第4話 巨人のレシピ<1>

 どのような魔法を使ったものか、ニーナが使うエプロンは翌朝届いた。ドラゴン兄弟とお揃いの紺色のエプロンで、胸には『ドラゴン古書店』と屋号が刺繍されている。

 朝食のパンとホットミルクを腹に収めて、ニーナは早速エプロンを着る。

「サイズは問題無いようだな」

 確認するように言うアインスに頷いて見せ、ニーナは会計机に上った。兄弟ドラゴンの体格に合わせて造られた会計机は大きく、人間のニーナがこの台で仕事をするためには、まず会計机の上に載る必要がある。上る際には梯子が必須だ。

 机の上でツヴァイから売上管理のための帳簿のつけ方を教わり……たいところだが、文字が書けなくては帳簿をつける事はできない。

 ……というわけで帳簿づけはニーナもドラゴン兄弟も早々に諦め。ニーナは会計机の上から店の中を見渡した。

「奥の方に見える茶色の棚は巨人族が作った本が入っている。あちらの青い棚はトロール、黒い棚はワーウルフの本。手前にあるピンクの棚は妖精だ。言葉さえ理解できれば他種族の本を読む事もできるが、敢えてそれを選ぶ者は稀だな」

 アインスが棚を指差しながら説明するのを、ニーナは頷きながら聞いている。

「人間だけは例外だな。あの種族はとにかく文字を綴る事と読む事が好きだから、他種族の文字も覚えて読もうとするし、中には他種族の文字を使って書を綴る者までいる」

 だから、大抵の客はそれぞれの種族専門の棚に案内すれば良いが、人間だけはまず何を探しているのか訊く必要がある。

 ただ、客に訊かれるまでは、案内を申し出る必要は無い。好きなように選ばせ、頼られた時だけ力を貸す。

 それがこの店のやり方なのだと、アインスは言った。

 ニーナがその言葉に頷いた、その時。ガチャリと、扉を開く音が聞こえた。振り向けば出入り口に、身長が十メートルはあろうかという大男が立っている。

 ……巨人だ。

 ニーナは勿論、ドラゴンよりも大きい。彼はズシンズシンと地響きを大きな音を立てながら店の奥に入り、巨人族の書いた本を収納している棚の前に立つ。

「あ、あの……いらっしゃいませ」

 ニーナが恐る恐る声をかけると、巨人は「おぉ!」と驚いたような声を発しながら振り向いた。

「新しく人を雇ったのかい? この店で『いらっしゃいませ』なんて愛想の良い言葉を初めて聞いたものだから、驚いちまったよ!」

「悪かったな」

 巨人の言葉に、ツヴァイがムスリとして返す。そう言えば、自分が昨日この店に来た時、アインスもツヴァイも「いらっしゃいませ」などと言わなかったな、とニーナは思い出した。

「勝手に入って、勝手に選ぶ。買いたい時と売りたい時だけ我らのどちらかに声をかける。今まで、これでやってきたからな」

「声をかけられて、『買わねば』という強迫観念に囚われる者も時にはいる。店員が声をかけるのが必ずしも正解とは限らんさ」

 笑うように言うアインスに、巨人は「けどよ……」と言った。

「どこかで人間族の奴が言ってたぜ。最初に声をかけておく事で、万引きへの抑止力? とかいうものになるってよ」

「たしかに。店員が声をかける事で、見られている事、盗ろうとしても無駄だという事を伝える事はできようよ。だが……」

「不埒者に本を隠し持たれ、気付かぬまま逃してしまう。……我ら兄弟が、そのような愚を犯すと思うか?」

 そう言って、ツヴァイはカッと大きく口を開いた。真っ赤な口の中には鋭い歯と大きな牙が並び、喉の奥ではどす黒い炎がチロチロと燃えている。

 どう考えても、捕まったらタダでは済まない。そう思わせるに相応しい様子だった。

「おっかねぇなぁ。その喉の炎で、うっかり店や商品を燃やしたりするんじゃねぇぞ?」

「するか! 愚弄するのもいい加減にしろ!」

 猛るツヴァイを、ニーナとアインスが「まぁまぁ」と言って宥める。そして、アインスは巨人に向き直ると言った。

「本を探しに来たのだろう? 我らと喋っていて良いのか?」

「おっと、そうだった!」

 手を打つと、巨人は照れ臭そうに笑いながら言った。

「もうすぐヒルデ……あぁ、いや。カミさんの誕生日でな。今まで俺に連れ添ってくれた感謝の気持ちを込めて飯を作りたいと思うんだが……恥ずかしながら料理はカミさんに任せっぱなしだったもんだから何も知らなくてよ」

