第6話 「月子さん、 を演じる!?」(後編)
約20分後――、
周はクラスメイト四人を連れて戻ってきた。
「今ちょっと姉貴が遊びにきてるんだけど、いいよな?」
「あーれれ。鷹尾ってお姉さんがいたんだ」
「ああ、いたんだ」
心の中で「ついさっきできたんだ」とつけ加える。
「そんなわけで驚かないよーに」
そういってから周はドアを開けた。
「おかえりなさいませ、周さ――」
「うおっ」
バタン――
そして、閉めた。
それはもう、力いっぱい閉めた。
「……お前が驚いてどうするんだ」
「いや、まぁ、ちょっと、な……」
まさかメイドさん口調の偽姉がいたとは言えない。
「ははぁん。さては片づけ忘れたアレなDVDが転がってたとか?」
「やかましいぞ、一二三。そんなものは転がってないっつってんだ。ていうか、玄関入ったところにそんなものがあったら、人の生活空間としておかしいだろうが。……兎に角、ちょっと待ってろ」
そう制しておいて、周は再びドアを開けた。今度は少しだけ。その隙間から滑り込むようにして中に入る。
「つ、月子さんっ」
「何か?」
しれっと聞き返す月子はデニムのロングパンツにトレーナーと、ラフなスタイルではあったが、態度はいつもの無表情メイドのままだった。
「だから、月子さんのことは俺の姉貴で通すって言っただろっ。頼むよ、ほんと……」
「やはりやらないとダメでしょうか?」
そう問う口調はやや硬く、戸惑い気味。
「やってくれないと明日から俺は過保護のバカボンか、最悪、変態扱いだ。ほら、あれだ。昔は『月姉』 『シュウ』 だったわけだし、何とかなるだろ。とりあえず玄関で待ち構えてるってのも不自然だし、奥にいっててくれ」
「わ、わかりました」
どうやらかたちから先に入ることにしたようだ。周は月子に姉を演じさせるべく指示を出す。
月子もそれに従い、どこか余裕のない表情で奥に引っ込んだ。
「悪い、待たせた。入ってくれ」
周は改めてドアを開け、クラスメイトたちを招き入れた。
「おじゃましまーす」
口々に言い、こういうときには先陣を切る岡本を先頭に玄関に上がる。
「いらっしゃい。奥へどうぞ」
廊下の先、リビングのほうからやわらかい声が聞こえた。
月子はどうやらうまくやれているようだ。ひとまずはほっとひと安心。
周は玄関に立ち、先に進むよう皆を促す。
岡本の次に小次郎が、続けて読ん人目のメンバーである森梓<もり・あずさ>が入り、最後が一二三四子だった。
その四子は途中で足を止め、廊下の中ほどにあったドアに好奇心に満ちた目を向けた。
「なるほどぉ。ここが鷹尾の部屋なんだぁ」
「バーカ。開けても普通の部屋だっつーの。さっさと行け」
言われて四子は口を尖らせて先に進んだ。
後ろを周がついていく。
と――、
「ちょ、おまっ、あれ誰だよ!? あの美人っ」
いきなり岡本が押し殺した声で詰め寄ってきた。
「だから、姉貴だって言って……は? 美人?」
思いがけない単語を聞いて、周の思考が該当箇所まで巻き戻る。
美人?
誰が? 月子さんが?
周は確かめるように月子に目を向けた。
今の月子は前述のようにエプロンドレスではなく、ごく普通の格好をしている。加えて、さっきはそれどころではなくて気がつかなかったが、よく見るといつもは首の後ろあたりで赤いリボンでくくっているだけの髪も解かれていて、ちょっと凝った感じの女の子らしいヘアスタイルにまとめられている。
そして、その相貌はというと、周が思っていた以上に整っていた。それこそ美人と呼べるほどに。そんな容姿だからこそ普段のあの無表情が怖いのだと今さらながら解る。
でも、そこに表情があるとちょっとマズい。
周的に。
どこがマズいか説明できないほどにマズい。
「どうしたの、シュウ」
「な、何でもないっ」
周は飛び上がりそうなほど驚いてから、慌てて目を逸らした。どうやらいつの間にか目を奪われていたらしい。
そんな周の様子に、月子は一度首を傾げてから、
「どうぞ、リビングのほうに座ってください。今、お茶菓子の用意をしますからね」
と、穏やかな口調で告げた。
それぞれテーブルを囲むように座る。
「なに、あれ? 鷹尾のお姉さん、すげぇ美人じゃねーえ?」
「そ、そうかもな……」
「さすがのわたしも負けるわ」
「そうか……?」
クラスメイトの囁きに、周は上の空で答える。
何か見てはいけないものを見てしまった気分だった。
それは周にとって都合の悪いもの。
いつの間にか日常になっている今の生活を、再び非日常に引きずり戻してしまいそうな。この間も
「ああ」
急に小次郎が何かを思い出したように声を上げた。周の思考が中断される。
「鷹尾のお姉さん、どこかで見たと思ったら、この間の乱闘のときの」
「あ、なーる」
隣では岡本も納得したようだった。
言われてみて周も思い出す。そういえばこのふたりは、先日のファーストフード店で月子が暴力学生を叩きのめした場面に居合わせたのだった。
「あー、うん。実はそうなんだ」
あのときは知り合いだと誤魔化したが、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。尤も、今もまたテキトーに誤魔化しているわけだが。テキトーの2乗。
「鷹尾が私を見て何も思わないわけがわかったわ。生まれたときからそばにあんなハイレベルなのがいたんじゃね」
「一二三、お前のその自信はいったいどこからくるんだ……」
