第17話 戦って戦って揺らいで



 昼食後。

 俺は一人で、外をぶらついていた。

 ずっと家にいても、いらないことばかり考えると思ったからだ。

 真白は朝食後に帰っている。

 今日は三人で一緒にいるのも悪くなかったが、やっぱり一人になりたかった。

 歩く。

 無心に、目的地もなく歩く。

 …………。 


 殺し、たんだよな。俺が。


 空を見上げる。

 まばらに雲が漂う、いつもの青い空だ。

 

 目指した理想を、諦めるつもりはない。

 けれど、一人一人の人間に出来ることは限られていることも、分かっている。

 それでも。

 出来なくても、何かしたいんだ。

 やりたいからやる。

 救おうとせずに諦めて殺す、それが気に入らないからやらない。

 ただ、それだけなんだ。


 では、殺さなくては大切な人が護れなければ、殺すのか?

 昨日みたいに。

 ……わからない。

 でも、迷っていたら大切な人が死ぬ。

 一瞬でも迷って遅れたら、それで終わりなんだ。

 絶対的な決断が必要。

 だけど。

 けれど。

 それでも。

 すべてを救いたいというのも、俺の本心で、諦めたくない。


 …………。

 そもそも。

 なぜ俺は。


 すべてを救いたいなどと思っている?


 根本的な、知っていなくてはいけないこと。

 目指すなら、その確固たる理由、想い、信念が無ければ話にならない。

 前にも一度抱いた疑問。

 あの時は、途中で、考えてはならないという思いに突き動かされ、思考を放棄した。

 だが。

 漠然とした、そんな信念で何かを為せるわけがない。

 なぜそんな、曖昧なものを信じ続けていたんだ。

 だから、確固たるものが欲しい。

 思い出せ。

 なんで俺は、すべてを救いたいんだ?

 そんな重要なこと、覚えていない筈がない。

 なら、なぜ俺は知らない? 

 考えろ。考えろ。

 

 …………。

 もしかして。

 記憶がない?

 覚えていない筈がないことを、知らない。

 ならば当然、そう帰結する。

 まさか、生まれてから本能的にだなんて、人間の俺にはありえないのだから。

 記憶を、掘り起こせ。

 水槽内の砂を、一粒掴むように。

 手を伸ばせ。


 …………。

 ……。 


 思い出せない。

 どれだけ記憶を探っても、わからなかった。

 俺は、生まれてから、妹と両親と、四人家族で生きてきて、途中で両親が海外に赴任して、妹のアイラと共に今までやってきた。

 そこに、すべてを救いたいと思う事象がない。

 ならなんで、俺は。


 くそ……っ。

 わからない。

 わからないんだ……。

 

 と。

 ずっと思考しながら歩いていたら、いつの間にか河川敷。

 丁度いい、ここでゆっくり休もう。

 足を踏み出すと、人が見えた。


 黒髪のツーサイドアップ。

 左眼に黒の眼帯。

 薄いピンクのワンピース。スカート部分に可愛らしいフリル。

 右腕に怪我を保護する目的ではない包帯。

 黒ニーソ。

 詩乃守だ。


 彼女は、河川敷の草が生えている斜めの部分、そこに体育座りをしている。

 足を進め、詩乃守に近づいた。

 隣に腰掛ける。

 横に目をやると、俺が前に取ってやった鳥のぬいぐるみを、詩乃守は大切そうにぎゅっと抱いていた。


「相沢先輩ですか……」

「ああ」

 俺が何も言わないでいると、詩乃守が話しかけてきた。

 一言だけでその後は黙ってしまったが。

 俺も何かを喋る気にはならず、沈黙が支配したまま二人並んでこの場に居続けた。

 詩乃守も、悩みごとでもあるのだろうか。

 だんまりで暗い雰囲気を纏っている詩乃守は、いつもの調子とは言えないだろう。

 今の俺に、相談に乗ってやれる余力があるとは思えないが。

 けれど、もしも俺に喋ってきたら、出来ることはしてもいい。


 …………。

 水の音が、連続的に耳に入る。

 川のせせらぎは、心を癒してくれそうで、されど気分が晴れることはない。

 その音は、耳を伝って、ただ流れていくだけ。

 それでもこの場は、他よりも落ち着いた。

 

