空いた穴は塞がらない




 私は今、秋の家でシャワーを浴びている。

 酔いも覚め始め、一時間前の自分を思い出す。

 恥ずかしすぎる、 死にたくなった。



 遡ること一時間

「沙生、帰ろう」

「んん」

 荷物を持ってきた秋は、完璧に潰れた私を支えながら、待たせていたタクシーに乗り込んだ。


「どちらまで行かれます?」

「〇〇市〇〇までお願いします」

「はい、分かりました」


 車内は冷房が効きすぎていて寒かった。

「大丈夫?」

 秋が心配したように、顔をのぞき込む。

 全く大丈夫ではなかった。

「大丈夫じゃなさそうだね、もたれていいよ」

 私の頭を秋が自分の肩にのせる。

 車の揺れと、秋の肩が眠気を最高潮にさせた。意識が現実からフワフワした世界へと切り替わる。


 ここまで飲んだのは久しぶりだった。

 懐かしい感覚に襲われる。

 いつだったか、一度だけ潰れるまで飲んだことがある。


 ゆっくりと思い出す。


 そうだ、友人の家に泊まって初めてお酒を飲んだ日のことだった。

 あの時、私は高校一年生だった。



 クラスで仲良くなった女子四人とお泊まり会をした。みんな少し真面目で、でもそんな自分たちに嫌気がさしていた、そんな人達の集まりだった。



 夜、友人の一人がお酒を買いに行こうと提案した。私たちはすぐに同意し、お酒を買いに行った。夜中のコンビニで籠いっぱいにお酒を詰め込む。


 明らかに未成年の私たちだったが、店員は籠の酒の量を見て、商品を戻すのが面倒くさくなったのだろう、普通に売ってくれた。

 どきどきしながら、近所の公園でお酒を飲んだ。


 今まで飲んだジュースとはどれとも似ていなくて、正直不味かった。

 こんなものを美味しいという大人の舌は、どうかしている。

 絶対ジュースの方が美味しい。



 これが美味しいと思うようになったら、私達もどうかした大人になるという事だろう。それなら大人になんてなりたくないなと思った。


 ずっと、甘いジュースを飲んでいたい。

 それなのに私は今、不味い酒を飲んでいた。本当に矛盾してる。


 友人達を見ると、みんな耳まで真っ赤だった。なんだかそれが無性に面白くて、涙を流して笑った。

 それを見た友人達も同じように笑う。


 気がついたら、大量にあった缶や瓶は空になっていて、私たちは公園で潰れ花壇に首を突っ込んでいた。

 人間からでる音とは思えない声が、両サイドから聞こえる。

 きっと、私も同じ声を出していたのだろう。

 朝、花壇は私たちの吐瀉物でいっぱいになっていた。



 公園で目を覚ました私たちは、その日の学校を体調不良で休んだ。あの日は最高に気持ち悪かったが、最高に気持ちがいい一日だった。



 懐かしいなあ、馬鹿なことをしたと思う。

 けれど凄く楽しかった。

 実際、バカなことを一緒にしてくれる仲間はそうそういない。


 ぐらっと、ふわふわした世界が崩れる。

 現実に戻された私は最悪の気分だった。どうやらタクシーが急ブレーキをかけたらしい。

「ちっ、危ねーじゃねーか!ごめんねお嬢さん達!大丈夫?」

「大丈夫ですよ」

 秋が返事をする。

 でも、私は大丈夫じゃなかった。


 やばい、気持ち悪い、吐く。


 急ブレーキが私の胃を刺激したみたいだった。

「あき…」

 ごめん。

「えっ?」

 それは一瞬だった。

 私の体の中に溜まったモノ達が一気に私から出ていく。それは秋を侵食していった。




 やってしまった。




 お風呂から上がると着替えた秋がいた。

「ドライヤーそれ使って」

「うん、ありがとう」

「じゃあ、あたしもお風呂入ってくるから」

「あの、秋、本当にごめん」

「お説教はお風呂上がってからね、あははははー」

 謎な笑いを残し、お風呂に行ってしまった。


 私のリバースしたものを、もろに食らった秋はそれでも優しく介抱してくれた。そして、そのまま秋の家に連れられ、お風呂と寝間着を借りた。


 秋の家につく頃には、私の酔いは大分マシになっていた。

 多分、全部吐いたからだと思うけれど。


 私は何をやっているのだろう。

 はぁーと、膝に顔を埋める。そうすると、服から甘い匂いがした。くんくんと嗅いでみる。


 「秋の匂いだ」


 なんかやってる事変態みたいだな。


 嗅ぐのを止めてドライヤーで頭を乾かす。

 時計を見ると、終電がぎりぎり残っている時間だった。


 帰ろう、と思った。


 これ以上迷惑かけるわけにはいかない。

 髪はまだ半乾きだったが、気にせず帰る支度をする。


「え、なに?帰るの?」

 風呂からあがった秋に後ろから声をかけられ、イタズラが見つかった子供のような気分になる。


「うん」

