第7話 あなたの罪科は傲慢


 楯のように重なった、無数の羽。

 宙に浮いていることから、ただの羽ではないことは一目瞭然。

 それとは別に、淡く白く発光する羽は、神聖な現象だと本能で理解する。


 マンイーターの右腕、その黒き獣が白き羽の楯へと、牙を突き立てた。

 衝突。

 金属に刃物を叩き付けたような甲高い音が鳴り響き、受け止められる。

 獣は弾かれ、たわんだ。

 その後、白き羽の楯は消滅した。


 たす、かった……。

 多分。

 いや、確実に。

 俺は傷を、今の一撃で一切負っていないのだから。

 未だ戸惑いは残るが、助かったことは――助けられたことは、事実。

 それを分かっているのなら、動ける。

 とにかく俺は、死んでいない。

 

 立ち上がりながら走り、マンイーターから距離を取る。

 だが、そう易々と離脱させてはくれない。

 追撃は、あった。

 

 振るわれる右腕。迫り来る黒き狂獣。

 俺は避けようと――

『護り為す白き羽』ティアティス

 再度、声。

 俺の背後に白羽の楯が飛ばされ、狂獣の一撃を防ぐ。

 獣は跳ね返り、楯は消滅。

 俺が距離を取るまでの時間は、それで稼がれた。

 

 そいつの隣に並び、マンイーターと対峙する。

「カズくん大丈夫?」

 助けてくれた真白が、聞いてくる。

 視線はマンイーターを見据えたまま油断することなく。

 その姿は、一目で変容していると分かった。

 真白の背に、翼が生えていたからだ。


 純白の一対の翼。

 天使を体現するかの如き、白一色の神聖。

 白一色に一点のヴァイオレット。真白の瞳。

 纏う雰囲気は神秘と神聖の狭間。


 素直に、綺麗だ、と思った。

 信心深い一般人が見れば、崇められてしまうのではないか。

 真白も、日常とは外れたものを持った者だという事を、確信した。

 純白の髪は、先の白き羽と翼と同じ色だな、と益体もないことを一瞬考える。

 本当に、天使のようだ。

 俺もマンイーターの動きを一挙手一投足見逃すまいと視線をやりながら。

「ああ。で、なんでこんなところに? っていう質問は野暮だろうな」

 真白は既に何かを知っている様子満載だったのだから。

「止めたよね、わたし」

「そうだな」

「なんで首突っ込んできてるの? さっきほんとに死んじゃいそうだったよ」

 少し怒気が滲んでいる。

「俺は手を引くなんて一言も言ってないけどな」

「でも――っ!」

 真白の言葉の途中。

 マンイーターが、動いた。

 

 振るわれ迫る、四肢無き狂獣。

 獲物に飛び掛かる捕食者の進行。

『護り為す白き羽』ティアティス

 神聖を漂わす何十もの白羽が、真白の背の翼から射出される。

 その羽が重なり、形状を象る。結晶状の楯と成った。

 一瞬で為した事象。


 宙で固定された白き楯。

 黒き狂獣の進行を妨げる。

 跳ね返り、攻撃は中断。後、楯の消滅。

「下がってて。話は後だよ」

 そう言って真白は俺の前へと出る。

 確かに真白の方が俺より強いだろう。

 俺は超常など行使できない。

 しかし、それが俺の何もせずに見ている理由にはならない。

「俺は手を引く気はないと、さっきも言ったはずだ」

「カズくん!?」

 真白の隣に並び立つ。

「だめ! お願いわたしに任せて」

 俺に縋りついてまで、嘆願して来た。

 その表情は、焦燥と不安。

 だが俺は。


 ――右腕のかお無き狂獣が、放たれる。

『護り為す白き羽』ティアティス

 翼から羽が射出。楯を生成。獣を防ぐ。

 少し、楯が軋んだ。

 されど、攻撃は止まった。

 ならば、今が隙だ。 

 俺はマンイーターに向かって走り出す。

「ばか! ばかばか! ほんとにバカなんだから!」

 後ろで真白が喚いているが、気にしない。

 俺はやる。

 真白がいる今なら、戦力が増えた状態。

 ならば、為せる確率は格段に上昇した。

 

