一秒でも長くあなたの傍で・・
@mandk1103
第1話
大切なあの人を失って、何年経ったのだろうか。
結局あの人がこの世に居られなくなったのは他でもないこの私の責任だ。
私と出会わなければ・・・
「恋の予感」
校内の端っこにひっそりと佇む校舎で一番古い建物、大学の学生食堂。
壁一面に張り巡らされたツル科のノウゼンカズラがグリーンカーテンとなり、温度上昇の抑制と爽やかな空気を放出する地球にも学生達にも優しい建物がそこにはあった。
その外観の静寂さとは逆に、お昼ご飯を求めにやってくる学生達で、中は寿司詰め状態と化していた。
僕、神崎 楓(かんざき かえで)は週に3回は食べているであろうチーズカツを今日も一人、中央に足1本のカフェテーブルに座り食していた。
ここからは大きな窓越しに東京タワーが見えた。
僕は、スカイツリーよりも東京タワーの方が好きだ。
平凡に日々を過ごす僕とは対照的に最強のライバル出現という逆境にも負けず自己主張する力強さにどこか憧れを感じていたからだ。
その勇姿を眺めながらのランチは寂しさを紛らわすスパイスとして程よく味を引き立ててくれた。
そんな一人ランチに不測の事態が起こった。
「ここ空いている?」
いつも空いている向かいの椅子を指差して、一人の女性が訊いてきた。
「えっ?」
一瞬時が止まった。
「・・・」
「あっ、はい」
僕は明らかに動揺していた。
彼女の名前は朝比奈梨里(あさひな りり)
すらっとした身長に、二重まぶたでつぶらな瞳が美しさを際立てていた。
純粋で清潔感漂う彼女は僕にとってたった一人の天使であった。
もちろん他の男性陣からも大学人気ナンバー1との呼び声も高かった。
その彼女が目の前に居ることと猜疑心をみなぎらせた男性陣の鋭利な眼光が僕に向けられていることにも動揺した。
しかしそんなことには御構い無しに梨里はそこに座ると両肘をテーブルに乗せ僕の顔をじっと眺めていた。
共通の話題もなく、たとえあったとしても緊張のあまり切り出すこともできずにいたであろう。もうひたすら食べるしかなかった。
そんな僕に彼女は質問してきた。
「同じものばっかりで飽きないの?」
どことなく呆れた様子だった。
実は彼女と僕は偶然にも小学校から大学まで同じ学び舎に通っている。
ここまでくると幼なじみと言いたいが、あまり喋ったこともなく、ライバル達に胸を張って言えるほどでもなかった。
ただ梨里は昔から知ってる身近な存在であると勝手に思っているだけだった。
彼女に昔から想いを寄せていたが、この気持ちを伝えたことは一度もない。
そんな彼女がチーズカツをやたら食べている私の存在を知っていることに驚いた。
『もしかして、学校中の噂にでもなっているのだろうか。へんなやつが学食に居るって…』
そんなことを気にしながらも「飽きないの?」の質問に緊張を隠しながらも平然を装って答えた。
「別に飽きないです。僕はこのとろけたチーズと、人生に勝つためのカツとのコラボが大好きなんです」
「未来の勝利者の味覚はたぶん誰にも分からないと思いますが」
普段全く思ってもいない上に全然かっこよくない自己弁護をした。
一切れチーズカツを持ち上げ、満足げに口に頬張る僕を見ながら梨里が予想だにしなかったことを発した。
「味覚は分かんないけど、かっちゃんが成功するのを楽しみにしているね」
「ゲホッ」
チーズカツが口から飛び出しそうになった。
『かっちゃん』と呼ばれたことに驚いたわけではない。昔から友達はもちろん親からも「かっちゃん」と呼ばれていたのでそれには慣れていた。
驚いたのはそこではなく『楽しみにしているね』と言われたことだった。
梨里とは親密な関係はもちろん親しげに話すこともなく、たまに部活の帰りに「お疲れっ」て片言を話して遠ざかって行くだけの関係でしかなかった。
それなのにまるで恋人が彼氏に期待を寄せているかのような一言に僕は動揺した。
『今の言い方、僕の彼女みたいだね?』
と言えるわけもなく、深い意味はなく彼女が適当に言っただけだと受け取るしかなかった。
梨里は中高大とバトミントン部に所属し、県でも有数の実力者として知られていた。実力だけでなく女性なら誰もが羨むようなスラッとした体型にショートボブが似合いさらに小顔と非の打ち所がないほどの容姿をしていた。
メドゥーサと目が合うと石になるというギリシャ神話ではないが、美しさに見とれて固まる男性も多く居た。私もそのうちの一人だった。
「かっちゃんは将来何になりたいの?」
梨里は追い討ちをかけるかのように質問し僕を混乱させた。
「えっ、あーえーと」
適当に頭に浮かんだことを話そうとしたら梨里の目線は別のところに行った。
「お腹空いた。梨里もなんか食べたい」
真剣に聴いているかと思いきやガサガサとバッグから無造作にラップで巻いてあるサンドイッチを取り出し、薄いピンク色のリップが塗られた唇にそっと運んだ。
口元にちょこっとはみ出たケチャップを小指の先で拭きとリ、ぺろっと舐める姿には高校生の時とは違う大人の色っぽさがあった。
僕が、口を半開きにしながら見とれていると、梨里の目線が再び僕に向けられた。石像になっていた僕を見た梨里は不思議そうに首をかしげた。
はっと我に帰り思わず「作家!」と言った。
思わず出た答えを梨里に笑われるかと思ったが予想外の返事が返ってきた。
「へぇーかっちゃんが作家ねー でもかっちゃん優しいから案外向いているかも」
本日二回目のドキッ!
幼い頃近所のオバサンに野良猫の頭を撫でているだけで「かっちゃんは優しいねー」と言われた以来の根拠のない一言だが、明らかにオバサンから言われた時とは違う喜びがそこにはあった。
「僕が優しいかどうかは知らないけど、なぜ優しいと作家に向いているの?」
僕には優しいイコール作家と繋がらず訊いてみた。
梨里は人差し指を唇に当てながら首を傾けた。
その仕草がファン1号にはたまらない仕草に見えた。
「えっとー、これまで読んできた本はすべて優しさが詰まっていて、読んだ後にすっごく優しい気持ちになれたの。きっとそれは書いた作家さんが優しいからだと思うんだ。あはっ、よく分かんないけどね」
「ふーん、そうなんだ」
僕もよく分からないが理解した気分になった。
「でもかっちゃん、すごーい。将来のことしっかり考えているのね。私、なーんにも考えていないから焦っちゃうわ」
僕はとっさに出た適当な答えに対して褒められたことでちょっと後ろめたい気持ちになった。
「でも作家になるには道のりが長すぎるかなー。ただうちの母ちゃん、オヤジを癌で亡くしてから、女手一つで頑張ってきたから、何でもいいから僕が仕事について楽させてあげたいってのが本音かな」
これは本当に日頃から思っていることだった。
照れ笑いをしながら梨里の顔を見上げたら彼女の瞳はなぜか涙でいっぱいになっていた。
「あっ、ごめん、湿っぽい話ししちゃったね」
梨里は今にも落ちそうな涙を、テーブルに置かれてあるティッシュで拭きながら首を横にふった。
「そんなことないよ。おばさん、かっちゃんのその思い聞いたらきっと喜ぶと思うよ。それにかっちゃんのお父さんが元気だった頃知っているから思い出しちゃった」
実は、梨里のご両親と僕の両親は高校の同級生でよく梨里の家にうちの両親がお邪魔していた。
「実はね、かっちゃんのお父さんと約束したことがあったのよ」
「えっ?なーに?」
「それは秘密!いつか話すね」
「なんだよー、気になるじゃねーかよー」
「あっ!午後の講義始まっちゃうよ、先に行っているね」
梨里は持っていた残り1個のサンドイッチを僕に渡して食堂から出て行った。
それに遅れて爽やかなローズの香りが一旦僕に近付いたかと思ったら離れていった。
「埋蔵金」
その日の晩、「世界の埋蔵金を探し出せ!」という企画の番組がゴールデンで放送された。
大昔は、銀行もないので金品を隠すのはもっぱら土の中って相場が決まっていたらしい。
しかし、隠したまま所有者が他界してしまい埋もれたままの財宝が日の目を見ることなく眠っているとのことだった。しかも、日本各地にそれはあるとの事。
男の子であれば宝探しに興味のない者はいないはずである。
十分すぎるほど僕の冒険心をくすぐる番組であった。
「ん?そう言えばじいちゃんの趣味だった骨董品の中に宝箱みたいのがあったな」
僕は立川にある祖母の家を間借りしているが祖母は高齢のため老人ホームにお世話になっている。二世帯住宅用にリフォームしたが長男おじさんは別に住んでいる。それで僕が2階を借りているのだ。
祖父は僕が小学6年の頃他界した。その祖父の楽しみといえば幼い僕に押入れから取り出した自慢の骨董品を見せることだった。
僕は爺ちゃんの笑顔と骨董品にまつわる話が好きで、いつも傍でその自慢話を聞いていた。
その骨董品の中に宝箱みたいなものがあった。爺ちゃんの話では、その箱は南の島で暴れていた海賊が愛用していた宝箱とのこと。何の根拠があってそう断言していたのかは今となっては知る由もないがとても高価であることをいつも主張していた。
「この宝箱は神崎家の家宝だから大切にしろよ」と口をすっぱく言っていたことを思い出した。
「トレジャーハンティング開始!」
僕は爺ちゃんの1階にある部屋の押入れめがけて一目散に外階段を降りた。
『きっと押入れの中では爺ちゃんのコレクション達が僕に見つけてもらえることをワクワクしながら待っているに違いない!』
胸の高鳴りは絶頂期に来た。
玄関を開け、履き物が飛び交う中爺ちゃんの部屋にたどり着いた。今では物置小屋と化していたが押入れの前を塞いでいたテーブルを押しのけ、ついに開かずの扉に手を掛けた。
「ふー、ついに来たか孫への相続の日が!」
「出でよ!爺ちゃんズファミリー!オープン ザ クローゼット!」
観音扉を勢いよく開けた。
「・・・」
「えっ?」
「新聞の山?」
「・・・」
「なんじゃこりゃー」
隈なく探したが何一つ骨董品らしき物は残っていなかった。
すぐさま携帯で母に電話した。
「ねえ、爺ちゃんの骨董品ってどうしたの?」
「あら、久しぶりね、元気で頑張っている?」
「はい、超元気!そんなことより爺ちゃんの骨董品知らない?」
「久しぶりに電話してきたかと思ったらそんな話?」
「いいから!」
「そうね〜みんな適当に婆ちゃんが光夫おじさんやキミ子おばさん達に配っていたよ。」
「そんなー」
「母ちゃんは何か貰わなかったの?」
「興味なかったから要らないって言ったよ」
「えーそんな〜」
「骨董品がなんなの?」
「なんでもない、じゃーまたね」
「ちょっとー」
僕は久しぶりの母の声にも耳を貸さず電話を切った。
残念なことに爺ちゃんのコレクション達は思い出として全て子供達の手へと渡っていったらしい。
落胆した僕は、ホコリだらけのテーブルの上に座り新聞が大量に積まれた押入れを見上げた。
「爺ちゃん、あの箱だけは僕にあげるって言っていたのにー」
心の中でちょっと爺ちゃんの嘘つきって思ってしまった。
僕のトレジャーハンティングは一瞬にして終わりを告げた。
その時、押入れの天井のベニヤがずれているのが目に入った。
「ん?」
ホコリだらけのテーブルから腰を上げ、押入れの中板に足を掛け天井板に手を伸ばした。
「うわっ!こっちもホコリだらけだっ!」
体勢を崩した僕は押入れから落ちそうになった。
首に巻いていたタオルで鼻を押さえ再度覗き込むと、どこからともなく差している光の矢がある物を照らしていた。
「えっ!?あれは?おー爺ちゃんの宝箱だっ!」
ホコリまみれの姿を孫である僕に見せてくれた。
「これだ!爺ちゃんの宝箱!」
手繰り寄せると押し入れから飛び降り、積まれた雑誌の上に置かれてあったウエットティッシュで無造作にほこりを取り除きまじまじと宝箱を眺めた。
海賊の宝箱だと豪語するだけあってずっしりと重く材質はケヤキに似ており、さらに漆で仕上げられ、手の込んだ彫りからも職人が手間暇かけて作り上げた一品であるように感じた。
そしていよいよ緊張の一瞬。宝箱の扉に手を掛けた。
「んっ?あれ?開かない」
鍵がかかっているらしく宝箱は口を開けてくれなかった。
不思議なことに鍵穴は無く突起物が何個かあるだけだった。
『そういえば爺ちゃん、カチカチって押して開けていたな・・・』
適当に押してみたが全く開く気配が感じられない。
縦、横、高さともに40cm程の宝箱を持ち上げあちこち眺めてみた。すると箱の底にマジックで『右から2番目と5番目を同時に押す』と爺ちゃんの字で書かれてあった。
大切にしていた割には落書きするぐらい雑な扱いに拍子抜けしたが、とりあえず押してみることにした。
『ガチャ!』
「よっしゃー」
何年ぶりだろうか、宝箱は重く大きな口を開けた。
ワクワクドキドキしながら覗き込むと中には巻物が1つあった。
「えっ?巻物だけ?」
記憶を遡ってみると、あの時も巻物しか入っていなかったような気がする。
拍子抜けはしたが家宝は宝箱ではなく、巻物のことを言っていたのを思い出した。
「そうそう、これだ!僕が小さい時に爺ちゃんが見せてくれたのは!」
落書きされていた宝箱はさて置き、この巻物こそが爺ちゃんが何よりも大切にしていた宝物だった。
緊張しながら紐を解いてみると、中には解読不可能な四字熟語ならぬ百字熟語かと思わせるほど、漢字でびっしり書かれてあった。
僕は、理解できそうな漢字を目で探した。
『琉球、神島、宝、王、海、洞窟、岬、呪』という漢字は現代でも同じ意味で使われているものだろうと推測した。
先ほど観た番組の影響をあってか連想してしまうのは『隠し財宝』だった。
そして、巻き物の巻末には地図までもが載っていた。
「これは宝の隠し場所が示された地図に違いない!」
そして、読み取れた漢字の中にあった琉球という漢字とこの地図は深い関係にあるように思えた。
琉球といえば、美しい海と自然に囲まれた沖縄のこと。
確か1806年、日本政府の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入り、廃藩置県の翌年1872年まで沖縄は琉球としてよばれていたと学習した覚えがある。
その琉球は奄美大島を含む小さな島国からなっていたが、地図によると最南端の離れ島、神島の形にそっくりだった。
もうすでに僕の頭の中は金銀財宝でいっぱいだった。
「よし!学生最初で最後の旅行はこの神島で、トレジャーハンティングで決まり!」
この巻物が本物であるかどうかを疑う余地は僕にはなかった。
「僕は必ずこの宝物を手に入れる。じっちゃんの名にかけて!」
どこかで聞いたような台詞だか、右手で握り拳を作り右足を一歩踏み出しながらガッツポーズをとっていた。
先日ヒーローが旅行を企画していたが旅先を決めかねていたのを思い出した。
ヒーローとは織田博文(おだ ひろふみ)のあだ名で高校からの無二の親友。
そのヒーローが学生最後の旅行を計画していた。
「運命だ!ヒーローの旅行計画と爺ちゃんの宝の地図、そしてテレビ番組!」
僕に掘り起こして欲しいと宝物自身が訴えてきているかのようにさえ感じた。
「これは神が与えてくれた運命に違いない。がっはっはっ!」
僕は一人高笑いをした。
『旅行』
翌日大学でヒーローに相談するとあっさりと承諾を得られ旅行先は神島へと決定した。
そして早々とヒーローが参加者募集のフライヤーを作成し食堂の広告板に貼り付けていた。
「学生最後の秋休みは南の島で癒やされてみませんか?」という誰にでも思い付きそうなキャッチフレーズで参加者を募った。
「参加者先着8名様」
ワクワクしながら、張り出してから3日が過ぎた。
僕はいつものごとくチーズカツを注文し、掲示板に向かった。
しかし、ふっくらしたシーサーの可愛らしいイラストとは裏腹に宣伝効果は全くなかった。参加者の欄に名前があったのは僕とヒーローの二人のままだった。
「まさかの二人旅?」
落胆しながら掲示板眺めているとそこにヒーローも現れた。
「げっ、まだ2人かよ!」
誰も興味を示してくれなったことにヒーローもショックを受けているようだった。
神島というマイナーな場所が原因の1つであることは予想できた。しかし、宝物が僕を待っている以上ここだけは譲れなかった。
そこで僕は画期的な方法を思い付いた。
「ヒーロー!宣伝が足りないんだよ。放送部の人に頼み込んで校内放送入れてもらおうぜ!」
ヒーローの表情に笑顔が戻った。
「そうだなっ、NICEアイデア!」
僕たちは、校舎の二階奥にひっそり佇む放送室に行き扉をノックした。
コンコン!
「はーい」
中から、元気な声が聞こえてきた。
ガチャ!
まん丸メガネのちょっとおたくっぽい女の子?いや、女性が姿を現した。
「はーい、何か御用ですか?」
僕はヒーローを前に突き出した。
「かわいい…」
ヒーローはそう呟くと、呂律の回らない言葉で説明を始めた。
「あのっ放送室を、で、旅行に行くので、メッセージを、ください」
「はー?」
しどろもどろのヒーローの腕を掴み後ろへと追いやってから僕が説明を始めた。
「僕たち経済学の四年、神崎と織田と言います。実は10月に四年生最後の旅行を計画しています。残念ながら参加者が少なくて困っています。ぜひ、宣伝してもらえないかと思いお願いに来ました」
僕は、多分後輩だと思われる彼女に対して、印象を悪くさせないためにも丁寧に頼んでみた。
「あっはい、ちょっと待って下さいね。部長に相談してみます」
彼女は、笑顔でそう言うと携帯で部長と思われる人に電話をかけ始めた。
「もしもし部長?中谷ですけどお電話大丈夫ですか。実は四年生の織田さんと神崎さんという男性の方がいらしていて・・・」
僕は、聞き耳を立てているのも変だと思いヒーローに話しかけようと振り返った。するとヒーローはマリア様に祈りでも捧げるかのように胸の前で手を握り何かブツブツと呟いていた。
「神様、仏様、かんな様ついに天使がおいらの前に現れました。どうか素敵な恋が始まりますようにお願いします…ブツブツブツ」
ヒーローは目をパチパチさせながら壁の向こうに居るであろう彼女に向かって頭を下げていた。
「あか〜ん!やばーい!始まった一目惚れ!」
『一目惚れ!』とは、聞こえはいいが、ヒーローの一目惚れは迷惑以外の何者でもなかった。
「おいヒーロー分かっているよな!今は止めろよ!」
何を止めろかと言うと、ヒーローは一目惚れしたら衝動的告白をしてしまうという癖があった。
もちろん純粋な気持ちで告白したにせよ相手からは軽く聞こえるらしくあっさりと振られるのが毎度のことだった。その場の空気が悪くなることも必至。
そんなことになっているとはつゆ知らず壁の向こうから、相談を終えた彼女が戻ってきた。
「待たせてしまってごめんなさーい。今部長に確認したところオッケーが出ました。よかったですね」
彼女は両手でオッケーのポーズを作り満面の笑みを僕らに見せた。
まるで部長から承諾を得られたことが自分の喜びかのように振舞う彼女を見ると、ヒーローが一目惚れする理由が分かるような気がした。
その時だった。左後方から本能に目覚めた獣のような物体が僕を押しのけ彼女の前に現れ言ってはいけない一言を発した。
「いっいっ一瞬で俺の心はあなたに奪われてしまいました。俺と付き合ってください」
右手を前に出し、頭を下げるヒーローがそこには居た。
「あちゃー、やってもうた!」
恐れていたことがまたもや起こってしまった。
どうせ、いつものように気持ち悪がられ「きもい!」と言われるのがオチになるはずだった。
しかし、一瞬で目覚めた恋も一瞬で崩壊していくというパターンを覆すことが起こってしまった。
「いいですよ」
彼女は、天使の笑顔でヒーローの右手を両手でそっと握り答えた。
びっくり仰天とはまさしくこのことを言うのであろうか。
僕は耳を疑ったが、僕以上に驚いたのがヒーロー本人だった。
「えっほっ本当ですか…」
ヒーローが小さい声で聞き直すと彼女が答えた。
「法学科2年、中谷美玲よろしくお願いします。織田さん面白い方ですね。そのキャラ放送部にも欲しいです」
僕は悟った。彼女はヒーローの愛の告白を冗談だと感じ返事を合わせていただけだと。
僕はヒーローの肩に手を乗せ「まずは友達からだな」と言って慰めた。
しかし、ヒーローの目はハートのままで、彼女の後のセリフは頭に入っていなかった。
「コラ!早く離せ、いつまで握っているんだ」
僕は、蜘蛛の巣に捕まった蝶を逃がすかのようにヒーローの手から中谷さんの手を解いてあげた。
「ところで、どのように放送しますか?」
まるでヒーローの告白がなかったかのようにさらっと中谷さんが聞いてきた。
「あっ!この文を読んでもらいたいのですが」
僕は、慌てて即席でしたためた文章を中谷さんへ渡した。
中谷さんは優しく答えた。
「あのー私が読んでもいいのですが、皆さんで読まれても構いませんよ。面白おかしく放送するのも良いかと思いますが・・・」
ヒーローは中谷さんに見惚れていて普段の流暢なしゃべりは期待できそうもないし、また僕の緊張感丸出しで呂律の回らない宣伝こそ間違いなく逆効果であることは火を見るより明らかであった。よってここは中谷さんにお願いする方が妥当であると判断した。
「ごめんなさい、やっぱり中谷さんにお願いしていいですか?」
傍で声を失ったヒーローが首を縦に小刻みに振っていた。
「分かりました。あまり上手くないかも知れませんが頑張って宣伝してみますね」
「よろしくお願いします」
ピンポンパンポーン
放送機材を手慣れた感じで操作し放送室にあるモニターからチャイムが流れ始めた。
「お昼の放送をいたします。
そろそろ秋本番、心癒しの旅は計画されましたか。
今隠れスポットとして注目され始めたのが沖縄の神島!
透き通った海は沖縄一、いや日本一と言われるほどでダイバーの憧れの島として人気急上昇!
10月だというのにここ神島は真夏日と変わらず、毎日お魚たちと戯れることができるのです。
実は注目されているのは海だけではないんです!なんと島自体がパワースポットというから驚き百倍!
足を踏み入れるだけで隠れたパワーを増幅し、恋愛運、金運、健康運に絶大な効果をもたらすと旅した人の多くが語る神の島、神島!
ぜひ、学生最後の秋休みは愉快な仲間達と夢の島、神島に行ってみませんか?