「相沢先輩……」

 再度詩乃守が口を開いた。

「なんだ?」

「魔眼は好きですか……?」

 なぜそんな質問をしてくるのか、意図を計りかねた。

 今も詩乃守は眼帯をしていて、中二病の魔眼好きが窺える。

 俺は、とりあえず答える。

「……詩乃守の言う魔眼は、嫌いではない。でも、胸を張って好きとは、言えなくなってしまったかもしれない」

 色々あったから。

 魔眼には、何度も苦しめられた。

 その魔眼と、俺の好きなラノベに出てくる魔眼は違うとは、判っていても。

 複雑な思いを抱いてしまうことは避けられない。

「そう、ですか…………」

 俺の答えを聞いて、詩乃守は少し顔を俯かせてぬいぐるみを抱く力を強めた。

 そして、また沈黙の時間が続く。

 俺はそれに、身を委ねた。

 今は、この場所で何も考えず、川の音でも聴いていたい。

 たとえそれが、停滞だとしても。

 

 ………………。

 …………。

 ……。


 気づいたら、空は暗闇だった。

 星が少しだけ見える。

 夕方さえ超えて、夜までここにいてしまった。

 隣には、詩乃守もまだ座っている。

 よく見ると、目を閉じ眠っていた。

 小さな子供のようにあどけない、安心した寝顔だ。

 かなり、可愛いと思う。


 ――――寝顔が、大切だった誰かと重なったような気がした。

 だがその感覚は、すぐに消えて、思考は途切れ、続いた。


 このまま寝顔を眺めているのもいいが、もう暗いし、そろそろ帰らなければ。

 特に、年ごろの女の子である詩乃守は、親御さんも心配するだろう。

 起こすために、肩を揺すった。

「ん……んぅ……?」

 詩乃守は小さく声を上げながら瞼を開く。

「せん、ぱい……?」

「起きたか? もう夜だから帰った方がいいぞ」

「…………はい」

 詩乃守は頷いたが、その後動かず沈黙した。

 眠いのかと思いさらに声を掛けようとすると。


「その前に、一つだけ。聞いてもいいですか?」  

 そんな言葉を、投げかけてきた。

 詩乃守の表情は、不安と寂しさで彩られている。

「ああ、何でも言ってみろ」

 多分あるだろうと思っていた悩み事を、自分から打ち明けてくれる気になったのなら。

 俺は全力を尽くそう。

 いつもなら、言わずとも聞き出していたが、今はそれは関係ない。

 とにかく俺は、耳を傾ける。

 そうして。

 詩乃守の口から言葉が紡がれる。


「大罪戦争って、知ってますか……?」

「…………っ。なぜ、それを……?」

 動揺した。

 いや、物語の話かもしれない。

 どこかにありそうな名前だ。あってもおかしくはない。

 そういう名称が出てくる創作物について、訊いているのかもしれない。

 

 そんなはずないだろう。

 思いつめた表情で訊くことではない。

 ならば。

 つまり。

 つまり。


「知ってるんですか……!?」

「ああ、絶賛巻き込まれ中だ」

「そう、だったんですか。先輩も……」

「も? もってことはやっぱり」

「はい。私も巻き込まれてます」

 なんてことだ。

 そんなひらがな六文字が、頭を通り過ぎていった。


「先輩……私、私……先輩もこんな状況で辛いと思うのに、言いたくて堪らないことがあるんです……」

 今にも泣きそうな顔で、詩乃守はそう言った。

「大丈夫だ、聴いてやるから」

 安心させるように、そう返した。

「なら、言います………」

 詩乃守は一息。

 後。


「助けてくださいっ!」


 涙を散らしながら、詩乃守は全力で言葉を出した。

「怖いんです。怖くてたまらないんです……先輩とこの前、この河原で能力使うっぽく遊んだじゃないですか。その日の夜に、遊んだ時のこと反芻してポーズ決めてたら、なぜか、変な魔眼の力が宿って、情報が流れ込んで来て……それでもただの気のせいだと思おうとして、普通に過ごしてたんです……でも、そしたら、一度殺されそうになって、魔眼って恐ろしい力なんだって心底理解させられて……でも、この戦争から逃げることは出来ないと、本能から解らされて……もうどうしようもなくなって…………死にたくないですっ!」

 詩乃守は、たどたどしく、言葉を続けていく。

「左眼が、痛いんです……もう、耐えられそうにないくらい、すごく痛くて…………」

 黒色の眼帯に手を当てながら。

「罪科異別というのを、今すぐ叫びながら片っ端から発動したいです……でも、怖くて、それもできないんです……だけど、このままだといつか」


「ま、待て。その左眼が痛いってなんだ?」

 今まで俺は、そんな風になったことはない。

 罪科異別には、俺の知らない副作用でもあるのか?

