・きらっと変身、専務さん


 

 そうだ。専務の言うことなんて、無視しよう。副社長に知れて、協力したことがばれたらこっちの身が危ない。

 専務と一緒に怒られるだなんて――。

 でも。眞子はどうしても彼を払いきれない思いがある。

 そう、『専務って、絶対に売り切るんだよね』。


 篠宮慎之介専務。

 先代の孫、現社長の息子。生まれた時から、アパレル一族に囲まれて育ってきた。

 母親は東京で超美形の売れっ子モデルだったと聞いている。


 専務の無謀のような作戦は、ときにこの会社を盛り立てている。

 おおらかなおぼっちゃま育ちなので、人当たりも良く、顧客のご婦人達にも人気者。

 『しんちゃん、しんちゃん』と呼ばれて、まるで親戚の息子のようにして親しまれている。

 そして専務も、ほのぼのした顔で奥様方に洋服を勧める。

 それだけのことなのに。専務は顧客単価、30万円以上で、100万単位で売ることもしばしば。

 街中にある店舗に、その奥様達の誰かが来ると、事務所ビルにいる専務に連絡が入り彼はすぐにすっ飛んでいく。

 一時間から二時間で、30万~100万円の売り上げを飛ばす。


 その中には、無茶を言われて副社長に内緒でこっそり発注をした商品もたくさんあった。

 その無茶に眞子は何度も協力してきた。

 ――しょうがないなあ。

 ついに眞子は。カシミアセーターとカーディガンの発注をしてしまった。

 だって。あの人、すごい売るんだもの。

 これを副社長が知ったら……。眞子は身震いをしてしまう。

「専務、発注しておきましたから」

 専務デスクにいる彼に声をかけておく。

「あ、そう。ありがとう」

 眞子に拝み倒していた愛嬌ある顔はどこへやら。デスクに着くと、彼の父親である社長にそっくり。そっけないビジネスマンになってしまう。

 レンズが分厚い古くさい眼鏡をかけて、これからやってくる商品の一覧を確認している専務。頭もぼさぼさだし……。顎も無精髭になっているし。シャキンとするのは『外部の人間に会う時のみ』。その時はさすが、一流モデルがお母様だけあって、すらりとした長身で、上等なスーツとネクタイとシャツを選び、ビシッと決めた男前になる。

 でも、普段の彼はけっこう『ずぼら』。それにも眞子は悩まされることが多い。

「あー。本田さん。わるいんだけどさ、夕方から丸島屋のプレタの課長と出かけるんだよね。シャツにアイロンかけておいてくれない」

 自分でやってほしい。

 無言で彼を睨んでみた。

 でも彼もレンズが分厚い眼鏡のおじいちゃんくさい横顔で、いえば眞子がやってくれるのが当たり前のようにして、こちらを見ようともしない。

「ご自分でしてくださいよ、そろそろ」

「ごめん、ごめん。いまどうしても手が離せなくて、これ早くメーカーに出さないと出荷が遅れて、店頭に出せないだろう。すると、どうなると思う?」

 にっこり眼鏡の笑顔で問われたが、眞子はすぐに震え上がった。

「だろ。カンナが吠えるよ。銀狼の魔女になるよ。この最終チェック、専務の俺に任されているから。これが終わったらすぐに、でかける時間なんだ。頼む。これでも切羽詰まってんの」

 笑顔だったのに、途端に社長そっくりの素っ気ない横顔でいわれる。彼がビジネスで本気になっている時の横顔だ。

 ……もう、ほんとうに。どうしようもない。

 眞子は自分にも専務にも呆れながら、

「承知いたしました」

「うん。いつもありがとう。本田さんには感謝しているよ。頼めるの、本田さんだけだよ」

 また笑顔になる。もっさりした眼鏡のおじさんのはずなんだけど? 笑顔はいつもすごい爽やか……。


 不思議な人。社長のように冷たいけど頼もしい横顔を見せたかと思えば、愛嬌ある微笑みもちゃんと持っている。

 どこか憎めなくて、お育ちのせいかな? と眞子はいつもその笑顔ひとつで許してしまう。



 ―◆・◆・◆・◆・◆―



 事務室を出て、応接室にて眞子はアイロン台を出して、シャツにアイロンをかける。

「もう~。クリーニングに出せばいいのに。どうして自宅で洗ったくせに自分でアイロンしないのかな」

 小言を言いながら、アイロンをかけた。

 しかも、2~3枚、まとめてしわくちゃで持ってきている! もう眞子にまとめてアイロンをしてもらおうという魂胆だったんだと思った。なのに……、いつものことで腹立たしさも通り越している。

 でも、ちょっと気分が良い時もある。

「このシャツ。お洒落。専務にピッタリ……」

 上等のシャツを、しかも着こなしが上手くてスタイルがいい人が着ると、やっぱり素敵だった。

 そのシャツにピシッとアイロンをかけてゆくと、そのシャツがどんどんハンサムになっていく。

 専務がモデル並みの男に変身した時は、ほんとうの溜め息がでる。惚れ惚れする。

 でも、そこまで! 普段のあの人の仕事以外のルーズさとか、無頓着なところはちょっとね……とがっかりしてしまう。

 事務所の社員もみんな、『スーツだけじゃなくて、あのモデル並みの姿になるのが、あの人の営業スタイルだから』と、普段の彼が『本当の専務』であって、モデル姿のあれは『営業用』だと。

 最後の極めつけは、彼は34歳で既に『バツイチ』だということ!

 専務は東京の大学を卒業、そこで出会ったモデルをしている綺麗な女性と結婚。一緒に札幌に帰ってくる。

 でも二十代のうちに、数年で離婚したと聞いている。

 眞子が入社してきた時には、専務はもう独身だった。


 でも奥さんの『がっかり』が、同じ女として眞子にはわかる気がした。

 結婚前、外で出会った時はあんなに素敵な『都会の男モデル』だったのに、家では『もさもさ頭の無精髭、じいさん眼鏡』では、がっかりするしかなかっただろうと。お気の毒と察してしまう。


 いつもこうして小間使いみたいにして使われている。

 なのに眞子はイヤと言えない。言えばいいのに……。

 でも、これで専務があの格好いい男になってこの会社のために営業に行くのだから、それぐらい――とも思ってしまう性分。

 ほんと、自分で憎らしくなってしまう性分。

 でも、『頼めるの、本田さんだけだよ』。

 あの笑顔で言われてしまうと、どの女性も悪い気はしないはず。


「応接室のクローゼットにしまっておきましたから。あと、スーツもクリーニングの袋から出しておきました。手前に揃えていたもので、よろしかったですよね」

 事務所のデスクでまだモニターと睨めっこをしている専務に報告する。

 彼が分厚いレンズの眼鏡の横顔で、『うん、ありがとう』と答えただけになった。

 いつもそう。ほんの少しの笑顔だけで、眞子は動かされるだけで。彼はあとは素っ気ないだけ。

 こんな男性だと、結婚生活は続けられなかったのも当然かもしれないと思っている。

 専務デスクから眞子が背を向けると。

「明日。横浜から営業さんがくるよね。いつもどおりに接客よろしくね」

 ――横浜から営業さんが来る。

 それだけで眞子はニンマリしてしまう。

「はい、専務。承知いたしました」

 色ない声で応えたが、眞子は背を向けている状態で良かったと思った。

 横浜から『彼』がやってくる。嬉しくてたまらない微笑みをつい浮かべてしまったところを、専務に見られなくて済んだから。

 専務にシャツのアイロンをさせられたことなど、もうどうでもよくなる。


 明日! 彼が来る!


 横浜にある大手アパレルメーカー【横浜シルビア】から商品を仕入れているので、時々、メーカーから担当の営業さんが様子見でやってくる。

 アパレルの男性だけあって、とっても素敵な人。

 眞子がずっとずっと、憧れている片想いの男性だった。

 彼が来ると、いつも眞子があちこちを案内する。

 彼と一緒に歩いているだけで、店舗にいるお客様も、百貨店のテナントで入っている店舗周辺のブランドショップのスタッフでさえも、彼へと目線を集める。

『そちらの営業さん、すっごい素敵な男性よね。羨ましい!』

 いつも他ブランドの店長達にもそう言われる。

 それほどの男性の受け入れ担当を眞子は任されることが多かった。

 もうそれだけで、今日の業務がただただ進む。

 今夜は帰ったら、綺麗にお肌の手入れをして、髪はとっておきのトリートメントでパックをして、爪も綺麗に上品にネイルをしておかなくちゃ。帰りに新しいお洋服を、買っちゃおうかな……。


 こんなに幸せな時間はない。

 それがたとえ、片想いでも……。



 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 夕方、応接室でスーツに着替えた専務が事務室に現れる。

 ビシッと着こなしたスリーピースのスーツ。

 眞子がアイロンを掛けたシャツも綺麗に着込んで、トラッドな刺繍模様がある紺のネクタイをキリッと結んでいる。

 おじいちゃんくさい眼鏡も外した専務は、おでかけの時はコンタクト。

 売れっ子モデルだった母親の美貌を受け継いだモデルフェイスで、微笑みを湛えると、事務所にいるスタッフが男性も女性も、誰もが『ほう』と溜め息をつくほど。

 それは眞子も一緒。

 どうしてこんなにかわっちゃうの? いつも思う!


「じゃあ、行ってきまーす」


 なんとなく間の抜けた子供っぽい言い方も、おぼっちゃま専務らしい愛嬌のひとつだった。

「飲み過ぎないでくださいよ、専務!」

 黙っていると近寄りがたいモデルな男になるのに。喋ればいつものおぼっちゃんの可愛らしさを醸し出してしまうので、スタッフからもそんなからかいが平気で飛んでくる。

 それでも専務は『あはは、どーなるかあちら次第』といつもの調子の良さで出掛けていった。

 ああいうところが、なんとなく外部のお偉いさんと若いながらも親しくなる要素のようだった。


 眞子は、そんな専務がちょっと羨ましい――。



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