「なんで?門限とかあるの?」

「いや、ないけど、迷惑かなって」

「今更何言ってんの、それにこの通り一人暮らしだし、迷惑なんかじゃないよ」

「…」

「まあ、沙生がどうしても帰りたいって言うなら、あたしが車で送っていくけど、正直泊まってくれた方が有難い」

「泊めさせて下さい…」

「いいですよ」

 くしゃりと秋が笑う。


「あー、そうそう、服一応手洗いして今洗濯機だから、明日には乾くと思う」

「何からなにまで、ありがとうございます」

「ふふふ、感謝しないさい」

 秋が私の頭をくしゃくしゃする。なんだかそれが気持ちよく、うぅっと、下を向く。


「秋、本当にごめんね」

「もう、何回謝るのいいって」

「だって、折角の合コンで秋も盛り上がってたのに」

 情けない自分に涙が出てきた。

「合コンなんてどうでもいいよ、それに別に盛り上がってなかったし」

「そんなことない!秋と中野くんいい雰囲気だったよ」

 秋の顔が一瞬強ばった気がした。

「あたしさ、男子と話すの結構得意なんだよね」

「そう、なんだ」

 納得する。

 なんと言うか、秋は男子と話すのに慣れている接し方をしていた。

「だから、いい雰囲気とかじゃないから気にしないで」

「うん、でもごめん」

「ほら、また謝る。そもそも合コン行った目的、男と話すためとかじゃないから」

「そうなの?ならどうして?」

 秋は少し私から目をそらした。


「ただの気まぐれ」


 ちょっと今の秋は嘘っぽかった。

「そっか」

 本当の理由が有るのなら知りたいが、これ以上突っ込んでも教えてくれない気がした。だから早めに撤退する。


「沙生」

「なあに?」


 手を伸ばし、秋が私の頬を撫でた。秋の目が優しく私を見つめる。

 何も言わず見つめてくる秋に、少し気まずくなり目をそらす。普段はふわふわしたパーマ頭が、シャワー後のためぺたっとしていた。



 ずぶ濡れの猫みたいだ。



 いつもは髪で隠れている耳が露になっている。両耳に一つづつ穴が空いていた。

「秋、ピアス開けてたんだ」

 はっと、したように秋が私の頬から手を離す。


「うん、高校生の時に開けた」

「そっか、痛かった?」


 今度は私が秋の耳を触った。

 意外に温かくて柔らかい耳だった。


「開ける時は痛くなかったよ、でも…後が痛かったかなあ、それに一度空いた穴はなかなか塞がってくれないんだ」

「もう、ピアス付けないの?」

 似合いそうなのに勿体ないなと思う。

「お気に入りのピアスがあったんだけどね、無くしちゃったんだ、あれ以外はつける気が起きなくて」

「どんなピアスだったの?」

「一粒石の赤いピアス、安物だよ」

 安物のピアス、でも秋にとっては特別だったんだ。そういうものって、値段よりも入手経路が大事だったりする。


 ねぇ、秋のそのピアスって貰い物なの?

 貰い物なら誰から貰ったの?

 気になったが聞かなかった。どれも、私が聞いてもどうしようもない事の様な気がしたから。


「見つかるといいね、ピアス」

 秋の耳から手を離す。その手が完全に離れる前に、秋の手がそれを捕まえた。

「沙生はピアス開けないの?」

 何度も開けようと思ったことはある。

 可愛いし、お洒落だし早く開けたかった。でも、私にはピアスを開ける時の理想があった。


「好きな人ができたら、その人に開けてもらうの」

「えっ?ピアスを?」

「そう」

「それはなんだか、変わってるね」

「私のお母さんがそうしたんだって、それを聞いて私も憧れてたの」





 お母さんが言っていた。

「沙生、ピアスは本当に好きになった人に開けてもらいなさい。」

「どうして?」

「もし二人が離れたとしても、ピアスの穴を見るとその人の事を思い出せるの。ずっと、その人を感じていられる気がしない?」






「なるほどね」

「うん、だからそれまで取っておくの」

「でもさ、それって寂しくない?」

「どうして?」

「だって、お母さんは大切な人と別れたってことでしょ?ピアスの穴を見る度に、その人が居なくなった空白を見ているようで辛い気がする」

 そういえばと、思い出す。


「お母さんもそんなこと言ってた。でもね、大切な人が居なくなった空白は埋まるんだって。お母さんはお父さんからピアスをプレゼントして貰って、空白だった穴にちゃんと意味ができたって言ってた」

「なんか、素敵だね」

 秋は私の手を離した。



 私の手には秋の温もりが少し残っていた。それが消えてしまうのが無性に淋しくてぎゅっと拳を作る。






 どうやら、私はまだ酔っているみたいだ。



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