 マンイーターの右腕が白き楯に弾かれる。同時。

 俺は奴の目の前まで肉薄していた。

 拳を振り抜く。

 顎を狙った一撃。

 しかし、空を切る。

 マンイーターは後ろに跳び、俺の拳を避けた。

 だが奴の着地と共に、続けて連撃を浴びせる。

 上段の、再度顎を狙った蹴り。

 左腕に防がれた。

 しかしダメージは与えられたようで、マンイーターは呻く。

 こいつの左腕は、ただの人間の左腕なのだから。

 骨が折れるほどの傷は与えられてはいないだろう。 

 けれど打撲ぐらいは行ったはずだ。

 奴の体はかなり細い方なのだから。

 人を貪り食っているのに、本人はガリガリ。

 栄養が行ってないなら、今すぐ人食いなどやめてしまえ。

 左の拳を放つ。

 再度左腕に防がれ、今度は呻かなかった。 

 顔に余裕が戻って来ている。

 何故。

 視界の隅に映った。


 瞬時に右腕の獣が最初の長さに戻されていく。

 巻き尺のように戻ると、

 俺が次に放っていた右拳に合わせて、獣の大口を自身の間に滑り込ませてきた。


「――っ」 

 背筋が氷をめ込まれたように氷点下へと突き落とされた。

 不味まずい。

 拳の勢いは止められない。

 自ら捕食者の口腔へと向かって進んで行く。

 

 飛来する白き羽。

 拳と大口の間に、割り込んだ。

 拳と獣が楯へと激突し、

 金属板を殴ったかのような衝撃と痛みが襲う。

 お互い跳ね返り、楯は消滅。


 手は赤くなり痛い。

 だが、助かった。

 マンイーターの右腕の小回りが利く今、このまま畳みかけても不利。

 奴を視界に入れながら走り、少し距離を取る。

 

 どう攻めれば奴をくだせる?

 また真白に隙を作り出してもらうしかないか?

 それが安定策かもしれない。

 しかし頼りきりは駄目だ。

 念頭には置くが、自分で打ち勝つ手段を考え続けろ。

 本能のままではなく、考え続けて戦ってこそ上を行く相手に勝つ道がひらけるのだ。

 ――前言撤回。

 寧ろ考えない方がいいのか?

 下手に考えたところで隙を生じさせてしまうだけだろうか。

 どちらが正しい。

 思考は流転。

 

『貫きを為す攻性の羽』ティアティス

 真白の声。刹那の後。

 純白の翼から、鋭く尖った羽が放たれる。

 数は、数十ほど。

 穿ち貫こうと翔ける。

 

 マンイーターの、目つきが変わった。

「『喰らい尽くせ』」

 文言を囁き、後。

 オレンジ色の右眼が、煌々と輝きを増した。

 先より数段、禍々しき光が強い。

 単に光量が上がっただけではないことは確実。

 

 振るわれた右腕は、先と同じ様に伸びる。

 右腕の獣をUターンさせるように横に展開、鋭い羽根を防御。

 白き羽は、獣を貫くことはなかった。

 刺さってはいる。

 が、針が刺さった程度の傷だ。

 

 刹那。

 黒き獣が蠢動。再度、伸びた。

 俺へ向けて。


「くっ……!」

 横に跳ぶ。

 間に合わない、か!?

 

『護り為す白き羽』ティアティス

 俺の前に飛来し、成る楯。

 獣が白き楯に激突し、跳ね返り、撓む。

 これで、一旦この攻防は終わるはずだった。

 今までならば。


 蠢動。加速。

 勢いを瞬時に取り戻し、捕食者が飛び掛かるが如く伸びて行く右腕。

 今度は、真白に。


 すぐに真白は自らの前へと白き羽の楯を創り出した。

 しかし。

 その楯へ、獣が正面からぶつかることはなかった。


 真白の横を素通りする黒き獣。

 そのまま、真白を中心に円を描く様に伸び、包囲。

 まるで蛇が蜷局とぐろを巻くかの如く。

 そして、強く、一気に真白の華奢な体へと巻き付いた。


「あっ……がっ……んっ……――~~~~~~~~っ!!」

 真白の苦しみの喘ぎ。

 不味い。

 ギシギシと締め付ける獣は、獲物を確実に捕らえた獰猛な捕食者。

 このままでは真白の骨は折れてしまう。

 いや、それだけでは済まない。

 見て判断。あと数十秒もすれば全身粉砕骨折。

 肉が無残に潰されて死に至るだろう。

 翼も一緒くたに巻き付かれているため、あの白き羽も使えない。

 使えたらすでに使っているはずだから。

 いや、まて、本来ならこんな猶予ゆうよさえなかったのではないか。

 普通の人間なら数十秒と持たず、肉を潰され骨を砕かれるのではないか。

 もしかしたら、真白の翼が体を包み護ってくれているからすぐに潰されずに済んでいるのかもしれない。

 あの翼は、普通の翼ではないのだろうから。

 どちらにしろ、短い猶予だ。

 急がなければ、終わる。 


「ふざけるな! やめろ!」

 やめろと言われてやめる奴はそう居ない。

 解っていても、叫んでしまった。

 口を動かすだけでは何にもならない。

 それも解っていたから、マンイーターに向かって走っていた。

 

