第2話 「続・戦うメイドさん 宴の始末」(前編)

「あー、変な夢見た……」


 その日、周の寝起きは最悪だった。よくは覚えていないがあまり面白くない夢を見ていたようで、そのままタイムアップとなった今朝はどうしようもなく不快だった。


 コンコン――


 そして、部屋のドアがノックされたのは、周が時計を見て起床時間が近いことを確認した直後のこと。


「……」


 起き抜けで頭が回っていないのと最悪な寝起きも手伝って、聞こえているが返事はしない。尤も、普段でもこの時点ではまだ寝入っていて反応できないのがデフォルトだが。


 程なくドアが開かれた。


「おはようございます、周様。朝です。起きてください」


 入ってきて感情の欠けた声で言ったのは、無論、月子だ。


「……」

「周様?」


 周が目を開けているわりには反応を示さないので、月子の声に怪訝そうな表情がついた。


「周様、起きて――」

「うるさいな。聞こえてるよ」


 不機嫌をむき出しにした声で言うと、周は掛け布団を跳ね除け、勢いをつけて起き上がった。


 周の顔を覗き込もうとしていた月子が素早く下がった。

 その月子を、周はベッドの縁に腰掛けた体勢で、睨むようにして見上げた。


「……」

「……」


 不意に、月子の口唇の端がかすかにつり上がった。


「うるさい?」


 どうやら何かよけいなところを刺激したらしい。


 下ろした右手が、腰の横で握って開いてを二度繰り返す。今にも袖の内からアレげなものが滑り出してきそうだ。


「今、うるさい、と言いましたか?」

「いーえっ、言ってませんっ」


 周は間髪入れずに否定して、先ほどのことはなかったものにしてしまった。


「今日も爽やかな朝だ。さ、着替えるから、月子さんは出ていってくれ」


 それから立ち上がって月子の肩を掴んで回転させ、背中を押して部屋から追い出した。このまま顔をつき合わせていたらこの身に危険が及ぶと本能的に察知したのだ。


 情けないと言うなら言うがいい。

 圧倒的な暴力の前には一時の感情などなきが如し。それで身を守れるならばいくらでも膝を屈しようというものである。





 そんなわけで、朝食は非常に気まずい雰囲気となった。


 もとよりメイドモードの月子はおおよそ感情らしいものがない。そんな状態で不機嫌全開のオーラを出されるというのも、なかなか胃を締めつけるものがある。


 こうなったのも周が夢見の悪さに任せて月子に八つ当たりじみたことをしたせいなのだが、それにしてもこれは……と思わなくもない。


 因みに、本日の朝食は和風。ご飯に味噌汁、焼き鮭等々。エプロンドレスのメイドさんが用意するには違和感を覚える品揃えではある。周はそれを、月子の負のオーラに晒されながら、居心地の悪い思いで口に運ぶ。


 と――、


 ふと月子が口を開いた。


「周様。よい機会なので、聞いておきたいことがあります」

「……」


 よい機会。

 それは、そっちがその気ならこっちにも考えがある、という意味だろうか。


「先日この家を襲撃してきた遠近感の狂った方は、どういった人物なのでしょうか?」

「ああ、あれね。あのときも言ったろ? 菜々ちゃん会長。あんなナリでもうちの生徒会長なんだ」


 途端、ぴくりと月子の眉が動いた。が、周がそれに気づいたかどうか。


「ええ、それは聞きました。そうではなく。周様とどういった関係なのか、と」

「……は?」


 思いがけない質問に、周は素っ頓狂な声を上げた。


「関係って、それは……」


 いったいどんな関係だろうか。

 そんなことを考えて定義したことがないので、周は言い淀んでしまう。ただそれだけのことなのだが、その返答に窮した姿は、もしかしたら月子の目には別に意味に映ったかもしれない。


 月子は努めて冷静に言う。


「いえ、誤解のないように言っておきますが、別に親しい仲であるならそれでもかまわないのです。それならば周様の交友関係として把握しておくべきかと思いますので」

「違う。それは違うぞ。俺と菜々ちゃん会長はぜんぜん親しくなんかない。俺たちは単なる生徒と生徒会長でだな……」


 むしろ誤解しているのはそっちのほうではないかと思うのだが、なぜか密度を増してきている不機嫌オーラに焦るばかりで、上手く言葉が継げない。


「菜々ちゃん……。そうですか。もうそんなふうに呼んでいるほど親しいのですね」

「違ぇよっ。ありゃあ誰からでもそう呼ばれてるんだよっ」

「しかし、あの日は一緒に帰ってきました。つまり、それはこれから親しくなるべく家に招くつもりだったと――」

「あれのどこをどう見れば、『家に招いた』ように見えるんだよっ」


 明らかに強行突破しようとした不法侵入の侵略者インベーダである。


「どうしても俺と菜々ちゃん会長を親しくしたいらしいな」

「誤解のないように言っておきますが――」


 こほん、と咳払いをしてから、本日二度目となる言葉を、冷静に――より丁寧に表現するなら、冷たく静かに、口にした。


「私はメイドとして周様の交友関係を把握しておきたいのです。ですから、正直に言ってくれたらそれでいいのです。それがメイドの務めであって、そこに他意はありません」


 やけに言葉がしつこい。


「よし、わかった。何だかわからないけど、月子さんが殺気立ってきたことだけはよくわかった。とりあえず俺は学校に行く。ちょっと早いけど気にしないでくれ。ごちそうさま。今日も美味かった。……じゃあ、行ってくる」


 周は一気に言い切ると、席を立った。隣の椅子に置いてあった制服の上着と鞄を手に取り、足早に玄関に向かう。


「……」


 月子が冷たい視線を向けているが、極力それは見ないようにして、


(ていうか、見たら死ぬ)


 周はそのまま振り返りもせずに玄関から飛び出した。

 背後で「誤解のないように言っておきますが……」との月子の声と足音が聞こえるような気がするが、錯覚として処理――ドアを閉めた。


 マンションの廊下を出て、器用にも鞄を持ったまま上着を着つつ、靴に足を突っ込むという芸当を披露しながら、丁度、階段に差し掛かったところで、周の部屋の斜め向かいにあたるドアが開かれた。


 中から出てきたのはそこの住人、古都翔子だった。

 菜々ちゃんの情報では、彼女は周と同じ護星高校の一年で、ふたつ隣のクラス。どこぞの美少女コンテストでいいところまでいったという話で、確かにその実績にも頷けるだけの相貌を備えていた。


 すぐに彼女も周に気がついたようだ。


「あ、おっはよーう」

「おう。おはよう」


 近所のよしみで朝の挨拶を交わす。


 それから周は、まさかとは思うが、月子が追ってこないうちにさっさと階段を駆け下りた。

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