「罪科異別をずっと発動してないと、こうなるんです……狂いそうなほどの痛みに襲われるんです……」

 本当に苦しそうに、詩乃守は言った。

 俺は、罪科異別を長く発動していない時は、なかったと思う。

 今まで自ら何度も発動してきた俺には、何も影響のないことだったということか。


「なら、今から使え」

「でも……」

「発狂しそうなほど痛いんだろ? だったら無理するな」

「発動したら、敵に気づかれちゃうじゃないですか! そしたら、また……」

「だったら、それによって起こる、あらゆることから俺が守ってやる。だから遠慮なく使え」

「…………ほんとう、ですか?」

 捨て犬のように縋る瞳を向けてくる。

「ああ、約束だ」

 詩乃守は、しばらく俺の顔を見つめた後。

「なら、指切りです」

 小指を差し出してきた。

「子供っぽいな」

「いいじゃないですか」

 俺はその小指に自分の小指を絡める。

「ゆ~びきりげんまん、嘘ついたら魔眼の力ぶーつけるっ、指切った♪」

「その歌詞は笑えないな」

 指を解きながら呟く。

「ふふっ。ではこれで、契約成立ですねっ」

 詩乃守は、満面の笑顔でそう言った。

「ああ」

 俺も、少し笑って返した。

 


「それじゃあさっそく、一発いかせてもらっていいですか」

「少し待っててくれ。敵が寄ってきた場合に備えて援軍を呼んでおく」

 まずは、真白に電話をしておかなければ。

「いえ、これ正直切実に今すぐ使わないと、まずいです」

 よく見ると、詩乃守は顔中に汗を掻いて、耐えるように震えていた。

「今までもギリギリだったのに、緊張から解放されて、我慢が、もう」

 とても、あと数十秒さえ耐えられるような様子には見えなかった。

 仕方がない。何かあったら俺が守ればいい。

 このまま使わずにどうにかなる方がことだ。

「よし、幸いここは河川敷だ。広いから思う存分やれ」

「わかり、ました。使っていいんですね……?」

「ああ、問題ない」

 スマホで真白へと電話を掛ける。


「『破壊、破壊、破壊。あまねくすべてを破滅へと』」


 詩乃守が言の葉を紡ぐ。

 眼帯越しに、左眼が烏羽色からすばいろに輝いた。

 瞬間。

 空間が、爆ぜる。

 川の一部を削り取りながら、衝撃が走った。

 これが、詩乃守の罪科異別か。 


『今なんか変な音聞こえたけど、何かあったの!?』

 電話の向こうから真白の慌てた声が聞こえる。

「詳しく説明する暇が今は惜しい。だからとにかくすぐに学校で合流したい」

 罪科異別を発動したこの場所にいるよりは、離れた方がいいだろう。

『けっこうまずい状況?』

「まずいことになるかもしれない状況だ」

『うん、だったらすぐ行くね!』

「そうしてくれ」

 真白との電話が終わると、詩乃守を見る。

 不安そうな表情で、こちらを見ていた。

「大丈夫、ですよね……?」

「ああ」

 俺は頷いて。

「大丈夫だ」

 そう言った。

 



 俺と詩乃守の足音が、静かな夜の街路に響く。

 二人で、学校に向けて走っている。

 なるべく早く、他の大罪者に見つかる前に遠くまで離れる必要があった。

 だから、かなり全力で走っている。

 詩乃守の走る速度に合わせてではあるが。


 街灯が、点滅した。

 その下を通り過ぎていく。

 学校までは、まだ遠い。

 

 隣に視線をやる。

 詩乃守の顔色は、先よりも格段に良くなってはいるが、不安そうなのが見てすぐわかるのは変わらない。

 それでも俺に助けを求めて、俺が守ってくれると、そう信じてくれてるんだ。

 ならば、その想いには応えねばならない。

 必ず、護ってみせる。  


 と。 

 俺達以外の足音。

 静かな街路に、聞こえた。

「詩乃守」

「はい……」

 足を止め、詩乃守の前に手を広げて下がらせる。

 夜の闇、その奥から近づいてくる人の影。

 一般人か? 大罪者か?

 姿が、露わになる。  

「あ、あ、あの人は……」

 詩乃守の、怯えた声を聞いて、理解した。

 目の前に立つこの男は、大罪者だ。

 真白と合流する前に、出会ってしまった。

 くそっ。

 俺と同い年ぐらいに見える、目つきの鋭い男。

 そいつが、言の葉を紡ぎ、詠唱する。


「『つるぎは、殺せず、ただ、刈り取る』」

 

 男の右眼が、蒼色あおいろに輝いた。

 その両手に、現出する銀。

 銀色に煌めく長剣を、二本手に持った。

 双剣。

 銀の双剣を構える男が、前方に立つ。

 その双剣は、異質。

 ただの剣ではないことが、溢れる魔力で理解する。

  

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 左眼が翡翠色に輝き、俺の右手には、翡翠色の短剣が握られる。


