第2話 「トライ&エラー」

「月子さん、今度の日曜、一緒にどこか遊びにいかないか?」


 そう――周は言った。


 何気ない口調で、

 自然体。


 まるで世間話でもしているかのようだった。


 ことここに至った理由は簡単。

 黙って考えているだけでは、ただ時間が過ぎていくだけ。何かを変えたければ、自らアクションを起こさなければならない――そう思ったのだ。


 だから、周は月子をデートに誘うことに決めた。

 そのための台詞が、先ほどのものだ。


(よし、これなら完璧だ)


 周は勝利を確信し、自室でひとり拳を握り締めた。


 予行演習イメージトレーニング終了。

 いよいよ本番だ。


 仰向けに寝転がっていたベッドから体を起こす。

 何も緊張することはない。いつも通りの調子でいけばいいのだ。試行錯誤の末に選んだ台詞を実際に口にしてみて、それを確信した。


 自室を出て、廊下に立つ。右へ進めばリビング、左は玄関だ。リビングから続くキッチンでは月子が夕食の準備をしていることだろう。そう思うと周は、このまま玄関から出て行きたくなった。


 完全に逃げ腰だ。

 確信した勝利はどこに行った。


 リビングに這入り、キッチンに目をやると、やはり月子がいた。エプロンドレスのメイドさんがキッチンに立っているなど2LDKのマンションとは思えない光景だが、この家においては日常の風景である。


