第百四話 追憶~森の中の出会い~
「どうしたの? どこかいたいの?」
男の子は子供タイガーを抱っこしたまま、心配そうにアリシアに問いかける。それに対してアリシアは、慌てて首をブンブンと横に振った。
「な、なんでもない、大丈夫」
「ふーん」
理解したのか、それともしてないのか。よく分からない生返事をしながら、男の子は抱っこしている子供タイガーに視線を落とす。
その仕草を見て、アリシアは思い出したように訪ねる。
「えっと、その子は……」
「グッタリしてるところを見つけたの。でも、どうしたらいいか分からない」
男の子は呟くように言う。しょんぼりした表情で泣き出すかもしれない。子供タイガーも弱弱しい鳴き声を出すが、このままでは危ないだろう。
アリシアは自然と拳に力を込めながら立ち上がり、元気のある声を出した。
「大丈夫、私に任せて!」
勿論この言葉は、殆ど勢いでしかなかった。なんとかできる自信や根拠など全くないが、それでもここはやるしかないと、アリシアは思っていた。
改めて子供タイガーの様子を見る。幸いにも大きな傷はなさそうであった。自身がいつも肌身離さずつけているポーチの中を覗いてみると、小さなハンカチや包帯と言ったモノが見えた。
何があっても良いようにと、出かける際に母親からいつも持たされているのだ。
(これでこの子の手当てができ……あっ!)
アリシアが笑顔を見せたその瞬間、脳裏にラマンドと話した記憶が蘇る。
ただ包帯を巻くだけじゃケガは治らない。ちゃんとすり潰した薬草と一緒に包帯を巻かなければ意味がない。そしてちゃんと薬草の種類も覚えておくことが大切なのだと。
いつもいつもそればっかり。こんなの覚えても役に立つわけがない。ずっとそう思っていたのに、まさかここで役に立つだなんて。
アリシアはそう思いながら周囲を見渡し、傷に効きそうな薬草がないかどうかを探してみる。
そんな彼女の姿に、男の子はきょとんとした表情で首を傾げた。
「ねぇ、なにしてるの?」
「薬草を探してるの」
それだけ言って、アリシアは少し歩き回ってみる。男の子も黙ってアリシアについて、トコトコ歩いてきた。
そしてしばらく探し、ようやく父から教わったモノと同じ薬草を見つける。ラマンドから薬草の写し絵を渡されていたため、判断することができたのだ。
しかし、子供タイガーの治療にはもう数本ほど必要だと思った。そこでアリシアは男の子に言う。
「ねぇ。少し大きめの石をいくつか探してきて!」
「え、で、でもぼく、この子抱っこして……」
「寝かせておけば大丈夫だから!」
「う、うん……」
アリシアから強めに言われた男の子は、渋々子供タイガーを目立たない茂みの近くに寝かせた。
子供タイガーは薄っすらと目を開けて男の子を見上げる。にゃあと弱弱しい声が聞こえた。泣きそうになってくるのを我慢して、アリシアに言われた通り、男の子は石を探すべく走り出した。
幸いすぐ傍に大き目の石がいくつか転がっていたため、すぐに戻ってくることができた。そしてアリシアも薬草を摘み終え、小走りで戻ってくる。
「これをこうして……」
アリシアが大き目の石の上に薬草を敷いて、それを石で叩き、すり潰していく。
力いっぱい、薬草がペースト状みたくなるまですり潰したところで、ポーチの中から包帯を取り出した。
それを広げて、すり潰した薬草を乗せ、子供タイガーにあてがう。手がどんどん緑色に汚れていくが、そんなことはどうでもよかった。
早く元気になってほしい。その一心で、アリシアは包帯を巻こうとする。
しかし――
「にゃああぁぁぁーーっ!!」
薬草が染みたらしく、子供タイガーはビックリして大声で鳴いた。手足をバタバタと暴れさせ、このままでは思うように包帯が巻けない。
押さえつけようかと思ったその時だった。
「だいじょうぶだよ」
男の子が子供タイガーの頭を撫でた。子供タイガーはピタリと落ち着いた。まだ落ち着かない様子を見せていたが、優しい笑顔を浮かべる男の子に、子供タイガーは大人しくなる。
この隙にアリシアは包帯を巻いていった。
染みているハズなのに、子供タイガーが再び暴れ出すこともなかった。
なんとか包帯を巻き終えたアリシアは、いつの間にか額にたくさんの汗を浮かべており、それを腕でグイッと拭う。
その隣では男の子が、子供タイガーを優しく撫で続けていた。
子供タイガーはすっかり落ち着いており、傷に苦しんでいる様子も見られない。それを確認できたことで、アリシアと男の子も安心した表情を浮かべていた。
その時後ろから、足音が聞こえてきた。
「ふーむ、こっちのほうで声がしたと思ったが……おぉ、そこにおったか」
やってきたのはセルジオだった。なかなか帰ってこないアリシアたちを探して、森の中を捜索していたのだ。
「長老さま!」
「おじーちゃん?」