「あんた、名前はなんだ。俺は相沢和希だ」

 俺は今まで、敵に名前を聞いてこなかった。

 それは、絶対に殺さないという前提があったからだ。

 だが、今から戦う相手の、殺してしまうかもしれない相手の名前すら知らないというのは、気に入らない。

 殺すつもりはない。なるべくなら殺したくはない。

 けれど、聞いておきたかった。

 俺にはすでに、前科があるから。


「なぜ今から殺す相手に名乗らなければならない」

「俺は名乗ったぞ」

「…………」

「一言いうだけだ」

「……佐藤孝典さとうこうすけだ」

 答えてくれた。なら、まだそのくらいの心は残っているということ。

 説得の余地が、あるかもしれない。

「そうか、覚えておく」

 佐藤か。

「なあ佐藤、退いてはくれないか」

「それは聞けないな。俺にも叶えたいことがあるんだ」

 佐藤のその言葉に、一瞬俺は硬直した。


 叶えたいこと。

 そういえば、大罪戦争は生き残った一人にどんな望みも叶える力が与えられる。なんてものがあったな。

 救うことだけ考えてて、そんなこと頭から抜けてしまっていた。


「だったらあんたは、何を望んで、人を殺してまで叶えたいことがあるってんだ」

 人を殺してまで叶えたい望み。

 ――俺が真白を助けるために、名前も知らない男を殺したようにか。


「力が必要なんだ」

 佐藤は言葉を零し、地面を蹴った。

 銀の長剣を振り上げ、斬りかかってくる。

 説得する時間は、もう与えられなかった。与えてくれなかった。

「俺には、絶対的な力が必要なんだ!」

 斬り付けられる両の長剣を、受け流し、後ろに下がる。

「人を殺して力を手にして、その後に何があるというんだ」

「これ以上、今から殺す敵に話す事などない」

 問答無用とばかりに、佐藤は肉薄してくる。

 俺はそれを、迎え撃つ。

 今は何を話しても、何も言葉は返ってこないだろう。 


 踊る長剣。

 軌跡を描き、何度も繰り出される。

 短剣を振り、受け流し、受け流し、受け流す。

 短剣と長剣では、根本的に重量が違う。

 だから弾く事も、受ける事も出来ない。

 それでも、受け流す事は出来る。

 なら、勝てないなんて事は無い。

 むしろ。

 不利ですらない。

 剣戟が続く。

 剣同士がぶつかり合う音が、何度も響く。

 何度も、何度も、何度も。

 斬り付け、受け流し、弾かれ、避け、突き、避けられ、斬り流し。

 次第に。

 こちらが押してきた。

 優勢。

 

 しかし、二刀対一刀。

 向こうに利がある部分も、あった。

 優勢になった僅かな隙を、突かれた。

 俺の左腕に、長剣が突き立つ。

「ぐっ……!?」

 だが、血が流れなかった。

 それどころか、一切、皮一枚さえ、斬れていない。

 されど、確実に俺は何かしらのダメージを受けた。

 そう、まるで意識が、削れたような。

 剣が突き立った瞬間、立ち眩みのような感覚が襲ったのだ。

 いや。

 今もそれは、続いている。

 つまり。

 あの銀の双剣は、物理的ではない何かを削り取る能力を持っているということだ。

 突き立ったままの剣から、連続的に斬り付けられているかのように、精神が摩耗していく。

「く……そ……」

 刺さっている剣を抜いて、後ろに下がろうとした。

 しかし、突き立った剣を抜く前に、間髪入れずにもう一振りの長剣が振り下ろされる。


 これを喰らったら、やばい。

 瞬時の理解。

 短剣で長剣を受けることも、難しい。

 咄嗟の判断。

 危険な賭け。

 俺は、翡翠色の短剣を突き出していた。

 殺さない意識を、消し飛ばしながら。


「――っ!」

 佐藤は一瞬で顔色を変え、跳び下がる。

 この短剣の危険性を理解したのだろう。

 あのまま下がってくれなかったら、あの時点でどちらかが負けていた。

 俺の意識が刈り取られるのが速かったか、それともその前に奴が死ぬのが速かったか。

 だから危ない賭けだった。

 その賭けには勝てたが。

 なるべくなら殺したくはない。

 しかし、今のは殺す気でなければ俺が敗北して、結果的に俺も詩乃守も殺されていたはずだ。

 なにが、正しい?