 月子の背を見ながら大きく息を吸い、そして、無駄な力とともに吐き出した。


「つ、月子さん」


 それでも噛むのが周である。


「何か?」


 月子が振り返る。そこには端整だが、表情に欠けたメイドの顔があった。「う……」とたじろぐ周。


「……」


 そして、頭が真っ白になった。


 用意していた台詞もイメージトレーニングも、一瞬にして無になった。投げかけようとした言葉を取りこぼし、ただ口をぱくぱくさせる。


「……」

「……」


「……」

「わ、悪い。何を言うんだったか忘れた」


 周は逃げ出した。





 自室に舞い戻ってきた周は、早くなった動悸を落ち着かせるように2、3回の深呼吸をした。


「いきなり本題に入るのはマズいな」


 先ほどこの場所で、完璧だとガッツポーズをしたのはどこのどいつだろうか。


 とは言え、ここで諦めるわけにはいかない。このためにわざわざ寄り道もせずに学校から早く帰ってきて、部屋の天井を見つめながら考えたのだ。引き下がることはできない。


「よし、まずは無難に世間話からだな」


 最後にもう一度深呼吸をしてから、再び廊下へと出る。リビングに通じるドアをしばし見つめた後、それを開けた。


 月子はさっきと同じようにキッチンにいた。夕食はまだ先のようだ。


「あ、あのさ――」


 声をかけながらダイニングテーブルのイスを引いた。


「はい?」


 月子が振り返り――そこで周ははたと気がつく。

 世間話のための話題を用意していなかった。


 そんな根本的なこと。


 周は内心慌てつつもその動揺を巧みに隠し、イスに腰を下ろした。頭をフル回転させ、この状況への対応策を考える。と、奇跡的に思考は一瞬にして遠くまで到達した。


 周の計画としては、まずは次の日曜の天気を話題にし、そこから自然にデートの約束にスライドさせようというものだった。


 完璧だと思った。


 尤も、今日の周の『完璧』ほど怪しいものはないのだが。


「次の日曜の天気、どうだろうな」


 周は落ち着いて切り出した。


「雨だそうです」

「もし天気がよかったら――」

「いえ、だから、予報では雨です」


「……」

「……」


 いきなり暗礁に乗り上げた。


 もちろん、こうなった場合のことは考えていなかった。そして、フレキシブルに対応するスキルなど、周にあろうはずもなかった。


「あ、あー、そうなんだ。雨かー。残念だなー」


 はははー……、と棒読みの乾いた笑いが虚しく宙に放り出される。


「……」

「……」


「日曜が何か?」

「いや、いい。今のは忘れてくれ」


 すっと立ち上がり、周は背を向けてとぼとぼと立ち去った。





 三度目の正直だった。


「月子さん、ちょっと話があるんだけどさ」


 周が意を決して切り出すと、月子は食材を切っている最中だったのか、包丁を持ったまま振り返った。


「話はかまいませんが、これで3度目です」


 月子は静かに事実を語る。


「今は忙しいので、話は簡潔にお願いします」

「お、おう」

「なお、くだらない話だった場合、こちらにも相応の考えがあります」


 きっぱりと言った。


 手には包丁。


 こちらにも考えがあります――。


 どんな考えかは明言しない。

 でも、手には包丁。


 戦闘態勢を整えた軍隊のように美しくも恐ろしいメイドさんは、周の言葉を待つ。


「……」

「……」


「えっと、どうだろうな……。ちょっと外でもう一度考えてくる」


 途端、自信をなくした周は、またもや遁走した。





 外でひとしきり猫カイザーと戯れてから、周は帰ってきた。


「月子さんっ」

「……」


 振り返った月子は――無言。


 度重なる襲撃と撤退を、かなり鬱陶しく思っているようだ。一見無意味に見える波状攻撃も、ここまでくると精神面に打撃を与えるのだろう。完全に敵を見る目だった。


「……」

「……」


 そして、勢い込んできたわりには月子の不機嫌を隠さない眼差しに、周は気圧される。


「い、いや、何でもない……」


 周は逃げ出した。


「お待ちください」


 しかし、回り込まれてしまった。


 いや、ただ呼び止められただけなのだが、そこには逃亡を許さない有無を言わせぬ力があった。


「何か話があるのなら、今ここでお願いします」


 周に『三度目の正直』という言葉があったように(不発だったが)、月子には『仏の顔も三度まで』があったようだ。


 ここが正念場だ、と周は直感した。


 彼は彼なりに自分というものを知っている。いま引き下がれば次に同じ機会を得たとき、やはり同じように逃げてしまうだろう。


 周は振り返った。


「あー……」


 話し出すタイミングをはかるように無駄な発音をする。


「次の日曜、天気はどうだろうな」

「それはもう聞きました」

「……」


 立てた計画の通りにしか動けないマニュアル人間は、ばっさりと斬られた。


「えっと、まぁ、その、なんだ……次の日曜、一緒にどこか行かないかな、と……」


 言った。


 月子の顔は見られなかった。

 どこに持っていけばいいのかわからない手は、鼻の横を掻いていた。


 そうしながら問いかけた。


 長いのか短いのかわからない無音の間があり、


「は?」


 と、月子はようやく言葉らしきものを発した。


「それはどういう……」


 先ほどの迫力はどこへやら、急に不安げな口調になって聞き返してくる。


「そのまんまだよ。遊びにいかないかって言ってんの」

「私と、ですか?」

「ほかに誰がいんだよっ」


 イライラした様子で周は月子を見た。一瞬だけ視線が交錯し、今度は月子が逃げるように目を泳がせた。


「どこか、というのは具体的には……」

「まだ決めてない」

「次の日曜日は雨だとか……」

「この際かまわん。雨天決行だ」


 加速度をつけてヤケクソになっていく周。


「そ、それはメイドの仕事でしょうか……?」


 そんなわけあるか、と声を荒らげかけたが、そこはぐっと飲み込んだ。


「……そう取ってくれてもいい」


 こうなったら形式などかまっていられない。


「……」

「……」

「……」


「あのさ、月子さん。返事、欲しいんだけど……?」

「あ、はいっ」


 はっと我に返って答えてから一拍おき、


「よ、よろしくお願いします」


 と、頭を下げた。


 周はそれを見て、ほっと胸を撫で下ろした。

 どうにかこうにか最初の一歩を踏み出せたらしい。


 なお、この直後の夕食は今までにないほどぎこちなく、そわそわと互いを意識したものになった。

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