 肉薄し、殴り掛かる。

 マンイーターは跳び下がると共に、真白に巻き付いたままの右腕を振り上げた。

「邪魔しないでくれない、かな!」

 その表情は、狂気に歪んでいた。

 獰猛な笑みに、オレンジの右眼が禍々しさを引き立てている。

 咄嗟に、身を投げ出すように横に転がる。


 振り下ろされる莫大質量の右腕。

 石材が砕ける破砕音。

 コンクリートの地面が、粉砕された。

 その破片が俺の体に降りかかる。

 巻き付かれていた真白にも、衝撃は直に伝わる。

「あ゛っっ! ぐっ……ごほっ、げほっ……!」

 痛みに呻き、咳き込む。


 やめろ。

 真白が傷付く姿が、目に焼き付く。

 やめろ。

 遠い、何かが、刺激される。

 やめろ。

 脳裏に、微かに浮かんだ光景。


 赤の海。

 むせ返るようないやな臭い。

 倒れている、誰か。

 なん……だ……?

 だれ……だ……?

 

 そんなこと、今はどうでもいい。

 真白を、助けなければ。

 ――どうやって?


 マンイーターを倒せばいい。

 無力化すればいい。

 意識を奪えばいい。


 たおしてはいけない。

 真白を助けて、敵も殺さない。

 綺麗事上等だ。

 

 立ち上がり、再度マンイーターに殴り掛かる。

 と見せかけて、上段の蹴りを放った。

 しかし、フェイントなど意味を成さず。

 横に跳んで避けられた。


 振り抜かれる右腕の獣。

 鞭の様に迫る。

 蹴りの後の硬直。

 避けられず、直撃する。

 衝撃が全身を襲い。

 叩き飛ばされた。

 塀に叩き付けられ、無様に崩れ落ちる。

 何とか骨は、折れていない。

 受け身を上手くとったおかげか、真白を巻き付けている分、横の攻撃は距離を稼がなければ自重で威力が落ちているのか。

 そんなこと、どちらでもいいが。 


 早くしなくては、真白が死んでしまう。

 だが、打開の道が見出せない。

 今みたいに突っ込んでも、真白を拘束したまま右腕を使える奴には直ぐに勝てない。

 されど早くしなくてはいけない。

 

「ちく、しょう…………」

 救わないと。

 護らないと。

 助けないと。

 ここでなにも守れなかったら、俺の今まではどうなる。

 絶対に殺させてたまるか。誰も死なせない。

 

 でなければ、俺はまた。

「――――っ!」

 ――――――――――。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――。

  

 ドクンッ――。

 得体の知れない脈動。

 マンイーターに初遭遇した夜、そして、現在の戦闘が始まる前にも感じた、鼓動。

 ドクンッ――――。

 脈動が、強く、速くなっていく。

 ドクンッ――――――。

 脈絡のない突然の異常。

 どくんっ。ドクンッ。

 戸惑う暇も無く。

 どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。

 

 ――――ドクンッ――――


 何かが、変質した。


 魂。本質。変動。

 魔の、創造。

 異別いべつ、発現。

 

 大罪戦争たいざいせんそうへの強制参加資格を取得。

 あなたの罪科ざいかは、傲慢ごうまん

 罪科に対応せし魔眼、完全譲渡。


 逃走は不可。

 闘争を推奨。

 血に狂え。

 戦え。

 殺せ。

 すべては願いの為に、望みの為に。

 血で血を洗う宴を彩れ。大罪者よ。

 殺し合いの、幕開けだ。

 

 戦え。

 殺せ。

 闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。

 

 ――期待している。


 

 俺は立ち上がる。

 頭に、魂に流れ込んでくる詠唱を、紡ぐ。

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりのことわりへと導け』」

 受け入れがたい、絶対に受け入れてはならない言の葉。

 だが今は、この力が必須。

 救う為には、何でも使え。

 

 自らの左眼。

 翡翠色ひすいいろに変色。

 右手には、何時の間にか、当然のように、

 翡翠色の短剣が握られていた。

 柄、つば、刀身、全てが翡翠色に彩られた超常。


 殺戮終理さつりくついりの魔眼。


 それがこの異常を為した力の名。

 総てを救いたいと思う者が手にした、殺す為の力。

 