 くそ。

 左腕に突き立ったままの長剣を抜き捨てる。

 意識が朦朧とするような精神へのダメージは、それで消え去った。


「『其の剣は、殺せず、唯、刈り取る』」

 佐藤が再度の詠唱。

 抜き捨てた剣が消滅し、佐藤の手に銀の長剣が現れた。

 新たに双剣へと戻る。


 佐藤の罪科異別は、人を殺さずに意識を刈り取れるはず。

 俺が、一番望んだ能力だ。

 その力、俺にくれよ。

 こんな殺す為の力なんかじゃなく、殺さずに解決できるその力を。

 でも、佐藤は、殺す為にその力を使っている。

 だから。 


「力の為に人を殺すお前に、負ける訳にはいかないんだ」

 今度はこちらから、足を踏み出した。

 意識が少し混濁するが、まだ戦えないほどじゃない。

 もう一度斬り付けられたら、意識は即座に刈り取られるだろうが。

 食らわなければいいだけの話だ。

 俺の言葉に、佐藤が形相を変える。

「俺には、殺さなくてはならないやつがいるんだ!」

 佐藤が言葉を吐き出す。

 銀の長剣が振られた。

 翡翠の短剣で受け流す。

「あいつを殺したクソ野郎を殺す為には、今の俺では圧倒的に力が足りないんだ!」

 それは思いのたけ。

 奮起の叫び。

 自分は力の為ではなく、大切な人の為に戦っているという宣言。

 二本目の長剣が、薙がれる。

 それを短剣で、流す。

 復讐、か。

 それが、佐藤の望み。


「そうかい。なら、絶対に退く気はないんだな」

「当たり前だ」

 復讐は何も生まないなんて綺麗事、言うつもりはない。

 退く気がない強い意志もその表情から感じ取れる。

 でも。

「だったら、俺も容赦なんてしない」

 俺だって、譲れないものがある。

 殺させる訳にはいかないんだ。

 容赦をしてたら死ぬ。

 だが、また殺すのか?

 ――。

 ちくしょう。

 殺したくない。

 

 銀の長剣が二刀、同時に薙がれた。

 後ろに跳びながらなんとか受け流す。

 地面に着地すると、距離が少し開いて対峙する形になった。

 お互い相手の出方を窺う。

 次に、どんな手で自分を敗北させようとしてくるかを。

 油断なく、武器を構えて。

 敵を見る。

 

 刹那。

 佐藤が動いた。

 左の長剣を、勢いよく投げた。

 長剣を投擲するなど、相当な筋力が必要だ。

 だが何度も切り結んだことで、佐藤がそんな筋力を持っていないことは解っている。

 ならば、あの長剣が普通ではないのだろう。

 

 投擲された長剣は、俺の方に投げられたのだと思っていた。

 しかし、それは違った。

 背筋が、凍土に晒されたように凍てつく。

 長剣は俺の後方、詩乃守へ向けて投擲されたのだ。

 今からでは、間に合わない。

 護ると、約束したというのに……!


「『破壊、破壊、破壊。遍くすべてを破滅へと』……!」

 詩乃守が言の葉を紡いだ刹那。

 宙を飛ぶ長剣が、破壊される。

 詩乃守は、自力で危機を回避した。

 俺はそれを、ただ見ている事しか出来なかった。

 俺が護ってやると言ったのに、この体たらくだ。

 覚悟が足りない。

 護る為に、何でもする覚悟が。 


 今は、約束を守る事だけ。

 詩乃守を護る事だけ考えていればいい。

 そうしなければ、護れない。

 それどころか、自分の命さえ、危うい。


「詩乃守、すまん。だけど、もう大丈夫だ」

「先輩……」

 詩乃守を安心させるため、そして自分の決断を後押しするため、俺は言葉に出した。

「『其の剣は、殺せず、唯、刈り取る』」

 佐藤は再度、双剣を手に持つ。

 俺も短剣を、構える。

 ここからが、本番だ。

 護る為の、戦いだ。

「「うおおおおおおおおおおおお!!」」

 お互い同時に、地を蹴り。

 肉薄した。

  

 銀と翡翠が舞う。

 金属がぶつかり合う音が、幾重にも夜に響く。

 斬撃の軌跡が光の線の様に走り、交差。

 何度も交差、交差、交差。

 短剣と双剣が、踊り狂う。

 守る為。

 死なない為。

 ただ目の前の敵を倒す事だけ考えて、剣を振るう。

 手加減など一切ない。全力。

 翡翠の短剣を、振る、薙ぐ、斬る、流す、突く、線を描く。

 銀と翡翠は、舞い続ける。

 何度も。

 何度も。

 何度も。

 ぶつかり合う。

 お互いの、全力の猛攻。

 