詳しくは、ランチルームの掲示板をご覧あれ!」
ピンポンパンポーン
「ふー」
中谷さんは、ため息と同時にホッとした様子で僕らを振り向き笑顔を見せた。
「どうでしたか?」
僕たちは天使の美声にメロメロになっていた。
そしてヒーローが真っ先に答えた。
「素晴らしかったです。なんかその旅行に参加したくなりました」
僕は突っ込みを入れた。
「僕たちの企画だろ、参加するのは当たり前!」
「そうだった!」
ポリポリッ!
頭を掻きながら、ぼけたのかマジだったのか分からないがヒーローが照れ笑いを見せた。
「うふふっ織田さんってほんと面白い方ですね」
美玲さんはしょうもないヒーローのボケを気にいったようだった。
そして僕たちは、深々と頭を下げお礼を言うと放送室を後にした。
その日のヒーローは有頂天になり丸一日にやけていた。
「希望」
翌日、二人してランチルームの掲示板を覗きに行くと、参加者の欄に僕たち以外の名前が記入されているのが目に入った。
「おい!楓!参加者増えているぞ!きっと昨日の天使のプリコメが効いたんだ!さすがおいらの天使だぜぇい!」
「いつからお前の天使になったんだよ。しかもプリコメってなんだ?」
「プリティーコメント!」
「意味わかんねーよ」
「ん?楓、お前もか?」
「何が?」
「お前には梨里ちゃんというかわい子ちゃんがいるじゃねーかよ。おいらの恋路を邪魔するではないぞ!」
「何意味わかんないこと言ってんだよ」
梨里のことはまんざらでもないので、強く否定するとますます怪しまれるので軽くかわした。
しかしこの後ヒーローは奇跡の瞬間を味わうこととなった。
「きょえー」
「まっまっまじっすかー」
掲示板を、見たヒーローが声を荒げた。
「楓見ろよ!名前があるー」
「誰の?」
「天使のだよ!マイハニー、中谷美玲のだよ!」
言っていることがでたらめだったがそこには、昨日お世話になった放送部の中谷美玲の名前があった。
「おー!まじかよ、よかったなーヒーロー!チャンス到来ですかー」
「そうですな!やっとおいらにも春が来たってかー」
ヒーローは思いも寄らなかった来客に大喜びだった。
他にバスケ部のキャプテン和人とテニス部の南さんとバスケマネージャーの真奈美さん、それに相撲部の真木の名前が記入されてあった。
そして最後の欄にはサッカー部の仁君が加わり合計8人の定員に到達していた。
「ヤッホー 埋まっているー」
ヒーローは天使が来てくれただけでも上機嫌なのに、8名が決まったことでさらに有頂天になっていた。
しかし、僕は物足りなさを感じていた。なぜなら梨里の名前がなかったからだ。
落胆するくらいなら自分から声を掛ければよいのだが、そんな勇気は僕にはなかった。
ヒーローは旅行会社にチケットの手配とホテルの予約に追われた。
僕は午前中の講義のみなので食堂にも寄らず弁当を買って自宅でひっそりと食べる予定で校舎を後にした。
すると後ろから駆け寄ってくる人がいた。
「かっちゃーん、待ってー」
声を掛けてきたのは梨里だった。しかも慌てた様子で呼び止めてきた。
「んっ?どうしたの?」
「ねえ、旅行の人数もう無理?」
「旅行?」
「ヒロ君が募集していた南の島の旅行のこと」
「あ〜その旅行がどうしたの?」
「定員8名ってあったけど今日食堂の掲示板見たら全部うまっていたからもう無理かなーって思って」
『来たー』心の中で叫んだ。
「あ〜定員には達していたみたいだけど梨里も行きたいの?」
「うん!とっても行きたい!さっき見たときほんと泣きそうになった。」
うっすら涙目になっているような気がした。
「僕がヒーローに頼んでみる?一人ぐらいはなんとかしてくれるはずよ」
『絶対なんとかさせる。脅してでもなんとかさせる』と僕の闘争心は最高潮に達した。
「ほんと?!嬉しい!おねがーい」
恩着せがましく梨里の思いに応えようとする心の汚さを恥ながら、満足度100%の僕がそこにはいた。
「ヒーローにお願いしてくるね」
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げる梨里を見ながら、
『なんて律儀で素直で可愛くて素敵な人なんだ』とこの世に存在する全ての褒め言葉を彼女に贈りたくなった。
そして、講義を受けているヒーローを見つけると僕は教室に乱入し有無を言わさず引っ張り出した。
教壇から「コラー」と怒鳴る先生の声が聞こえたが「すみません」と頭下げながら教室から飛び出した。
「なんだよー気持ちよく寝ていたのにー」
ツッコミを入れるほどの余裕はなかった。
「旅行の定員あと一人増やしてくれないか?」
「えっ誰を入れたいの?」
「梨里が行きたいって言ってきたんだよ」
「お前の大好きなあの子?」
「そんなわけないだろ、いいから早く旅行社に連絡してくれよ」
小さな島なので席には限りがある。それで僕は余計に焦っていた。
「旅行社じゃなくてネットで予約するんだよ、お前古いな〜」
ヒーローは携帯を取り出して手際よく検索した。
「はーい〜ざんねーん!一席しか空いてなーい」
「まじかよー えっ?!どういう意味?」
「よかったね〜1席空いていますよ。ハイハイ予約完了〜」
空いてないふりをしながらもいとも簡単に予約をいれてくれた。
「おーヒーロー様、やっぱりあなたは私のヒーローだー」
廊下で人目もはばからず抱きしめた。
「はいはい、よかったねー」
ヒーローはポンポンと背中を叩きながらハグに応じてくれた。
しかし、僕は次の課題を突き付けた。
「よし!次はホテルだ!」
ヒーローの両肩を掴んで真顔で任務を遂行するように伝えた。
「えー勘弁してよー自分でやれよ。ホテル名知っているだろ。それにいっぱい空きあるって言っていたから大丈夫だよ〜」
「本当か!分かった!」
そして早速連絡先を調べ電話してみた。
「10月の13・14日の2日間の宿泊の予約をお願いしたいのですが」
「はい、大丈夫です。承りました」
これまたあっさりと部屋を押さえることができた。
「よし!これで全てオッケー」
すぐさま梨里に逢いに行った。
電話で伝えることもできたのだが、やっぱり喜ぶ顔が見たくて経済学の教室へと早足で向かった。
『いたっ!』彼女は前列に座り真剣に講義を受けていた。
もちろんヒーローのように引きずり出すわけにはいかず、終わるのを待つことにした。
『きっと大喜びするだろうなー。もしかしたら頑張った僕のこと好きになっちゃったりして、うふふっ』
と馬鹿なことを考えながら待つこと20分。教室の出口に待ち構えていた私に講義を終えた梨里が駆け寄ってきた。
「かっちゃん どうだった?」
駆け寄ってくる姿がドラマのワンシーンのようにキラキラ光りながらスローで迫って見えるのは僕の頭が梨里でいっぱいであるからなのだろうか。
ポカーンと口の開いた締まりのない顔をしていることに気がついた僕は、キリッと眉間にシワを刻み、ゴルゴ13の主人公東郷ような顔に切り替えた。(昔爺ちゃんの部屋にあった漫画ゴルゴ13を参考に)
「梨里ごめん!ヒーローに頑張ってもらったんだけど、残念ながら…チケットGET出来ました!」
僕もヒーローと同じレベルのことしか言えなかった。
「ほんと!やったー!嬉しーありがと、かっちゃん!ありがとー」
梨里は僕の手を握り飛びはねながら何度もお礼を言った。
人の手柄を我がもの顔で喜ぶ心の汚さを恥なから、僕は満足度1000%だった。
その後、梨里は女友達に声かけられ別の教室へと入っていった。
見えなくなりそうな時梨里が振り返って僕に向かって「ありがとっ」と言った。
聞こえなかったが唇の動きでそれは分かった。
「夢の中の初キッス」
それから一週間後、南の島に僕達9人は学生最後の秋休みを満喫しに出かけた。
神島は人口500人にも足りない島だが思った以上に面積が広かったことに驚いた。何より東京では肌寒いのにここ沖縄はTシャツ一枚でも暑いくらいの真夏日だった。ジャケットを羽織ってきたことに早々と後悔をした。
そう思いながらさほど大きくない客船で島にたどり着くと、島にたった1つしかない民宿の宿長さんが出迎えてくれた。
「ようこそ神島へ」
「フロントチーフの神奈島三佐男といいます。どうぞよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
私たちは練習してもいないのに息ピッタリで挨拶をした。
「立ち話もなんですから、どうぞ宿の方へ」
入り口ではハイビスカスが色とりどりと咲き乱れ、南の島の雰囲気を醸し出していた。
荷物を部屋に置いた僕たちは、宿で貸し出している自転車に乗り、島一周サイクリングに出かけることにした。
チョットした欠点は自転車が5台しかないということだ。
二人乗りすれば問題なく9人は乗れるのだが4台は仲良く二人乗り、1台は一人寂しく乗ることになる。
絶対にそれだけは避けたい。
あっという間にそれはジャンケンで決まった。僕は一人ぼっちだった・・・
梨里は相撲部の真木くんと乗ることになった。
僕は自分に言い聞かせた。二人乗りだとお互い話に夢中になり過ぎてこの自然の美しさを堪能できない。だから一人がいい。僕はそうリフレーミングした。※リフレーミング=マイナスの感情をプラスの感情に変化させる方法。
しかし、負け惜しみではなく本当にこの島は美しい。島一周がビーチで囲まれ、海は透明度が高く泳いでいる人の影までもが底に映って見えるほどだった。
この島の魅力は海だけに限らず、マングローブに囲まれたこの一帯も見たことのない鳥達が僕たちを受け入れているかのように大合唱でもてなしてくれている。
『なんて素敵な島なんだろうか。』
この癒される感がパワースポットの島と言われる由縁なのだろうか。
でも・・・もう1人で感動する気持ちには限度が見えてきた。
『やっぱり後ろに梨里がいて欲しい。そしたらこの景色もまた違って見えるのかなー』そう思いながらぬらりくらりと最後尾で走っていると、前を走っていた真木君の運転する自転車から梨里が降りた。
そして真木君と、こそこそと話を済ませると私のところに駆け寄ってきた。
「かっちゃん、後ろに乗っていい?」
「えっ!?僕はいいけど、真木はいいの?」
「うん、大丈夫」
「体の大きい真木君には緩やかな坂だけど厳しいかなって思ったの。それにかっちゃん1人で可哀想だなーって思ったから、真木君に『ずっと一人ぼっちのかっちゃんの所にちょっと行ってくるね』って言って来ちゃったっ」
真木の疲労度を考えるところといい僕にまで気を使うところといい、ますます梨里のことが好きになってしまった。
そして、梨里は僕の後ろに座った。
『ヤバイ!さっきの景色と全然違う!まるで天国だ!』
嬉しさのあまりペダルを踏む足にも力が入っていた。
スピードが早くなったことにびっくりしたのか梨里は僕の腰に手を回してきた。
「ごめん、スピード上げ過ぎた?」
「うん、ちょっと」
僕は誰よりも先に展望台に行き、梨里と二人きりの時間を送りたくなった。
もうすでに僕の視界に周りの美しい景観は入っていなかった。
一足先に展望台到着すると二階へと続く螺旋階段を駆け登った。
そこには木々のグリーンと海のブルーそして太陽が放つオレンジとピンクのコントラストがまるで天国へ登る階段のように広がっていた。
僕らの恋が始まった瞬間でもあった。
そして二人は見つめ合い唇はそっと重なり合った・・・
と、なるはずだったがやつが余計なことをしでかした。
展望台に向かう途中、天使の美玲ちゃんを乗せたヒーローが僕らの自転車の隣りに来た。やつは「おっ勝負するかっ」とバトルを挑んできたのだ。
「いやいやしません!お宅らはのんびりいらして下さい」
「よーいスタート!」
「コラー聞いとるんかーい!」
ヒーローは全く聞いていなかった。
しかしバトルが始まった以上梨里の前で無様な姿をさらすわけにはいかなかった。
そして全身にある締まりのない筋肉を鋼の筋肉に変えラスト50メートルで突き放し第1回ツール・ド・ゴットランドの覇者となった。
展望台に上がるとそこには幻想的な景色が広がっていた。雲の隙間から差し込む直線的な光の流れは、まるで天国からカーテンを垂らしているかのようにさえ見えた。
その神秘的な風景に、幼稚園児の落書きが加えられた。
「スゲー、スゲー、夕日スゲ〜」
奴がそこには居た。一瞬にして初キッスのチャンスは儚い夢へと消えていった。
「ヒーローめ!」
そして島の一望できる素敵なこの場所とも別れを告げ僕たちは宿へ帰ることになった。
帰りは下り坂なので梨里は真木のところへと戻って行った。
帰り際梨里は僕を見て何かを言った。
『あ り が と』
聞こえなかったがやはり唇の動きでそれは分かった。
「海賊王」
今回の旅行はただの思い出作りではなかった。島に伝わる伝説の真相を明らかにし、爺ちゃんの宝の地図が示す場所へ行きお宝をGETすることが最重要課題だった。
実は、ここに来る前に神島に伝わる伝説をリサーチしておいた。
それは中国と交流が盛んに行われた琉球王国時代の話である。
東シナ海の荒れ狂う海原を行き交う貿易船を襲い、金銀財宝を奪うという悪名高き海賊がいた。名を「武灑王武瑠 ぶしゃおうたける」と言った。
彼の率いる海賊は海の悪魔と呼ばれるほど恐れられ、彼が現れると海が瞬く間に荒れ狂い、鉄板のような波に叩きつけられ、さらには強風により帆柱は折られ揚力を失っていった。
甲板に乗り込まれた商戦はなす術なく武灑王らの餌食となっていった。
しかしその悪名高き武灑王だがここ神島では英雄として崇められていた。
海で奪った財宝は貧しかった島の住民のため食料に変え一人一人に分け与えられた。流行病が島で発生すると高価な薬を買い付け病人を助けるなど島のために尽くした人物として神のように崇められていた。
そして残った財宝がこの島のどこかに今もなお隠されていると語り継げられているのだ。
そのいまだ発見されていない宝物の隠し場所は僕の爺ちゃんの地図に録されていた。島の伝説を調べれば調べるほどその地図が本物であると思えてきた。
普段警戒心のない僕でさえ地図の事は仲間には伏せていた。それは情報が漏れると地図を奪いにくる輩が増え、我々の命が晒されるのではと危惧したからだ。
明日の早朝に「島の自然に触れる旅」と称して島の探検に行く予定を立てたが
興奮し今夜は眠れそうにない。
「郷土料理」
宿に戻ると夕飯の準備がされていた。旅行の楽しみの1つでもあった沖縄の郷土料理ということでみんな一品一品味わって食べていた。
サッカー部の大垣仁(じん)は実は沖縄の出身だった。
「これ最高に美味しいよ」
仁君は女子に肉の塊を勧めた。
コラーゲンたっぷりだというこの煮込み料理は女子の中でも大人気だった。
「きゃー、美味し〜」
「お肌に優しいコラーゲン食してまーすって感じ!」
しかし仁君の一言が一瞬にして彼女らを凍らせた。
「美味しいでしょ、でもそれ豚の足だよ。とん(豚)そく(足)って言うんだ」
「・・・」
「きゃー」
彼女らの悲鳴と共に箸が宙に舞った。
「ぎゃっはっは!」
ヒーローは大爆笑していた。
「大丈夫!ちゃんと洗ってあるから。」
仁君は爽やかな顔でさらっと伝えた。
「いやいやそこじゃないでしょ」
彼女らは冷ややかな顔で突っ込みを入れた。
僕は正直美味しかったので豚の身になって一言添えた。
「でも、コラーゲンたっぷりな上に砂糖醤油に絡めた感じが美味だと思いませんか?」
「・・・」
女子の顔は強張っていたが僕は折角の楽しみが台無しになるのを恐れ次の一品を薦めてみた。
「これがちょー美味しいよ」
見た目はベーコンを白っぽくした感じで、鳥軟骨のようなコリコリとした食感にピーナツトレッシングを垂らした一品。
「やだーほんと、ちょー美味しい。ピーナツドレッシングがさらに美味しさを引き立てているわね。こういうのを女性には薦めるのよ大垣さん。」
鼻にかけた言い方をしたのはテニス部の真奈美ちゃんだった。
仁君は右眉を片方上げながら答えた。
「あのーそれ、ミミガーっていって豚の耳ですけどっ」
「・・・」
「きゃー」
真奈美ちゃんの悲鳴と共に箸が宙を舞った。
「ぎゃっはっはっ!うけるー」
ヒーローは大爆笑した。
【悪夢】
食事を済ませ、部屋に帰ってきた僕は疲れていたのだろうか、歯磨きを済ますとソファーで一瞬にして深い眠りへと落ちていった
しかしその後、不可思議な夢を見てしまった。
僕は一人、爺ちゃんの地図を片手に人里離れた森の入り口まで来ていた。森の中に入っていくにはあまりにも軽装過ぎたことと発掘道具を何一つ持っていないことに後悔をした。
だが夢の中では大胆不敵とでもいうのか開き直りも早く臆することなく足を踏み入れていった。その時、真っ白な顎鬚を蓄えアイヌの衣装に似た格好をしているご老人に呼び止められた。
「お前さん、森に入られるおつもりかい?」
低い声で僕に問いかけてきた。
「あっ、はい」
軽いノリでそう答えると老人は険しい顔になりこう忠告してきた。
「この森の入り口から数十メートル奥に入ると龍神洞と呼ばれる洞窟があるのじゃが、その入り口までになさりなさい」
「それより先に入るとこの島の守り神の呪いで命の保証はできんぞぃ!」
老人の眼光は老いを感じられないほど鋭いものに変わった。
しかし呪いも怖いが宝物の存在が気になるので恐る恐る尋ねてみた。
「あのー昔、この島には島の英雄が集めた宝物が隠されていると聞きましたが本当ですか」
老人は杖を使い立ち上がった。
「あれは呪われた財宝だ。それをめぐってどれだけ多くの命が断たれたことか」
「それは洞の中にあるのですか」
「馬鹿者!」
今まで静かな語り口調だった老人が怒鳴り声を上げた。
「あれは島の宝物じゃ、よそ者のお前達が欲を出して
盗みを働くから神も呪いをかけるのじゃ!」
目が剥き出しになり、額には血管がぽっくり浮き出てきて、爺さんの顔はみるみると悪魔の様な顔へと豹変していった。
「ひょえー」
僕は恐怖のあまり悪夢から目を覚ました。
僕の背中は汗びっしょりだった。
「あちゃー、変な夢見ちゃったなー」
気色悪さを感じなからも閉ざされたカーテンの隙間から漏れる外の明かりで朝が来たことを感じ取った。カーテンを両手で開くと、まばゆいばかりの光の矢が部屋全体に差し込んできた。そして、部屋から視界に広がるのは青い空と、青い海だった。
夢のことは、すっかり忘れてビーチに出かける準備に取り掛かっていた。
『幽霊』
「ヤッホー 海だー」
はしゃぐのはいつもヒーローと相場が決まっている。
しかし、今日だけは全員がはしゃぐほどの景色がそこにはあった。
数メートル先までも透き通った海、熱帯魚達がダンスで歓迎している様にも見える。そして浜に座ると真っ白な粉がお尻にお化粧をしてしまう。まるでパウダーのような砂浜。
都会では見ることのできない天国の様な世界がそこにはあった。
このパノラマを見ただけでもバイト代を全額はたいてでも来た価値はあった。
本当は梨里がいるだけでどこに行っても素敵な場所に違いないのだが・・・
僕は笑顔で喜んでいるであろう梨里の方へ視線を移した。
ビーチサンダルを履き、白くすらっと伸びた足がショートパンツから伸びていた。モデルのような8頭身の体型が頭の中で南の島のイメージガールを思い描かせていた。
綺麗な海も空も全てのものが梨里のためにあるかのように感じた。
僕がその美しさに見惚れていると、梨里を手招きする不届き者が現れた。それは和斗だった。
和斗はバスケット部のキャプテンで身長は高くイケメン。何より僕のライバルで梨里の事をとても気に入っていた。(ライバルと言えるほどのとりえは僕には何もないのが本音)
ただ一つ和斗に欠点があるとしたらプレイボーイであること。
彼は取っ替え引っ替え彼女が変わるので僕は絶対に梨里だけは守らなくてはと常日頃から思っている。
でも、梨里はそんなことを知ってか知らずか、いつものごとく和斗にも優しく接していた。
僕は焦燥感に駆られてみんなに集合をかけた。
「はい男性陣はバーベキューの準備をしましょう!」
「えー」
和斗が不満気に言った。
梨里に近付くチャンスを逃したことに不満気な表情を見せた。
「かっちゃん私にも何か手伝えることない?」って梨里が聞いてきた。
「あるよ、焼き鳥班が足りなかったから助かる。お願いね。」
「はーい」
『さすが梨里!少しは見習え、どすけべ和斗めっ』
僕たちは、折角なので沖縄そばを使っての焼きそばにも挑戦した。
それがまた好評で、焼き鳥の次に人気を博した。
「それでは腹ごしらえもしたのでみんな聞いて下さい。」
「この島を旅行場所に選んだのには海が綺麗っていうだけではないんですよ。実はこの島には宝物が隠されているんです。」
「楓君の?」
南ちゃんが冗談とも本気とも取れない言葉を発した。
「そう!僕が小さい時にお母さんに買ってもらったガンダムのプラモを隠してある。って、そんな訳無いやろっ!」
一人ボケツッコミしたがみんなは無表情だった。
まあそんなことはさて置き話を続けた。
「実は僕の亡き祖父の形見の中にこの島の宝の地図があったんです。」
皆は無表情のままだった。
「それがこれです」
中学校の卒業証書を入れていた筒の中から地図を取り出した。
皆は半信半疑のまま僕のところに歩み寄ってきた。
「これが楓の言っていた爺ちゃんの形見の地図か〜胡散臭いけど本物っぽいでもあるなー」
そう言ってきたのはただ一人宝話を打ち明けていたヒーローだった。
「ほんとですね、ちょっと見せて下さい」
喰いついてきたのは美玲ちゃんだった。
「この漢字やばくないですか。『呪島、呪宝』って書いてありますよ」と美玲ちゃんが言うと
「え〜ほんと〜、やだ〜こわ〜い」
女性陣は信じてなさそうにしながら漢字には過敏に反応した。
「大丈夫だよ!宝を盗られたくないから脅して書いてあるだけさ」
そう弁護するのは相撲部の牧くんだった。
僕も本音を言うと一抹の不安を抱いていたが気丈にふる回って見せた。
「さあ、腹ごしらえも済ませたので皆んなで探しに行きましょう!」
BBQの片付けを手際よく済ませビーチを後にした。
振り返ると爽やかな風が吹き、透明な波がそのおぞましい『呪』の一文字を掻き消してくれるかのようだった。
そして僕らは地図を手に森の入り口まで辿り着いた。
「ねえ、やめませんか?なんか薄気味悪いしさー」
