第2話 読想の少女<2>
「……想いを読む?」
不思議そうな顔をするツヴァイに、アインスは頷いた。
「弟よ。そもそも本とは、何のために作られる物だ?」
「何のため……」
問われて、ツヴァイはしばし考えた。その様子を見上げながら、ニーナも考えている。ううむ、と唸ってから、ツヴァイは口を開いた。
「知識や物語を記録し、伝えるため……か?」
その回答に、アインスは「あぁ」と頷いた。
「練り上げた物語を多くの人に語りたい。己の持つ知識を、人々に継承したい。己の思想を伝え、知ってもらいたい。筆者によって理由は様々だが、主なものとしてはこんなところだろう」
最初に読んだ神話の本は、神話を語り、知ってもらうための本。次の詩集は、麗しき乙女に感じた感動を誰かに伝え、共有するための本。
では、最後の本は?
「この本だけは、『本を作りたい』という動機で作られていて、『本を作ってまで筆者が伝えたい何か』が無い。それ故に読む事ができなかったのではないか、と私は見ている」
そう言われて、ツヴァイは「なるほど……」と頷いた。しかし、すぐに「ん?」と首を傾げる。
「兄者。それなら、名刺の件はどうなる? あの名刺は私の名前を伝えるための物で、伝えるべき情報がちゃんと書かれているが……」
すると、アインスは「あぁ」と言って苦笑した。
「たしかに、そうだ。だがな、弟よ。あの名刺……興味本位で私が作りたいと言い出した時、お前には無理矢理付き合わせたんだったな?」
「……あぁ。名刺など我らには不要な物だし、そのために何枚もの紙に文字を書くのは面倒だ。兄者に誘われた手前、断れなかったが……正直なところ、早く終わらせたくて仕方が無かった」
当時の事を思い出したのか、ツヴァイはため息を吐きながら言う。すると、アインスが「だからだ」と言った。
「たしかにお前は、名を伝えるための文字を書いた。面倒だと思う割には丁寧に、どう見ても私よりも綺麗な字でな。だが……」
一旦言葉を区切り、アインスは弟の様子を見た。ツヴァイは、居心地が悪そうに身じろぎをする。
「文字をしたためていた時にお前が考えていた事は、『この名刺を受け取った者に、己の名を伝えたい』ではなく、『面倒だから早く終わらせたい』だったのだろう。書かれた文字と、お前の想いが一致しなかったのだ。だからニーナには、お前の名刺を読む事ができなかった。……こんなところではないかと思っているのだが」
「……」
押し黙ったツヴァイに、アインスは深くため息を吐く。それから、ふと何かを思い立ち、再び書架の方へと足を向けた。そして、ツヴァイとニーナが見守る中、何冊かの本を抜き出し始めた。
本を腕の中に抱えながら、アインスは言う。
「もう一つ。ニーナが文字ではなく想いを読んでいるのではないかと思った理由だが。先ほどニーナが読んだ文章は、内容こそ合っていたが、文脈や言葉の選択が所々違っていた。読むと言うよりも、翻訳をしているように私は感じたな」
どさりと、運んできた本を会計台の上に置いた。そのタイトルを一つずつ眺め、ツヴァイが不思議そうな顔をしてアインスに視線を遣った。
「兄者。私の思い違いでなければこの本……全て違う種族の、違う言語で書かれた物ではないのか?」
「そうだ。書を綴るという行為は主に人間が好むものだが、人間以外の種族にそれを好む者がいないわけではない。当然、書を綴る者がいる種族の数だけ、使われている言語の数はある」
言いながら、アインスは全ての本を適当に開き、ニーナに「読んでみろ」と促した。ニーナは躊躇いながらも頷き、どの本から読むかしばし逡巡した後、近くにある物から順に読んでいく。
「『野草を使って作ろう。打ち身に効く蓬を使った薬』……。こっちの本は……『コラム。タチの悪いクレーマーを三枚に下ろす方法』? えっと……『鉄板! 勇者を迎え撃つ際に印象に残る台詞の作り方』。『裁縫コーナー。今号の特集はヘビでもできる繊細な刺繍』……『妖精のダンス。その歴史と記録』……」
読み上げるニーナに、アインスは頷いた。
「やはりな。書き手の想いが籠っていれば、言語は関係無いらしい」
「……兄者。一部おかしな内容が混ざっていたように思うのだが、あれも書き手の想いが籠った文章だと言うのか?」
ツヴァイの疑問に対し、アインスは言葉無く頷いて見せた。
書き手の想いが籠った、クレーマーを三枚に下ろす方法とは。接客をしていてよほど酷い目に遭った者が書いた本だろうか。
書き手の事情を考え始めてしまったツヴァイを尻目に、アインスはニーナの名を呼ぶ。視線を本から上げたニーナに、アインスは問うた。
「行くあてはあるか?」