 ――――――――――。

 ――いつしか、思考を介せず、ただ戦っていた。

 剣を、振り続けた。

 そして。

 その果てに。

 気が付いた時には。

 右手に持つ翡翠色の短剣が。

 佐藤の心臓に、突き立っていた。


「ごふっ……」

 血塊を吐き出す佐藤。

 そのまま倒れた。

 立ち上がろうとはしてこない。

 出来ないのだ。

 動かない。

 もうじき死ぬだろう。


 そう。

 能力なんて使わなくても。

 凶器で刺されたら、人は死ぬんだ。


 また殺した。

 全力で戦わなかったら詩乃守が死んでいたかもしれなかった、なんていい訳だ。

 すべてを救う? 全く、お笑いだ。

 これで良かったのだろうか。

 いや、少なくとも良かったなんて事は無い。

 分からない。わからなくなった。

 …………。

 けれど。

 それでも。

 振り返る。

 詩乃守が、こちらに駆け寄ってくる。

 俺は一人を、護れたんだ。

 詩乃守が、生きている。

 今はそれで、いいのではないだろうか。

 信念は揺らぎ、心は渦巻いているけれど。

 今は、とりあえず、いい。

 

「先輩!」

 詩乃守は、悲しそうな、それでも安堵した表情で、俺に向かって来る。


 ――――血飛沫が、舞った。


 倒れていく詩乃守。

 その光景は、ゆっくりと俺には見えた。

「せ、ん……ぱい……」

 目から光が消えていきながら、詩乃守は俺を見ていた。

 鈍い音を立てて倒れた詩乃守の背中は、血に染まっていた。

「…………は?」

 え……?

 は?

 な、んだ?

 なんだ、これは……。


 ザザッ――――

 視界が、ノイズを走らせた。

 倒れゆく詩乃守に、誰かの姿が重なる。

 大切な、誰かの姿が。

 守りたかった、誰か。

 記憶の奥底の、鮮血の最悪。

 重なった大切は、瞬時の内に。

 記憶の奥へ、け消えた。


 倒れた詩乃守のすぐ傍に立つ、人影。

 右眼を黄色く輝かせている事を除けば、見知った男だった。

 剣の様な形状に削れた看板を手に持ち、詩乃守をその手に掛けた男は、俺の通う学校の教師。

 鈴倉佐生朗すずくらさぶろうだった。

 ほとんど、接点もない教師だ。

 いや。

 そんなことは、どうでもいい。

 

「ふざ…………な」

 詩乃守が、死んだ……?

 俺は、護れたはずだ。

 さっきまで、生きていた。

 なのに。

 俺を頼って信じてくれた大切な後輩は、倒れて動かない。

 約束したのに。

 約束、したんだ……。


「ふざけるなああああああああああああああああああああああッッ!!!!」

 翡翠色の短剣を握り込み、全力で接近、肉薄する。

 短剣を、突き出す。

「なあ、お前」

 鈴倉が、言葉を発した。

「敵を助けようとしている所を何度か見たが、随分大層な考えを持ってるようだな?」

 短剣は、鈴倉の持つ看板に防がれた。

「それがどうしたッ」

 憤激と悲しみに支配される。

「よくも、よくも詩乃守を……!」

 短剣で斬り付ける。

 阻まれる。

「貴様、絶対に許さない」

 殺意を秘めた視線で、睨みつける。

「助けようとするその信念はなんだ? 教えてくれよ」

「急に出てきてなんなんだ! 今まで、あんたは戦いに参戦していなかっただろ。なのに、なんで今なんだ。なんで今出てきて、詩乃守を殺すんだ……」

「俺は何かをするつもりはなかった。最初はな。動くつもりなどなかった。死ぬならそれでもよかった。だがお前の戦いを盗み見て、気が変わった。それだけだ。答えろよ」


 頭の中で、何かが切れた感覚。

 答える必要などないというのに、勝手に喋っていた。

 ぶちまけたかったのかもしれない。

「そんなもの、すべてを救いたかったからに決まってるだろ!!」

 人が理不尽に死ぬなんて悲しい事、許容出来なかっただけだ。

「すべてを救う? 馬鹿げている。諦めろ。現実はそんなに甘くない」

「うるさい! 詩乃守を殺したお前が何を言う!」

「お前も殺したろ」

「それでも、この信念は間違っていない筈なんだ!」

「だが、救えなかっただろう?」

「……っ」

「お前じゃ誰も救えねえよ」

「ちくしょう……!」

「守れなかったお前には、絶対に無理だ」 

「なんでそんなこと、あんたに言われなきゃならない」

「俺も以前は護ろうとした、だが無理だった。みんな死んだ。諦めた。ただそれだけだ」

「だったら、一緒にするな! 俺はお前のような諦めた奴とは違う!!」

「証明も出来ていないくせに、随分偉そうだな」

 剣のような看板を鈴倉は薙いだ。

 短剣で受け流そうとして、あまりの強い衝撃に失敗した。

 鈴倉の膂力が、桁外れだったのだ。

 後ろに倒れ、短剣は弾かれ飛んで行く。

 