怯えているのは梨里だった。真奈美ちゃんの腕にしがみついたまま怖がっていた。ひとまず和人の腕でなかったことに胸をなでおろした。
森の入り口は木で覆われているが中を覗くと獣道が一本、闇の世界に誘う(いざなう)かのように伸びていた。
僕たちは恐る恐る地図を頼りに何本かに分かれて行く道を取捨選択しながら先に進んで行った。すると注意事項らしきことの書かれた看板が大木の根元に立て掛けてあるのが目に入った。
《これより先は神に選ばれし者のみが許され、それ以外の者は断固禁ずる》と記されていた。
それを見たヒーローは足がすくんだ。
「楓、やめよーぜ、宝なんてあったとしてもとっくに盗賊に取られてるって」
すると、大垣が虚勢を張った。
「ヒーロー何びびってんだよ。宝物を取られたくないからそう書いてあるだけだろ。心配すんなって何かあったら俺が守ってやるよ」
「和斗くん、頼もしい!ありがと!ってあほかっ、おいらだって別にびびってないわい!」
「ねえ、ちょっとあれ見て!」と南ちゃんが言った。
奥の方に目をやると洞窟らしきものが見えた。
僕らは恐る恐る洞窟の前まで歩を進めた。
入り口は岩盤に3メートルほどの大きな穴が空き、まるで溶岩がそこから溢れ今にも迫ってくる火口のようでもあり、何人たりとも侵入を許さない要塞のようでもあった。
龍神洞と書かれた石碑までもがあったことに驚愕した。それは昨晩見た夢そのものだった。
デジャブーと一言では片付けられないほど夢に出てきたシーンがそこにはあった。
しかし、ここで引き返したら、和斗にからかわれるのは火を見るより明らかだった。梨里の手前それだけは避けなくてはならない。
入り口の前まで来たが誰も洞窟の中には入ろうとしない。
それもそのはず、この先は誰彼なしに足を踏み入れては行けない神聖な場所であることは誰の目にも明らかであった。
しかし、宝の地図はこの洞窟の奥を指し示していた。
「よし、僕がちょっと見てくる」
「かっちゃんやめてっ怖いよー」
梨里が僕の腕を掴み止めてきた。
僕は勇気ある自分を見せようと自分を鼓舞した。
『今こそかっこいいところを見せるんだ!』
梨里の手をそっと離し洞窟の中へと入って行った。
懐中電灯のスイッチを入れ中腰で足を一歩踏み入れるとそこには冷気が漂い魔物の格好の巣窟の様でもあった。
しばらく歩いていると懐中電灯の明かりに反射して光る物体を見つけた。
それはまるで壁に掛けかけてあるかのように、突起した岩の先端にぶら下がっていた。
恐る恐る手に取ってみるとネックレスのようだった。中央に濃いブルーの石が金色に輝くフレームに抱かれたものだった。
その時接触不良なのかただ単に電池の消耗なのか懐中電灯の明かりが弱まりそして消えた。
僕は懐中電灯をトントンと叩くと再び明かりを取り戻した。ほっと胸を撫で下ろし正面を照らした。その時僕は見てはいけないものを見てしまった。と同時に洞窟に入ったことを凄まじく後悔した。
闇の奥に人影のようなものが見えたのだ。それが横に揺れながら少しずつ僕の方へ近づいて来た。
僕は恐怖の余り声を失った。そしてその人影から女性のような声が囁くように聞こえた。
「た け る・・・」
その瞬間悲鳴が聞こえた。
「キャー」
洞窟の入り口の方からだった。。固まっていた僕は呪縛から解き放たれたかのようにその場から逃げ帰った。タイミング的には僕が先に悲鳴をあげるところだったはずだが誰かに先を越された。
『人影は僕にしか見えないはずだが・・・』
どうやら洞窟の前で悲鳴をあげたのは梨里だったらしい。小刻みに震えている体を真奈美ちゃんが抱きしめていた。
「どうした!?」
真奈美ちゃんに聞くと、首を横に振って分からない様子だった。
「とにかくこの場所から離れよう!」
僕は自責の念に駆られた。梨里に何かしら恐怖を与えたこと、夢に出た老人の忠告を無視したこと、そして見てはいけない物を見てしまったこと数秒の間にこの場所に来たことを激しく後悔をした。
梨里は一人では歩けないほど足が震えていた。
「逃げよう!ここに居てはダメだ!」
僕はいつの間にか梨里を横にして抱え込みこの森から一刻も早く出るために走っていた。悲鳴とともに皆も一斉に逃げた
その時、梨里とは違う声で耳元で何者かが呟いた。
「お か え り た け る ・・・」
「えっ!?」
『やばい側にいる』
あまりにも耳元で囁かれたため横を振り向くことが出来なかった。
しかし、直視している僕の視野に黒い何かが入ってきた。
直ぐにそれが何か分かった。
髪の毛だった。僕の顔の直ぐそばを首、もしくは得体の知れない何者かがぴったり張り付いているのを感じた。
命の危険を感じた僕は横を向くことができず、森の入口の一点を凝視するしかなかった。
長い髪の毛をなびかせ僕の顔をじょじょに覗き込んでくるのが分かった。
『やばい』
僕は立ち止まり梨里の体をぐっと抱きしめうずくまった。
梨里は僕の腕の中で震えている。
ヒーローやみんなはあっという間に立ち止まった僕らを置き去りにし森の入り口に駆けて行った。
「楓急げー」
ヒーローの声が遠く先の方から聞こえた。
ぼくは梨里を抱えたまま立ち上がり再び走り出した。
その時何者かが僕の後ろ髪を掴んだ。
『ブチブチッ』
何本か髪の毛が切れた。
それでもなんとか得体の知れない者を振り切り入口までたどり着いた。
森の入口近くまで来た僕は立ち止まり後ろを振り向いた。
遠く離れたところではあったが白い布のようなものを羽織、垂れ下がる長い髪の隙間から私を睨み付ける女の姿がはっきりと見て取れた。
そして女は鋭い視線から微笑んでいるかのような表情へと変わっていった。
「フッフッフッ」
『額縁の中の女』
民宿に戻り30分ほどすると、梨里は冷静を取り戻した。
ホテルのリビングのソファーに座る梨里の話に皆は耳を傾けた。
「かっちゃんが洞窟に入ってしばらくしたら洞窟の中から顔面血だらけの女の人が首を揺らしながら走ってくるのが見えたの。しかも笑っていた」
「その後の記憶がないの。気が付いたらかっちゃんが抱きかかえていた」
皆はビビっていた。ヒーローは口を開けたまま目を丸くしていた。
しかし実際に見ていない彼らは立ち直るのも早かった
梨里と僕以外は皆あっけらかんとしていてすでに今日の夜食であるバーベキューの準備に取りかかっていた。
ホテルの従業員も手際よく鉄板を用意してくれている。
私は先程の囁きが耳から離れずにいた。
『おかえり・・・』
『たける・・・』
まったく意味が分からずにいた。初めての島でなぜ知らない名前で呼ばれたのか皆目検討もつかない。
しかし、それが明らかになるにはそう時間はかからなかった。
ホテルの総支配人が私たちのところに挨拶に来た。
かりゆしウエアーと呼ばれるアロハシャツに似たシャツを羽織、爽やかな雰囲気を醸し出していた。
その出で立ちがここ沖縄では正装になるらしい。アロハのようなちゃらっけもなくどこか品の良さをがあった。
その支配人が私の顔を見るなり、驚いた表情で
「武瑠?武灑王武瑠?」と言ってきた。
「たける?ぶしゃおうたける?」
『げっ、昼間林の中で女に言われた名前だ』
「またかよー 何なんですかー そのぶしゃおうたけるって」
支配人は我に帰ったのか、右手で頭を掻き笑いながら謝ってきた。
「お客さん、ごめんなさい。そんなはずないですよね。実は島の守り神の武灑王武瑠に似ていたものですから私もビックリしちゃいまして。ごめんなさい」
頭をかきながら謝る支配人に私は質問をした。
「私がその守り神に似ているって何か文献でも残っているのですか?」
まだ事態が飲み込めないまま支配人に尋ねると、支配人はホテルのロビーに掛けてある額縁を指差した。
「これです。この島の守り神で武灑王武瑠(ぶじゃおうたける)といいます。貧しかったこの村を立て直すために命を張ってまで尽くして下さったお方です」
縦横1メートルほどの額縁の中に油絵らしき絵具で男性が槍を持ち仁王立ちしている姿が勇ましく描かれていた。
『えっ?!僕!?』って一瞬見間違えるほど似てはいたことに正直驚いた。
しかし、この世に存在しない人に似ていることに複雑な気持ちになった。
「えーそんなに似ているかな~」
そこに横からうるさい奴が現れた。
「ぎゃっはっは、こいつ楓に似ているーすげーそっくり!うけるー」と大声で騒ぎ立てた。
「すごいな楓、お前のご先祖様じゃねーのか?うけるー!」
ヒーローはからかいながらも似ていることを主張した。
だがヒーローはびっくりはしたものの別に興味はないらしく、女の子達のいる庭の方にそそくさとかけていった。
「全く何なんだ奴は・・」
もう一度額縁の方に眼をやった。
「ぎょえーこの女だー」
次に大きな悲鳴をあげたのは僕の方だった。
武灑王の傍に仲睦まじく寄り添って立っている女性がいた。それは紛れもなく昼間僕の耳元で「おかえり」と囁いた女だった。
支配人は驚いている僕をよそに、その女性の説明も始めた。
「きれいな方でしょ?この女性は琉衣岬(るい みさき)といって、武灑王が生涯愛した女性です」
「残念なことに武灑王は盗賊がこの島に乗り込んで来た時、村人を助けるために果敢に戦い、盗賊の大将と相打ちとなり帰らぬ人になってしまったそうです。
それでも戻らぬ最愛の人を待ち続け、一生独り身のまま寂しくお亡くなりになったそうです」
「300年経つ今でもこの島のどこかで愛する人を待ち続けていると言われているんですよ」
「切ないですよねーぐすっ」
支配人は持っていたハンカチで涙を拭った。
『いやいや、驚かされた僕としてはただ怖いだけですけど』と心で思いながら支配人の話を聞いた。
庭ではみんながワイワイガヤガヤ騒ぎなからお肉を焼いていた。
僕はいろいろ考えるのを止めソファーで横になっている梨里に声をかけバーベキューに一緒に参加することにした。
『悪霊』
一泊二日の夢の旅行はあっという間に終わり、家にたどり着いたのは夜の10時過ぎだった。
「また明日から学校かー、ふー」とため息をつきながら鉄骨の外階段を登り玄関のドアを開けた。
真っ先に向かったのは洗面所だった。もうヘトヘトで歯を磨くだけの体力しか残っていない。赤青白のトリコロールカラーの歯磨き粉が口の中で真っ白の泡を立てていたが頭に浮かぶのは、額縁の女のことだった。
『やめやめっ!寝る!』
歯磨きを終えた僕はベッドに倒れこんだ。
それからどれ位経ったのだろうか、静寂に包まれた部屋の外から変な音が聞こえてきた。誰かが外の階段を上がってくる音だった。「ペタン。ペタン。」
『・・ん?・・裸足?』
そしてその足音は僕の部屋の玄関先で止まった。
その直後「コンコンコン」と扉をノックする音が聞こえた。
『ん?誰だよ、こんな遅くに』
寝たふりをして開けないでいようかとも考えたが取り敢えずベッドから降り玄関先まで来た。
「どなた?」
「・・・」
返事はない。
僕は恐る恐るドアスコープを覗いてみた。
しかし、そこに映っていたのは数本の鉄格子だった。
『昔流行ったピンポンダッシュなんだろうか。』
夜中にそれも変だなと思いながらベッドに戻りかけた。
「コンコンコン」
その音は確かに玄関の向こう側に人がいることを物語っていた。そう考えてたと同時に背中に悪寒のようなものが走るのを感じた。
再び玄関に向かいスコープを見ることなく扉を開けた。
ガチャ
「誰ですかこんな遅くに!」
『・・・』
『誰もいない・・・』
裸足のまま外に出て階段や道を覗き込んでも、人通りの少ない裏通りには猫の子1匹も見当たらなかった。
『・・・居ない』
隠れる場所などどこにもないのになぜ姿が見えないのかますます薄気味悪くなってきた。
僕は中に入り鍵を掛けチェーンにまで手を伸ばした。その時。
「コンコン」
『えっ?』
タイミング的にもノックができるはずがなかった。
「コンコン」
「・・・」
私は今、気が付いた、と同時に血の気が引いていくのを感じた。
ノックの音は玄関ではなく室内にあるトイレの方からだった。
僕は恐る恐るトイレの方向を振り向いた。そのトイレのすりガラスに黒っぽい人影の様なものが透けて見えた。
「ぎょえー」
僕は腰が抜けそうになった。
僕は部屋に駆け込み布団にくるまって怯えた。
ギーッ
トイレの扉が開く音がする。
ずずっずずっ
何か引きずっているような音が近づいてくる。
『やばいよー絶対やばい!』
布団にくるまっている僕の前で引きずる音は止まった。
そして、何かを呟くのが聞こえた。
「た・け・る・・・」
僕は何も言えず震えるばかりだった。
「た・け・る」
得体の知れない何かは、ミノムシのようにくるまった僕の布団に手をかけてきた。
ガタガタ震えながらも渾身の力で布団の袖を握り締めるが、いともたやすく布団はめくれた。そして青白い顔が覗き込んで来た。
「ぎょえー」
私は恐怖のあまり気を失った。
『呪い』
あれは夢だったのだろうか。気がつくとしっかりと肩まで布団をかぶり、普段と変わらない目覚めのように感じた。
「なんだよー夢かー」
「それにしても、リアルすぎるよなー」
僕はベッドから出て、冷蔵庫から半分残っていた牛乳パックを取り出し飲みながら扉を閉めた。
「ぶぅあはっ!ぎょえー」
含んでいた牛乳が勢いよく噴き出した。
斜め前に額縁の女が立っていたのだ。
噴き出した牛乳は額縁の女の顔めがけて飛んで行ったが体をすり抜け、壁に飛び散った。白い液体が滴り落ちてきたことでさらなる恐怖を掻き立てた
「死ぬー」
また、気絶しかけたら額縁の女が話しかけてきた。
「私よ たける様」
「お忘れになられたのですか」
額縁の女は僕の両肩に手を乗せ揺さぶってきた。
僕は失神寸前で肩と首が交互に揺れているように感じた
「ひっひっ人違いです」
蚊の羽音のような声で思い違いであることを訴えた。
「何をおっしゃっているのですかたける様」
それでも額縁の女はひるまず抗弁してきた。
「だから僕はたけるという人じゃないだよー」
「だからお願いだからどっか行ってくれー」
「・・・」
やっと気が付いてくれたのだろうか少し沈黙が続いた。
しかしその沈黙は僕にとって恐怖の時間だった。
再び額縁の女は話し始めた。
「わたしのことがお嫌いになられたのですか?私のこと恨んでおられるのですか?」
『全く気が付いてないじゃないかー』心で叫んだ!
「だからー僕は楓、神崎楓」
「うえーん うえーん」
と鳴き声を出したのは僕ではなく額縁の女だった。
僕は額縁の女に先を越された。
「ひどい ずっとあなたのことを待っていたのに知らないと嘘まで付くなんてひどい うえーん」
小学生が泣くみたいに大きな声で泣き崩れた。
あまりにも泣くので少し気の毒になってきた。
「あのー悲しむお気持ちはよく分かりませんが諦めて成仏されてはいかがでしょうか?」
『ぎろっ』
ボロボロ涙を流し悲しそうにしていた瞳は一瞬にして鬼のような眼光へと変わった。
そして額縁の女は僕のズボンの裾を掴みながら徐々に立ち上がった。
「何をおっしゃっているのですか。あなた様がたける様であることは間違いないはずです。あなた様がいつまでもこの世にいることは望ましくありません」
「さあ行きましょう。今すぐあの世にお伴しますわ」
「記憶がなくても向こうの世界に行けば戻るかもしれないのでお連れいたします」僕の手を掴み引っ張り出した。
『おいおい、あの世に行くイコール死ぬってことじゃねーのか?』
「やだよ、僕まだ死にたくなーい!」
額縁の女は僕を睨みつけて恐ろしいことを告げた。
「もしあなた様が、タケル様でないとしてもすでに島の呪いにかかっておいでです。ですからあの世に行くのも時間の問題です」
額縁の女は冷たい表情で、恐ろしいことを言った。
「何を言っているんですか!僕に呪い!?」
「なんで呪いにかからないといけないんですか」
僕は動揺を隠せなかった。まして命の期限があるなんて。
「あなた様は龍神洞に入ってはいけないと老人から忠告を受けましたわよね」
「えっあれは夢だったから忠告とはいえないじゃないですか」
「夢ではありません。あなたの意識の中に入った死神五平です。それに洞窟前の《神に仕える者以外の侵入を禁ずる》と書かれた立て看も読まれましたよね」
「そっ、それは読みましたが呪いをかけるとは書かれていなかったはずです」
僕は涙がこぼれ落ちそうになりながらも弁解を続けた。
「無理です」
「掟を破ったあなたが悪いのです」
「早くこの世への未練を捨てて私とあの世で幸せな家庭を作りましょっ」
ニコニコして再度僕の手を引っ張ってその場から連れて行こうとした。
額縁の女に懇願した。
「ごめんなさい、悪ふざけで洞窟に入ってしまったこと許してください。なんでもします。島に戻ってお供え物もします。ですから呪いを解いて下さい」
床に頭を擦り土下座をした。
「あと1ヶ月があなた様の寿命です。その間にやりたいことをお済ませになられておいて下さい。たける様…」
額縁の女は薄ら笑いを見せた。
私は全身の力が抜けて行きその場に倒れ意識が遠のいていくのを感じた。
『ありえねー・・・』
『アプリ』
何時間経ったのだろうか、頭がズキズキ痛み眼を覚ました。
そこに額縁の女はいなかった。
「ふーよかったー、やっぱり夢だったのかな」
『疲れる夢だったなー』って思いながら洗面所へと向かった。
今何時だろう、壁に掛けてある50sの雰囲気を醸し出した青と緑のネオンクロックは起きる予定であった8時を20分をとうに過ぎていた。
今日から学校の日、嫌な夢のことは忘れて梨里のいるキャンパスに行く準備を始めた。
『ピロリロリーン』
突然、携帯のアラームが鳴り響いた。
指紋認証センサーで開かれた画面には見知らぬアプリがインストールされていた。
「なんだこりゃ?」
アプリの下には《余命アプリ》と書いてあった。
「余命アプリ?そういえば夢の中で余命がなんとかって言っていたな」
「いやいや、あれは夢だから関係ない」
そう言い聞かせながらアプリを開くことなく登校する準備をした。
「背後の女」
電車に揺られて10分、わりと近い学校なので登下校の辛さはあまり無い。
学校に着くと旅の思い出話に花を咲かせる仲間達がいた。
「楓くんおはようっす」
声を掛けてきたのは相撲部の真木くんだった。
「おはよう!みなさん!相変わらずお元気そうですね」
僕は旅行で親しくなった彼らのことをなぜか昔からの仲間のように感じていた。
「今ね、先日の旅行の写真交換しあっていたの、かっちゃんも交換しよっ」
そう言ってくれたのは真奈美ちゃんだった。
「うん、いいよっ皆さんのアドレス教えて」
「どの写真を送ろうかなー」
20枚くらいある中から選んでいた。
「えー全部送ってー」
実は僕が映っている写真を送るのには気が引けた。理由は実物よりかっこよく映った試しがないからだ。本当は自分の容姿に自信が無いだけだが。
「あれ、誰この人?」
真奈美ちゃんが不思議そうな顔をした。
「後ろ姿だけどかっちゃんの写っている写真に何枚か載っているよこの人」
「こんな人撮っていた時に居たかなー」
「どこ?」
「ほら!これっ」
真奈美ちゃんか指差したところに写っていたのは後ろ姿の髪の長い女性だった。
『ドキッ』
明らかにその人は額縁の女だった。白装束の目立ち過ぎる出で立ちは後ろ姿でも十分に分かった。
「楓、なんじゃこりゃ!やばくねーこれっ?じぇったい取り憑かれているぞ」
ヒーローが恐怖を煽るように言った。
昨晩のことが現実味を成した今、皆に相談する事もなく一人総毛立つ思いで知らないふりをして講義を受けに2階講堂へと向かった。
『あのことが夢でないとしたら呪いは本当なのか・・・』
『夢と現実、死と呪い、女とタケル・・・』
頭の中でパニックを起こしていた。
「かっちゃんっ!」
その声は、梨里の透き通る優しい声だった。
「どうしたの元気ないけど」
僕は恐怖のあまり『怖いよー』って言いながら抱きつきたくなった。もちろん出来るはずないのだが。
「別に大したことではないよ。ありがとっ」
僕は梨里の心配をよそに教室へと入っていった。
『意識不明』
額縁の女のことが頭から離れず、おかげで講義の内容は全く頭の中に入らないでいた。
講義を終え教室を出るとそこに梨里が立っていた。
「かっちゃんお疲れ!」
壁に持たれて読書でもしていたのか、文庫本らしき本を閉じて僕の方に歩み寄ってきた。
「どうしたの」
「うん、講義が終わるのを待ってた」
「えっ?なんで」
「今日の講義午前中だけでしょ!?その後一緒に帰りたいなって思ってそれを伝えたくて待ってた」
「えっ僕と?」
「うん、かっちゃん元気なかったから心配になっちゃって」
さっきまでのモヤモヤは一瞬にしてどうでもいいことへと変わっていた。
「あっごめん、心配かけちゃったね。でも大丈夫よ」
梨里は不安そうな顔をした。
「そっか、分かった。大丈夫なら私はいっかっ」
「いやいや待って待って、誰も一緒に帰りたくないって言ってないでしょっ」
梨里の表情が明るくなった。
「本当!よかったっ、断られるんじゃないかってドキドキしながら待ってたんだよ」
僕の場合はドキドキにウキウキワクワクが加算されていた。
「帰ろっ」
「うんっ!」
梨里の屈託のない笑顔は全ての悩みを吹き飛ばせてくれた。
僕らは学び舎を後に、まるで表参道のような並木道を腕が触れそうな距離で歩いていた。
「ねえ かっちゃん聞いた?南ちゃん真木君にデートに誘われたらしいよ」
「まじっすか?でっなんて答えたの?」
「オッケーしたって言ってた」
「そうなんだ。奴も隅に置けないな!旅行中もずっと言っていたもんなあ〜『南ちゃん可愛い〜』って」
「奴のデレデレした顔が目に浮かぶよ」
「いーなーいーなー」
手を後ろに組んで、肩を左右に揺らしながらそう答える梨里の姿がやけに可愛く見えた。
「もしかしてかっちゃんも誰かとデートの約束した?」
いきなり僕に振ってきた質問に動揺した。
「でっデート?約束してないし、おっお願いしたい人もまだ・・・」
『おーい、俺は何を言っているんだっ!。梨里と映画観たり、動物園行ったり、お洒落なカフェでデートしたりするのが最大の夢なんだぞ〜』
「そっかー」
梨里は下を向いたまま答えた。
『もしかして僕と・・・』
ちょっと勇気を出して訊いてみようかと思った矢先のことだった。
「かっちゃん実はね、和斗君に週末誘われているんだ。遊園地に…」
ガビーン!