お前みたいな自己主張の強いのはノーサンキューだよ。周は声に出さずにつぶやく。
「あ、ここにも部屋があーるのな。どれどれ?」
と、そこに岡本の声。見ると遠慮を知らないクラスメイトが自分の背後にあった扉に手をかけ、今まさに開けようとしているところだった。
そこは月子の部屋だ。
「あっ、バカ。お前、そこは――」
つい先日も周は無断でそこを開けて、月子のセミヌードを見て……じゃなくて、月子に怒られている。上手い誤魔化し方が思いつかないが、とりあえず止めに入る周。
そのとき、
カッ カッ
キッチンから飛んできた菜箸が2本、手裏剣の如くフローリングの床に突き刺さった。
岡本の動きが金縛りにあったように止まり、顔から血の気がさーっと引いていく。
「そこはシュウの洗濯ものなんかが干してあるから、開けたらダメよ」
「は、はい……」
月子の優しく、でも、反論を許さない笑みに気圧されて、岡本は辛うじてそれだけを口にした。
それから近づいてきた月子を見て明らかに顔が恐怖に
月子はフローリングに刺さった菜箸に手をかけると、それを抜――
「……」
……。
……。
……。
抜けなかったので、諦めた。
いったいどんな力と技で投げたのだろうか。
その後、周たちは精神的安寧の為その奇怪なオブジェを極力見ないように努め――この一件はなかったことにした。
ようやく勉強会がはじまった。
しかし、気分は放課後みんなで街に繰り出したときの延長のようなもので、いちおう勉強はしているものの手よりも口のほうがよく動いていた。
「あら、ここ。少し間違ってるわ」
それは月子が新しい紅茶を持ってきたときだった。通りがかりに間違いを見つけたらしい。
「え? あれ、ホントだ。お姉さん、詳しいんですか?」
「これでも大学生だから」
「じゃあじゃあ、わたしのほうも見てください~。ちょっと自信なくて」
向かいから梓がここぞとばかりに救いを求めてきた。
「はいはい。ちょっと待ってね」
それを機に月子は先生のような立場になってしまい、皆にあれこれと教えて回る羽目になった。
その様子を周は他人事のように眺める。
その昔、月子がそばにいたときも、よくこんなふうに勉強をおしえてくれていたことを思い出した。いや、勉強だけではない。遊びから日常生活の雑事に至るまで、様々なことをおしえてもらっていた。それこそ姉のように。
「シュウはどう? 見せて」
「え? いや、俺はいいよ」
いきなり月子がこちらを向き、周はまたも慌てて顔を背けた。
「そんなこと言わないの」
言いながら月子は周の隣にくると、膝頭をそろえて座った。身を寄せて、周の手元を覗き込む。
「っ!?」
今までに体験したことのない距離と、甘やかな香り。
「わ、悪い、月姉。俺、ちょっとトイレっ」
周は反射的に立ち上がり、廊下に飛び出した。
そのまま真っ直ぐ洗面所に駆け込む。
「くそ。心臓がバクバクいってんな……」
ついでに顔も熱をもっている。
とりあえず顔を洗ってから戻ることにした。
「おじゃましましたー」
「お姉さん、ありがとうございました。助かりました」
結局、月子が即席の先生になったことで思いのほか勉強会らしくなり、午後七時前になってようやくお開き。皆口々に礼を言って玄関から出ていった。
あれから計四回顔を洗った周は、疲れ果てた様子でクラスメイトを見送る。
「はぁ」
やがて最後の岡本が名残惜しそうに出ていってドアが閉まると、周は大きなため息を吐いた。リビングに戻ろうと身を翻す。
と、そこで一緒に見送りにきていた月子と目が合った。
「「 !? 」」
途端、ふたりとも体を大きく跳ねさせ、驚いてしまう。
月子はすぐに目を逸らし、続けて周と同じようにリビングのほうに向き直った。が、どうも逃げ遅れた感の否めない動作だった。
そのままいつもより早い歩調で廊下を進む。
それにやや遅れて周がリビングに戻ると、ちょうど月子の私室のドアが鎖されるところだった。部屋に入ったようだ。
そして、十分後――、
ぼんやりテレビ番組を見ていた周の前に現れた月子は、ユニフォームであるエプロンドレスに身を包み、いつもの真面目な――どこか表情を欠いたような顔つきに戻っていた。
「周様、あのような感じでよかったでしょうか?」
『あのような感じ』が先ほどの姉役のことを言っているのだとわかるのに数秒を要した。
「ああ、うん。よかったよ。あれなら大丈夫だろうな」
「恐れ入ります」
軽く一礼する月子。
そんな彼女の様子に、周は何となくほっとした。――そうだ、あれは演技だ。これが本当の月子だ、と納得させる。
「では、すぐに夕食の用意にかかります」
そう言うと月子はキッチンに向かった。
そして、沈黙が下りる。
テレビから流れ出る音声と料理の支度の音だけが響く。ここに存在している人間の声はない。
が、
「あ」
ふと何か思いついたように周が声を上げた。
「何か?」
「いや、よく考えたら、月子さんに変な役をやらせなくても、ちょっとどこかで時間を潰してきてもらえばよかったんじゃないか?」
「……」
「しまったぁ。どうして最初からそれに気がつかなかったんだろうな」
「いえ、でも、わたしは……意外に、その……」
珍しく月子が不明瞭な発音をした。
「え、なに?」
「い、いえ。……はい、それがベストだったかと」
そして、今度ははっきりと言い切った。
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