忌憚のない奇譚話

葵罫斗

第1話

ボクの通っていた小学校には、変わった名前の生徒が何人か居た。

『紺野 雲子』に『杉田 四季』。そして『西野 武』,『東野 武』,『南野 武』の

タケシ3人組。何故か『北野 武』だけうちの小学校には居合わせなかった。


『紺野 雲子』は、とても清楚で可愛らしい女の子だった。ちなみに、ボクは6年生の時、彼女と同じクラスだった。ボクは当時、少しだけ『紺野 雲子』が好きだった。

何故“好き”という感情が“少しだけ”に留まっていたかというと、それは彼女の名前が『ウンコ』だったからだ。もし、彼女の名前が雲子ではなく美智子だったら、ボクは彼女を大好きになっていただろう。あるいは、彼女に告白していたかもしれない。


紺野雲子は、生まれながらにして、名前の面で呪いをかけられたのだ。

自身の両親の手によって。


小学6年生の5月に、ボクのクラスである事件が起きた。教室の後ろの壁に貼られた紺野雲子の顔写真に、茶色のペンでウンコのイラストが落書きされていたのだ。これを発見した紺野は、その場で泣き崩れた。事件を知った担任の藪沢先生は、ひどく怒った。

藪沢先生は、普段は温厚な女性新人教師だったが、このときばかりは目を血眼にしてブチギレた。


先生は授業後のホームルームの時間に、ウンコ事件に触れた話をし、“この中に犯人が居たら、正直に名乗り出てほしい”と言った。しかし、誰も名乗り出なかった。すると、先生はいつもより険しく冷たい声で、「犯人が名乗り出るまでホームルームは終わりません」と宣言した。その小さく低い声は、まるで蒼い炎の様に冷徹で、揺らぎのないモノだった。


ホームルームが始まってから20分ほどの時間が経過した。

ほかのクラスの生徒たちが下校する時刻になっても、ボクらのクラスには放課後が訪れなかった。依然として犯人が名乗り出ないままだったからだ。


「早くさー、名乗り出てくんないかなー?」


先生は腕を組み、ハイヒールで床をトントン刻んだ。

床を打つハイヒールの音から、藪沢先生の苛立ちの様子がひしひしと伝わってくる。

苛立ちのメロディが空気の五線譜上に浮かんでいるようだった。




「はぁ・・・」とワザとらしく溜息をつくと、先生は突然

「早く名乗り出ろっつってんだろーがよーっ!!」と怒鳴り教壇の机を両手で叩いた。


教室には先生の“怒り”が響き渡り、やがて静寂が訪れた。

先生の怒る気持ちは痛いほど分かるが、この状況に犯人は委縮し、ますます自首しづらくなったであろう。いま思えば、このとき藪沢先生は生理前だったのかもしれない。これはボクの邪推に過ぎないが、なんとなく直観的にそんな気がする。


結局、ウンコ事件の犯人は自首をせず、ホームルームは茜の陽が射し始めた頃に強制終了となった。現在、この事件から12年もの歳月が流れたが、もう流石に時効成立だろう。


とまあ、『ウンコ事件』について話したわけだが、次は『ウンコ事変』について話したいと思う。察しがつくだろうが、このお話のキーパーソンも雲子である。しかし、この『ウンコ事変』にはボクも当事者として深く関わってくる。主役級の関与だ。


この事変は、小学6年生の2.14に発生した。そう、バレンタインデーだ。

小学6年のバレンタインデーは、日曜日だった。その日、ボクは家でコロコロコミックを読みながらポテトチップスのブラックペッパー味をパリパリ齧っていた。

すると、ボクの家のインターホンが鳴った。『ピーンポーン♪』

ボクは鳴り響くインターホンの音を無視して、コロコロコミックの『鼻クソ危機一髪』の続きを目で追った。


インターホンの受話器を取ったボクの母は、突然ボクの名前を叫んだ。

「啓斗―!!クラスメイトの雲子ちゃんがアナタに用があるってよー!」

ボクは自分の部屋から出て、リビングへと向かった。そこには顔をニヤニヤさせた母の姿があった。


チョコ…かな?


『ギィーッ…』森で人間にバレない様に歩く鹿の如く、ゆっくりと恐る恐る玄関のドアを開けると、そこには緊張と寒さで頬を紅潮させた『雲子』の姿があった。

上目遣いでボクの顔を眺める『雲子』は、いつもに増して可愛かった。




「おはよ、啓斗君…」

「お、おう」

「えっとね、啓斗君に渡したい物があって来たんだ…」

「え、渡したい物って何?」


ボクは気づいていながらとぼけた。2.14といったらあれしか無いだろう。


「これ、受け取ってください!」

『雲子』は、勇気を振り絞って(ウンコは振り絞らない)、ボクの胸元に、ピンク色の箱を両手で差し出した。


「ありがと…」


ボクは照れて視線を右下に向け、素っ気ない振りを演じながらチョコレートの箱を受け取った。


「じゃあ、また明日!学校でね!」


そう言うと、雲子は走るように去って行った。


雲子…ありがとう。雲子の作ったチョコ、どんな味すんだろ?


家に入り自分の部屋でピンクの箱を開けると、中には手作りのトリュフチョコが入っていた。見た目はウンコみたいに汚かったが、味はまあまあ美味しかった。


―翌日―


ボクが教室に入ると、クラスメイトの拓郎が意味ありげな笑顔をみせた。

「おいおい啓斗くーん。昨日、紺野から何か貰ったろー。あれ、もしかしてウンコか!?」そう言うと彼はあざける様にケタケタ笑った。

「おい、お前何言ってんの?」

ボクが言葉を返すと、彼は眉毛をいじわるい曲線に変形させながら、手の平を広げるジェスチャーを見せた。




「オレさー、昨日塾に行く途中見ちゃったんだよねー。お前ん家の前で紺野がお前にピンク色の箱渡してんのを」


ボクは驚きと怒りで身体が少し震えてきた。拓郎はまだ喋り続けた。


「ピンク色の箱からさー、何かウンコみたいなニオイが漂ってきたケド、もしかして紺野のウンコ貰ったのかお前―!?」


ギャハハハハハハハハ。


クラスに大きな笑いが起きた。教室には紺野も居た。彼女は涙を目に浮かべて、教室から走って出て行った。


「てんめぇぇぇぇーぇえ!!」

ボクは怒りが頂点に達し、衝動的に拓郎の首襟に掴みかかった。そして、右手の拳を大きく振り上げ、ヤツの顔面に一発お見舞いしてやった。


バコンッ!!


鈍い音がした。ボクの拳には真っ赤な血がついていた。どうやら、ボクのパンチは拓郎の鼻に直撃したようだ。拓郎は鼻を手でおさえて泣いていた。周りのクラスメイトはボクと拓郎の間に入り、ケンカの仲裁に入った。


「ヴぉおおおおおおおおおおお!」

拓郎は奇声のような泣き声を放ち続けた。教室の床には鼻血の海が広がった。拓郎の鼻は、まるで何かのジョークかの様に面白いほど綺麗にねじ曲がっていた。クラスメイトの英吉は、その光景を見て失神した。彼は臆病者で、小心者なのだ。


p.s.このとき、教室から出て行った紺野雲子は、職員トイレに入り、ウンコを絞り出している真っ最中だった。なぜ、職員トイレなのかというと、学校の洗面所は、職員トイレにだけウォシュレットが備え付けられていたからだ。

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