雷が頭に堕ちたかのような衝撃を受けた。
それでも僕は梨里に恋い焦がれる気持ちとはうらはらに、ただの友達であるかのようにアドバイスしていた。
「そうなんだ。和斗かっこいいしバスケ部のキャプテンで頼れる奴だしいいんじゃん!」
『僕は何を言っているんだー 奴はプレイボーイで女たらしで、ポイポイ女の子を取っ替え引っ替えしてる最低な奴なんだぞー』
と心の中で叫んだ。
しかし僕と付き合っているわけでもない梨里を引き止めることはできなかった。
梨里は、吹っ切れた様子で
「分かった、オッケーするね」
「でも別に付き合う気は無いけどね」
その言葉に救われたと思いながらもまた馬鹿なことを口にした。
「分からないよ、楽しくて和斗の優しさにころっといっちゃうかもよ」
『最低だ!僕は最低な男だ!なぜここで『やめろっ』って言わないんだ』
その後梨里はなんにも話をしなくなった。
しばらく沈黙が続いた後、僕らは駅のホームに入りかけた。
その時だった。『パキーン』
本物の雷が落ちたような衝撃が頭の中をかけめぐった。そして忽然と僕の前から視界が消えた。
「かっちゃん、どうしたの!ねえかっちゃん!誰か、誰か助けて!お願いかっちゃん目を覚まして」
僕は横たわっていた。
微かに聞こえてくるのは梨里の泣き叫ぶ声だった。
『病』
ヒーローはみんなに連絡をした。
「かっちゃんが倒れたんだ。今みんな病院に向かっている。南ちゃんにも連絡回してくれないか?」
相撲部の真木に連絡を入れていた。
それからどのくらい経ったのだろうか。僕は病院のベッドに横たわっていた。
そばで誰かが涙声で話しをしているのが聞こえた。
「なんでうちの子がそんな病気にならないといけないの、まだ22歳でこれから楽しいこといっぱい待っているのになぜなの」
それが母親の声だと分かるのにさほど時間はかからなかった。
母は僕の膝に手をつき泣き崩れていた。
その母を女性看護師らしき人が支え別の部屋へと連れて行った。
僕は衰弱しきっているのか身体を動かすことも声を発することさえできずにいた。
『僕って死んでしまうのかな〜』
「はい!」
僕の心の声に何者かが返事をした。
体力を奪われたせいなのか金縛りのせいなのか分からないが体が動かせない。その中で目だけは周りを見渡すことができた。
『ギョエー出たー!』
部屋の角に立ち、ほくそ笑んでいたのはあの額縁の女だった。
しかし、衰弱しきった僕はそれに声を出して驚くほどの元気もなかった。
「早く来て!、タケル様」
額縁の女は嬉しそうにあの世に行こうと誘ってきた。
僕は今にも消えそうな声で額縁の女に言ってやった。
「僕の名前は楓、神崎楓です」
額縁の女は表情を変えずに答えた。
「それくらい知っていますわ!そうそう私は額縁の女ではなく岬という名前なのそうお呼びになってくださいませ」
すました顔で答えた。
「なら岬さん、なぜあなたの恋するタケルという人じゃないことを知ったのに僕をあの世に連れて行こうとするのは何故ですか」
「それわね〜」
腕を組み右手の人差し指を顎にちょんちょんと充てながら満面の笑みで答えた。
「うふっ、あなたに恋したからよ」
「えっ?」
思いもよらなかった返事に鳩が豆鉄砲を食らったようになった。唯一動かせていた瞳も動きを止めた。
「最初あなたに出会った洞窟の中でタケル様が帰ってきたと心から喜んだわ」
「でもすぐにタケル様でないことは分かったわ。だってタケル様はすでにこの世にいない事知っておりましたから」
「それで、ただからかってやろうと思ってあなたやお友達を怖がらせたの」
「そしたら、あなたが女の子を抱きかかえて必死で守ろうとする姿に心を奪われちゃったのよ、その行動が村人のために必死に戦うタケル様と重なって見えちゃったの」
「素敵だったわ、あ・な・た 」
岬さんは右まぶたを閉じ、ウインクと思われるものを僕に送った。
「褒めて頂けるのは嬉しいのですが何も命までも奪うことないじゃないですか」
「私は欲しいものは全て手に入れるタイプなの」
「そんな・・・」
「寿命は1ヶ月あるかなー。まっ、ちょこっと残っているので残りの人生楽しみなさい」
「こんなに苦しいのにどうやって楽しめばいいのですか」
「それもそうですわね。大丈夫よ、明日には動ける体になっているから」
ガチャ
病室のドアノブが回り誰かが入ってきた。
姿を表したのは天使だった。いや梨里だった。
死神と天使が1つ屋根の下に集合したかと思ったら死神の方はすでに姿を消していた。
「かっちゃん・・・」
僕の瞳が梨里を見つめていたことに気が付き駆け寄ってきた。
「目、覚めたのね」
「よかったー、本当よかったー」
梨里は僕の腕を握り僕の側で泣きじゃくった。
「梨里、ごめんね」
梨里に聞こえたかどうかは定かではないが、大泣きする梨里を見ればどれだけ心配したか察しがつく。
「先生とお母さんに知らせなくちゃ」
梨里は涙を拭きながらナースコールしようと枕元にあったスイッチに手を伸ばした。
僕はその腕に触れそっと手を握った。
「呼ばないで・・・」
「今は梨里といたい・・・」
梨里は大きな瞳から大粒の涙こぼしながらうなずいた。そしてあの時何があったのかを教えてくれた。
「かっちゃんねいきなり倒れたんだよ、私どうしたらいいか分かんなくて、ただ泣き叫んでいたらヒロ君が通りかかって救急に連絡してくれたの」
僕には記憶は全く無いがヒーローに、お礼を言わなくてはと友の存在に感謝した。
「かっちゃんね3日も目覚めなかったんだよ」
「えっ?じゃー和斗との遊園地は?」
「やだーかっちゃん、そこ?」
「行ってないわよ、かっちゃんがこんな時に行けるわけないでしょ」
僕は目覚めたことより、梨里がデートに行ってなかったことに感謝した。
『神様、ありがとっ!』
『アプリ』
翌日、歩けるまでに回復した。
ベッドの横には僕の携帯が置かれてあった。
『そういえば、変なアプリがあったなあ』
携帯を手に取り、黄色の配色に赤で命と描かれただけの四角いアプリを開いてみた。
《あなた様の余命は残り26日です!》
余りにもシンプルかつ衝撃的な一行だった。
「何じゃこりゃ!」
他に説明も無くたったこの一行。もちろん信じられる訳もなく、デタラメアプリであると言い聞かせた。
そして翌日、僕は病名について母から聞くことにした。
包み隠さず話して欲しいと伝えたが、母は説明するのに不安らしく主治医の先生から直接伺ったほうがいいと言ってきた。
もちろんその方が納得はいくだろうと思い主治医を訪ねた。
主治医は女性だった。髪の色はブラウン系で毛先はカールしながら背中まで伸び、エレガントな雰囲気があった。
一重で切れ長な色気ある目に惹きつけられたが容姿とは異なり口調は冷ややかな感じを受けた。
「楓さん、お母さんから全てを話して欲しいと聞いていますがそれでよろしいですか?」
「あっはい」
『半分まで』とは言えるわけがなく『はい』と答えるしかなかった。
額縁の女から1ヶ月にも足りない命と聞かされていたが、主治医からはただの流行り病であると説明されることを願った。
しかし儚くも願いはあっさりと砕け散った。
「楓さんあなたの病名は悪性リンパ腫と言います」
「悪性リンパ腫?」
「はい、血液の癌で鼻の奥に腫瘍が見つかり、それがめまいを起こしたり、時には記憶障害を引き起こしたりします」
余りにも衝撃的すぎて一瞬頭が真っ白になった。それもそのはず僕はその病名に聞き覚えがあった。父の命を奪ったのがその病気だった。
『遺伝なのだろうか病気までもが同じになってしまうなんて・・・』
瞳を閉じ一呼吸すると頬を涙が滑り落ちていくの感じた。
『お願い!夢であってくれ!お願いだから夢から覚めてくれ!』
悲痛な心の叫びはどこにも届かなかった。
瞳を開け覚悟を決めた。
「治る見込みはあるのですか」
険しい顔で主治医は答えた。
「十年前まではとても難しい病気とされ抗がん剤治療も患者さんにとって相当な負担で完治も難しいとされていました。しかし最近の医学の進歩で抗がん剤の改良が進み通院しながらも治療ができるまでになりました。もちろん完治した例もいくつもあげられています」
「楓さんも通院しながらの治療になるとは思います。ただ進行が随分進んでいて実際どれだけ効くのかははっきりとお伝えできないのが現状です」
「でも希望は捨てちゃ駄目です。一緒に戦いましょう」
「・・・」
ある程度のことは理解できた。ただ余命があとどれだけあるのかは聞かずに診察室を後にした。
そのまま病室には戻らずエレベータで最上階に行き非常口から病棟の屋上に出た。
そこには真っ白に洗濯されたベッドのシーツが所狭しと干されていた。
南風に吹かれる様子がまるで神島で見た波のようでもあった。
僕はそのシーツをかいくぐり胸の高さまであるフェンスの前まで歩み寄った。
そこに両手を広げ初めて外の空気をゆっくり深く吸いこんだ。
「いい天気だなぁ それに空気ってこんなに美味しかったんだね。どうして今まで気が付かなかったんだろう。」
見上げると空には青のキャンパスに飛行機雲が一筋のラインを描いていた。
「今どれだけの人がこの青空を見て涙を流しているのだろうか。もしかしたら僕だけかもしれないな」
『果たして僕は勝てるのだろうか、父が勝てなかったこの病気に勝てるのだろうか・・・』
涙が止まらなかった。
その時だった「かっちゃん・・・」
シーツの中に紛れて真っ白なワンピースと水色のパンプスを履いた梨里が立っていた。
「かっちゃんどうしたの・・・」
僕は思わず梨里に背を向けた。
僕は何も言えずにいた。一言でも発したら何かが壊れていきそうな気がした。
拳を握り涙を我慢した。
そんな僕の体を何かが包み込んできた。
それはか細くまっ白く、そしてしなやかに伸びる梨里の両腕だった。
そして背中に梨里の頬が触れるのを感じた。
「かっちゃん、大丈夫だよ、梨里がずっと側にいるね、ずっと側で支えてあげるね」
空を見上げると1本だったはずの飛行機雲が青いキャンパスに幾重にも重なって見えた。
『人助け』
青いキャンパスから視線を下に向けた。その時駐車場でうずくまっている人影が見えた。
「梨里!あの人苦しんでいない?」
「えっ!?どこ?」
「駐車場の黒のワンボックスカーの側」
「本当だ」
「行ってみよう」
僕らはエレベータから出ると駐車場に停められてある黒のワンボックスカーを目指し駆けよった。そこにはご婦人が座り込んでいた。
「どこかご気分でも悪いのですか?」
手をそっと差し伸べた。彼女はその手をぎゅっと握りしめ寄りかかってきた。
「頭がガンガンします。急に目の前が真っ暗になって歩けません」
「梨里!誰か呼んで来て!」
梨里は救急に駆け込み病院関係者らしき人に早口で事情を説明した。
すぐさま女性の看護師が駆け寄ってきた。その後に担架を持った人達も駆け寄ってきた。
「どうなされました」
看護師は僕にご婦人の様子を訊いてきた。
「ここでうずくまっていました。頭が痛み、目の前が真っ暗になって歩けなくなったようです」
「分かりました」
すぐさま看護師は間に割って入り声を掛けた。
「お名前はー?」
ご婦人はもう意識がないようで返事は返ってこなかった。
一刻を争うことになりそうだと病気の知識に乏しい僕でもすぐに感じ取れた。
そしてそっと担架に乗せ救急まで運んで行った。
診察室の前で看護師からお礼を言われ、担架に乗せられたご婦人が扉の向こうに運ばれて行くのを見送った。
いつの間にか梨里は僕の腕を握っていた。
「大丈夫!」
僕はそっとその手を握り返し答えた。
「うん」
『デタラメアプリ?』
そして病室に戻った僕はベッドに横になった。梨里は講義を受けて午後に戻ってくるとのことだった。
僕は何による疲れなのか分からないが一瞬にして深い眠りに入った。
それから小一時間経った頃、僕の目を覚ます恐怖の時間がやってきた。
寝ぼけ眼をこすりながら黒ずんでいた壁に目をやった。
「何をしておりますの!」
「ギョエー」
ぬーと壁から現れたのは岬さんだった。しかも怒っている様子だった。
「えっ!?僕なんか悪いことしましたか?」
岬さんはさらに怖い顔で睨みつけた。
「人助けをしていたわよね」
「えっ!?困っている人が居たら助けてあげるのは常識だと思いますが」
「止めなさい。そんなことしたら早くあの世に行けなくなるでしょ!」
僕には岬さんが言っていることが全く理解できなかった。
その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
コンコン
「失礼します」
そこには黒髪でさらさらロングストレートの女性が立っていた。
「すみません。神崎さんでしょうか」
見知らぬ女性が来たと同時に岬さんは消えていた。
「あっはい、私ですが」
女性は深々と頭を下げた。
「お休みのところすみません。私、浜中里美と言います。先ほどは母を助けてくださりありがとうございました。」
「介護士の方から助けてくれたのは神崎さんだと教えていだだきました」
「あっいいえ、当たり前のことをしただけです。それよりお母さんの具合はいかがですか。」
「はい、大丈夫です。くも膜下出血の前兆だったらしく『あと数分遅れていたら命の保証はなかった』とお医者さんはおっしゃっておりました」
「神崎さんのおかげです。本当にありがとうございました」
「母が元気になったら一緒にまた伺いたいと思います。ありがとうございました」
深々と頭を下げて帰って行った。
その時ベッドの上に無造作に置いてあった携帯が光った。
手に取って開いてみた。
『なんだメールか?』
しかしそれは寿命アプリからのメッセージだった。
《あなた様の寿命は残り27日です!》
昨日見た数字と違っていた。
『ん?昨日は26日とあったから25日になっているはずだが・・』
2日伸びていた。
「えっ?なぜ?ん?デタラメアプリ?」
その時、冷たい風が吹き込んできた。霊気と言った方があっているかもしれない。
「だーれーあの子?」
「きょえー」
さっきまで居なかった岬さんが背後に立っていた。
「岬さんやめて下さい出方怖いですよ。さらに寿命が縮まるじゃないですか。それに、あの方はちょっとした挨拶に来ただけです!」
「ほんと〜」
岬さんは疑いの目で僕を見た。
「そんなことより岬さん普段どこに居るんですか?」
「まさか隠れてずっと見ているんじゃないですよね?」
「まさかでしょ覗きなんてそんな悪趣味は持ち合わせておりませんわ。見学よ。都会の様子と三百年のこれまでの成長の歩みを調べていたのよ」
「驚きよねー世の中こんなにも変わるなんて、こんな息苦しい所では私生きていけないわ。おっほっほっ、やーねー私死んでいましたわね」
岬さんは1人ボケツッコミをした。
『早くあの世に行ってしまえばいいのに』
「何か仰りました?」
「いいえ」
都会見学でよほどこの世が気に入ったのか上機嫌な岬さんだった。
「あのー都会を満喫するのはいいのですが、今日医者に癌だと言われました。これって呪いの影響ですか?」
岬さんは青白い表情を変えることなく逆に質問してきた。
「癌ってなーに?」
山奥に何百年もいたせいなのか不治の病がどのようなものか分からない様子だった。
1つ言いたいことがあった。白の袴という時代遅れの典型的な幽霊ファッションという身なりもどうかと思ったがやはり言わずにいた。
「今あなた、私のこと馬鹿にしました?」
「いえいえ、そんなことありません」
岬さんはくるっと向きを変え、壁に立てかけてある鏡を睨みつけた。
何度かポージングをとると首をかしげ、何か腑に落ちない様子ですぅーと壁に向かって消えていった。
かと思うと、にゅーと壁から顔だけを出してこう言った。
「そうそう、どのような形であなたを連れて行くかは私にも分かりません」
「でも惚れたあなたにはあまり苦しませずに連れて行きたいわ」
くるっと首が回り壁の中に吸い込まれて行った。
「いろんな意味で怖いわー」
結局、癌がどのようなものであるかの説明を聞くことなく消えて行った。
『妨害』
翌日、めまいも吐き気も抜け元気に退院することができた。
仲間たちが退院祝いを行きつけの居酒屋でこぢんまりと催してくれた。
司会はヒーローが買って出た。
「このめでたい日に司会を勤めさせていただきます織田博文と申します。
なにぶんにも不慣れのため、失礼や
「えーそれでは、無事退院できた喜びと皆様方に多大なるご迷惑とご心配をお掛けしたことによる謝罪と感謝のお言葉を本人軟弱楓様より頂戴いたします。楓様よろしくお願いします」
「ぎゃっはっは、いいぞ司会!」
和人は大喜びしていた。
僕は、渡された割り箸を手に挨拶をした。
「皆様、この度はご心配をおかけしたこと心からお詫びいたします。ごめんなさい。また傍で助けを呼んだり、また駆けつけてくださった梨里とヒーローには心より感謝いたします。」
「挨拶硬いぞー」
和人が野次を飛ばした。しかし、梨里だけはハンカチで涙を拭きながら聞いていた。思わずもらい泣きするところだった。
「皆様方の励ましと支えにより無事退院することができました。ありがとうございます」
「はい拍手!」パチパチパチ
そんなこんなで2時間ほどしょうもない話で盛り上がり、僕が退院したばかりということもあってか普段より早めに切り上げ各々帰宅することになった。
そして帰り道は梨里と一緒だった。
「ねえ、かっちゃん。もう大丈夫なの?」
病名を聞かされていない梨里はあの時の倒れ方が尋常でなかったことから人一倍心配している。
「うん 大丈夫だよ たぶん」
「ん?たぶん」
「いや、大丈夫だよ ありがとね」
もう、街は一足早いクリスマス気分一色で青と白のネオンが街路樹を彩った。そこは恋人達の街と化していた。
その時、梨里の指先が僕の指先にちょっと触れた。
『やばい』
心臓の音が速度を増し、よこしまな考えが頭をよぎった。
『今なら手を繋げるかもしれない』
僕はそっと右手を伸ばした。
その時、ヒールのコツコツコツという音を響かせ、早足で追い越していく女性がいた。
ヒールの高さ15センチはあるだろうか。トレンチコートから伸びるすらっとした足。まるでファッション雑誌から飛び出してきたモデルさんのようなスタイルだった。
そして背中まで伸びる黒髪をなびかせながら
そしてその女性の
その女性が赤信号で止まりついに横を振りむいた。やはりスタイルに合った美しい顔立ちをしているのだろうか、ドキドキする瞬間だった。
『きょえー』
『みっみっみっ岬さんやんけー』
そこには白装束を小馬鹿にされたのがよっぽど悔しかったのか様変わりした岬さんがいた。
動揺している僕に梨里は気が付いたのか僕の顔を見上げながら聞いてきた。
「どうしたの?」
「いや、あの人どっかで見たような気がして・・・」
「ん?誰?」
梨里は目線を先に向けるも何も見えないでいた。
どうやら
イルミネーションで飾られた素敵な街並みは、招かざる者の登場で一瞬にして、ただのネオン街に変わって見えた。
岬さん監視下の元最後まで梨里の手を握ることはなく駅の改札口前まで送り届けた。
「かっちゃんありがとね。ゆっくり休んでね、おやすみなさい」
「うん、分かった。ありがとっ、おやすみ!」
改札口に切符を入れ、すぐさま振り向き手を振る天使はあっという間に人混みの波に呑まれ見えなくなっていった。
僕は梨里に向けていた右手をそっと降ろし、付きまとうあの人の存在を打ち消すかのように、首に巻かれていたヘッドホンを耳にあてクリスマスソングを聴きながら自宅に向かった。
岬さんは後ろから付いて来ているようだった。
のぞき魔
散らかったままの部屋に帰り、久々に我が家でのお風呂に入ることにした。
熱い湯をバスタブいっぱいに溜めると体を洗う前にすぐに飛び込んだ。
ジャパーン
「やっぱり家はいいなー&バスタブはいいなー」
気持ち良さのためか、数分も経つとうとうとしてしまった。
そして何分経ったのだろうか、いつの間にか腰の位置が下がり水面が鼻先まで来ていた。
「ゲプッゲホッ、死ぬー、おーあぶねー」
一瞬これも呪いによるトラップなのかと身が縮む思いをした、
のぼせてきたので一回出て体を洗うことにした。
入院中に読んだ雑誌で『体を洗う順序によってその人の性格が分かる』という記事があったのを思い出した。。
最初に腕から洗う人は『甘えん坊』
頭からだと『責任感のあるタイプ』
顔からだと『二重人格』
足からだと『自信過剰タイプ』
大事なところからだと『慎重タイプ』
僕の場合は決まって頭からだった。別に性格診断を意識しているからではなくただ単に小さい時に母がすぐ頭から洗っていたのが習慣化しただけだった。
いつものように頭から洗っていると妙に寒気を感じた。
シャンプーの泡が目に入りそうになりながらも、窓の方に目線を移した。
『んっ?開いている?いつもは閉まっているはずだが?』
垂れてくる泡を右手で拭き取り窓に手を伸ばした。
すると『ギョロッ』血走った大きな目ん玉がこちらを見ているのが見えた。
「ぎゃー」
僕はひっくり返り股間を
「コラーみさきー」
『ガシャーン』
なくなりかけたシャンプーのケースを窓に向けて投げつけた。
白い影のようなものが『ひゅー』と窓から離れていった。
シャワーを終え怒り心頭で部屋に戻った。
「まったく なんでお化けに覗かれないといけないんだ!あの変態お化けめ」
しばらくすると玄関の方から何食わぬ顔で岬さんがぬーと入ってきた。
「ただいまー」
『何がただいまーだ!白々しい』僕は無視した。というかいつから夫婦みたいな状況になっているんだ。
僕は、いらいらしながらベッドに入り眠ることにした。
それから何時間経っただろうか。真っ暗な部屋で布団の中は自分の体から発する熱で暖かくなっていた。
寝返りをするとなぜかひんやりとしたものが足に触れた。
「ぎゃー」
岬さんが布団に入り一緒に寄り添うように寝ていたのだ。
「何勝手に入ってきてるんですか!」
岬さんは腕を掴みなら甘えてきた。
「いいじゃないのー」
『ドキッ』布団の隙間から、胸元の開いた浴衣姿が見えた。案外胸が大きいことに驚いた。
「出てくださいよー」
体を起こした岬さんは浴衣を肩までずらし胸元をちらつかせ誘惑してきた。
「好きにしていいのよ」
「するか!」
僕は反対側を向いて寝た。
昨日の梨里との手握り妨害、風呂場覗き事件、そして布団不法進入とやりたい放題の岬さんだった。
その晩は布団を体に巻きつけミノムシ状態で朝まで眠った。
眼が覚めると岬さんは居なかった。
「全く何考えているんだ!」
目が覚めたすぐだというのに怒りが込み上げてきた。
腹を立てながらも学校に行く準備をしていると携帯が鳴った。
画面の表示を見ると梨里からだった。僕は通話ボタンを押した。
「おはよっかっちゃん」
「おはよっ♡朝からどうしたの?」
『朝から梨里の優しい声が聞けるなんて驚きだけど幸せっ』と思いながら要件を聞いた。
「今日9時から経済学の講義だよね」
「そうだよ」
「それに間に合わせて学校一緒に行かない?」
初めての梨里からの誘いに戸惑いながらももちろん快く承諾した。
「もちろん行きまーす」
「よかった」
『確信』
待ち合わせのホームでは人々がごった返しになっていた。その中でひときわ輝きを放つのが梨里であることは言うまでもない。
袖と襟にファーの着いた真っ白なコートを羽織っている姿はまるで地上に舞い降りた天使のようだった。
二駅は一緒に乗れる。しかし朝の通勤ラッシュなのでシートに座ることはできずスタンディングの中ぎゅうぎゅうだった。
梨里との体が急接近しお互い向き合う中、朝シャンでもしたのかほのかに苺の香りがした。昨晩の手握り妨害の岬さんとは違い優しい匂いだった。
しかし残り一駅で梨里の様子がおかしい事に気がついた。
「どうしたの?」
「さっきから誰かが私のお尻に触れてくるの」
「えっ本当?」
お尻の方に目をやるとどこからともなく毛深い手が梨里のお尻の方へ伸びてきた。ちょうど駅に付き扉が開いた。僕はその手を捕まえて外に引っ張りだした。
「こら!変態!何してんだ!」
なんとそこに現れたのは強面のごつい奴だった。
「なんだお前、俺を変態呼ばわりすんのか?いい度胸してんじゃねーか?あー!」
僕は、ドスの効いた声に一瞬ひるんだが梨里の手前怖気つくわけにもいかず男らしく啖呵を切った。
「僕の彼女に変なこと・・しましたか?」
思いと言葉はかけ離れていた。
「あーなんだとー!俺に痴漢の濡れ衣を着せようというのか?あー」
「僕見ました!手がお尻に触れているのを!」
「こらー若僧ぶっ殺すぞ」
殴りかかってこようとする強面の男と足が震える僕の間に梨里が割って入った。
「ごめんなさい、見間違いです」
「当たり前だろーボケーぶっ殺すぞ!」
梨里に危害が来る前に僕は梨里を後ろに回した。
強面の男は拳を振りかざした。
『ヤバイ!殴られる!』
その時、ピピーピピー「何をしているんですかー」
駅員さんが二人走ってきた。
『助かったー』
強面の男はトラブルの責任を僕たちに押し付けてきた。
「こいつらが喧嘩うってくんだよー、そーだよな!あー!」
梨里は僕の手を掴み「すみません」と言ってその場から逃げるように改札口に急いだ。
しばらく駆け足で逃げた後、僕の手を握りながら止まった。
「怖かったー」
梨里の目には涙が溢れんばかりにたまっていた。
「あいつ許せない!」
「だめよーかっちゃん、殴られたりしたらどうするのよー」
「やり返すに決まっているだろ」
男らしさを見せたが本音は違った。走ってくる駅員さんが神様に見えた。
「ダメ!絶対ダメ!喧嘩は絶対ダメ!どんなことがあっても喧嘩はダメ」
「分かった、分かった梨里分かったから」
すでに梨里の目からは涙がこぼれ落ちていた。
その時、着信音がした。余命アプリだった。
《あなた様の寿命は残り27です!》
『あれ?今度は2日伸びている!なんで伸びたんだ?もしかして、さっきのことが関係するのだろうか?』
病院では苦しんでいる人を助け、今も梨里が痴漢に遭っているのを助けたことで寿命が伸びたってことなんだろうか。
僕が考え事をしている間に梨里がチラッと携帯の画面を覗き込んだ。
「余命アプリ・・・あなたの・・」
僕はとっさに携帯を隠した。
「・・・?」
「これ?変なアプリなんだ。余命がどうだこうだとか全然信憑性ないんだ」
「そんなことより喉乾かない?」
僕は話題をそらした。
「うん、猛ダッシュしたからもう喉カラカラ」
やっと梨里の顔に笑顔が戻ってきた。
「チョット待っていてね、買ってくるから何がいい?」
「ありがとっ、お水お願いしていい?」
「了解しました。」
しかし、勢いよく飛び出したもののなかなか自販機が見当たらない。
「あれがそうかな?」
ちょっと離れた場所にようやく見つけ水2本をゲットした。
駆け足で梨里のいた場所に戻ると梨里が何か指差していた!
