第2話 十で神童十五で才子、二十過ぎればフリーター

 十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人という故事成語にもある通り俺も昔は神童と言われる子供だったのだが二十過ぎて只の人どころか日本国憲法が保証してくれているからギリギリ人権を持っていられる程度の底辺無職になってしまい、日々の食事すらままならない状態である日ついにぶっ倒れたのだがそこに降臨したのが後の俺にとっての女神である澤田沙也加という女性である。

 彼女は駅前の書店で働く販売員で、身長は百六十二センチほど、体重目算五十数キロ、二ヶ月に一度染める栗色の髪を仕事中は後ろで縛っており、部屋にいるときや休日はそれがお団子になる。平日のポニーテールにコンタクト姿よりも休日のお団子と眼鏡の方が可愛いと個人的には思うのだが、きっと彼女にも何か理由があるのだろう。

 彼女の両手の爪は丁寧に砥がれた上でインテグレートの九十二番で透き通った桜色をしており、栄養不足で波打つ俺の爪と同じ物質だとは思えないほどに綺麗だ。

 倒れたところを助けられた俺はその場で彼女に一目惚れし、彼女の勤め先に何度も会いに行った。仕事中に邪魔をしてはならないので帰りを待って告白した。

 何度断られても、彼女が好きだった。

 彼女に何か返したくて、日雇いのアルバイトをしてはプレゼントを買った。彼女は気にしなくていいと言ったが、そんな奥ゆかしいところも女神のようだった。


 ところが最近、彼女の笑顔が陰るようになった。何かに怯えるようにきょろきょろと辺りを見回し、カーテンも常にぴったりと閉めたままになった。以前は寝る前にかけていたチェーンロックを、最近は帰ってすぐにかけるようになった。郵便受けは覗かなくなった。

 彼女は明らかに、何かを恐れていた。

 彼女が何かを恐れ、助けを求めているなら俺にとっては(こう言っても何だが)恩を返すチャンスのようなものだ。少しでも彼女の力になりたい。彼女の安心の源になりたい。その思いから見守りを強化した、その矢先のことだった。


「澤田さん」

 声をかけても、彼女はぴくりとも反応しなかった。刺されたお腹を抱えるようにして、血を流して地面に蹲っている。白いシャツが彼女自身の血でじわじわと赤く染まっていき、弱々しい喘鳴がアパートの階段に響いた。

 救急車。

 雷光のごとく突然脳裏に閃いた言葉に従って、スマートフォンを操作する。

「はい、一一九番です。火事ですか? 救急ですか?」

「救急です。人が刺されて、血が出ています」

「場所を教えてください。できるだけ詳細に」

「――県――市――区、――丁目――番の――号室です。急いでください」

「はい。すぐに向かいます。電話番号とお名前を」

 まだ何か喋っているオペレーターを無視して電話を切る。居ても立っても居られなかった。少しでも早く、犯人を探さなくてはならない。

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