「なるほど。それで、料理の教本を探しに来たと?」

 ツヴァイの問いに、巨人は「おう」と頷いた。

「珍しく、そっちから声をかけてくれたんだ。折角だし、何かお勧めの料理の本、教えてくれよ」

「教えろ……と言われてもな……」

 ツヴァイが渋る声を出す。ニーナは、昨夜の夕食を思い出し、声を出さずに苦笑した。

 曰く、ドラゴン兄弟は基本的に食材を調理せずそのまま食べるそうで、今までに料理をした事が無いのだそうだ。それ故、ニーナに出されたのはそのまま食べる事ができるパンとチーズに、ミルク。頑張って火加減を調整して吐き出した炎で焼いてくれた肉は、外側のこげを三センチほど削り取らなければ食べる事ができなかった。

 そんな兄弟だ。料理には、疎い。

「あの、じゃあ……私が探すのを、お手伝いしましょうか?」

 そう言いながら、ニーナは手を上げた。今後は自分のためにも、料理を覚える必要があるのだ。ならば、巨人の手伝いをする事は、有意義な事であると思われた。

「おっ、そりゃありがてぇ! なぁ、良い子雇ったじゃねぇか!」

 嬉しそうに言いながら、巨人は会計机に近付いてくる。そしてニーナを掌の上に載せると、また棚の前へと移動した。

「これって思うタイトルがあったら教えてくれ。俺が棚から出すし、ページもめくるからよ」

 巨人の本は、巨人の体格に合わせてあるためサイズが大きい。ニーナでは、ページをめくる事も困難なように思われた。

「わかりました。……えぇっと……」

「あぁ、俺の名前か? ディルクだ。頼むな、嬢ちゃん!」

「頑張ります。……あ、ディルクさん。棚の上から二段目、一番右にある本、出してみてもらえますか?」

 言いながら、ニーナは棚の上部を指差した。指示されるままに、巨人――ディルクは本を取り出す。

「これか? えぇっと……『大切な人に作る巨人の料理百選』? おぉ、良さそうな名前だな!」

 わくわくとした表情で、ディルクはページをめくった。その様子をそわそわと見守りながら、ツヴァイがやや小さな声で言う。

「……ニーナ、どんな内容なのか、読みあげて貰っても良いか? 恥ずかしながら、私は巨人族の文字には疎くてな……」

 わかりました、と頷き、ニーナはディルクが開いたページに視線を落とした。そして、読み上げる。

「えっと……大満足! 牛肉とトマトのスープ。用意する材料……仔牛一頭、トマトを畑二十平方メートル分、玉ねぎを畑十平方メートル分。ローリエを一枝……」

「……推測だが。その料理本、人間が書いた物だな? 仔牛一頭はともかく、トマトや玉ねぎは巨人用の品種を使えば三個か四個で済むだろう。人間基準のサイズで書かれた分量を用意するのは、初心者には厳しいのではないか?」

 たしかに、と全員が唸った。そこで、ディルクが別のレシピ本を探し出し、開いてみる。

「んと……仔牛の姿煮……。材料、仔牛一頭。作り方、仔牛と水を鍋に入れて、煮る。……以上だそうです」

「それを料理と認めて良いのか? そして巨人族は、仔牛一頭を丸ごと使う事に拘りでもあるのか?」

「拘りがあるわけじゃねぇが、美味いぞ。ドラゴンはやらねぇのか? 仔牛一頭丸ごと使った料理」

「一切手を加えずに食材の味を楽しむのが我らの食文化だからな。それに、仔牛一頭ともなれば、いくらドラゴンと言えども、ちと量が多い」

 アインスがそう言うと、ディルクは「そういうもんか」と納得して頷いた。

 その様子を横目で見ながら、ニーナは書架に視線を走らせる。今の本も参考になりそうに無い以上、次の本を探さねばならない。

 きょろきょろと棚を上から下まで、万遍なく見る。そして、一番下の段に視線を移した時。

「あれ?」

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