「かっちゃーん、ここ自販機!」
「あちゃー全然見てなかったー」
すぐそばにあることに気づかず反対方向に走っていった僕を見ながらずっと笑っていたみたいだ。
「かっちゃんって、おっちょこちょいさんなんですね」
「てへっ」
頭をぽりぽりかきながらお水を梨里に渡した。
「ありがとっ」
「美味し〜」
その時、余命アプリの着信音がなった。
《あなた様の余命は残り28日です》
また1日伸びていた。僕は確信した。人のために何かをしたら余命が伸びることに。
そして同時に生きることへの希望が湧いてきた。
『よっしゃー、これで死なずに済む』
誰かのために何か行動すれば寿命が延びていくんだ。それに気が付いた時、天に昇るくらい嬉しかった。『いや天には登りたくはない!』
そこでいつか読んだ雑誌に『モテる男のさりげない気配りテクニック』と書いてあったのを思い出した。
階段の下りは男性が前、万が一女性が足を踏み外してバランスを崩しても支えられるため。上りの時も同じように支えるために後から。これがさりげない気配りと書いてあった。
それを真似てみた。
改札口に出るまでにちょこまかと動きながら梨里の前に行ったり後ろに回ったりした。挙動不審に思われないかと心配もしたが背に腹は変えられない。
そしてしばらくして・・・
なんの変化もない。
『あれっ?どうして?モテるための行動は無効?』
ちょっとした制約があるみたいだった。
改札口を出ると荷物を持った年配の方がキョロキョロしているのが目にとまった。
「あのー、何かお困りですか?」
「ごめんなさい、孫のところに行きたいのですがどのチケット買っていいのか皆目見当が付かなくてちょっと困っております」
「お孫さんはどちらにお住まいですか?」
「立川市ってとこなんです」
「それなら、あちらの切符売り場になりますね。こちらです」
僕はチケット売り場までお連れし立川までのチケットを購入させた。そして駅員さんから鉛筆と紙を借り、ここから電車乗り場までの地図を書いた。
「ここで、電車の3番に乗ると立川まで一本で行けます。大体15分ほどで着きますから、車掌さんのアナウンスを聞き漏らさずに降りてくださいね」
「ご丁寧にありがとうございます。お急ぎであったはずなのに、お名前は…」
「名前なんていいですよ。私にもお母さんと同じくらいの母がおりまして思わず声をかけただけなので気になさらないで下さい」
「いい息子さんを持って親御さん羨ましいですね。本当にありがとうございました」
「お孫さんと早くお会いできたらいいですね。ではお気を付けて」
僕の母より遥かに年を重ねているであろうお婆ちゃんは深々と頭を下げて改札口へと向かっていった。
「梨里ごめんねほったらかしにしちゃって」
梨里は、僕のそばでずっとお婆ちゃんとのやり取りを見ていた。
「いいえ、感心して見ていた。多分私なら見て見ぬふりしていたはずなって思って」
その時余命アプリがなった。さらに2日伸びていた。
僕は余命アプリを意識してなかったら同じことをしたかどうか怪しく思った。梨里が褒めてくれたことで嬉しい反面ちょっと後ろめたい気持ちにもなった。
生きるためなのか、本当の優しさから来るものなのか自分でも分からないまま
学校に向かった。
『怒り』
午後の講義も終え帰宅した。
玄関を開けると全てのカーテンが閉められおり、夕暮れ時にもかかわらず結構な暗さがそこにはあった。玄関から見える台所の方に人影が見えた。
そしてその人影がスーと近づいて来て怒りの言葉を発した。
「何してくれてんのっ」
岬さんが怒鳴ってきた。
「えっ何のことですか?」
部屋の電気を付けながらそう答えると、岬さんはさらに近付き鬼の形相で怒鳴った。
「なに長生きしようとしていんのよー」
どうやら逆鱗に触れたようだ。
ぼくは、驚きのあまり言葉を失った。
すると一変して岬さんはうずくまって泣き始めた。
「エーン、早くあなたと一緒にあの世で暮らしたいのに、なんであんなことするのよ」
とシクシク泣きながら訴えてきた。
「・・・」
僕は何と言えばいいのか言葉が出ないでいた。
かと思うといきなり立ち上がりまた鬼の形相で恐ろしいことを言った。
「あなたが人のために何かをしようとするなら、わたしが命を懸けて阻止します!」
『いやいや死んでいますから』と突っ込みたかったけど、火に油を注ぐことになるので黙っていた。
翌日からその妨害は始まった。
電車でおじいちゃんに席を譲ろうとしたら岬さんがそこに座り、幽霊の姿を見せ誰も近付けようとしなかった。
仕方がないので岬さんの上に僕が座った。
『グヘッ死ぬー』
改札口を出て歩道を歩いていると、僕の前に盲目の方が杖をついて歩いていた。点字ブロックを頼りに歩いているようだったが数メートル先に自転車が点字ブロックに重なるように駐車していた。
『よっしゃー、これだ』
すると近くに居た少年に岬さんがあっといい間に憑依して、さっと自転車を点字ブロックから退けた。
盲目の方は少年の行動に気が付くことなく目的地へと歩いていった。
過ぎ去った後に少年は僕の顔を見てほくそ笑んだ。
「ニッ!」
『岬さんめー』
そして千載一遇の好機が巡ってきた。
歩道橋の下から、おばあちゃんが手すりにもたれかかり辛そうに階段を上がってきた。よっぽど膝でも痛いのだろうと手を貸そうと近づくとそのおばあちゃんはなんと一歩で二段越えという荒技で登っていたのだ。
健康維持のためなのか自分でわざわざ負荷をかけ登っていたのだ。
「きゃっはっは!笑えるー」
岬さんが歩道橋の上から覗き込んでお節介で早とちりな僕を大笑いした。
結局、今日は岬さんに笑われただけで余命アプリはなんの反応も示さなかった。
そして翌日も岬さんの妨害は続いた。
スーパーに買い物に行き、籠いっぱいに入れた商品を持ちながらレジに並んでいると、僕の後ろに商品を一個しか持っていない男性が並んでいた。
時間のかかる僕が終わるのを待たせるより譲ってあげた方がいいと思い「先にどうぞ」って言うと、「おおきに!」と言いながら明らかに岬さんが憑依したであろうおばちゃんが籠を滑り込ませてきた。
それを見た男性は空いた隣のレジへと移動していった。
『でたーみさきめ ー』
そして僕の怒りはある事件をきっかけに頂点に達した。
それはことごとく邪魔をされ続けた5日後に起こった。
同級生との飲み会を終えた帰り道。街灯もなく都会とは思えないほどの真っ暗な道をほろ酔い気分で闊歩していた。
右手に3階建ての古いアパートが見えてきだが既に住人は寝静まっているようだった。
しかし、ベランダからなのか言い争いをする女性の声が聞こえた。
「何言っているの、あんたが悪いんでしょう!」
女性の声しか聞こえないことから電話で彼氏と喧嘩しているらしい。
「死んでやる、本気だからね。さようなら」
僕の歩行速度は弱まり声のする方に視線を送った。
『えっ何を言っているんだ?そんな物騒な』
その時だった
『どさっ』
何か重たい物が落ちてきたような鈍い音がした。
『えっ!ウソでしょ!』
鈍い音のした方向を見たが暗すぎて何にも見えなかった。
ただならぬ空気を感じながらも携帯でその方向を照らしてみた。
僕はあまりの恐怖で体が震えた。
幅4メートルほどの小さな道の中央に女の人がうつ伏せで倒れていた。髪は乱れ表情を伺い知ることはできなかった。
『えっ飛び降り!?』
僕の足はガタガタと震え始めた。
血が流れてくるのは確認できないが顔面は多分ぐちゃぐちゃかもしれない。想像するだけで恐怖は増した。
しかし、私が第一発見者になる訳で、とりあえず安否だけでも確認しようと近づいてみた。
マナーモードで女の側で光る携帯は交際相手からだろうか、先ほどの会話から心配して電話をしてきたのだろうとは思うが、今それを心配している余裕はなかった。
そして恐る恐る軽く頭に触れ声をかけた。
「だっだっ大丈夫ですか?」
僕はなぜか身体ではなく手前にあった頭に触れていた。
すると、予想だにしないことが起こった。
「大丈夫!」と、女から返事が返ってきたのだ。
『えっ?こいつ生きている!しかも意識までしっかりしている』
僕は、この時すべてのことを悟った。
この女はもともと階段に座り込んでいて、そこから「死んでやるっ」と言いながら道に勢いよく倒れこみ、心配で見にくるであろう彼氏を動揺させようと死んだふりをしているに過ぎなかったのだ。
僕はまだ震えの止まらない足を動かしその場からそっと離れ、数メートル先の曲がり角を超えた辺りで塀にもたれうな垂れた
「まじびびったー」
その時、1番会いたくない奴が現れた。
「ぎゃっはっは!えー勘違い?!ぎゃっはっはー死ぬー」
一部始終を見ていた岬さんが腹を抱えて大爆笑していた。
笑狂う岬さんに対して怒りは頂点に達したが、言いようのない脱力感に襲われその場に座り込みボソッと発することしかできなかった。
「うるさい・・・」
『封印』
今日は旅行に行ったみんなで僕の家で反省会と称して飲み会が予定されている。
僕は岬さんが部屋に入らないように恵比寿神社から御札を購入して全ての窓やドアの両端に貼り付け境界線を張った。
準備万端。その時窓の外に岬さんが見えたが僕は無視してカーテンを閉めた。
「中に入れて下さ〜い 寒いよ〜」
『いやいや、あなた幽霊ですから』
『自業自得!僕の人生を狂わせている罪だ!』
カーテンを閉める間際に見せた悲しい表情が気になるが、梨里の笑顔を想像しさっと宴の準備に取り掛かった。
ピンポーン!
「こんばんはーみんなで来たよー」
「いらっしゃーい!」
真っ先に確認したのは梨里が居るかどうかだった。
『よかったー居た!』
ニット帽を被りマフラーを首に軽く巻き付けた梨里がそこには居た。
部屋に入るなり和斗が真っ先に突っ込んできた。
「なんだこの御札は?」
さすがバスケキャプテン!一瞬にして異様な状況を察知するのには長けていた。
「これね、田舎からきたお袋が都会の変なものが取り憑かないようにってベタベタ貼っていったんだ」
「まっ気にしないで」
みんな不思議そうな表情を見せたが、ヒーローの「今日は飲むでー」の一言で表情は一瞬にして変わった。そしてテーブルを囲み反省会はそっちのけで宴会が始まった。
「これからの僕たちの未来にカンパーイ」
威勢良く音頭を取り始めたのはやはりヒーローだった。
お互いの近況報告しながら会は進んだ。その中で自虐ネタで笑わせてくれたのは相撲部の真木くんだった。
「俺、高3の最後の地区大会であれよあれよという間になんと決勝まで勝ち上がっていったんだ」
「でも前の日から体の調子悪くて、行事の『はっけよーいのこった』の合図から一瞬にして土俵際まで追い込まれたんだ」
「押し出されそうになった時、一瞬母の顔が見えたんだ」
「父ちゃんは出稼ぎでほとんど家には居なかった。たから母ちゃんとの絆は深かったんだ。
それで喜ぶ顔をみたい一心で、なにくそって思った瞬間、気が付いたら相手を高々と持ち上げていたんだよ」
「おっ!うっちゃりか?」
相撲大好きなヒーローが訊いた。
「そう!体をひねって後ろへ放り投げたんだ。なんと逆転優勝したんだ!」
「すげー、すげー」
みんなして真木の栄光談に酔いしれていた。
ところが、真木の栄光談には落ちがあった。
「そのあと、やってはいけないことなんだけど母ちゃんに向かってガッツポーズをとったんだ」
「すると母ちゃん顔を両手で抑えて泣いていたんだ。おれも思わずもらい泣きしちゃったよ」
「そのあとが大変!逆転勝ちしたことで歓声が上がっていると思いきや、それは大笑いしている声だったんだよ」
「その時土俵際で倒れているやつを見ると、右手においらのまわしを握りしめていたんだ」
「えっもしかして?」
僕は笑をこらえて聞いてみた。
「そう仁王立ちして会場のみんなにお披露目しちゃったんだ」
「うひゃっひゃ、まじかよー」
みんなも大笑いした。
しかもまわしが取れたことで不浄ってことで反則負けになり結局地区代表も逃し、ただの恥さらしで終わっちゃったよ。
その時、台所の窓の隙間から高笑いをしている岬さんが見えた。
『もちろん、僕にしか見えず聞こえずだが』
そんな昔話に花を咲かせながら、我が家での初めての飲み会が終わった。
「ありがとーほんと楽しかった」
みんな口を揃えてそう言いながら帰っていった。
「ふー、楽しかったけど、疲れたー」
体に爆弾を抱え、万全でない体にムチ打っての飲み会は寿命が縮まる思いだった。
ピンポーン!
「あれっ誰か忘れ物かな?」
がちゃっ
そこに立っていたのは梨里だった。
「もう少しおしゃべりしていい?」
思いもよらぬ展開にドキドキしながら心底ハッピーな気分になった。
「もちろん!どうぞどうぞ、散らかってますけど」
「ごめんね、片付けもそこそこに帰ったりして、一緒に片付けよっ」
そう言うと、梨里はテーブルの上の空き缶には目もくれず、玄関や窓のお札を剥がしにかかった。
「あっ!梨里!それはいいよっ」
慌てて梨里を制止しようとして腕を掴んだが梨里は腕をはねのけて全ての札を剥がした。
「ふっふっふこれで綺麗になったわ」
不敵な笑みを浮かべる梨里を見ながら冷や汗が出てきた。
「もしかして・・・」
梨里はその場に塞ぎ込み横に倒れた。
「梨里!しっかりしろ梨里!」
ぼくは梨里を抱え必死に声をかけた。
「うまくいったわ、人間の体を借りれば何のことはないわ。残念だったわね。
あっそうそう、この子別に死んでないわよ、気を失っているだけだから心配なさらずにね」
そばには梨里の体から抜け出た岬さんが立っていた。
ぼくは、体が小刻みに震え出し怒りが込み上げてきた。
「うるさい!ゆるさない!絶対許さない!だれがお前なんかと一緒になるか!ぼくは、死んでも絶対にお前なんかと一緒にはならない!」
「出てけー、お前なんか大嫌いだ!」
『ガッビーン』
『大嫌いだ』の言葉に岬は放心状態になり、あごが外れたかのように口を開けたままスーと消えていった。
「梨里!梨里!しっかりして!」
「あれーかっちゃん?!」
意識もうろう気味だが目を覚ましてくれた。
「酔っ払って寝ちゃったのかな?」
梨里は取り憑かれていたことを全く覚えていないようだった。
「よかったー」
意識を取り戻したことと、岬さんのことを覚えていないことに安心した。
「ごめんね、梨里」
梨里はなぜ謝られているのか分からないって表情を浮かべながら僕の腕からゆっくり立ち上がった。
「かっちゃんごめん、帰るね」
「あっあうん」
梨里に『泊まっていったら』と言いたかったが、彼女でもない人にそんなことを言えるはずもなかった。
そして梨里を駅まで送った。
「かっちゃん、ありがと。明日ね」
「うん」
屈託のない笑顔で手を振る梨里を見てると僕と岬さんとのことで梨里を巻き込んだことに深い悔恨の根に駆られた。
と同時に梨里を取り巻く全ての災いから守ってあげたいと心から思った。
『後悔』
3日ほど経った頃、人生最大のピンチが訪れた。
「かっちゃん大変!真木くんがっ」
梨里からの電話だった。
急いで真木君のアパートに来て欲しいとのことだった。
真木のアパートは僕の家から目と鼻の先だった。駆けながら真木のアパートを見上げると真木の姿が見えた。外階段から5階建ての屋上に行くと梨里と、南ちゃんの二人が泣きながら真木を見つめていた。
真木はバイト先の先輩からいじめを受け、それがエスカレートし暴力や恐喝を受けていたらしい。
『会社の金を取ってこい、できないならお前の彼女をぼろぼろにしてやる』
この脅しで真木は善悪の判断もつけられないくらいに追い込まれた。
普通の男なら愛する人を守るためなら戦うところだが、これまでの暴力から先輩に対する恐怖心を拭い去ることができず脅しに屈してしまったのだ。
そして、先輩の計画通り会社の金庫から大金を持ち出し、真木はそれを先輩に渡してしまった。先輩は自らの手を汚すことなく百万近い大金を手にし、すでに消息不明となった。
真木は、ことの重大さに気が付くのが遅かった。場当たり的で計画性のない犯行が会社や警察に知られるのは時間の問題となった。
真木はもう追い詰められ、生きることへの希望を捨てた。
愛する人に電話を掛け、一部始終を伝え死ぬ覚悟を決めた。
「真木!落ち着け!」
真木は振り向き僕の顔を見た。
「楓君、俺はもうだめだ!取り返しのつかないことをしてしまった」
やってしまったことへの後悔から真木は今すぐにでも飛び降りそうな逼迫(ひっぱく)した様子だった。
「真木、いいかよく聞け!お前がやったことは確かにいけないことだ。でもな、死ぬことではないんだぞ。罪を償ってまた一からやり直せばいいじゃないか」
「ご両親だってお前が帰ってくるのを待っているんだろっ。」
田舎では小さな美容院を営むご両親が息子が帰って来るのを待っていた。
「どうせ父ちゃんも母ちゃんも犯罪者の息子を持って近所に顔向けできないと
真木は自暴自棄になり、全てをマイナスに捉えていた。
「誰も俺のことなんか待ってやいないさ。俺なんかどうだっていいんだよ」
「そんなことない。ここにいる僕らはお前のことが好きだからこうやって集まってるんだろ」
南は横で首を縦に振り泣きながら言った。
「真木くん、お願いっ!そばに来て。お願い!死なないで」
しかし真木は首を横に振りながら益々涙を流した。
「南ちゃんごめん!犯罪者になった俺なんかいない方がいいんだよ。どうせ生きて刑務所に行ったとして、俺なんかすぐに忘れ去られていくんだよ」
「南ちゃんごめん。でも大好きだよ、ごめんね」
真木が振り向くと瞳から離れた涙は弧を描くように暗闇へと落ちていった。
「こんな僕でも友達になってくれてありがとう。みんなさようなら」
「あっ!やめろ」
その時、私の背後からもうスピードで何かが飛んできて真木の正面に浮かんだ。
「こらーブ男!お前!なに勝手にあの世に行こうとしてんだ。呪い殺すぞ!」
ホラームービーの主役のお化けにも引けを取らないほど恐ろしい形相で真木を睨みつけたのは岬さんだった。
「過去は変えられねえーんだよ!未来を変えていかんかい!ボケー」
「ヒーっ」
真木はその場で腰を抜かし座り込んだ。
「真木!」
僕はうなだれる真木に駆け寄り体を強く抱きしめた。
『絶対放さない』そう思ったら安心からなのか僕も涙が止まらなかった
「ごめんなさい。ほんとにごめんなさい」
真木も泣きながら謝り続けた。大きいはずの真木の体は小さくそして弱々しく感じられた。
後ろでは南ちゃんと梨里も抱きしめ合いながら大泣きしていた。
「自首」
真木はその日二度とこのようなことはしないと約束し、明日朝一で警察に自首することを約束した。
そして今日は、南ちゃんと一緒に居たいとのことで梨里と僕は帰ることにした。
その時だった、『ピロピロリーン』余命アプリが鳴った。
《あなた様の余命は残り23日です!》と久々に延びていた。
その下に『ボーナスポイント付き』とあった。
梨里を送り部屋に戻った僕は、全ての御札を剥がした。
「岬さん、いるんでしょ。入っていいよ」
ヒューと冷気が流れ込んだかと思うと岬さんが現れた。しかし僕に背中を向け立っていた。
「どうしたの、岬さん」
岬さんは両手を顔にあて涙しているようだった。
「だって、寂しかったの。一人ぼっちでベランダにいるのって」
なんて言っていいのやら…僕はとりあえず礼を言った。
「さっきはありがとっ、岬さんのおかげで真木の命助かりました」
岬さんは、振り向いて言った。
「だって、楓さんが一生懸命に助けようとしているのに、あのブ男無視しているんだもん」
僕は思わず笑ってしまった。
「あはは」
「どうして笑うの?」
「だって岬さんの表現面白いし可愛いなーって思ったから」
岬さんは、顔が真っ赤になってまた僕に背を向けた。
「やだわ、楓さんったら」
岬さんは、浴衣の襟を緩め肩までずらした。
「抱く?」
「抱きません」
その日、傍で僕を見つめる岬さんの視線を感じながら僕はソファーで一人寝むりについた。
翌朝、目が覚めた時には岬さんの姿はなかった。
「あれ?どこ行ったんだろう」
胸騒ぎがした。「もしかして、成仏してしまったのだろうか」
ちょっと心配しながらも学校に行く支度をするためたソファーから起き上がった。そしてテレビをつけると朝のニュースが流れていた。
「港区にある遊技場ミャスティンに昨夜強盗が押し入り現金を奪い去る事件が発生しました」
「げっ、真木の事件だ」
「しかし、今朝早くに窃盗したと思われる男は現金を手に、警視庁に現れ、盗んだのは自分であると自白しスピード解決に至りました」
「真木、やっぱり行ったんだ。あれ?金品は先輩に渡したって言っていたのに?」
ニュースは続いた。
「窃盗に入った男の名は沢田光一25歳、この店の元従業員」
「えっ?真木じゃない!なぜ?」
警察署に出頭する時の男の姿が警察署の玄関に設置された防犯カメラに写っていた。そこには内股で歩く姿が写っていた。
「げっ、あの歩き方は!」
岬さんが先輩に憑依し警察に自分の犯行である事として自白させたのだ。
「ピロピロリーン」
余命アプリが鳴り出した。
《あなた様の余命は残り25日です!》
『ボーナス
その時、玄関の方に冷気が立ち込めてきた。岬さんが丁度帰ってきた。
「ただいまー」
「おかえりーあっ」
僕は思わず言ってしまった。
岬さんは、鳩が豆鉄砲を食らったようにキョトンとしていた。その後に瞳にはじわじわと涙が溢れだした。
「岬さん、なぜ泣いているの」
「だって・・・初めて『おかえり』って言われたんだもん」
「そうだっけ」
しらばっくれて言った。
岬さんは泣きながら無言でシャツを肩まで下ろした。
「だかねーよ」
「・・・」
「岬さんありがとうね真木の先輩に取り憑いたでしょ?」
「なんのこと?」
「警察署のカメラに岬さんの歩き方にそっくりな人が写っていたよ」
「知りませんわっ」
素直じゃない岬さんだったがこれで真木の罪は問われないで済むので助かった。
「岬さんほんとありがとね」
岬さんの目には涙が溜まっていた。
「・・・」
「抱きません!」
「げっ!」
浴衣をずらす前に僕は断った。
『手紙』
そして学校に着くと、ヒーローと和斗が雑談していた。
「おー楓 おはよー」
先に挨拶してくるのはいつもヒーローだが遠くからでも大きな声で声かけてくるのでちょっと恥ずかしくなるのは僕だけだろうか?