 ああ、わかってる。わかってるんだ。

 もう最近は、その信念が薄くなっている。

 護る為に殺した時点で、揺れて、迷ったままだ。

 その理念も思い出せず、まどって、止まっている。

 でも。

 それでも、間違っていない筈なんだ。

  

 歪な剣が、俺へ向けて振り下ろされる。

 人間など一瞬で粉砕する、地を穿つ一撃。

 先程知った膂力なら、それほどの攻撃。


 それを間一髪、跳び転がりながら避ける。

 すぐ傍の地面が、破砕音を立てながら砕け散る。

 戦う為には、短剣を早急に取り戻さなければならない。

 再詠唱をするよりは、1、2メートル先に転がっている短剣を手にする方が早い。

 手を伸ばす。

 後ろで、剛力を駆使した鉄剣が横に一閃。

 間に合わないっ。

 

『護り為す白き羽』ティアティス

 真白の、いつもの詠唱が聞こえた。

 来るのが遅い。

 でも、ありがとう。

 

 俺の背後に展開された白き楯は、砕け割られながらも、鈴倉の一撃の軌道を逸らしてくれた。

 その間に、俺は翡翠色の短剣を手に掴む。

「真白」

「うん」

 今まで一緒に戦ってきたからか。

 阿吽あうんの呼吸だった。

 俺は真白がやってくれると信じて、前へと突っ込んだ。

 鈴倉の正面から飛び込む。

 このままなら、奴が手に持つ歪な剣に一瞬で斬り捨てられるだろう。

 だが、俺は、真白を信じている。

『護り為す白き羽』ティアティス

 薙ぎ払われる鈴倉の剣の前に、白き楯が出現。

 想定通り。

 俺は限界まで前傾姿勢を取る。

 楯が割られながら、歪な剣は俺の頭上を掠めながら通り過ぎていく。

 これで、終わりだ。


 ……っ。

 …………クソッ!

 俺は、翡翠色の短剣を。

 鈴倉の首へと突き立てた。


 紅い血が、大量に舞い散る。

 その中で。

「ほら、な……無理なんだよ。すべてを、救うなんて」

 そんな声が、聞こえた気がした。

 

 鈴倉は倒れ、もう息をしていないだろう。

 鮮血が、地面に広がっていく。

 殺した。


 殺さなければ、俺が死んでいた。

 真白にも、危険が及んでいたかもしれない。


 そんな言い訳はどうでもいい。

 俺は、敵を殺した。

 それだけだ。

 それだけが、事実だ。

 

 すべてを救う、か。

 そんな夢物語、まだ俺に目指せるかな。

 こんな俺に。

 でも、やりたいんだ。

 矛盾する行為をしてなお、俺は。

 まだ、諦めきれない。


 詩乃守の方へと向かう。

 歩み寄り、抱き起すが、瞼を開いたまま動かない。

 光の亡い瞳は、寂しくて、悲しくて、本当に何も無い。

 手を鼻の前に翳すが、呼吸の風は皆無、息をしていない。

 生きて、いない。

 血の嫌な臭いが、鼻を突いた。

 涙が、一筋流れる。

 一瞬後には、溢れた。

 俺は詩乃守の瞼を、閉じてやる。

 こう見ると、安らかに眠っているようにも見える。

 そんなことで、詩乃守は救われはしないけれど。


 大丈夫だって、言ったのに。

 護れなかった。

 指切りまでした約束も、守れなかった。

 助けを求めてくれた人さえ救えなかったら、俺はなんなんだ。

 不安そうな顔を、安心した笑顔に変えれたと思ったのに。

 もうあの笑顔を、見ることはできない。

 仲良くなった、大切な後輩。

 "また"一人、大切な人がいなくなった。

 詩乃守は――に似ていた。絶対に護りたかった。

 なのに、このざまだ。

 何が、すべてを救う者だ。

  