アリシアと男の子は、セルジオの声に驚きながら見上げている。セルジオは二人の奥で横たわっている子供タイガーに注目した。
それを見ただけでなんとなく状況は読めていたが、ちゃんと二人からも話を聞かねばなるまいとセルジオは思った。
そして、アリシアたちから改めて事情を教えてもらうと、セルジオは納得するかのように頷いた。
「なるほど。そういうことだったのか」
セルジオは子供タイガーの頭を優しく撫で、そしてアリシアと男の子のほうに視線を向ける。
「魔物とはいえ大切な命。助けてやるとは偉いぞ、二人とも。よくやったな」
笑顔を向けられたアリシアと男の子は、互いに顔を見合わせ嬉しそうに笑う。そこでセルジオは、意外そうな表情を浮かべた。
「しかし……まさかマーキィと一緒におったとはな。偶然とは凄いモノだ」
偶然という言葉も気になったが、それ以上にアリシアは気になることがあった。
「マーキィって、キミの名前?」
「うん。そうだよ」
「おいおい、まだ名乗っておらんかったのか?」
セルジオは呆れたかのように苦笑する。男の子もといマーキィは、セルジオがどうして笑っているのかが分からず、首を傾げていた。
それを見たセルジオは、仕方がないと言わんばかりにため息をついた。
「まぁ良い。とにかくワシらも里へ帰ろう。レドリー」
「はっ!」
セルジオが名前を呼んだその瞬間、どこからか黒装束に身を包んだ人物が音一つ立てずに降り立った。
アリシアとマーキィが驚く中、セルジオは告げる。
「この子を頼む。近くに親がおるはずだ」
「承知!」
レドリーが子供タイガーを抱えると、アリシアたちを一瞥して、再び音もなく姿を消した。
なんとなくアリシアには、レドリーが一瞬だけ笑みを浮かべたように見えた。
「あの子はあくまで野生の魔物だ。下手にワシらが関わるより、少しでも早く親もとへ返したほうが、確実にケガを治してくれるだろう」
「……うん」
心配そうな表情で頷くマーキィの頭を、セルジオが優しく撫でる。
「さぁ、そろそろ帰ろう。皆も心配しておるぞ」
セルジオの言葉に二人も立ち上がり、三人は里に向けて森の中を歩いていった。
かなり遠くまで来たと思い込んでいたのだが、実際には数分で帰れるほどの距離でしかなく、それを知ったアリシアは呆然として驚くのだった。
◇ ◇ ◇
「アリシア! お前のせいでおれたちが怒られたぞ! どうしてくれるんだよ!」
帰って来たアリシアを待ち受けていたのは、子供たちからの怒りだった。
大人が――特に父親が大いに怒っているとは思っていた。しかしどうして子供たちが怒っているのだろうか。
そんな疑問を浮かべるアリシアの前で、一人の女の子が泣きながら、ラマンドに事の次第を説明する。
アリシアが無理して突っ込んでいくから、自分たちもついて行くしかなかった。しかし怖くて先に帰って来た。アリシアが戻ってこなかったのは、勝手に一人で奥まで行ってたからだと。
もはや考えるまでもないことだった。皆で全ての責任を、アリシア一人に押し付けるつもりなのだ。
アリシアはジルに助けを求めようと見渡すが、彼女の姿はどこにもない。
その様子に気づいた女の子が、ニヤついた笑みを浮かべながらアリシアに言う。
「ジルはここにはいないわよ。オリヴァーがケガをして、その手当てに付き添ってるんだから!」
「ホントかわいそうよね。アリシアを探してこうなったんだから!」
ちなみにこの言葉は決して間違ってない。
あの後ジルが、アリシアがいなくなったことをオリヴァーに知らせたのだ。それを聞いたオリヴァーが、流石に放っておけないと判断し、子供タイガーを追うのをやめて探し回った時に転んだのだ。
この事実を利用できると、付き合っていた一人の男の子が提案し、皆がそれに対して大賛成した。
ラッセルはこれを止められなかったことを後悔し、ここでもなんとか止めようと必死に声をかけてみる。
「み、みんな……もうそのくらいにしておこうぜ?」
しかし、ひんしゅくを買うことを恐れてか、その声はとても弱弱しかった。
その言葉を聞いた男の子が、深いため息をつきながら説教をする。
「ラッセル。お前はいつもアリシアに甘すぎるんだよ! だからチョーシに乗って森へ行こうだなんて言い出すんだ!」
「そうよそうよ。ラッセルくんはもう、アリシアに優しくすることはないわ!」
「いつまでも庇ってもらえると思ったら大間違いよ。分かってるの?」
「全部悪いのはアリシアなのに……おれたちにもあやまれよ!」
「そうだ、あやまれっ!」
『あーやーまれっ! あーやーまれっ!』
子供たちの声が止まらない。その表情には嘲笑が入り混じっていた。
アリシアはもう、何も考えられなくなっていた。目の前の光景が歪んできて、子供たちの顔が悪魔のように見えてきていた。
逃げ出したい。けど足が言うことを聞いてくれない。