「楓、昨日は大変だったらしいな!梨里とミナミが楓のおかげで真木の奴、助かったって言っていたぞ」
「別に僕が助けたわけじゃないけど大変だった」
『あれは岬さんの脅しが効いたからで・・・』
説明しても理解は得られないことは分かっていたので言うのを止めた。
「真木の奴、学校辞めたらしいよ」
「えっ?」
寝耳に水だったので事態を飲み込めずにいた。
「なんか田舎に帰ってお袋の食堂を手伝うらしいぞ。気の優しいやつにはそれがいいかもな」
僕は、真木の取った行動が妥当かどうか迷ったが
「あ〜そうだね」と答えた。
これ以外の言葉も見つからなかった。
『相撲や南ちゃんとのことはどうするのだろうか…』
「あっ!朝、南ちゃんから楓に渡してほしいってこれ持ってきていたぞ」
それは真木からの手紙だった。
封もされないままの茶封筒には数枚の折り曲げられた用紙が同封されていた。
ヒーローの前では読まず、一人講義を受けながら1枚目に目を通した。
「楓へ。昨晩は本当にご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。楓に救われ今があります。
あのまま僕が死んでいたらどれだけ多くの人を傷つけ悲しませたのだろうか。
両親。南ちゃん。楓やヒーロー達仲間もきっと怒り、悲しみ、身勝手な僕を一生許すことはなかったことでしょう。
あの時は死んでしまえば全てが忘れられ、全てから逃げられると愚かな考えしかありませんでした。
しかし、気が付きました。その苦しみを代わりに背負わせられるのが、僕に関わる多くの人たちなんだということに。
でも、楓のおかげでそんな愚かな人間にならずに済みました。
その失わずに済んだ命を懸けて、失った信頼をもう一度取り戻すために精一杯生きていきます。
あの後、南ちゃんに叱られました。
「また命を粗末にするようならもう二度と愛さない」
「あなたの命は、あなた一人の命じゃない。あなたと関わっている全ての人の支えがあって生かされている命、それを分かって欲しい」
僕は涙が止まりませんでした。こんな素敵な女性を深く悲しませ傷付け、危うく一生取り返しのつかない後悔を背負わせるところでした。
今、南ちゃんも卒業後僕の側で両親を支えてくれると言ってくれてます。
この愛を手放さないためにも一生懸命に生きていきます。
楓達から貰った命、もう一度生きる喜びを感じ、さらに誰かに生きる喜びを与えられるように頑張ります。
本来なら会ってお礼を言わなくてはならないのに、今は合わせる顔がありません。いつか自分の人生に自信を持てる日が来た時に改めてお礼に伺います。
本当にありがとうございました。
PS 僕はあの時屋上で、悪魔のようなものを見ました。
とは思えない恐ろしい表情で僕に何か怒鳴っていました。
しかし恐怖のあまり何を言っているのか聞き取ることができませんでした。
そして翌朝枕元にその悪魔のようなものは現れました。
顔は昨晩とは全く違いとても綺麗な人?悪魔?天使?よく分かりませんが
僕を金縛りで動けなくさせ、
『寝ていなさい。あなたが寝ている間に全てが解決します』と言い残して消
えて行きました。
あっ!小さな声で『楓様には内緒ねっ』と、言ったような気がします。
僕は楓を守っている守護霊のようにも感じました
もし会うことがあればとても感謝していたとお伝えください。
あと梨里ちゃんにも感謝していたとお伝えください。
それではお元気で!
真木直人
「誕生日プレゼント」
ピロピロリー
梨里からメールが来た。今日一緒に帰ろうということだった。
もちろん断る理由もなく、オッケーを出した。(いかなる事があっても断ることはない)
実は明後日は梨里の誕生日!毎年『おめでとう』と、言おうとは思ってはいたが言えずにいた。今年は、旅行に行ったりパーティーをしたりするなど急接近しているから言えそうな気がしていた。
できることなら祝ってあげたい。二人で…(これも毎年思っている)
「最近、梨里ちゃんと仲良くねー?!もしかして2人は友達以上の関係?」
後ろで寝ていたはずのヒーローがメールを覗き込みからかってきた。
「そんなわけないだろ、ただの友達!」
ヒーローにからかわれるのも満更嫌では無かった。
「なー楓、お前気付いているか?」
「何を?」
「講義の間、お前は梨里ちゃんをずっと眺めているだろ」
「やめろよ、そんなことないって」
「まあまあ、それでな、そんなお前をずっと眺めている人がいるのを知っているか?」
「え?知らないよ、誰?」
「それがなちょー綺麗な人なんだ。透き通っているような美人っていうのかな、本当綺麗すぎて俺は彼女を見つめているんだけどね」
梨里ちゃんをお前が見て、お前を美人が見て、美人を俺が見る。うけるー折れ線グラフか?ガハハ!俺を見ている人いねーかなー」
「何訳のわかんないこと言っているんだよ」
「あははっ、今日は居ねーから今度誰か教えてやっからよ」
ヒーローの話からして大体の予想はついた。
別に気にとめることもなく予定の講義を全部受け、梨里との待ち合わせ時間に学食の入り口に着いた。
「ごめーんお待たせ!」
後から来たのは梨里だった。
「さっ帰ろっ!」
梨里がさっと僕の腕にか細い腕を絡めてきた。
『えっ?!まじっ!』
思い掛けない事態に、血が頭に登りめまいを起こしそうになった。
「あっ!かっちゃんまた倒れないでよ、この前みたいになったら置いて行っちゃうからね」
『いやいや、違う意味で倒れそうです』
「だっ大丈夫です」
梨里は腕を組むことに抵抗はないのだろうか。あんまり気にしないタイプなんだろうか。あえて僕は手を解こうとはしなかった。慌てて解くと子供のようでかっこ悪いと思ったからだ。
それでも緊張していることがバレないようにするので精一杯だった。
「梨里、そう言えば」
「なーに?」
「明後日空いてない?」
梨里の誕生日を一緒に過ごしたいと何年も思っていたことを思わず口に出てしまった。
もう口から出てしまったことを後悔しても遅い。ここはさりげなさを装うしかなかった。
しかし、ここで『空いてない!』と言われるイコール誕生日を共に過ごす相手が居ることになり私の儚き恋は終止符を打つ。
ドキドキしながら返事を待った。
「んー」
梨里は首をかしげた。
『ゲッ!終わったー、僕の人生終わったー』
「その日はお母さんとランチに行くので、夕方からなら大丈夫よ!」
『どっひゃーえっ?まじかー』
僕の心の中では、感情が大暴れしていた。
「ん?でもどうして?」
「いやいや、ちょっとね、たまには梨里と食事でもいいかなーって思って。それにまだこの前倒れた時世話になったことへのお礼もしてないしね」
「えー本当!嬉しい!喜んでお伴しますわ」
その時、僕と梨里の間を冷たい風が通り抜けていった。
『無視、無視!』
そして翌日、午前中にプレゼントを買いにデパートにいくことにした。なぜか岬さんも付いて来るらしい。
『まっいっか、僕にしか見えないし』
僕の財布にはバイト代を貯めた漱石様が数枚入っていた。
女性にプレゼントを贈ったことがないので流行りも好みも知らない。
とりあえずデパートに着くと女性用フロアーへと向かった。
あまりにも華やかな雰囲気の中キョロキョロしていると挙動不審に思われたのか声をかけられた。
「どのようなものをお探しでしょうか」
そこには、色白のお顔に赤の口紅がやけに目立った綺麗なお姉様が立っていた。
僕には何がどういいのか全く分からなかった。
「気になるものがございましたらお声掛けください」
綺麗な定員さんは別の客の方へと向かった。
しどろもどろしていると、呆れて見ていた岬さんがワンピースを指差した。
「これなんか素敵じゃない?」
「私が試着してお見せしましょうか?」
僕のセンスでは梨里に喜んでもらえそうなものは選べない。
正直岬さんが付いてきてくれたことは心強い。
あまり岬さんに借りを作りたくはないが今はそうは言っていられない。
チラチラと私を見ている店員さんを呼んだ。
「すみませーん」
店員さんは満面の笑顔で歩み寄ってきた。
「お決まりになりましたか?」
「はい、こちらを試着していいですか?」
店員さんの顔色が変わった。ドン引きしているような感じにも受ける。
「あのーお客様が試着されるのでしょうか?」
『お化けが着ます』とも言えず、どう返事をしようか迷っていると。
「あっ失礼いたしました。問題ありません。こちらで試着なさって下さい」
『うわー完全にそっち系って思われているー』
完璧に勘違いされているようだが背に腹は変えられない。
「どうもありがとっ」と美川憲一のように答えた。
試着室の広さにびっくりした。お化けと人が同時に入ってもゆったりしていた。
岬さんは、ぼくがいても御構い無しに背中のファスナーを下ろし始めた。
後ろを向いているといつものごとく誘ってきた
「いいのよ〜見 て も❤ダーリン」
「結構です」僕は後ろを向いた。
そして試着が済み、僕たちは向かい合った。
「どう?」
素敵すぎて思わず素直に答えた。
「うん 似合っています」
「本当!嬉しい!」
僕は岬さんの美しさに一瞬心を奪われそうになった。
「んーでもこれは、あの子には似合わないわね」
「次のにしましょっ」
僕より本来の目的を見失っていないのは岬さんだった。
岬さんは次から次と試着してくれた。
「キャー素敵!これも素敵!あれも素敵!」
さらに岬さんはネックレスや指輪にまで目が行った。
「キャーこれ可愛い」
「んーこれもあの子には似合わないわね〜ハイ残念!」
そして、遂に梨里に似合いそうなギンガムチェックの短めのスカートを岬さんが見つけてくれた。
「私には、お子ちゃま過ぎて合わないけどあの子にはいいかもね」
一言余計なところもあるが何も言わなかった。
値段を見ると、予算内の7千円だったのですぐさまレジに持っていった。
「ありがとうございます。こちらの一点でよろしいですか?」
「はい!」
「ありがとうございます、一点で消費税込みの7万円となります。」
『ギョエー 70,000円?、7,000円じゃないの?』
僕は桁を読み違えていたことに気が付いた。しかし払えるわけもなくとっさに言い訳を考えた。
「ごめんなさい、やっぱり気になるのが別にあるのでもう一度検討してもいいかしら?」
「もちろんです。ご覧になって下さい」
僕は、ギンガムチェックのスカートをカウンターに残し、ジャケットのコーナーにそそくさと向かった。
「ねえ、何をされてるの?」
岬さんが、冷ややかな目で語りかけてきた。
「実はお金が足りません」
「桁数読み違えておりました。あんなに高いなんてびっくりです」
「えーあなたここの店、お高い店って知らずに入って来たの?」
「あっはい!」
岬さんは右手の掌をおでこにあてながら天を仰いだ。
「あちゃー、最初に私が予算のこと確認しておくべきだったわっ!」
何度も試着しながらも自分の責任にする岬さんに申し訳なく思った。
「岬さんごめんなさい」
岬さんは、右手を下ろし僕を見た。
「いいのよ、誰にだって間違いはあるは、予算に合ったお店探しに行きましょっ」
僕は、岬さんのポジティブな姿勢に感心した。
そしてレジのカウンターに置かれてあるギンガムチェックのスカートを気にしながらも店を後にした。
それから何件回ったのだろうか、最終的にプレゼントとして買ったのはバーガンディーのちょっと落ち着いた感じのマフラーだった。
何着も試着したにも関わらず結局マフラーだったことに、岬さんはツッコミも入れず、ただ単に買い物を楽しんでいるように振る舞ってくれた。
「岬さん、ちょっとトイレに行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、私ブーツのコーナーに行っているわ」
僕はトイレに行くふりして別の場所へと向かった。
数分して岬さんのところに行くと、つまんなさそうにシートに座り込んでいた。
「ごめん岬さん、帰ろっ」
「はい!」
僕らはデバートを出て、駅に向かった。外は雪でも降るのではないかと思えるほど寒かった。
「楓様っ」
「なんでしょうか」
「電車が駅に着くまで腕組んでもいいですか」
岬さんは僕の右肘を指差した。
いつものごとく即答で『だめ!』って言おうとしたが、今日1日付き合ってくれたことを思うと、断ることはできなかった。
「いいですよ」
僕は右肘をスッとあげた。
岬さんは嬉しそうに僕の腕にしがみつき頬を寄せ目を閉じた。
たった数分だが僕らはカップルのように寄り添いながらひと時を過ごした。
電車が僕らの前に流れ込んできた。岬さんを腕から離した。
「あのー岬さんこれ!」
僕はデパートでトイレに行くふりをして買ってきた物を岬さんに渡した。
「なーに?」
「今日付き合ってくれたお礼」
袋に入っているのは紫の生地に白の薔薇が描かれたハンカチだ。
「好みに合うかどうかは分かりませんが・・」
そう言いながら岬さんを見ると、岬さんの瞳から大粒の涙がポロポロ流れ落ちていた。
「楓さま〜あ〜り〜が〜と〜」
早速、ハンカチで涙を拭きながら喜んでいた。
駅内はもちろんアパートまでの帰り道、岬さんは僕の腕に絡みつくように抱きついたまま放さなかった。
『契約違反!』って思ったけど、ちょっと喜んでいる自分がそこにはいた。
だかアパートを目の前にした時だった。岬さんはなぜか腕を離しスーと消えていった。
『あれ、どうしたんだろう』
周りをキョロキョロしていると、アパートの部屋の入り口に人影が見えた。
階段を上り近くまで行くと、寒さの中座り込んでいる梨里の姿が見えた。
「梨里!」
「あっ!かっちゃん、おかえりー」
座り込んでいた梨里は立ち上がり、抱えて込んでいた買い物袋を僕に差し出した。
「肉じゃが作りすぎちゃって、私一人で食べきれないからおすそ分け!」
「お口に合うかどうか分かりませんが食べてみてね、じゃー帰るね、おやすみ!」
梨里はそう言うと、階段を駆け下りていった。
僕は階段から降りて帰っていく梨里に向かって大きな声で言った。
「梨里!ありがと!」
梨里は後ろを振り向きながら両手で大きく投げキッスをした。その後小走りで駅に向かって消えていった。
僕は、投げキッスの意味をどう解釈していいのか悩んだ。
『僕のことが好き?ただの挨拶?えっ?』
また、感情が暴れ出した。
どちらにしろ、にやけたまま僕は部屋へと入った。
お腹も空いていたので早速梨里が作ったという肉じゃがを頂くことにした。
タッパーに入った肉じゃがはすでに冷め切っていた。
『梨里はどのくらい待っていたんだろうか』
熱々だったはずの肉じゃがを見ながら申し訳なく思ったのと同時に心が熱くなるのを感じた。
チーン
割り箸がお肉とじゃがいもを同時に挟み口へと運んでくれた。
『やっべーぞっ!ちょーおいちー』
熱々の肉じゃがは母ちゃんの作った肉じゃがの7倍は美味しかった。
『すまぬ母ちゃん!』
『男義計画』
翌日朝一でコンビニに寄って大学に向かった。
そして大学に着き梨里と同じだった講義を受けに教室へと入ると、梨里はすでに席に座っていた。
梨里の隣は空いていたので側に行き声をかけた。
「すみません、隣空いていますか?」
梨里は振り向いて僕の顔を見るなり首を横に振りながら冷たく返した。
「だめです。ここには王子様しか座れません」
「えーマジっすか〜」
梨里は右手を、伸ばし椅子を引きながら
「はい!どうぞっ」って言ってくれた。
「感謝しまーす。お礼に、はい!」
昨日の肉じゃがの入っていたタッパーを返した。
「えっ?チョコレート? 嬉しいー、私チョコレート大好きなんだー」
タッパーにコンビニで買ってきたチョコレートを詰め込んでおいた。
「肉じゃが美味しかったです」
「本当!?」
「最初甘過ぎたので作り直しちゃったけどお口に合いましたか?」
『昨日は作りすぎちゃって』って言っていたのに、本当はわざわざ作ってくれていたことに嬉しく思った。なんだか最近頬が緩みっぱなしのような気がする。
「昨夜はどのくらい玄関で待っていたの?相当待っていたんじゃない?」
「んー忘れた!」
熱々だった肉じゃが冷めていたことから長く待っていたことは想像はつくが、梨里はあっけらかんと答えた。
「それより、今日何時からどこに行くの?」
そう、今日は夢にまでみた梨里の誕生日を一緒に祝う日。
この嬉しさは、小学生の時、クリスマスプレゼントに期待を寄せる子供のワクワク度の100倍は超えているだろう。
「この講義終わったら出かけよう!」
「はやーい!待って!準備させて」
自分もなんの準備もしてないのに、はやる気持ちを抑えられずにそう言ってしまった。
「分かった。3時頃は?」
「うん、大丈夫」
ハチ公前は混雑しているから、109の入り口ってのは?」
「オッケー!」
僕は前から計画していることがある。それは《男気計画!》
これぞ男ってところを梨里に見せる計画である。
まずは
① 遊園地の乗り物でびびる梨里の横で心配そうに『大丈夫?』って聞きながら男の強さと優しさをアピールする。
② 映画でラブロマンスを観ながら、主人公になった気分でラブリーな雰囲気を作る。
③ オシャレなレストランでワインを飲みながら大人の雰囲気を醸し出す。
④ 『素敵な誕生日だったは!』と言わせお礼のキスを貰う。
まっ、邪(よこしま)な考えの④は無しとして、梨里にとって忘れられない誕生日になったら良しとしよう。
そしてあっという間に待合時間になった。109の入り口にはすでに梨里が来ていた。
ギンガムチェックのワンピースにボアのジャケットが世界中の誰よりも似合っていた。
「ごめーん待った?」
「大丈夫、梨里も今来たところだよ」
「いつも待たせてばかりだね。ごめんね」
「大丈夫よ」
「じゃー行きますか!」
「うん」
僕たちは早速プラン①に向かった。
そして遊園地の入り口に入った途端、上空から悲鳴が聞こえてきた。
「キャー、ぎゃー」
僕は、それを見た瞬間恐怖に似た衝撃を受けた。
足がさらけ出され、後ろ向きで高速移動する見たことのないジェットコースターだった。小学生のとき父親に連れてこられた時にはこんな物はなかった。
様変わりした遊園地にあっけに取られていると、梨里が僕の腕にしがみつきせがんできた。
「きゃー楽しそー!乗りたーい。行こー行こー」
僕の聞き間違いであって欲しいと思ったが梨里はぶらぶらマシーン(足がぶらぶらしてるので)に乗りたがっているようだ。
『やばい!どうしよう』
断る理由も見つけられないまま、あっという間に長蛇の列の先頭まで来た。そしてついに2人乗りのシートに座らされた。しかも、一番前!
