったように聞こえる。

「ええ。山神である狒々の一族はアタシ達みたいな人と同じ外見をしているが、肌は猿のように赤みを帯びている。故に天狗と言われることもしばしばあるそうで。その声は狼のもの。その昔、頭の猩々を『鵺』と呼んでいたとも聞いています」


 千切れていた糸が繋がったようだ。

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