 走る。

 マンイーターと目を合わせた。

【ロックオン】

 死の概念。目を合わせた対象。

 カチリとくさびめ込まれる感覚。

 死の楔。前段階。


 真白を締め付けている右腕へと肉薄し、

 翡翠色の短剣を突き立てた。

 刀身が三分の一ほど刺さり食い込む。

 後は、魔眼の固有能力を発動させるだけ。

 それだけで、いい。

 それだけで、終わる。

 

 ――――。

 だが、それでいいのか。

 殺せない。殺したくない。

 殺さずに倒して、真白を助ける。

 二人とも救う。

 殺さない。死なせない。


 されど、敵を殺さなければ真白は殺される。

 この力を使う以外に今直ぐ拘束から逃れさせる術はないのだから。

 殺さなければ、真白が死ぬ。

 殺したら、真白は確実に助かる。

 迷っている暇はない。

 迷って時間を無駄に浪費すれば、真白は死ぬ。

 どちらも救えない。

 ならば最悪の結果になってしまう前に終わらせるべきだ。

 そんな訳はない。

 俺はすべてを救う者だ。

 殺して解決など馬鹿げている。

 殺人は、してはいけないこと。間違ったことなんだ。子供でも知ってることだろ。

 でも他に手は? 敵を殺さずに今直ぐ真白を助ける事が可能な奇跡的な一手は?

 そんなもの、ない。


「んんぅっ……あぁぁ……」

 ほら、真白が苦しんでるだろ。

 骨が、肉が、軋む音聞こえるだろ。

 このまま砕かれて潰されて死んでしまうんだよ、ぐちゃぐちゃに。

 嫌だろ?

 絶対に避けたい出来事だろ?

 だったら殺せよ。

 殺さないと失うぞ。


 また。


 ――――。

 殺すしか、ないのか。

 

「――っ!」

 マンイーターの右腕が巻き尺のように戻っていく。

 俺はその反動で弾かれた。短剣も抜ける。

 真白は拘束から解放され、地面に投げ出される。

「がほっごほっげほっ……!」

 咳き込んでいる。

 生きている。

 死んでいない。

 何故やつは拘束を解いた?

 

 マンイーターは、俺を睨んでいた。

 最大限の警戒の瞳で、油断なく身構えていた。


 ああ、そうか。

 俺、力を発動してしまおうかと思ってしまったしな。

 能力が分からなくとも、危機を察知したのか。

 同じような力を持つ者同士、だからか。

 俺も感じるよ。

 その忌々しく禍々しい力を。

 本質は右腕や短剣じゃない。オレンジ色や翡翠色の、魔眼だ。


 でも、そのおかげで誰も死なせずに済んだ。

 よかった。

 よかった?

 本当に?

 

「ここは不利か」

 マンイーターが呟く。

 後ろへと跳び下がっていく。

 退いていく。


『貫きを為す攻性の羽』ティアティス」  

 鋭い羽根が純白の翼から放たれる。

「『喰らえ』」

 黒き獣の右腕を伸ばし、横に振るう。

 白き羽は右腕に刺さり、防御された。


 真白は攻撃の後、前のめりに倒れ込む。

 マンイーターは走り出し、逃げていく。

 

