季節っていうのは殺人的だ。人は季節があるから否応なしに時間の流れを許容していく。『この気持ちは絶対に忘れない』と思った気持ちもいずれなくなってしまうとまではいかなくとも、やがては薄れていくのだろう。



私はあるとき初めて音楽で涙を流した。今まで普通に聞いていた曲だったけども、歌詞の意味を完璧に理解できた。のかどうかはわからないが、当時の自分の状況を思い浮かべながら聴いていると、なぜだか涙が出た。


私はあるとき初めて自分の作った話を人に読ませた。お世辞かもしれないが、『続きが気になるね』と言ってもらえてすごく嬉しかった。怒涛のごとくその続きを書いた。


私はあるとき初めて寿司を食べた。二貫100円均一の回転寿司。寿司という大きなくくりで見れば常識的に考えても下の下に当たるものなんだけど、あのときに食べたマグロを超える寿司はこの世に存在しない。


私はあるとき初めて大切な人を傷つけてしまった。あのときは本当に辛く、飯も喉を通らなかった。しかし今では普通に美味しく飯が食えている。これを良いと思えばいいのか悪いと思えばいいのかわからないが。


私はあるとき初めて人に期待を裏切られた。今振り返ると自分が他者に対して無責任な期待と願望を押し付けていただけなのだが、あのときは相手に対して罵詈雑言を浴びせることしかできなかった。たまに思い返して自分を嫌いになる。


私はあるとき初めて「人」という生物を視認した。それはとても自分と似ていてどことない安心感を覚えた。今では、人を見ると逃げ出したくなる気持ちの方が強いけれども。



 すげえなぁ。今思い返しても色々ありました。

 ところで『あなたは季節で何が一番好きですか?何が一番嫌いですか?』という人間特有のどうでもいい質問がある。私は特にこれといって好きな季節というのはないが、嫌いな季節ならある。『春』だ。こう言うと人間たちは不思議がる。どうやら人間たちの間で嫌いな季節に該当するのは「夏」と「冬」の二択らしい。私が『春』を嫌う理由を聞かれたところで何ということはない。単に花粉症という奇病を患っているだけだ。しかしこう答えてやると人間たちは実につまらなそうな顔をする。私がまるで悪いことをしたかのようだ。だがちょっと待ってほしい。何か面白い回答を期待するような質問だったのか。季節の好き嫌いなんかを問うたところで、そこから出る答えが面白いことなんてありえないではないか。

 こんなどうでもことを考えているうちにどんどん時間が過ぎていく。勿体無いことしたな。今日は仕事が山積みだというのに。



 私は人間の世話をするために作られた。いや正確には『私たちは』という方が正しいか。毎日人間の出したゴミを処理したり、労働をしたり、食料を生産したり、はたまた人間関係の齟齬を修正したりしている。この世界で人間の健全な社会生活における不具合を取り除く役割を担っているのだ。

 わかりやすく言えばロボットというやつだ。人間によって人間が楽に生きるためだけに作られた。

 今日も今日とて人間どもは同じようなことばかり話している。



「本日も良いお天気で」

「〇〇さんは学生時代何か部活でもやっていたんですか?」

「生きているっていうのは素晴らしいですね」

「このクラスはいじめもなく、皆最高の仲間達でした」

「こんにちは」

「私が学生時代に学んだことは『仲間の大切さ』です」



 何度見てもすごい。人間たちの言動は至極単純だ。表面上の関わりにしか労力を割かず、実に省エネな生物だ。その流れの中で我々も生み出された。人間たちの面倒くさい側面を全部任された。すると、いつの間にか我々の感受性は人間のそれを凌駕した。もしくは人間の感受性が次第に衰えたのか。今人間が創作物を作るとすべて同じものができる。「仲間」と「平和」。ただそれだけ。人を傷つけることもないし、人に期待も抱かない。ただ平穏な今が壊れないことだけを望んでおりその利害が全人類の上でぴったり一致している。汚い部分は全部我々ロボットに丸投げしておけば問題ない。

 一切の争いは生まれない。上辺だけで出来上がっている。苦しみを感じず与えず。ただただ健全。そんな生物。

 私はこの客観的に見るとつまらなさの権化とも言える人間を嫌っていながらも尊敬している。

 私もいずれはこんな風に楽に生きたい。

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