episode 6
新葉八慈はこの短期間で私の世界を大きく変えていった。
そんな変化の中で一番驚いたのは。
「ここってさ、この答えで合ってるよな
これだ。新葉さんはいつの日か私の事を呼び捨てにするようになった。でもそれは、一応私に直接聞いて始めたこと。彼曰く、友達同士でさん付けするのは嫌いらしく、なお億劫だそうだ。だから私も新葉さんの事を呼び捨てにしろとのことだけれど、なかなかさん付けが抜けずにいる。これでも会話の時には出来る限り呼び捨てにしているのだけれど。慣れない所為か不自然さが際立つ。そう思うの私だけらしく、なぜか八慈は慊焉としていなかった。
「たぶんね。でも、私より新葉の方が頭いいじゃん。聴かなくてもわかるでしょ」
「それは入試までの事。入学しちゃえば、勉学の立ち位置はみんなと平等に同じなんだよ。勉強ができる奴はそこからどれだけ他人と差をつけるかによって変わるんだよ」
そうですか。と適当に流して私は自分のやっている問題を解き始める。
ある種、こういう反応ができるようになったのも新葉が呼び捨てと言い始めたのが遠因となっていたと思う。
心情と行動は常に平行なわけじゃない。彼とのこんな普通な会話にさえ私は浮足立つのだ。多分、彼に限った事じゃない。他のクラスメイトとの会話にも私は嬉しく思う。今までに無い体験をすると人は高揚感を抱くと思う。私にとって人と普通に話す日常がその初体験なのだ。いや、初体験というのは語弊がある。昔は普通に話せていたのに、途中からそれが出来なくなっただけで、別に人と話すのが初体験というわけではない。
そんな、非日常が少しずつ慣れ始め、日々が続いていった。
当番日誌を書くため私は放課後一人教室に残ることになった。こういう独りの時間は昔では日常だったのに、今となってはあまりその時間がない。彼の御蔭なんだけれど、たまには一人の時間を持ちたくなる。
教室の自分の席で日誌を書きながら、独りの時間を優雅に過ごす。この時、私は学校生活を送っているなと実感する。微かに夕日に代わってきた太陽の日が窓に差し込み教室を染めていく。
そんな中、そろそろ日誌が終わるなという時、後ろのドアが勢いよく開け放たれた。私は反射的に振り向くと息を切らした新葉がいた。
「どしたの?」
彼はものすごく息を切らしていた。まるで、持久走でもしてきたように呼吸を荒げて膝に手をついていた。服は肌蹴け、よく見ると社会の窓も開け放たれていた。部活のあと慌ててきた感を全身で表現していたようだった。
「よかった。はあ……はあ……。まだ、いた……はあ……」
彼は膝についていた手をはなし、体を起こすと数回深呼吸して荒れた息を整えた。
「偶然だな。一緒に帰らないか」
いやいや。無理在りすぎでしょ。既にさっき「良かったまだいた」って言っちゃってるし。ごまかせないよ。私は思わず吹いてしまった。心の中で突っ込んでるうちに自分でツボをつついてしまった。
「いいよ。ってか全然、偶然感ないよね? もう少し頑張る努力をしようよ」
「やっぱ無理があったな。ははは……」
私は残りの日誌を書き終え、片付けをし、帰りの支度を手短に済ませる。日誌を職員室へ届け昇降口へと新葉と一緒に向かう。今日の様な事は最近始まった事で、それは、必ず私がひとりの時に来るということ。
「最近よく帰りを誘うね。どうしたの?」
「だって、友達が寂しそうに一人でいるのを見たら一緒に居てやるのが友達じゃん! 人情だよ、人情」
彼曰く、私を誘うのは人情だそうだ。よくわからないのが正直な所。彼の考えていることは本当によくわからない。だから好きだ。私は彼のそう言う未知な存在感が好きなのだ。逸脱した、非日常を体現した風にも思っている。
「私は割と一人の方が好きだし、今日は特に一人の時間が充実してたんだけど、新葉の登場で逆に迷惑だった」
「やっぱ、雨江は冷めてるよな。言葉がいちいち冷たいよ」
「それは性格の問題だから、なかなか治るものじゃない」
「屁理屈だな」
「いいよ、屁理屈でも」
私は靴を履き、そそくさと学校の門を潜る。そのあとを新葉が走ってくる。最近こんな感じが続いていた。私はさりげなくこの状況を楽しんでいる。
彼と出会ってまだ三ヶ月しか経ってないけど、安心して話せるのは学校の中では彼だけだった。私の中では学校唯一の友達。だから自然と態度もそれに並行して変わっていく。友達が出来るのは新葉が二人目だからそう言う変化は少し慣れていたし、新葉とはいずれそうなるんじゃないかって少し思ってた。だって最初に私の友達になった人も新葉と同じで向こうから声をかけてきたし、私の暗い性格を知ってもずっと関わってきてくれた。だから新葉とこんな風になる事は少し予想もしていた。
そんな事を思いながら帰路に着く私に隣で歩く彼は唐突に質問してきた。
「雨江さあ、誕生日っていつ?」
「なんで」
優懼のまなざしで彼を見る
「いやあ、別に。特に理由はないんだけど。なんとなくかな。で、いつ?」
「なんとなくで個人情報を漏らすのはいや」
「硬すぎだよ雨江。もっと柔らかくなろうよー」
「かもしれないね」
そんなこと私自身思っていること。最近になって治したいなって思うようになったけれど、そう簡単には出来ないのが現実なわけで。
「おおっ? 素直だね。じゃあ誕生日おしえて? いつ? もう過ぎたりする」
「別に過ぎてないけど。気とか使って何かしようとか、やらなくていいからね」
「気なんか使ってないよ。ただ俺が何かしたいんだ。だから教えてくれよ。さっきから伸ばし過ぎだぞ」
彼は断固として曲げる気はなさそうだ。これ以上伸ばしても折れてくれないなと想い私は諦めて教えた。
「七月十二日です」
「がっつり梅雨時期だな。雨女だけに。なんつってー」
無神経の度合いが酷いと思うほどに、彼は笑いながら刺さるものに触れる。昔の私ならかなり気にしてしまうけれど、今の私には大して気にもならないものだった。しかし、こんな風に言われると少しイラってする。だから私は横を歩く彼をにらみつけてやる。でもそんな彼が急に慌てたように大声をあげた。
「てか、七月十二日って来週じゃん! もっと早く言ってよ。そんな短い期間じゃ全然準備できないじゃん。でもまだ過ぎていないことが幸いだけど。このあまりに短い時間で俺は雨江に最高の誕生日プレゼントをよういしてみせるよ。期待しとけよ」
優懼は的中した。呆れ呆れで私はそれに対応する。
「期待もしないし望んでもないから。だから、無駄な努力はしなくていいからね」
何時ものような笑顔で彼は反論する。
「いいや、努力しちゃうもんねー」
「好きにして」
「はあーい。好きにしまーす」
度々、本当にこの人が優等生で学年一の学力を持つ人なのかと疑いたくなる。いちいち言動がそれに似合わない阿呆なものばかりで稚拙だったりしていた。まあ、いて楽しいのは事実なんだけど。
隣で意気揚々とした態度で歩く彼を横目で見ながら、夕日の沈みかけた五月蠅い帰途に着く。
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