 真白が心配だ。しかしマンイーターをここで逃がすのか。

 二つの行動。

 どちらを選ぶかなんて、決まっていた。


 傷付き倒れているクラスメイトに、走り寄った。

 翡翠の短剣は意識するだけで消えた。左眼も元の黒へと戻る。

「大丈夫か。おい」

 手を貸そうとするが真白はそれを制し、何とか自力で身体を起こした。

「大、丈夫だよ……ちょっと待っててね……」

 そう言って息を深く吸って吐いた後。

『包み癒す擁の翼』ティアティス

 自らの白き翼が真白を労わるように包み、発光する。

 真白の表情が少しずつ楽になっていく。

 やがて光が治まると、翼の抱擁は解かれる。

 傍から見たらどれくらい怪我が癒えたのか分からない。

 締め付けを食らって負った怪我だから、表面では分かり難いのだ。

 それでも、完全には治ってないし、楽にもなっていないことは察せた。

 表情が、無理に元気を装っていたのだから。 

「うん、これで大丈夫! カズくんも、もうちょっと近づいて」

 俺には空元気に見える笑顔でそう促してきた。

 言われた通りに近づく。


「カズくん、言ったのはわたしだけど近すぎるよ……」

 密着するほど迫ってみたが頬を染められ制された。

 微妙なユーモアに心安らげばいい。

 手が繋げるほどの距離に退く。

『包み癒す擁の翼』ティアティス

 俺の身体に白き翼が手を添えるように接触。再び発光しだした。

 倦怠感が和らいだ。打撲の痛みが薄らいでいく。

 光が消え、翼も霧散する。

「とりあえずの傷は問題ないと思う。自然治癒力も少し高めたから一晩寝れば明日には元通りだよ」

「そうか、ありがとな」

 真白は笑みを見せる。

 数秒の間。


「カズくんを異別者いべつしゃだって思ったの、少し違うけど間違ってなかったみたいだね……あの時は兆しぐらいだったから……」

 転入して来た日、屋上で訊かれた事を言ってるのだろう。

「もうこうなったら、止める止めないの問題じゃないね。完全に関わっちゃってる」

 暗い顔なんかするな。

「元より俺が望んだ事だ。お前が気負うのは筋違いだぞ」

 最初から全力で巻き込まれに行っていた俺に悲しまれる余地などないのだから。

「そうなのかな…………」

「そうだ」

 断言。


「……とりあえず、巻き込まれちゃったなら無関係ではいられないし、協力関係、結んでくれる……?」

 真白が小首を傾げると白く綺麗な髪がサラサラと流れる。

 不安と期待を乗せた夜明け色の瞳。

「ああ、問題ない」

 迷う必要など無かった。

 こいつはいいやつだ。ほんの少しの時間しか共にしていないが、俺はそう思った。

 だから、俺一人で戦っていけなくもないが、一緒に戦ってくれる者がいるのなら、それでもいい。

 目的は、きっと同じようなものなのだろうから。

 真白は空元気でもない、心からの笑顔を浮かべ、

「ありがとう。これからよろしくねっ。よかった……」

 最後にポツリと零した一言は、声量が極小だった。

 一応聞こえはしたが。

 安心してくれたのなら、それでいい。

「ああ、よろしくな」

 真白が手を差し出してきたので、俺も差し出し、手を握る。

 その白く小さな手は柔らかく、力を込めれば折れてしまいそうなくらい華奢だった。

 血生臭い戦いには、酷く不釣り合いだ。

 デザートでもつまんでいるのが似合う、か弱い女の子の手そのものだ。

 なぜこんな荒事に関わっているんだ。

 聞かないけどな。

 手を放す。


「じゃあ、今日はもう遅いから明日色々話すね。寝て体力回復しないと」

「明日は日曜だぞ。場所と時間は? というか連絡先――は携帯持ってきてねえな」

 もし戦闘するのなら邪魔になると思い置いてきた。

「なら連絡先は明日交換しよう。お昼の3時くらいに駅前でいいかな?」

「ああ、構わない」

 俺は朝からでもいいが、真白にも色々あるだろう。

「また明日。おやすみなさい」

「また明日」

 別方向へと俺たちは帰路を辿り出した。


 今回の戦闘は、何とか乗り切った。

 敵は逃がしてしまったけれど。

 もっと良いやり方があったのではないかと思う。

 説得の言葉を投げかければ少しでも違っていただろうか。

 そんなこと頭からすっぽ抜けていた。

 目の前で人が殺されて頭に血が上っていたのもある。

 勝手に説得の余地はないと選択肢から切り捨てていた。気絶させて無力化するしかないと。 

 次からは気を付けよう。

 そう、次があるんだ。

 まだ、取り戻せる。

 俺たちは、生きているのだから。

 生きているのなら、また次がある。

 真白という協力者も出来た。

 俺は救いを、諦めない。

 諦めたく、ない。




 家に帰り着いて玄関を開け、少し廊下を歩きリビングに入ると、アイラがいた。

「ただいま」

「おかえりなさいっ」

 アイラは満面の笑みで迎えてくれた。

 絶対に帰るという約束は、とりあえずのところ今日は果たされたのだった。






 …………。

 ……………………。

 ………………………………。






「うぼごっえ゛え゛え゛え゛え゛え゛ぇぇぇっっ!」

 深夜。

 自宅のトイレ。

 便器に覆いかぶさり吐く。

 吐く。

 吐く。

 吐く。

 胃に在る物が根こそぎ戻される。

 グロテスクな固形物がドロドロと流れ落ちる。

 味覚が酸っぱさで満たされた。

 気持ち悪い。

 不快感が全身に虫が這うように蝕む。

 

 救えなかった。

 救えなかった。

 死んだ。

 目の前で。

 助けられなかった!

 救えなかった!

 もっと上手くやれたはずだ!

 やれたはずなんだ!

 ちくしょう。

 ちくしょうっ!

 また死んだ。

 死ぬんだ人は。

 いなくなるんだ人は。

 簡単に。

 何かしないと。

 何かしても。


 救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった――


「うげっぼっえ゛え゛え゛え゛え゛ぇぇぅっ」


 ――失いたくない。


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