帰る場所を覚えているのか。覚えていなかったら、今夜以降寝泊りする場所はあるのか。
その問いに、ニーナは首を横に振った。
「無い……と思います」
「そうか」
ならば、とアインスは言葉を続けた。
「するべき事を思い出すまで、うちで働く気は無いか? 多くはないが給料も出すし、衣食住は保証しよう」
「兄者? いきなり何を言い出すのだ?」
目を見開くツヴァイに、アインスは「なに」と言って笑った。
「ニーナが何故このような能力を持っているのかはわからぬが、働いて貰えればこの店にとって大きな益となる、と思ったまでだ。どのような言語でも内容を確認できるのであればどの種族にも対応できる。それより何より、想いの籠らぬ文章を読む事ができぬとあれば、中身の無い本が内容を吟味せずともわかるではないか。どう料理しても食えぬような本のために買い取り査定の時間をかけずに済む」
「……なるほど、たしかに」
これまでの接客や買い取りで味わった難しいあれこれを思い出し、ツヴァイが唸った。そして彼もまたニーナに視線を送り、「どうだ?」と問う。
「えっと……良いんですか?」
「良いも何も、うちで働いて欲しいと言っている」
アインスの言葉に、ニーナは照れたのか視線を逸らした。それから、様子を伺うようにそろそろと視線をドラゴン兄弟の方へと戻す。
「それなら、あの……お世話に、なりたいです」
「決まりだな」
それなら早速雇用契約書を作成しようと、アインスが紙とペンを取る。さらさらと書き出される文字は、あっという間にドラゴン古書店とニーナの雇用契約を結ぶ取り決め事を形作っていく。
書き上がった文書を、アインスはまずニーナにじっくりと読み込ませた。
「勤務時間、給与、生活費などに関する諸々。自分に不利な条件が無いか、しっかり確認するんだ。私が嘘の雇用条件を記載していないか。文章に込められた想いを読む事ができるお前ならば、わかるだろう」
アインスの言葉を聞きながらも雇用契約書を読み込んだニーナは、「問題無い」と言うようにこくりと頷いた。
そして、契約を承諾するサインをしようとペンを手に持ったところで、困った顔をする。
……そうだ。ニーナは文章に籠められた想いを読む事はできるが、文字を読む事ができない。読む事ができないという事は、書く事もできないという事だ。
「……文字を教えてやろうか? 名前ぐらいは書けた方が良いだろう?」
どこかハラハラとした様子で、ツヴァイが申し出る。すると、ニーナは少し迷ったが、首を横に振った。
「文字を読めるようになって、自分が読んでいるのが文字なのか想いなのかわからなくなってしまうといけませんから。私をここに置いてくれるのは、私が文章に籠められた想いを読めるから、なんですよね?」
「確かにそうだが……義理堅いな」
この機に学んでおきたい、ただで教えて貰えるのであれば教えて貰いたいという反応が一般的であろうに。初めて入った、雇われたばかりの店のためにその機を逃すとは。
そう言っても、ニーナは嬉しそうに笑うだけだ。ここまで大きな感情を見せていない彼女だが、色々と不安だったのかもしれないと、ツヴァイは思う。名前と、「誰かに竜王の谷に行けと言われた気がする」という儚い記憶だけを頼りに歩き回り、行くあても無かったのであれば、無理も無い。居場所ができた事で、嬉しくもなろう。
大きなドラゴン二匹と共に働く事にまた新たな不安を感じるようになるかもしれないが、その時はその時だ。一つずつ解決していけば良い。
そう思ったところで、ツヴァイはハッとした。
「兄者……ニーナを衣食住の保証付きで雇うのは良いが、どうするつもりだ? 人間が生活できる部屋とか、人間の料理を用意する
その問いに、アインスは「おやおや」と呟いた。
「たしかに、そうだ。まずはそれを急いで考えないとな。しかし弟よ……。この事にすぐさま気付き案じてやるとは、優しいではないか」
「茶化している暇は無かろう! ニーナも笑っていないで、何とか言ってやれ!」
ツヴァイの叫び声が辺りに響き、店の外を歩いていたエルフが思わず耳を塞いだ。エルフが不機嫌そうに店を一瞥していった事になど全く気付かずに、二匹の兄弟ドラゴンと人間の少女はああだこうだと意見を出し合う。
ニーナはアインスの助言で、サインをする代わりにインクをたっぷり塗った掌を契約書に載せた。手形をサイン代わりにしたのだ。聞けば、ペンを持つ事ができない種族が契約を行う際に取る手法らしい。
こうしてこの日、ドラゴン古書店には従業員が一人、増えたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます