首愛づる

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 評判も器量もいい義娘むすめだったと、殺された女の姑は語った。夫婦仲もよく、けっして人に恨まれるような娘ではなかったと。

 間違っても首をはねられて最期を迎えるような人間ではなかった。年老いた頃、愛する人に看取られて逝く将来があったはずだった。

 けれど、そんな娘の遺体は首から下だけになり、無惨に打ち捨てられ野犬に貪られてボロボロ。破れた着物の柄で身元を確認できたのが幸いだったほどだ。


 またもや、首だけがなくなっていて見つかっていない。


「どちらの被害者も佳人として有名。そして、首を見事に一太刀に斬られて死んでいた。だが、その首は見つかっていない…………ですか」

 茶屋の店先でみたらし団子を啄みながら貰った資料をめくる。

 実際の仏の様子は見れていないが、記録画でも十分にその悲惨さが見て取れた。特に、二件目に至っては、記録画ですら見ているのが辛くなるほどだった。

「旦那、この町で一番の佳人て言やあ、誰だと思います?」

 桐辰は首をひねった。

 殺された二人の娘も十分に美しかったと思う。二人とも、二人して町一番と声が挙がる程だ、そりゃあ美しいに決まっている。


 しかし……。


「俺から見ると輝凰殿とお前が一番に相応しい様に思う」


おだてても何も嬉かないですよ。でも、輝凰姉さんがそれに相応しいことは確かだ。アタシから見てもあの人以上にいい女にゃ会ったことがない。でも、最後はきっとぼたん姉さんを狙って来るでしょう」

 将寿は言い切った。言い切ったからにはそれなりに根拠があるのだろと聞いてみれば、彼は一つ頷いた。

「昨日、旦那が帰ったあとに大門の脇に置かれていた芍薬を見つけたんです。二本。殺された娘も二人。一人殺すごとに一つと考えるのが妥当でしょう。は風華兄さんとの約束を恐ろしい形で完成させようとしているんです」

「約束?」

「兄さんの顔、今じゃあすっかり薄くなっちまって判りゃしないが、真っ赤な芍薬の花弁みてぇな痣があったんです。遊廓ではただでさえ役に立たない男だというのに外見もあの通りで、皆に邪険にされていた。そんな兄さんを偏見なしに見てくれていたのが奉公先の妓楼のお嬢さん二人だったそうです。姉の方が佳人として有名で、兄さんと恋仲だったと聞いています。なんでも、兄さんの痣が気にならないようにと顔を焼いちまうくらいに惚れ込んでいたらしい。でも、その妹の方も姉と同じように兄さんを慕っていたんですよ」

 桐辰は団子の串を眺めながら話す将寿を慌てて止める。

「ちょっと待て。何の話だ」

 事態が飲み込めず一旦話を説明し直して貰おうと話を割ったが、将寿は言葉を紡ぐことをやめようとはしなかった。

「――妹は姉の様に彼のために顔を焼くことはできないし、風華兄さんが姉を深く愛していることを知っていた。知っていたから、妹は兄さんに頼んだ。『小野小町の百夜通いを自分もするから、それを成し遂げたときには姉ではなく自分を見てくれ』とね。その夜から彼女は九十七夜かけて芍薬の花を兄さんに持っていった。でも、残り三日という時に強姦に襲われて慰み物にされて亡くなったそうです」

 将寿は持っていた団子を口に入れてしばらく黙り込んだ。桐辰のことなど見えていない。こういう時、話しかけたところで答えは返ってこない。短い付き合いだが、だんだんとそういうことを理解してきた。


 なので、桐辰も自分なりに推察する。


 つまり、犯人はその無念に終わった百夜通いの続きをしていた。一夜ずつ芍薬を贈るのではなく、一人殺すごとに一つ。

 しかし、彼が大坂にいたのは七・八十年前の話だという。当時を知る者が変わらずに若いままということはまずないとして、百夜通いをしていた当の本人は既に亡くなっている。



 ――妖怪。




 将寿は確かにそう言った。

 『妖』ではなくて『妖怪』だと。妖怪は人が生み出すもので、人が彼らに形を与えている。

 ならば、答えは一つ。その妹の強い思いが形となり、二人の被害者を殺害した。だからこそ、彼は動いた。


(しかし、奥方は大丈夫なのだろうか?)


 佳人であった姉を恨み同じく美しい娘を狙ったことは簡単に推察できる。が、好いた男を奪った人間が一番憎いのではないだろうか?

「あのちんちくりん娘なら大丈夫だろうね」

「は?」

 どうやら声に出ていたらしい。

 それにしても、『ちんちくりん』というのは……?

「面食いの兄さんが選んだのはあろう事か、男と偽り奉行所の羅刹改方らせつあらためがたに潜り込んでた小娘。あの夫婦は関係を知らない者が端から見ただけじゃあ、それとは判んないでしょうね」

「……寛三かんぞうか」

 本当は『萱草』と書くのが正しい。

 柳瀬に負けず劣らず小柄な少年が奉行所に一人いる。女であろうことは仕草や行動から明か。最早、隠していると思っているのは本人だけで周知の事実なのだが、お奉行が何も言わないので触れないでいた。


 それはそうと、まさか、彼女の敵とも呼べる羅刹に嫁いでいたとは驚きだ。桐辰も何度、擦れ違い様に斬られかけたことかわからない。

「余程、並んでいる姿なんかじゃ、ぼたん姉さんの方がそう見えちまうでしょ? それに、姉さんの素顔を見せてもらったことがありますが、あれもあれで『色々』といい女です」

 『色々』の部分は是非とも聞きたくない。

「ぼたん殿は大丈夫なのか?」

「姉さんこそ平気なんでさぁ。だから、酒と交換に今夜、囮になって欲しいと頼んでおきました。殊、酒が絡むと急に安くなる人間ってのは扱いやすくていいもんさ。白勒しかり、ね」

 将寿は不適に笑う。

 ひょいと、軽く反動をつけて立ち上がれば、白地に白い菊の刺繍の入った質素だがどこか大胆な振り袖を翻す。裾や袖口から覗く朱い襦袢がまた粋だ。柳腰に福良雀に結んだ帯。振り返った姿など、年頃の娘にしか見えない。

 その長身を除いて。

「何です? そんな残念そうな目でアタシを見ないでくださいな」

「残念な男だと思っていたのだから仕方がない」

「あら。アタシは脱いだらすごいんですから、今度ご覧になりますか?」

 気にはなるが、絶対に見たくない。

 桐辰は全力で首を横に振った。首が痛くなってきた頃、聞いておきたかったことを思い出し、彼に向き直る。

「なぁ、ユキ」

「何だい、旦那」

 茶屋の娘を口説こうとしていた将寿は不服そうに桐辰の隣へと戻ってきた。すかさず、団子を追加する。

「お前はどこで剣技を習ったんだ?」

「その情報、欲しいですか? どうせ聞くならもっと踏み込んだとこを聞けばいいのに」

「そうすれば、とってつけたような笑みだけ残してしばらく口を利かなくなるだろ」

 そのくらいは判るようになってきた。

 図星だったのか将寿は肩をすくめて苦笑する。

「見世物小屋にいた頃に、義兄あにに仕込まれたのさ。芸がなければ食っていけない世界でしたからね。何せアタシも旦那に負けず劣らずの世間知らずだったんだ。客の取り方、口説き方から舞に芝居と胡散臭い商売のいろは。裏で生きていく為の術は全てその人から教わりました。剣もその一つ。その剣でアタシは――」

「――ユキ?」

「えっと……アタシは、今も食っていけている。全くありがたくない話です」

 将寿は追加した団子を口に運ぶ。

「なら、もっとその腕を生かそうとは思わないか?」

「幕府の犬になれってかい? そんなの、真っ平御免さ。生かしちゃならねぇ力ってのもあるのさ。『私』の力は人を殺す。旦那はアタシを人殺しにしたいのかい」

「風華殿の言った『覇兎』とやらと関係があるのなら、俺はこれ以上何も言わない」

 将寿は微笑んだ。

「いえ、ここまで来たらいい機会ですし話しちまいやしょう……アタシの家はちょっとばかし有名な神社でねぇ、代々二柱の妖神――蛇と兎を継承してきた憑き物筋の家系です。『覇兎』とはアタシに憑いた兎の名。遙か昔、平安の世にはうしとらの鬼をも喰らったと言われる妖神。アタシが食いもん与えてりゃあ何もしないが、本来は人を喰らう。それ故に人に封じられた化け物なんだよ。アタシが刀を振るえば振るうほど、こいつぁ本能を取り戻してくのさ。だから、アタシは今のまま、気ままに生きているのがちょうどいいんだ」

 笑顔の面。そんな言葉が相応しかった。

 いつも感情を表に出さない男だけれど、それでも少しは『何か』がそこにあった。それが、綺麗になくなった。まるで覆い隠されたかのように。



     *     *     *



 女は戦利品を頭上に掲げて口端を上げた。憎らしいほどに美しい顔だ。


 けれど、もう彼女は熱を持たない。


 化粧を施さなければ血の通わないその唇に色はなく、開かれた目がモノを見ることは二度とない。はたして、彼女は何を見ているのだろう? 常闇かそれとも地獄の秦公王か獄卒か。何であろうとこの世のモノではないだろう。


 嗚呼、なんて愉快なんでしょう。


 『姉』と同じく憎らしい顔だこと。

 あの女と同じように見れたものでない顔にしてやりたいと何度思ったことか。けれど、それでは勿体ない。こうして黙っていれば美しい華と同じ。老いることなく、永遠に若さと美しさを保ち続ける華。美しいものは須く愛らしい。

 嫌いなはずの整った顔をこの手に抱き愛でる。堪らなく甘美な瞬間。


 快感だわ。


 でもまだ足りない。まだ、靄がかかっている。あの人の大切な者を奪ってやらないと気が済まない。『牡丹』の首をあの人にあげなくては。丁寧に防腐処理をしてから、綺麗に化粧を施してやらなくては。

 『あの女』だけは特別。あの人の横で幸せそうに笑っている女。私のことなど忘れてしまって、一人だけ幸せに浸っているいる人など姉などではない。


 女は首を膝に下ろして、かつて大店の箱入り娘だった彼女の自慢の黒髪を櫛ですいた。

 すると、表の戸を誰かが叩いている音がして、慌てて首を空っぽの水瓶の中に仕舞って木の蓋を置く。

 「こんな夜更けに誰かしら」と、首を傾げる。それから、彼女は表へ出て行った。



「あら……牡丹さん」

 番傘を手に訪ねてきたのはぼたんだった。彼女は今日も座敷に呼ばれていたはず。しかし、もうとっくに夜見世も捌けていているのでこの場にいてもおかしくはなかった。ただ、彼女とは面識があっても親交はない。勿論、夜中に突然、部屋を訪ねてくるような仲でもない。

 彼女は相変わらずその顔は頭巾で隠していた。


「今晩は、菊乃きくのさん? 否――『のっぺらぼう』とお呼びした方がようおすか」

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