「カズくん……」

 真白が、俺の傍らに立った。

 学校で合流のはずだったが、遅かったからか探してくれたのだろう。

 そのおかげで、俺は助かった。


 気を緩めたら、すぐにでも真白に縋りたくなる。

 ともすれば、泣きついてしまいそうなくらい。

 だが、何度も寄り掛かるわけにはいかない。

 俺は、そんなに弱いやつじゃない筈だから。


「そう、姫香ちゃんが…………」

 詩乃守を見て、真白が一瞬泣きそうな顔をする。

 だけどすぐに、耐えるように唇を噛み、両手を握り締めて、涙を出さなかった。

 真白は詩乃守と、一度だけだが会った。

 知り合いになって、一緒に話していた。

 そんな子が死んでしまったというのに、情けない俺とは違って、涙をこらえた。

 思い切り泣いても、誰も責めないというのに。

 そして、真白は俺に向いた。


「ごめんね……遅くなっちゃって」

「いや、謝ることじゃない」

 恐らく探し回ってくれただろう真白を責めるのはお門違いだ。

「わたしが遅くなったせいで……」

「やめろ。お前のせいじゃない」

 真白に罪はない。 

 彼女は口を閉じると、数秒の沈黙。

 後。

「わたしが弱いから、ごめんね……」

「何言ってるんだよ」

「カズくんにばかり、こんなことさせてごめんね……」

 こんなこととは、人を殺すことか。

「私が、もっと強かったら……」

 下唇を噛む真白。


「強かったら、自分が殺してたとでもいうつもりなのか?」

 真白は視線を落とした。

「ふざけんなよ…………」

 俺は詩乃守を優しく寝かせ、立ち上がる。

 詩乃守たちに背を向けて、歩き出す。

 真白は無言で、ついてきた。

 

 しばらく歩く。

 三人が死んでしまったあの現場は、もう見えない。

 死体たちは、どうせこのふざけた戦争を始めた奴らが隠蔽するだろう。

 文字通り、悪魔達だ。


 無言で静かな夜を歩いた。

 重い空気が漂っている。

 耐えかねて、俺は口を開いた。 


「それだったら、俺がやる」

 さっきの話の続きを言葉にする。

 真白が目を見開いて何か言葉を発しようとする。

「能力の相性的にも、俺の方が適任だ」

 俺は遮って続ける。

「真白は、護る方が向いてるからな」

「……でも、カズくんはすべてを救う者なんでしょ……? 最初に会った時に、言ってたよね……?」

 

 ――俺の名は相沢和希。いつかすべてを救う者だ。覚えておけ――


 そんな名乗りをした時も、あった。

 大切な身近な知り合い一人護れないくせに。

 でも。

 すべてを救う者で在りたい。

 それを否定するつもりもない。


「それを目指すのをやめてはいねーよ。ただ、真白がそうするぐらいなら俺がするって言いたいだけだ」

「ダメだよそんなの。それだったらわたしがする」

「女の子が積極的に殺すなんて言うな」

「男も女も関係ないよ」

「とにかくお前にはそんなことさせない」

「わたしもカズくんにそんなことさせない。これ以上やって、傷ついてほしくない」

「とにかく俺がやる」

「いいや、わたしがやるよ」

「俺だ」

「わたしだよ」

「俺」

「わたし」

「…………」

「…………」

「まあ、どっちにしろ相手を殺さなくて済むなら、殺したくないよな」

「そうだね……ほんとに、そう」

「俺は、すべてを救う者だしな」

「うんっ、でも、辛くなったらやめてもいいんだよ……? その理想を目指すのは、とても辛いだろうから」

 優しい微笑を湛えて、真白は言った。

「やめたくはない、目指したい。けど、ありがとうな」

 今は、まだ、理想を諦めたくない。

 やりたいから、やる。

 真白は笑みで答えた。


「あっ」

「どうした?」

「カズくん、頭から血が出てない?」

 真白がすぐ近くまで来る。

「ちょっとしゃがんで」

 言われた通りにすると、真白は俺の頭を間近で見て調べる。

「やっぱり出てるよ。すぐに治療しなきゃ」

 多分、最後の鈴倉の攻撃が頭を掠めた時の傷だろう。


 …………。

 なんだか真白との距離が近すぎる気がした。

 今までは、あまり気にならなかったのだが。

 今は、なんとなく気になる。

 女性特有の甘い香りが、俺はどうやら好きらしくて、落ち着く。

 だが、なんだかこのまま抱き付いてしまいそうだ。

 それは危険だと思い、身を捩って真白から離れようとする。


「ちょっとじっとしてて、出血してるんだから」

 しかし、親に叱られるように止められてしまった。

『包み癒す擁の翼』ティアティス

 純白の翼が俺を包み、白き光が漂う。

 しばらく女の子の匂いに精神を乱されながらじっとしていると、発光が静まり、翼が消える。

「よし、これで大丈夫」

 俺の頭に手で触れた後、真白は立ち上がった。

 俺も立ち上がる。


 今まで真白の服装になど気を止めていなかったが、今はなんだか、意識した。

 白のパーカーに、白のスカート、白いハイソックス。

 いつもの、名前通りの白尽くし。

 女の子らしくて、可愛いと思った。

 こんな時なのに。

 

「じゃあ、帰ろ、カズくん」

「ああ」

 二人で歩き出す。


 俺は、一度だけ詩乃守がいた方向に振り返り。

 詩乃守。

「さよ…………」

 さよなら。

 なんて、言葉にしたくなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る