もうどうにもならないとアリシアが思った、まさにその時だった。
「……言いたいことはそれだけか? 全くお前たちには呆れるばかりだな」
ラマンドが深いため息をつきながらそういった。
子供たちの声が一瞬で止まり、ポカンとした表情をラマンドに向けている。ここはアリシアを怒鳴り散らす場面だろと、そう問い詰めているかのように。
それを察したラマンドは、更に深いため息をつきながら言う。
「お前たちがやらかそうとしていることなど、最初からオミトオシだ。だから俺は前もって、偵察隊の方々に協力してもらってたんだ。どうせどこかで俺たちの目を盗んで勝手な行動をするだろうから、よく見張っておいてくださいってな」
その瞬間、ラマンドの隣に偵察隊の一人がシュタッと降り立ってくる。
アリシアを含め、子供たち全員が驚く中、ラマンドは続ける。
「大方、魔物を倒す機会を逃したくなかったんだろうが……まぁ、その気持ちは俺も分からんではない。既に剣や魔法の修行をしているラッセルたちからすれば、その気持ちは大きく膨れ上がってただろうからな」
「だ、だったら……」
「しかし!!」
ラッセルがなんとか取り繕うとしたが、ラマンドの一喝に遮られる。
「散々勝手な行動をしておいて、それを全て人のせいにするとは何事だ! そんな腐った心を持つ者に、冒険者を名乗る資格はないぞ!」
ラマンドの声が風に乗り、遠くまで響き渡っていく。子供たちは言葉を失い、ただジッと俯くことしかできなかった。
そこに脇から、ザッザッと音を立てて歩いてくる者がいた。
「まぁまぁ、それぐらいにしておけラマンド。そうやって威圧して怒鳴り散らすばかりでは、子供たちに届く言葉も届かんだろうに」
セルジオだった。マーキィを家まで送り届けてきたのだ。
バツの悪そうな顔を浮かべるラマンドを一瞥しつつ、セルジオは怯える子供たちに笑みを向ける。
「さて……お前さんたちは今日、魔物にチョッカイをかけるという、危険極まりないことをした。それについて少し話をしてやろう」
そしてセルジオは、今回子供たちがどれだけ危なかったのかを話した。
子供の近くには親の存在がある。それはヒトも魔物も変わらない部分である。とどのつまり、子供タイガーを追いかけ回した時点で、親のキラータイガーが出てきても何ら不思議ではなかった。
そうセルジオは諭した。子供たちは恐ろしさに気づいたのか、真っ青な表情と化していた。
ラマンドがあそこまで怒ったのも、全ては子供たちを大切に思うが故だ。
未来ある少年少女の命を、こんなところで落としてはならない。その気持ちが怒鳴り声となって、大きく表れてしまったのだと。
子供たちはションボリしていた。泣いている者もいた。自らの過ちに、多少なりは気づいてくれたかと、セルジオは思った。
まだ小さな子供とはいえ、ちゃんと厳しく教えなければならない部分であることも確かだ。今回ラマンドが怒鳴りつけたのも、決して悪いとは言い切れない。甘さが命を落とす怖さもあるからだ。
特に冒険者と言う職業と、魔物と言う存在については、それが強く言えるのだ。
「まぁ、これはこれで良い経験にはなっただろう。今回の出来事が、お前さんたちの将来に役立つことを祈っておるよ」
そしてセルジオから、今日のことはちゃんと反省するよう改めて言い渡し、子供たちは強い表情で返事をした。
ラマンドも説教はもう終わりだと笑顔を見せ、皆で屋敷に戻る。
ケガの手当てを終えたオリヴァーやジルも合流し、さっきセルジオから話されたことを、ラッセルから二人にも話された。
そして今回の出来事について、改めてアリシアにラッセルが謝罪する。
「本当にゴメン。俺のせいでこんなことになってしまった」
「いいよ。もう気にしてないからさ」
そしてラッセルはアリシアに許してくれてありがとうと伝え、他の子供たちにも頭を下げて回るのだった。
流石に子供たちとの間にできた溝は深く、すぐに元通りにはならなかった。それでも何人かは、ちゃんとアリシアに謝罪する場面も見られた。
食事中、アリシアは森の中で出会ったマーキィの顔を思い出していた。
なんだか不思議な感じがした。この里で暮らしている子だろうか。また会って話をしてみたいと思った。
アリシアたちがスフォリア王都へ帰るのは二日後。そして明日の予定は、それぞれが思いのままに里で過ごす。いわば自由行動だ。
これほどうってつけな機会はないと、アリシアは思った。
(よし、明日になったらあの子に……マーキィに会いに行ってみよう!)
そう決意したアリシアは、ドキドキとワクワクが収まらなかった。
おかげでその日は、なかなか眠りにつくことが出来ず、少々寝不足で朝を迎えてしまったのは、また別の話なのであった。
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