ぶらぶらマシーンは、顔の引きつる僕の事をあざ笑うかのようにゆっくりとスタートした。
その後、想像を絶するほどの凄まじいスピードと恐怖が僕だけを襲った!
「ぎゃー死ぬー!止めてくれ〜」
「きゃー気持ち〜最高〜!」
行きは前向きだが帰りは後ろ向き!日常生活の中で後ろ向きに歩くことってあるのだろうか。ありえないスピードによる恐怖で涙とよだれが飛び散っていった。
僕は心に誓った!『二度と乗らない!』と。
ぶらぶらマシーンは止まりやっとの思いで降りることができた。
「ちょー気分爽快!楽しかったー」
梨里は感動したらしく僕の腕を掴みながらはしゃいでいた。
『梨里!お願いだから、僕を支えてくれ』
梨里を気遣うだけの余裕は僕にはなかった。
「かっちゃん大丈夫?」
なんて優しい子なんだ、僕の苦しみをいち早く察知するなんて。
「今更だけど、もしかしてこういうの好きなの?」
僕は恐る恐る聞いてみた。
「私小さい時以来遊園地来たことなかったけど、恐怖系って梨里好きかも!」
「かっちゃんは?」
「あははっ、僕も好き!」
『あほかーなんで嫌いって言わないんだ!このままだとまた別のに乗せられるぞ!』
「かっちゃん次、あれに乗りたーい!行こっ行こうっ!」
『ほらーもう!』
梨里が指差したのは、この遊園地恐怖系ナンバー2のぶっ飛び逆バンジーマシーンだった。
『でたー!』
僕たちは、この後ナンバー4まで乗ることになった!
僕は遊園地を次のデートに絶対選ばないことを誓った。
やっとの思いで遊園地を後にした僕らは、映画『愛するがゆえ』を観に行った。
そこでも大泣きしたのは僕だった。こんな泣ける映画を今まで観たことがない。
梨里は僕が大泣きしているのがおかしかったらしくずっとニコニコしていた。
「かっちゃんって泣き虫君なんだね」
「本当は泣き虫じゃないと思うけどあの展開は卑怯だよ!泣くわあれじゃー」
「でも優しいかっちゃんだから共感して泣くんだと思うよ。素敵だなそういうの」
「俺、別に優しくないよ」
もう一度、『優しい』って言わせたくてそう言ったのかもしれない。
「かっちゃんはね、本当はね誰よりもね・・・ぶっさいく!キャハハ!」
「なんだとー顔は関係ないだろー」
拳を突き上げると梨里は逃げていった。
「本当だもーん」
途中まで追いかけて行ったが大人の男を演出してくれるレストランはすぐそばまで来ていた。。
「梨里バイバーイ、こっちだよー」
「ひどーい!」
レストランに先に入る振りして梨里を入り口で待っていた。
すると、白いシャツに蝶ネクタイを付けた男性が入り口を開けてくれた。
「お一人様ですか?」
「いいえ、彼女も一緒です。」
梨里が居ないうちに答えた。
「ごめんなさい」
梨里もすぐに駆けつけた。
「ご予約名を伺ってもよろしいですか」
「神崎です」
「神崎様お待ちしておりました。神崎様には特別席をご予約いただいておりますのでそのままエレベーターで最上階までお連れいたします。どうぞこちらです」
僕たちは、東京の夜景が一望できる一等席に通された。
「かっちゃん素敵〜」
予約した僕も正直驚いた。雑誌から得た情報は確かなものだった。
先月号は都内のラーメン人気店の情報だった。ラーメン好きな僕は真剣に見るべきだったと後悔した。しかし今はラーメンなんてどうでもいい。
「よかった喜んでもらえて」
僕は何度か利用しているかのように『できる男』を演じた。
「さっ美味しいものでも食べようか」
喋り方まで、ダンディーを装った。
「かっちゃんのおすすめがいいな」
そんなこと言われても初めてのフレンチ、未踏の聖地だけにオススメなんてあるわけがなった。
「もう、全て選んであるよ。まずはワインで乾杯ね」
事前にお願いしてあったワインがテープルに運ばれた。まるでワインに詳しくて選びました感があるがもちろんフルコースのセットにすぎなかった。
僕は注がれたワイングラスを右手に持った。
「梨里お誕生日おめでとう」
「ありがっ、え?」
「どうして誕生日って知ってるの?」
梨里はただ単に食事に誘ってくれただけだと思っていた
「小学校の時の卒業文集の誕生日欄を見たことがあって、なんか知らないけど覚えていた」
「ふーんそうなんだ。かっちゃんありがとっ、かんぱーい」
そして前菜がテーブルに運ばれてきた。
前菜の役目は「食欲を駆り立てること」らしい。量は少なくても、色鮮やかでよだれが出そうになった。
次にサラダ。サラダは、血液をアルカリ性に変えるらしく、これから食する肉料理がどうしても血液を酸性にする働きをするため、あらかじめ先にサラダを食べておくのが血液のバランスにいいそうだ。
次にスープ。ここからがフランス料理のメインコースの始まり。
「食べ物」より「飲み物」のほうが口にしやすいため、スープ類から始まる。
そしてパンだ。パンの目的は「口の中の掃除」
スープによって口全体に広がった雰囲気をパンによってリセットするのだ。
待っていました。次に魚料理。
肉料理より、魚料理から始まるのが一般的らしい。そのほうが消化しやすのだ。
次にデザートが出てきた。
ソルベ。もう終わりかとびっくりしたがここでのソルベは「口直し」が目的。魚を食べた後のごつごつした口の中を、冷たく甘い食べ物でリセットする役目があるらしい。
そしてついに来ました肉料理。フルコースのメインメニューだ。ローストビーフの肉厚が最高!牛、豚、そして生まれて初めて食したフォアグラはショック死しそうなくらい美味しかった。
そしてチーズ。満腹感が得られた後のチーズは、雰囲気を変えるため登場するらしい。
そして肉料理よりも楽しみにしている女性も多いと聞くフルーツ・デザートと続いた。
そして、生まれて初めてのフランス料理フルコースが終了した。
最後にワインで締めた。
「かんぱーい」
「やばい!かっちゃん。ちょー美味しかったー」
僕は、一気に飲み干した。
「プハーほんとおいしかったね」
「うん」
「かっちゃん、ありがとっ梨里幸せ」
夜景にも目もくれず僕のことを見つめる梨里が目の前にいた。
「ねえかっちゃん・・・さっき入り口で『彼女も一緒』って言った?」
ドキッ!聞かれていた。
「うーん覚えてなーい」
ごまかして次のプランへと進んだ。
実は前もって店に預けておいたプレゼントが座席下に用意されていた。
「梨里!」
「なーに」
「はいお誕生日おめでとう」
「プレゼント?えーほんと?」
どこからともなく出されたプレゼントに驚いていた。
「開けていい?」
「いいけど、大したものじゃないよ」
梨里はリボンを解き袋の中を覗き込み取り出した。
「マフラー?かわいい!」
梨里はすぐに首に巻いてくれた。
「どう似合う?」
梨里には、どんなマフラーでも似合うと思った。
「んーどうかな?」
「ひどーい」
「嘘です。似合ってるしとっても可愛いです」
「私?マフラー?」
「どっちも!」
「嬉し〜」
と、僕たち以外の人にはなんの興味も無いであろうトークを楽しみながらあっという間の食事タイムは幕を閉じようとしていた。
「梨里、帰ろっ」
「うん」
「ご馳走様でした」
「ご馳走様でした」
僕らはレジに向かって歩き出した。
歩きながら梨里は肩に下がっているバッグの中から財布を取り出した。
「大丈夫よ、ここは僕が払うから」
「ダメだよ〜絶対高いから割り勘にしましょ」
「今日は梨里の誕生日!奢らせてください」
「ごめん、分かった」
「入口で待っていて」
「うん」
お会計を済ませるためにレジの前まで来た。
「お願いします」
「ありがとうございます。23,562円となります」
安くはない金額だったが表情を変えることなく支払った。
『ふー大きいなー、しばらくは倹約しないといけないなっ』
支払いを終えると、数メートル先に梨里が立っていた。
「高かったね。割り勘にしょ」
「大丈夫よ。ありがと」
「じゃーかっちゃんの誕生日には私がご馳走するね。ご馳走様でした」
なんて幸せなんだ。まさか僕の誕生日にも2人で過ごせるなんて。
正直、ちょっと高いなー思っていたが一瞬にして大満足に変わった。
しかし私がかっこよく振る舞っていたのもここまでだった。
お店を出て、エレベーターを降りると目の前の景色が歪んで見えた。
「梨里ごめん、やばい飲みすぎた」
僕はお酒が弱いのかそれとも病気になってから久々のアルコールで体が拒否反応でも示しているのか。そんな事はどうでもいい。景色が歪む!
「かっちゃん大丈夫?」
「なんとか」僕は見栄を張った。
テナントビルの外に出ると、11月とは思えないほどの凍てつく寒さが僕たちを襲った。
梨里はプレゼントしたばかりのマフラーで僕の首元まで温めてくれた。
さらに足元のおぼつかない僕の腕まで支えて貰い情けない限りである。
僕の今日1日の『男気計画』は終始失敗だった。
遊園地では鼻水流しながら怖気付き、映画館では大泣きし、挙げ句の果ては、お酒飲み過ぎて足元フラフラ、踏んだり蹴ったり鼻水だらけの1日だった。
僕らは店を出て酔いを覚ますためにしばらく歩いた。その時、僕の左足は僕の右足を踏んだ。
『ぐきっ』
僕はつまずくと同時に首に巻かれていたマフラーで首吊り状態になった。
「げほっ、死ぬっ」
「きゃっ」
二人の首に巻かれたマフラーが仇となってお互いの首は締め付けられた。
もちろん梨里が悪いのではなく僕の左足が悪いのだ。
「ごめん梨里!」
「やだー私達うけるー」
梨里は大笑いしていた。
『一粒の雨』
僕たちは、酔いを醒ますために近くの公園のベンチに座った。
こんな小さな公園にまでイルミネーションの飾り付けが施されていた。
「かっちゃん大丈夫?」
梨里は心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
どうやら、梨里の肩に持たれて寝てしまったようだ。
「あっごめん」
「ううん大丈夫よ」
「ダメだね、こんな酔っていたら梨里の誕生日が台無しだね」
僕は今日1日の不甲斐なさを反省した
「かっちゃん何言っているの。私ね、こんな素敵な誕生日初めてよ」
「私の両親ね、車の事故で私が小さい時亡くなったの」
「うん、知ってる」
「それで、お婆ちゃん、お爺ちゃんに育てられいつも慎ましやかに誕生日はし
たわ。」
「でも2人には悪いけど、どうして私の誕生日に両親がいなのって、心ではいつも悲しんでいた」
「でもね、今日初めて誕生日があることに感謝した。両親に産んでくれてありがとうってほんと思った。だってこんな素敵な誕生日迎えられたんだもん。それにかっちゃんのカッコ悪さを見てるのもちょー楽しかった」
「何だと、一言余計だぞっ」
「あはっごめん」
「・・・」
「僕ね、梨里のご両親が亡くなったこと覚えているよ」
「僕の親と、梨里のご両親と同級生で仲良しだったでしょ」
「うん」
「あっ!、遊園地に梨里の家族と僕の家族で行ったの覚えてる?」
「うん。覚えているよ。実は今日がそのとき以来の遊園地だったの」
「そうだったんだ・・・」
「梨里ね、楽しかったあの時の思い出が薄れるのが怖くて、誰に誘われても行けなかったんだ」
「そうなんだ・・・」
その時、空から白い粒が降ってきた。それは雪のような雨だった。
その雨はネオンの明かりを反射してときおり輝きを放ちながら降ってきた。
「かっちゃん、ありがとっ」
その輝く粒と一緒に梨里の唇が僕の頬に触れた。
『本業』
僕らは本降りにならないうちに帰宅することにした。
梨里を見送るために駅のプラットホームまでくると再度梨里が深々と頭を下げた。
「今日はありがとうございました。すごく楽しかったです」
「僕こそ、ちょー楽しかったよ」
「おやすみなさい」
そう言うと梨里は電車の中に入り、振り向いて僕に手を振った。
電車は扉を閉め、ゆっくりと僕らの距離を離していった。
ここで『誕生会』&『男気計画』の全日程を終えた。
帰宅途中、今日1日を思い出しながらにやけているのが自分でも分かった。
外階段を登り、どこのアパートにもあるようなドアの鍵を開け、真っ暗な通路の電気を付けた。
ドキッ!
部屋の隅っこに目をやるとそこには、背を向け体育座りをする岬さんの姿があった。そして小さく呟いた。
「私、悲しいわ・・・」
岬さんの背中から床に向かって真っ白な冷気が滝のように流れ落ちていた。
「どうしたの、岬さん?」
「どうしたもこうしたもないわよ」
「私の楓様のホッペになにしてんのよあの小娘!」
『げっ、見られていたのか!』
「そりゃ、この世にいる限りは私の物ではないのでとやかく言える筋合いではありませんわ!」
『もの?』
『物扱いか』って言いたかったけど黙って聞くことにした。
「私の楓様にキスをするなんて絶対に許せないわ!」
「こらっ岬さん!」
「分かっているわよ、何もしませんわよ!」
シュー、さらに冷気が立ち込めた。
オバケってのは頭に来れば来るほど冷気を出すことを知った。
まるでイベント会場で演出に使われるスモークを焚いたかのようにフロアー中にそれは広がっていった。
「もうムカつくーお化け屋敷にいって頭冷やしてくるわ」
立ち上がった岬さんは普段壁を通り抜けて行くのだが、今日は玄関から扉を開け思いっきり閉めて出て行った。
『ばたん!がしゃん!』
その拍子に台所の壁に立て掛けてある鍋の蓋も落ちた。
「あちゃーありゃ相当お怒りですな」
「まっいっか!今日はハッピーだしー」
にやつきながらさっさとシャワー室へと入った。
そうそう、岬さんは、たまにキャシーランド《レジャー施設》にあるお化け屋敷でバイトをしているらしい。そこであまりの怖さに失神するお客が多発し日本一怖いお化け屋敷と噂されているらしい。
店長さんからも相当気に入れられているとか。
『そうだ今度みんなを誘って遊びに行ってみよう』
明後日は日曜日なのでみんな来てくれると思う。それに、怒り狂った岬さんが人様に迷惑を掛けていないかという心配もあった。
『逆襲』
そして日曜日、15時にキャシーランドに全員集合してくれた。
「楓、珍しいな。お前から集合をかけてまでお化け屋敷なんてよ。どうせ梨里ちゃんにかっこいい所でも見せようって魂胆だろ?」
ヒーロがそう言うと、そばで不安そうに梨里が声かけてきた。
「かっちゃん、大丈夫?」
3日前までの僕を見てきた梨里には当たり前の心配かもしれなかった。
『あちゃー、梨里の中では弱虫かっちゃんが浸透してしまったかー』
しかし僕はお化け屋敷には自信があった。何と言っても本物と暮らしているから免疫は人一倍あると思う。
「日本一怖いと言われているお化け屋敷がいかなるものか見ておかないとね」
僕は虚勢を張った。
「日本一?聞いてないぞ!そんなこと」
仁は来たことを早くも後悔した。
「とりあえず入ってみようぜ!」
和斗は相変わらず男気たっぷりだった。悔しいけど認めよう。
「かっちゃん、私ね、お化け屋敷ダメなんだ」
僕のそばで梨里がそう言った。
『えっ?灯台下暗し!梨里の苦手なものがこんな近くにあったなんて』
僕はここぞとばかりに男気を見せた。
「大丈夫!私があなたを守ります。ついて来なさい」
「絶対離れないでね」
「うん」
入口と出口が併設されており出口から涙を流しながらカップルが出てくるのを目の当たりにした。
「やばかったーちょー怖すぎー」
「2度と入りたくなーい」
恐怖を煽るには十分すぎる会話に皆んな足がすくんだ。
このお化け屋敷のルールとして2人1組で入ることとなっていた。
僕は迷わず梨里の腕を掴み先頭で中に入っていった。
誰にも梨里を渡す訳にはいかなかったからだ。特に和斗には。
入口を入ってすぐに病院をモチーフにした長い通路が恐怖感を増幅させた。
そして矢印のある一つ目の部屋に入ると化け定番の白装束の女が下をうつむいたまま立っていた。
「やだー誰か立っている。怖い、怖い」
怯える梨里は僕の腕にしがみつき僕の後ろへと隠れた。
『なーんだ岬さんか』
その女が岬さんであったことが逆に僕に安心感をもたらした。しかし、梨里にとっては恐怖の存在でしかなかった。
岬さんの足元にメッセージらしき物が落ちていた。
「梨里、地面に書いてあるものを読んで欲しいみたいだよ」
「やだーやだー怖いっ怖いっ」
梨里はもう片言しか喋れなくなっていた。
「大丈夫よ、取ってみよう」
僕らは近づき、岬さんの足元にあるメッセージを読んだ。
「この屋敷に入った者は生きて帰れないだろう!」
「死ねー!」
「キャー!」
そのメッセージを読んだ瞬間、うつむいていた岬さんが襲ってきた。
真っ白な顔に真っ赤な血塗り。真っ赤な爪を剥き出し、髪を振り乱し近寄ってきた。
「キャー」
梨里は悲鳴をあげ僕の背中の服をぎゅっと握って怯えた。
「怖いっ怖いっ!」
僕が梨里をかばうように両手を後ろに回すと岬さんはますます苛立ったかのように奇声まであげて顔を近づけてきた。
「キ〜!」
僕は、さっさと後ろにいた梨里の手を握り、岬さんを掻い潜って次の部屋へと移った。
「やだーあの幽霊怖すぎ!」
梨里は震えていた。
『全くっ!岬さん度が過ぎているんだよな。しかも『死ねー』なんて!』
そして、次の部屋に行くとそこにも懲りもせず岬さんが目ん玉をひんむいたような形相で立っていた。
しかも、なんだか今度は透けているようだった。
この部屋はこのお化け屋敷の売りらしくて、幽霊の立体的な映像を客がすり抜けていかなくてはクリアーできない設定らしい。
しかもその映像をすり抜ける瞬間耳元で恐ろしい一言を囁くからさらなる恐怖が
「かっちゃん、あの幽霊透けてない?」
岬さんは、装置などいらない本物の幽霊なのでかなりのリアリティーがあった。
宙に浮き両手を広げ頭をカクカクと小刻みに動かし、口は耳まで裂け目は血走っていた。
そんな恐ろしい形相の岬さんに恐る恐る近付いていった。
その体を『すー』と通り抜けようとした瞬間、梨里に向かって岬さんが呟いた。
「わかれろ〜」
「ギョエー」
僕が驚いた。
『岬のヤローそのセリフ違うだろ!』
僕は鬼の形相で岬さんを睨んだ。しかし振り向いた岬さんは僕らを見てほくそ笑んだ。
梨里はずっと悲鳴をあげていた。
「きゃーっ、きゃーっ」
その部屋を小走りで抜けたが僕らだが梨里はまだ怖がっていた。
「怖〜い、やだーこのお化け屋敷、早くでたーい」
そして次の部屋の入り口まで辿り着いた。
「梨里、とりあえず落ち着こう大丈夫だから」
「うっうん、ふー」
梨里は深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
「ねぇーかっちゃんっ」
「なーに?」
「さっきのお化け、なんか呟いたみたいだけどなんて言っていたの?」
梨里は恐怖のあまり聞き取れなったみたいだ。
「あっ、あれね、『バカヤロ〜』って言っていたよ」
「えーそんな口悪くていいの?お化け屋敷の方って」
「いいじゃん、よく分かんないけど」
なんとかごまかし次の部屋に入った。
ガチャッ!
なんと三たび岬さんの登場だった。
『おいおい、このお化け屋敷は岬さんしかいないのか』
岬さんの首は離れ、自らの右手の上に置かれていた。
その岬さんの足元にまたもやメッセージが置かれてあった。
『首を元の位置に戻しなさい 《女性限定》』と書かれていた。
梨里は僕の後ろで半ベソかいていた。
僕はその右手に置かれてある頭を持ち上げて岬さんの首に「ひょいっ」っと戻した。
すると岬お化けは、両手を伸ばし僕の頬を
「なんであなた様がするのよーどうして小娘にやらっ」
「ぐふっ!」
僕は、岬お化けの口を押さえて、スタッフ用の扉を開けそこへ押し込んだ。
「さっ行こう」
僕たちは、最終部屋へと向かったが、そこには誰も居なかった。
「よし今の内だ、出よう!」
僕は梨里の手を握り早歩きでお化け屋敷から出ることができた。
「フー脱出成功!」
梨里は大粒の涙を流していた。
「怖かったー二度とやだー」
僕も、違う意味でそう思った。
5分程経ってからヒーローと里美さん組が戻ってきた。
二人とも大泣きだった。
「おーい楓!生きているか?俺、もうだめ!特に最後の部屋なんか怒り狂ったようにお化けが追いかけてくるんだぜ!超怖かったぜ!」
「何言ってんの!ヒーローって
「だってあのお化けちょー怖かったしっ」
「私も怖かったわっ」
「まあまあまあ、落ち着きなさい!」
「そんなお前はどうだったんだよ、梨里ちゃんこいつ守ってくれた?」
「うん、かっちゃんの後ろにずっと隠れていた」
「へーお前怖くなったのか?」
『いやーいつも生活している人が出てきたにすぎないので』っとは、さすがに言えず。
「こういうのあまり怖くないかも」とさらっと言った。
その後、和斗達、仁君達も帰って来て全員が揃った。
興奮冷めやらぬ様子で、口々に怖かったことを共感し合っていた。
僕は岬さんに対して腹立たしさは感じるが、梨里の前で男気は見せられたので大満足であった。
その後、みんなで食事をし梨里を駅まで送った。
『悪化』
そして4日後
「ピロリロリーン、ピロリロリーン」
お昼前に梨里からの電話が鳴った。
「はい」
「かっちゃん大丈夫?学校来てないみたいだけど」
梨里の優しさで元気を取り戻した。と言いたいが今回は厳しようだ。
「ごめん、熱が下がらないし咳も止まらないんだ。インフルエンザにでもかかっちゃったかな」
「えっ大丈夫。今から行くからね。何か食べたいのある?」
何にも食べられないくらいきつかった。
「大丈夫よ、何もいらない…」
『やばいな、今回は…』
梨里は、僕が普通ではないことを察し午後の講義を受けずに駆けつけてくれた。
もしも僕の身に何かあった時のことを考え、昨日の晩から鍵は開けっぱなしだった。
梨里は、部屋な入るなり僕のおでこに手を当てた。
「やだっ、すごい熱!」
体温計で計るまでもなく僕の体温はあちこちから大放出されていた。
丸々2日何も食べないだけで人は生気を失うらしい。僕の表情を見た梨里は携帯でヒーローを呼ぼうとした。
僕は梨里の携帯を持つ右腕を掴んだ。
「梨里、大丈夫だよ・・・」
しかし僕の右手は梨里の腕から力なく落ちた。
「かっちゃん、しっかりして、かっちゃん…」
僕の意識はここで途絶えた。
ここはどこ?もうあの世に行ってしまったのだろうか?
