御食神霊異記

三ノ月

初説



 人妖特区第一番『珠都しゅと』――人妖戦争から十数年、二つの種が共存を選び、その末に生まれた都市。北の大地にて試験的に導入されたこの街には、人間や妖怪などの差別なく過ごしたいという者達が暮らしている。

 まあ、その大半が妖怪であるのは自明だろう。なにせこの現世、妖怪への風当たりが非常に強い。差別、と何気なく言ったものだが、その実態はなかなかに深刻である。

 妖怪の存在が人に知られるようになったキッカケである人妖戦争は、それはそれは広く、妖怪の悪評をも知らしめた。

 ――辛気臭い話はここまでにしよう。この街の背景が伝わったのならばそれで十分だ。

 これより語られるのは、その人妖特区第一番『珠都』の一角にて営まれる和風定食『九重亭』を中心に巻き起こる奇譚。

 三大欲求、その一つにまつわる事件である。


 ◆


 飢え――それは生き物が感じる苦痛の中でも一際異質なもの。外傷もなく、かといって精神に影響するものでもない。ただ生きる糧が足りないという単純極まる理由から吐き出されるエラー。

 単なる空腹と侮るなかれ。現代では珍しくなったが、過去には飢え死にするなんてことも日常茶飯事であった。

 そして、ここにもまた一人、飢えに飢えた者がいる。

「……あ、やばい。これ以上はマジでやばい。もう、一歩も歩けねえ……」

 ドサッと、白い長髪をなびかせながら倒れ伏す。四肢に力が入らず、気のせいか意識も遠くなってきた。

 京の都を彷彿とさせる通りで人一人が倒れる。そんな事態に通りは騒がしくなるも、手を差し伸べる者はいなかった。この通りにおいては、誰が倒れようとも日常茶飯事なのである。今回も、「どうせ酒の飲み過ぎで倒れたに違いない」などと呑気に笑っている。それよりも、と狂ったように酒を飲み、肴を食らう。

 喧騒の中で、本当に遠くなる意識。これはマズい、かなりマズい。

「この、能天気ども……」

 覚えてろよ。

 次に目を覚ました時に、生きていれば、だが。


 ――何度も言うが、この通りではぶっ倒れている者など珍しくもない。

 しかし、それが長い白髪を散らす少年あるいは少女であれば話は別だ。

 妖怪とは特に、外見と実年齢が一致しないものだが、ここに倒れる者は妖怪らしさが希薄すぎる。人妖特区においては、わざわざ人間に化ける必要も皆無であることを考えれば、この者は人間――そう行き着くのが自然。

「ちっちゃい人間が倒れてるってのに、誰も見向きしないってのは、見てて気持ちのいいもんじゃないねえ……」

 大方、酒の入り過ぎでマトモに思考できないのだろう。

 白髪を見下ろすのは、これまた長い金髪を結い、右肩から前に流した女性。その装いは旅館の女将でも務まりそうな和装であった。

「おーい、生きてるかーい。……おお、こりゃ美形。見たところ、顔が赤いわけでもなし。酒に酔って倒れたんじゃなさそうだ」

 人と妖怪との共存が確立された今日でも、人間の法律は生きている。未成年は酒を飲んではいけない、これ常識。

 しかし、この人妖特区ではそれもまた曖昧になってしまう。なんせ、いちいち年齢確認をするのが面倒な輩が多いこと。

 それはさておき、

「ひとまずウチに連れてくかね」

 よっこらせ、と女性は軽々と抱き上げる。

 ……よくよく見れば、やはり中性的で整った顔をしている。その顔がやや苦しげに歪められている。もしや風邪か、あるいはそれ以上に深刻な病気だろうか。

 その心配も杞憂。なぜなら、


 ぐぅうぅううう……。


 そのお腹から、どこかしら聞き覚えのある音が。

「……あ、もしかして」

 どうやら、この少年あるいは少女。

 行き倒れらしい。


 ◆


「――はっ」

 目を覚ますと、そこには見慣れない空が広がっていた。木組みの梁、少々高い天井。ああ、これ空じゃなくて、建物の中か。

 はて、記憶が確かであれば、自分は『呑んだくれ通り』にて、怨嗟を呟きながら倒れたはずだが。

「ああ、起きたの」

 声はちょうど、真上から聞こえてきた。

「……んぁ?」

「腹減ってんだろう? 好き嫌いは言わせないから、たんと食べなよ」

 後頭部に広がるやたらと柔らかく、ふかふかとした感触。

 ――ああ、これ膝枕だ。

「……っ!?」

 実はとんでもないシチュエーションだと気づき、その上半身を跳ね上げた。

「え、あ、んん!?」

「おーおー、元気だこと。んじゃ、アタシも動けるようになったし、持ってくるとするかね」

 よっこらせ、と身を起こし、女性は何食わぬ顔で襖の奥へと消えていく。

「…………」

 目が覚めてから兎にも角にも驚きの連続で、寝覚めの頭には刺激が強すぎる。展開はもう少しゆっくりで、かつ滑らかに。誰とも知れぬ何かに呟いた。

「状況説明求む……!!」

「道端で倒れていたアンタ、拾ったアタシ、そしてここには美味しいごはん。オーケー?」

「ほわぁあああああああ!?」

「いちいち面白い反応するねえアンタ。見てる側は楽しいけど、ソレ疲れない?」

 いつの間に戻ってきたのか、その手にお盆を抱えた女性が答えた。

「はい、大したもんじゃないけど」

 お盆の上には古き良き和食――お椀いっぱいに盛られた白米、アサリの味噌汁、塩鮭、肉じゃが。見ているだけで食欲がそそられる。

 しかし、

「これ、なんで……」

「んー? だって腹減ってんだろう? 倒れるほどに」

「あー、いや、うん……たしかに」

 ――確かに、自分は空腹で倒れた。だが、今はそれほどでもない。

 目の前に広がる馳走は、そりゃあ食べようと思えば食べられるし、なんとも美味しそうである。でも、なぜだろう。

「腹が減って仕方ない……ってほどじゃない。でも、」

 それはそれ、これはこれ。

「いただきます!」

「はい、どうぞ」


 ――これが、二人の出会い。

 和風定食『九重亭』の店主ノエ、そして居候の子猫ちゃん。そんな立場が確立し、騒がしい日々を送ることになる、その始まり。




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