第十六節 戯曲 一
――これは、悲劇である。
◆
何があった、と。誰かが漏らした呟きは、その場にいた誰もが共通して得た疑問であった。――訂正しよう。
その場にいて、且つ生きていた誰もが。
「――の、ノエ、さ」
振り返った先、立っていたのは、銀髪煌めかせる、少女とも見まごう美貌の持ち主……キリエであった。
その顔は蒼白に染まっている。
「き、キリエちゃん……これ、何が」
「し、知らない。オレは何も――」
ノエ達はつい先程まで、紅緒が開いた世界の中にいた。ノエが休めと命じたキリエだけはその中にいなかった。この惨状を見たら、何も知らない者はまず疑うだろう。
「――おあつらえ向きに、怪しい奴がいるじゃねえか」
キリエに対し、鋭い視線を向ける茶釜のように。
「待っ、キリエちゃんがこんなことするわけ……!」
「アンタから見たこの小僧がどうかなんて、オレ様が知るわけねえだろ。……っつーか、もしかしてコイツも妖怪か? だとすりゃあ、件の『白い狐』って可能性もあるわけだ。……しかし、愛。こんなやつデータにあったか?」
「そ、そうだ、白い狐……アタシ、そこら辺から記憶が曖昧なんだけど、何がどうなって」
トントン拍子で事態が動いていく。それに焦ったノエは、どうにかキリエから注意を逸らそうと試みるが、
「いいえ、ありません。と言っても、私達が調べたのは『この街の住民』のデータ。
「うい、わかった。……悪いなあ、アンタの都合とか気にするほど暇じゃねえんだわ、こっちも。っつーわけで、その小僧の身柄を引き渡してくんねえ?」
有無を言わさぬ強い視線。一言ノーと発しただけで心臓を射抜かれそうな殺意は、先程までの比ではない。
しかし、
「……渡さないよ。この子は――キリエは、アタシの家族だ」
殺される。そういった恐怖を奥底に閉じ込め、ノエは脇差を引き抜いた。
マトモにやりあう気はない。出口に近いのは茶釜達の方だが、最悪店の壁をぶち抜いて逃げれば――、
「……ふむ、まるで劇場にいるかのようだ」
一歩、そんな両者の間に踏み入る影があった。
気取ったタキシード姿。手にしたステッキを翻し、頭に乗ったシルクハットに手を添える。
他ならぬアスヴィである。
「やれやれ、私も、キミ達も、本当にツいていない」
茶釜の言った冗談を返すように、ニコ、と笑う。
「どうだろう、親切なおじさんである私に免じて、ここは退いてくれないか?」
「は、自分で親切って言ってりゃ世話ねえぞオッサン。――退くと思ってんのか?」
「そうかそうか。では……私のショーに、付き合ってもらおう」
アスヴィがノエに目で合図をする――その意図を汲み取ったノエは、その脇差を振るい、
「させるわけねえだろ――!!」
「シッ!!」
轟音と共に、《九重亭》の壁に穴が開いた。
◆
「――チ、逃した。
「追えると思うてか?」
行く手を阻んだのは小さな影。本来であれば、狢や愛の敵足り得る存在ではないが――その少女は、ただの少女ではない。
「――――」
「これは、」
「……まったく、世話の焼ける。アスヴィ、貴殿もだ。この貸しは大きいぞ?」
「ハハ、此度のショーで返せたりはしないかね?」
「貴殿の働き次第だな。精々、道化として存分におどけてみせるがいい」
狢、愛の前にそり立つは巨大な壁――否、八ツ首の竜だ。
「あー、その、なんだ? ――テメエら、殺していいのか?」
邪魔をするなら容赦はしない。最初からそんな空気をぷんぷんと漂わせていた茶釜達であったが、どうやらアスヴィ達は彼らの許容を大きく越えてしまったらしい。かろうじて会話が成立しているのは、仮にも道案内の恩があるからだろうか。
「なに、少々私のショーに付き合ってもらうだけさ。おっと、お代は結構だとも。私のショーをタダ見なんてそうそう……いや、あるな。うん、私と友達になれば見放題だ。どうだい? 私と仲良くなるつもりは、」
「ねえよ」
「それは残念、だッ!」
アスヴィに飛びかかったのは、答えた茶釜ではなく鉄扇を手にした輝夜であった。
「は~い、オジサマ。――お呼びじゃないんですっこんでろ、っす」
その鉄扇をステッキで受け止め、
「確か、キミ達は祓魔師育成学校の生徒ではなかったか? 生徒が持ち得るのは原則として
「ん~? いやいや、これどう見ても錆びてるっすよ。錆びた刀っすよ」
ぴょん、と距離を取る輝夜がひらひらとさせるのは、どう見ても綺麗な光沢を見せる朱色と菫色の鉄扇である。
「ちょっと茶釜さ~ん、ちゃんと隠してくれないと困るんすけど~」
「あ? うるせえバカ。その必要がありゃ隠してるっつの」
「ってことは?」
「
「や~ん♡ 茶釜ちゃんったら仕事はや~い、愛してるっす~!」
「ちゃん付けんな、テメエから殺すぞハゲ」
――気付けば、アスヴィはその周囲を煙幕のようなもので囲われていた。
いいや、アスヴィの周囲だけではない。もっと広く、広範囲に紫煙は広がっている。
「ぬ、これは……」
紅緒もこの煙の中にいる。
茶釜の「囲った」という発言から察するに、ここは既に彼らの領域なのだろう。つまり、アスヴィ達はひとつ、後手に回ってしまった。
「――にしても、ホント、アンタもツいてねえ」
茶釜は繰り返す。この状況で、不幸だと。
ただし、不幸なのはアスヴィのみだと。
「あのチビが呼び出した八ツ首の竜、立派なもんだ。偽物だとしても、そりゃあ初見はビビるわ」
「……その物言い、初見ではないのかね」
そうやって会話を交わす間も、実は輝夜の猛攻を凌いでいる。――しかし防戦一方である上、先程からかなりの『生命』を散らしてしまっている。
「いいや、八ツ首の竜自体は初めて見るさ。でもな、」
――突如、攻撃の手が増えた。
「ぬぅ……!」
「あは、余裕っすねオジサマ。でもでも、あーしと踊ってるだけでいいんすか~? ショーを見せてくれるって話っすけど、それってもしかして舞踏会みたいな?」
まるで輝夜が増えたかのような錯覚。二手、三手と繰り出される鉄扇の追撃は、二対しかないと言われても信じられないほどに手数が多い。
というか、本当に増えている――!?
「悪いな、オレ様達ゃ『妖魔退治』のスペシャリストなもんで。せめて華々しく散ってショーを締めてくれや」
アスヴィの視界の端で、
八ツ首の竜が、一閃に斬り伏せられた。
◆
キリエの手を引き走る。走って、走る。
追手の気配はない。アスヴィはしっかりと足止めをしてくれているようだが、彼らの雰囲気は明らかに常人のソレではない。もしかしたら、アスヴィがやられるなんてことも在り得る。
……ノエの脳裏を、最悪ばかりが過ぎる。
それはアスヴィと紅緒を置いてきたことに対する罪悪感から来るものか。それとも、この異常事態に対する不安からか。
「チクショウ、何がどうしたってんだ……!」
そう呟いた矢先のことであった。
細い道を抜け、少々広い道に出て――、
「……なん、」
多くの……多くの人間が、地面に倒れ伏すのを見た。
呻き、喘ぎ、苦しみを露わに、何かを喚いている。その光景に言い知れぬ嫌悪を感じ、ノエの足は止まってしまった。
「ク、は……へ、」
「クウ……おな、カ、スイ」
呻きをよく聞けば、どうやら空腹を訴えているようだ。しかし、ただの空腹にしてはあまりにも――。
「そういえば、」
そうだ、今日、《九重亭》に訪れた客。彼らはここまで酷くは無かったが、強く空腹を訴えていた。空腹による苛立ちを隠そうともせず、暴力を振るうほどの空腹だ。
その時点で十分異常だが、もうひとつ。
――おかしいだろう。これだけ多くの人間が、一度に空腹を訴えるなぞ。
「みず、ミズ、水水水水水水水水ぅぅぅぅうううう!!!!!!!」
「ッ!?」
ひとりの人間が、叫びながらノエに向かって突進してきた。咄嗟のことに動かぬ身体は、その標的となり――しかし阻まれた。
誰に? キリエではない。
「あ、が――!」
「肉ぅ!! ぁああ、く、ぇあ!!」
大きく開いた口がノエに届く寸前、横から体当たりするように飛び込んで来たのは、同じく飢えた人間であった。飛びついた二人の人間は地面に転がり、そして、
「な、な、」
互いの肉を、食い千切った。
「いぎゃぁああ!!!! うぐ、ぇあえあああ!!!!」
噛み付いた顎で、ぶちりとその肉を抉る。飛び散る血飛沫、見える白い骨。ようやく在りつけた食べ物に夢中で、夢中で、ただ食べるためだけに動いていた。
己の身体が食われていくのも構わず、ただ喰らうためだけに。
――ああ、そうか。
この光景だ。
店に広がっていた惨状は、これが原因だったのか。
「――――ッ!?!?」
あまりのおぞましさに、ノエは再び走り出す。
駄目だ、ここで立ち止まっては駄目だ。何が? どう駄目になる?
理屈ではない。心の奥底から湧き上がる嫌悪感に耐えられない。
こんなの、あってはならない。
「――い、痛い、痛いっ、ノエさん!!」
「っ!!」
トリップしかけた意識を揺り戻したのは、この数ヶ月で随分と聞き慣れた声だった。
いつも元気いっぱいで、子供らしい。そんな愛しい家族の声が、今は怖気に染まっていた。
痛いを訴えるキリエは、その手を振りほどこうと必死になっていた。あまりの事態に、ノエはキリエの手を強く握り過ぎていたらしい。
「あ、ああ……ごめん」
「…………」
それ以上の会話が続かない。何か言おうとしても、何を言えばいいのか、混乱した思考では会話すらままならないという。
気づけばまた狭い路地に入っていたようで、周囲に飢えた人間の姿は見当たらない。ひとまず胸を撫で下ろし、深呼吸を経て落ち着きを取り戻す。
そして、自らが置かれた状況を整理し、
「いったい、」
溢れたのは、月並みな言葉。
「いったい、何が起こってるってんだ……!!」
己の無力を証明する、嘆きの叫びであった。
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