目を開けてみた。うっすらと十字架らしき物が見えた。
『やっぱり僕は死んじゃったのか。あー、それにしても息がしにくいぞ。』
そして徐々に十字架が見え始めた。
「あれっ?十字架じゃないぞ、灰色の線がクロスしているたけだぞ。しかも幾つか見える」
「ん?これは天井?ただの模様?」
天井に貼られているクロスの模様が十字架に見えただけらしい。
「ん?鼻に管か刺さっている!?」
「そっか!ここは病院かぁ生きているんだ〜よかった〜」
やっと状況がつかめ生きていたことに驚きと感謝をした。
壁に貼られている日めくりカレンダーは12月16日を示していた。。
熱出して苦しんでいたのが確か12月9日だからは丸々1週間以上意識がないことになる。
目線を右の方にやるとコーヒーカップから湯気が立っていた。入れたばかりなのだろか。だがそれを飲むべき人がいない。
壁に掛けられているフード付きダウンジャケットは母ちゃんの物だった。
一週間も生死の境をさまよっている僕を看病してくれたのは母ちゃんだった。
『ありがとっ、母ちゃん!』心でそう呟いた。
『ガシャーン』
誰かが病室の入り口で食器らしき物を落とした。
そして駆け寄ってきたのは母ちゃんと思いきや梨里だった。
「かっちゃん、目を覚ましたの、かっちゃんよかったー」
僕の胸元で梨里は大泣きをした。
『僕のそばに居てくれたのは梨里だったのかー』
僕も目頭が熱くなった。
『僕は、何度この人に助けられたのだろうか、僕が守ってあげる予定が…』
「よかった、よかったー」
梨里は僕の手を握りながら大泣きした。
『残りの命』
翌日主治医から詳しいことを聞かされた。1週間も意識がないなんてただ事じゃないことは自分でもよく分かっていたが脳栓塞(のうそくせん)という脳卒中の一つにかかっていたらしい。
そのままあの世に行く人も多いと聞かされた時は肝を冷やした。
「かっちゃんね、緊急手術する寸前までいったのよ。そしたら意識のない中、言葉を発したもんだから、そこで回復できるとお医者さんは判断したらしいよ」
「へえー何て言ったんだろう?」
「やだー恥ずかしいっ」
なぜか梨里のほっぺがりんごのように赤く染まってきた。
「何て言ったんだよ」
「『梨里離れないで』って何度も言っていたみたいだよ」
「そうなんだ、全く記憶に無い」
「当たり前でしょっ、意識なかったんだから」
「おとぎの世界ではね、眠るのは女の子って決まっているのよ、男の子はキスで眼を覚まさせてあげるものなのよ!」
「そうだね、ごめん」
「でも私ね、かっちゃんと変わってあげたいって本当に思ったのよ。キスで起こして欲しいからね、やだー、ロマンチックー」
梨里は1人でおとぎの世界に入り込んでいた。
『ピロリロリーン』
携帯が鳴った。開くと余命アプリだった。
《あなた様の余命は残り8日です。》
『そっか、この1週間寝たきりで何一つ人の役に立つことできなかったからどんどん減っていったんだ』
『それにしても厳しいな後8日なんて、なんの心の準備もしてねーぞ、しかもその日はクリスマスイブじゃねーかよ』
梨里が携帯を覗き込もうとした。
「メール?」
僕は慌てて画面を隠した。
「母ちゃんだよ、ご飯しっかり食べているかの心配メール。」
「そっか、お母さんも弱虫息子さん持って大変ね」
「なにおー」
「きゃっ ごめーん」
僕は、ほっぺを軽くつねった。
【告白】
そして僕の体は梨里の看病も虚しくみるみると痩せ細っていった。人のために何かできるほどの体力もなく、刻一刻と死へ近づいていくのを感じた。
そしてただ横になっているだけの闘病生活もついに最後の1日を迎えた。
相変わらず梨里は回復を願って毎日見舞いに来てくれた。
僕はそんな梨里に最後の願いを言った。
「梨里、今日はクリスマスイブだよね」
「うん、そうだね」
「俺、クリスマスイブに病室で過ごしたくない」
「えっ!でもまだ外出許可は出してくれないと思うよ」
「大丈夫、今晩だけそっと抜け出そう」
「1時間だけでいいんだ、どうしても行きたい場所があるんだ」
「かっちゃん、ごめんね。それだけは私には叶えられない」
それもそうである。絶対安静が必要な今、ただのわがままを聞き入れることは誰にだってできるはずがなかった。
僕はこれまでのこと全てを梨里に話す決心をした。
余命アプリのこと、岬さんのこと、病気のこと全てのことを・・・
【丘の上の公園】
梨里は終始涙を流していた。
そして携帯の余命アプリを梨里に見せた。それには『最後の日』と記されていた。
梨里は携帯を手に泣き崩れた。
そして僕たちは、消灯時間が来るのを見計らって病院を抜け出した。
そして梨里の肩を借りて向かったのは、梨里の唇がほっぺに触れた場所。『丘の上の公園』だった。僕は東京の夜景が一望できるこのベンチが一番好きだった。
僕らは誰もいないベンチに座り最初で最後の二人きりのクリスマスをした。
「梨里、メリークリスマス」
「メリークリスマス」
僕たちは、梨里が用意してくれたワイングラスにワインを注ぎ乾杯をした。
「美味しいね、でもかっちゃんは飲み過ぎちゃダメよ」
「分かっています。一口ね」
梨里の誕生日に一度失敗していることからの心配なのか、僕の体をいたわってのことなのかは分からないが素直に従うことにした。
そして、僕はワイングラスを起き、甘えるように梨里の膝に寝転んだ。
実は息苦しくて座って居られなかった。
「かっちゃん、今日ね、どうしても伝えておきたいことがあるの」
「なーに?改まって」
「梨里ね、ずっとかっちゃんのことが大好きだったの」
「えっ!?」
「小学1年生の時からずーと」
僕が梨里を意識し始めたのは小学6年の修学旅行で、一緒のグループで調べ学習をした時からだった。
それよりもずっと前から僕のことを好きだったなんて驚きでしかなかった。
「高校も、大学もかっちゃんが行くところに行くって決めていたの」
「えっ!?」
僕は、同じ学校であったことを偶然でラッキーとしか思っていなかった。
「ストーカーみたいでしょっ私」
僕は予想すらしていなかった梨里の告白に言葉を失っていた。
「ずっとかっちゃんのそばに居たかったんだ。ずーとね」
「ほんとはかっちゃんが好きなバスケ部に私も入りたかったけど、女バスは男子と練習日違ったから練習が同じ日だったバトミントン部に入ったんだよ」
「カッコよかったーかっちゃん!」
「私ね、県で優勝したらかっちゃん、少しは私を見てくれるかなって思って一生懸命練習したんだよ」
「それとね、なんでこんな好きになったかと言うとね、私の両親のお通夜でかっちゃんおじさんとおばさんに連れられて来たでしょ。
その時、かっちゃんね私の前に来て『泣かないで、僕のお嫁さんにしてあげるから泣かないで』って励ましてくれたのよ」
「私ね、その日からかっちゃんのことが大好きになって、かっちゃんのお嫁さんになることだけを夢見てきたの」
「そうそう、この前食堂でかっちゃんのお父さんに頼まれていたことがあるって言ったよね。
それはね『大きくなったら楓のお嫁さんになってね』って頼まれていたの。
私ね、幼過ぎてお嫁さんって言葉あんまりよく分かっていなかったんだと思う。それでも『うん』って答えたのよ」
「・・・」
「かっちゃん、聞いてる?」
「ねえ、かっちゃん、聞いてる?」
「ねえ聞いてよ」
「私、もっともっと伝えたいことがあるんだよっ」
「お願いっ目を開けて私の話を聞いてよー」
「かっちゃん・・」
僕の意識はすでに遠のいていた。もう返事ができる状態じゃなかった。梨里の話も途中から聞こえなくなっていた。
「遅いよ、梨里・・」
「もう聞こえないよ・・・」
「たぶん嬉しいこと言ってくれてるだよね」
「もっと生きたかったー、梨里と一緒に・・・」
「かっちゃん、やだよ私の夢叶えてよ、私を置いて行かないで!起きてよ!お願い、かっちゃんのお嫁さんにしてよ・・・」
「お願い目を覚まして…」
「お願い、私を一人にしないで…」
梨里は僕の顔を撫でていたが触れられている感覚はすでになかった。
梨里は鼓動を止めた僕の胸で泣き崩れた。
「真実」
梨里は右手で涙を払いのけ周りを見回して叫んだ。
「お願いかっちゃんを返してっ!」
「かっちゃんを返してよっ!」
「岬さんいるんでしょ!そこに居るんでしょ!出て来てよ」
梨里は大粒の涙を流しながら怒りからか声を荒げに岬さんの名を呼んだ。
「岬さんお願い、出てきてよ・・・」
その時ベンチの周りに冷気が漂い始めた。
そしてその真っ白な冷気の中から岬さんが梨里の前に姿を現した
これまでの岬さんとは違い穏やかな表情で梨里の前に現れた。
梨里はかっちゃんをそっとベンチに寝かせ立ち上がった。
「岬さん、かっちゃんを連れて行かないで」
「・・・」
岬さんからの返事はなかった。
「なぜかっちゃんを連れて行くの?そんなに森に入ったことがいけない事なの?命を奪うほどいけないことだったの?人の命はあなた達のしきたりよりずっとずっと重くて大切なはずよ」
「お願い!私の大切なかっちゃんを連れて行かないで、お願いだから…」
梨里は泣きながらその場に崩れた。
「梨里さん・・・」
岬さんが梨里に話しかけた。
「私の愛する人は、私のことを守るために命懸けで盗賊から守ってくれたわ。でも、その時の傷が元で帰らぬ人になったの」
「私はね、その愛する人のためにあの島を守らなくてはならなかったの。いかなることがあってもあの島を守らなくてはならなかったの。そのためなら人だって呪い殺すわ。私と愛する人の思い出の島を汚れさせないためにも私が守り抜くと誓ったの」
梨里は険しい表情で岬さんを見た。
「岬さん、あなたは間違っています。あなたの愛する人は島を守るために命を落としたのでないと思うは。岬さんあなたのことを守りたくて命を落としたはずよ、島なんてどうでもよかったはずよ」
岬さんは落胆した様子で答えた。
「そうかもしれない、でも私のせいであの人は命を落としたの。もう会わせる顔がない、だから罪を償うためにこの世に残って島を守っていくの。誰の命より島が大事!」
『バシッ』
梨里は岬さんの頬に手のひらを当てた。
「あなた最低だわ、人として、いや、女として最低だわ!」
「岬さん、あなたはその愛する人の気持ちになって考えたことあるの?例えあなたを守るために命を落としたとしても、あなたを決して恨んだりはしないわ」
「あなたのことを愛しているからこそ恨まないんでしょ。どうしてそれが分からないのよ。どうして早くそばに行ってあげないのよ、あなたのことをずっと待っている人のそばに行ってあげないのよ」
「可哀想だわ、その方があまりにも可哀想すぎるわ、あなたみたいな本当の愛を知らない人のために命を落としたなんてかわいそすぎる。そのせいでかっちゃんまで…」
「お願い…かっちゃんを返して…」
梨里は岬さんの裾を掴みながら泣き崩れた。
「・・・」
うなだれる梨里の肩に手を添え岬さんはそっと起こした。
「梨里さん、ごめんなさい。分かりました。本当のことを言います」
梨里は涙を手のひらで拭き取り顔を上げた。
「実は、楓さんは呪われて寿命が縮まった訳ではないの」
「えっ!?」
「楓さんはもともと病気だったの」
梨里はキツネにつままれたような表情をした。
「呪われて病気になったんじゃないんですか?」
「違うの、洞窟に楓さんが来た時、私には見えてしまったの、楓さんの病んでいるお姿が・・・そして寿命までもが見えてしまったの」
「気の毒でしたわ、助けてあげたいと心から思ったわ。でもどうすることもできなかったの」
「楓さんが最後を迎える日まで精一杯生かせてあげたいと思って都会までついて来たの」
「生きている時間を死人のように過ごすのではなく有意義に過ごして欲しくて楓さんの傍に来たの」
「できることなら私に恋をして欲しかったわ。私のことを愛してくれるなら『死』への恐怖も和らぐかと思ったの。でも、梨里さんを思う気持ちには勝てなかったわ。
このままでは、楓さんだけでなく梨里さんまで別れの悲しみを負ってしまうと思いそれで引き離そうとあんな酷いことをしてきたの。
でも梨里さんの愛は私には到底叶わない深い愛だと気付かされたわ」
「楓さんは呪いで死んで行くのではなく、運命がもたらしたことなの。これが真実です」
呪いを解けば助かるのではと少しの期待を寄せていた梨里は愕然とした。
全ての望みを断たれてもなお、出る言葉はひとつだった。
「お願いです。私の命と引き換えにかっちゃんを助けて下さい。お願い・・・」
懇願し続けるも、うなだれる梨里にそっと岬さんは手を差し伸べた。
「梨里さん、私にはそんなことできないわ」
「でもね・・・」
「私の愛するタケル様なら何らかの方法を知っているかもしれませんわ」
梨里は岬さんの顔を見上げた。
「本当ですか?」
「ただね。私がこの世にいる限りタケル様にお会いすることはできないの」
「どうすればいいのですか?」
梨里の表情が変わった。
「私がこの世に未練を断ち切ることができるのであればタケル様の元へ行けるはずです」
「岬さんの未練って何ですか」
「楓さんよ、楓さんを心から大切に思ってくれる方が本当に梨里さんであることを証明できたら安心して離れられると思うの」
それを聞いた梨里は自らの首に手をかけた。
「梨里さん何をなさるの」
「岬さん、これ」
首には、呪いのネックレスが掛かっていた。
「かっちゃんから聞いたの、このネックレスには呪いがあり、それを持っていることで病気になってしまったって」
「だからその呪いがかっちゃんではなく私の方へ向いて欲しくて、かっちゃんの部屋から見つけ出し私が身につけているの」
「かっちゃんは私の全てなの。かっちゃんのためなら死ぬことなんて怖くない。それで首に掛けたわ。永遠の愛を誓って」
岬さんの目から涙がこぼれ落ちていた。
「梨里さん、このネックレスは呪いのネックレスなんかじゃないのよ。これはね私がタケル様から頂いた、この世で一番大切にしていたネックレスなの」
「それで楓さんに大切にしてほしくて嘘をついたの。手放すと周りの人にまで呪いが及ぶって・・・」
岬さんは流れる涙を指先で拭い答えた。
「梨里さんあなたが命を懸けてまで楓さんを守りたい。そして心から愛していること分かりました。これで私はこの世に未練はありません。あの人のそばへ戻ります。あなたの愛が楓さんを救うことを願って・・・」
そう言うと、岬さんの涙と霧雨が混ざり合い空へ溶けていくかのように姿は徐々に消えていった。
その時、公園の入り口に救急車が見え救急隊員の声が聞こえた
「おーい大丈夫かー」
「別れ」
それから一ヶ月、
車窓には銀世界が広がっていた。僕には白にしか見えないのになぜ銀世界と表現するのたろうか。そんなことを疑問に思うことこそが生きている証拠なのだろうか・・・
僕は退院することができた。あの後緊急手術で奇跡的に命を取り留めたらしい。
「ピロリロリー」
梨里からのメールだった。
「かっちゃん退院おめでとう。就活の面接でそばに行けないけどごめんね。夜お祝いしようね」
アパートに着くと、部屋は綺麗に片付けられていた。
そこには、岬さんと暮らした数ヶ月の思い出をうかがわせるものは何もなかった。ただ一つを除いては。
机の上に手紙が残されていた。
それは岬さんからだった。
「楓様へ」
この手紙を読まれているということは、生きておられるということだと思います。本当によかったです。
大体のことは梨里さんから伺っていることだと思いますが、私からも真実をお話させて下さい。
私は、決してあなた様の命を奪いたくて近づいたのではありません。本気であなた様に恋をしたのです。
洞窟であなた様と出会い、確かにタケル様に似てらっしゃることで驚きとときめきを感じました。前にもお話しましたが梨里さんを必死に守ろうとする姿に心を奪われたのも事実です。
もう一度、人を好きになるという感情を取り戻したくてあなた様との出会いを利用しようとしたのかも知れません。
タケル様があの世に行かれてから何百年と一人寂しく過ごしたあの島。なんの楽しみもなくただの不幽霊で過ごしていくはずだったあの島。
そんな私にあなた様が光を灯して下さったのです。
しかし、私には見えてしまいました。真っ黒な影があなた様のお体を包み込んでいるのを。それはあなた様の命の期限が迫っていることを意味します。
その時、あなた様のお力に少しでもなりたいと思いました。どこかでタケル様が私のために命を落としたことへの償いをあなた様のお力になることで果たそうとしていたのかも知れません。
しかし、私にできることは死に行くあなた様のお気持ちを和らげることと残りわずかな人生を悔いのないように過ごさせることだと勝手に思い込んでいました。
あなた様が生きるために必死になることが悔いの残らない人生だと思い、命の期限を伝えてきました。
また、私に恋心を抱いて欲しくてあなた様に寄り添っていたのも事実です。
しかし、それらは全て間違っていたことに気が付きました。
結局私はあなた様のお力になるどころか恐怖や不満、そして苦しみを与えるだけの存在でしかなかったようです。
その償いをするためあの世に行きタケル様を探しました。しかし、既に彼は、別の世に天生(生まれ変わる)されているとのことでした」
「楓様を助ける術を無くしかけた時。死の中の生命を司る神「死王帝」が私の前に現れてこう言いました。。
『存生させたき者あらば己の身を我が元へ奉ぜんとす』
神の力は偉大でした。
私の願いは叶いました。楓様が梨里さんの元に戻れこれ以上の喜びはありません。
これまでのことをお会いして謝りたかったのですが、いつの日かあなた様があの世にこられた時にお詫びしたいと思います。
それまではお元気でお過ごしください。そしてこれまでの数々の非礼お許し下さい。
岬
「・・・」
「岬さん何言ってんだよ、卑怯だよ!自分の言いたいことだけ言って居なくなるなんて卑怯だよ!」
「僕にも言わせてよ!僕だって言いたいこと山ほどあるんだよ」
「僕の話も聞いてくれよ・・」
僕は力が抜けてその場に触り込んだ。
「岬さん、ありがとう・・」
「岬さんのおかげで真木、死なないで済んだよ」
「真木だけじゃないよ。僕、あの島で岬さんと出会ってなかったら今頃病気に負けて死んでいたかもしれないんだよ」
「それに僕ね、人のために何かをする事がこんなに自分を幸せな気分にさせるってことも知ったよ」
「何より愛する人の大切さを知ったよ。梨里と心通わせることができたのも岬さんのおかげだよ」
「岬さん。一度だけでいいから、一度だけでいいから僕にありがとう言わせてよ」
「一度だけでいいから・・・」
岬さんの手紙に大粒の涙が溢れ落ちた。
その時だった。冷気が立ちのぼり背筋に寒気を感じた。
振り返るとそこには白装束姿の岬さんが立っていた。
岬さんの瞳からも大粒の涙が溢れ落ちた。
「かっこ悪い?このかっこう?」
岬さんは泣きながら意味の分からない質問をしてきた。
「うん」
僕は正直に答えた。
二人とも泣きながら笑った。
「楓様、お元気になられて嬉しいです」
その言葉には嘘偽りもなく、岬さんの心の声のように感じた。
「岬さん、ありがとうね。岬さんのおかげで今の僕がいます」
岬さんは、首を横に振った。
「私じゃないわ、梨里さんの思いが楓様を救ったのよ、お礼は彼女に言ってあげて」
僕は胸が詰まって言葉が出なかった。
「楓様今までのこと許してくださいね」
僕は首を横に振った。
僕はどうしても岬さんに聞きたいことがあった。
「手紙に書かれてあった『存生させたき者あらば己の身を我が元へ奉ぜんとす』
って、僕の身代わりにあの世に残るってことなの?」
「楓様のためなら大したことないです」
僕は岬さんの両肩を掴み険しい顔で言った。
「そしたら。この世にいるかも知れないタケルさんに会えなくなるじゃないですか!?」
岬さんはにっこりと笑った。
「楓様、私ね気がついたの。もう既にお会いしていたことを」
その時、岬さんの体が徐々に透けて行くのが分かった。
「楓様、もう戻らなくてはならないの、だから最後にお願いがあるの」
「うん」
岬さんは目を閉じ最後の思いを伝えた。
「抱きしめて下さい」
僕は迷うことなく両手を広げそっと岬さんを包み込んだ。
「嬉しい、これで思い残すことは何もありません。ありがとうございます」
岬さんの体が僕の腕の中でみるみる透けていった。
「岬さん今まで冷たくしてごめんなさい」
そう言うと岬さんは目をつぶりながら首を横に振った。
「大丈夫です。楓様の優しさはいっぱい頂いておりましたわ」
そして岬さんは優しい声で最後の言葉を残した。
「楓様、大好きでした。さようならタケル様」
一粒の涙を残し岬さんは消えていった。
その涙と僕の涙が重なり合って静かに床に落ちた。
【安らかに】
そして翌日「ピロリロリー」
ドキッ!
余命アプリの着信音が聞こえた。
画面を開くと余命アプリからメッセージが届いていた。
そっと恐る恐る覗いてみた。
「私は十分すぎる幸せをあなた様から頂きました。楓様お幸せに・・・」
このメッセージを最後に余命アプリは画面から徐々に消えていった。
今思えば、結局彼女がこの世から居なくなったのは他でもないこの私の責任のように思う。
私が洞窟に行かなければ、私と出会っていなければ岬さんはこの世に残ることができたかもしれない。
どちらが岬さんにとって幸せであったかは岬さんにしか分からない。
もう、今となってはそれを確かめる術はない・・・
しかし僕たちが出会ったことが岬さんにとって幸せであったことを僕は願いたい。
岬さん安らかにお眠り下さい。 そしてありがとう・・・
神崎 楓
「一秒でも長くあなたの傍で…」
一秒でも長くあなたの傍で・・ @mandk1103
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。一秒でも長くあなたの傍で・・の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます