第百五話 追憶~マーキィとの一日~
翌朝、アリシアは里の外れにある小さな河原へと来ていた。
マーキィはいつもそこで魔物と遊んでいると、セルジオから聞いたからだ。
朝食を終えた後、子供たちは自由行動開始となり、それぞれが思い思いに動き出していた。それに交じってアリシアは一人、動き出したのであった。
セルジオの言ったとおり、マーキィは河原でスライムたちと遊んでいた。遠くからでも楽しそうな笑い声が聞こえてきて、危険じゃないということがよく分かる。
アリシアは思わず嬉しくなり、笑顔で駆け出していった。
砂利道で大きく響き渡る足音を聞いたマーキィは、いきなりのアリシアの登場に戸惑いの表情を浮かべていた。
「えっと……なに?」
「一緒に遊ぼうと思って!」
息を整えながら、アリシアは思わず強めの言葉を出してしまう。それに対してマーキィは、更にビクッとしてしまった。
アリシアもそれに気づき、慌てて笑顔を取り繕う。
「ゴ、ゴメン。本当にえっと……その、マーキィと一緒に遊びたいなぁって思ったんだけど……」
つっかえながらもなんとか言い切ったアリシアに対し、マーキィは気の進まなさそうな表情を浮かべる。
明らかに歓迎されていないのだと思わされ、どうしたモノかと悩みだしたアリシアの元に、一匹のスライムがぴょんぴょんと飛びながら近づいてきた。
ジーッと見上げてくるその表情に、今度はアリシアが戸惑う番であった。
手を伸ばして歓迎して良いモノなのか。それとも警戒するべきなのか。敵対していない魔物の姿を間近で見るのが初めてなだけに、アリシアは思うように判断することが出来なかった。
「キィッ!」
スライムが鳴き声とともに、ぴょんとアリシアに向かってジャンプする。アリシアはそれを自然と両手で抱き留めるのだった。
プルプル震える体はゼリー状で冷たく、それでいてどこか温もりがあるように思えてならない。
青い体がムルムルと動き、スライムとアリシアが顔を合わせる形となった。
「キィ?」
どうしたのと尋ねているかのように、スライムが声を上げる。
つぶらな瞳が敵対心を持っていないことはよく分かるが、それでもやはり魔物という意識が強いため、なかなか手が出せなかった。
そんなアリシアの様子をジーッと見ていたマーキィは、おもむろに周囲をキョロキョロと見渡す。そして近くにいたスライムを手招きして寄ってこさせた。
「ねぇ、こうしてあげるんだよ」
マーキィが軽々とスライムを抱き上げ、優しく頭を撫でる。そのスライムはとても心地よさそうであった。
それを見たアリシアは視線を落とし、恐る恐る自分の手の上に乗っているスライムの頭に手を触れる。
ピクッとした反応は見せたが、後は大人しいモノだった。アリシアが優しく撫でる度に、スライムは気持ち良さそうな鳴き声を上げる。
アリシアの表情が戸惑いから笑みに切り替わる。もう恐れている様子はない。
「キュィッ!」
マーキィたちの後ろから鳴き声が聞こえた。振り向いてみると、野生のグリーンスライムが近づいてきていた。
普通の青いスライムと、魔力によって緑に変色したグリーンスライム。この二体が揃う姿を、アリシアは初めて見た。
グリーンスライムは自ら笑顔でマーキィに近づいていく。マーキィもそれをさも当たり前のように受け入れ、スライムたちがマーキィに群がる形が作りあがった。
その光景を見たアリシアは、やはり驚きを隠せないでいた。
「い、いつもこうなの?」
「うん」
スライムたちに笑顔を向けたまま、生返事同然に答えるマーキィ。アリシアが驚いている様子など、全く気にも留めていない様子だった。
そもそも、この場にアリシアがいるということ自体、もはやどうでもいいと思っている節すら感じられる。
少なくともアリシアから見て、自分が全く相手にされてないような寂しさを直感的に思っていた。
その時、森のほうから足音が聞こえてきた。アリシアが振り向いてみると、一人の人間族の若い女性が歩いて来ていた。
「あら、今日は他のお客さんもいるのね?」
サラサラな栗色の長髪をなびかせながら、女性は言う。手には気を編み込まれた大き目のバスケットを持っており、足元にはオオカミらしき魔物を連れていた。
マーキィは女性を見て、明るい笑顔を見せる。
「おかあさんっ!」
スライムを抱えたまま立ち上がり、マーキィは女性に抱き着いた。
母親だったんだと、アリシアは呆けた表情で思っていた。
確かに髪の毛の色は二人とも同じであり、顔立ちも似ている。なにより魔物を連れている部分が、二人の関係性をより明確に示しているような気がした。
しばらくボーッと見ていたアリシアだったが、やがて何かを思い出したように立ち上がり、二人の元へ駆け寄る。
「あ、あのっ! わたし、アリシアと言いますっ! は、初めましてっ!」
アリシアは勢いよく深々とお辞儀をする。友達の家族に会ったら、挨拶はしっかりとしなさいと、ラマンドから日頃教えられてきているのだ。
マーキィは正確に言うとまだ友達とは言い難いのだが、それでもこれから友達になりたいという気持ちは強く、ちゃんとしておかねばと無意識に思ったのだ。
もっともかなりガチガチになりながらの挨拶となってしまい、それを聞いた女性は無意識に笑みを浮かべてしまっていたが。
「えぇ、こちらこそ初めまして。私はこの子の母親のサリアです。ラマンドさんの娘さんよね? お元気そうでなによりだわ」
「はぁ……って、おとーさんのこと知ってるんですか?」
驚愕するアリシアに、サリアはクスリと笑いながら言う。
「知ってるも何も、私たちは前に一度会ってるのよ? まぁ、覚えてなくても仕方がないかもしれないけど……」
「え?」
前に一度会っている。サリアの口ぶりからして、恐らくウソではなさそうだ。
しかしアリシアにはその記憶がない。少なくともすぐに思い出すことはできないでおり、なんとかして思い出そうと必死になっていた。
その様子を見たサリアは、困ったような苦笑いを浮かべる。
「もっともあの時は、色々あって少し疲れていたからね。アナタに対しても、冷たい反応しかできなかったから、本当に申し訳なく思っているわ」
サリアはずっと手に持っていたバスケットを地面に置きながら言葉を続ける。
「スフォリア王都はとても楽しくていいところだと教えてくれたのに、『ヒトの多いところなんてあまり好きじゃない。魔物たちと一緒に、森の中とかでのんびりと静かに過ごしたい』って、私は答えたの。純粋な子供に対して、大人げないことをしてしまったと反省しているわ。本当にゴメンなさいね」
話を聞いていて、アリシアの記憶が一つ蘇る。
昨日、ラッセルたちと一緒に森の中へ行った際に、思い出したことでもあった。
「……魔物さんと一緒に暮らしていた女の人……」
「思い出してくれたかしら?」
「う、うん……あの時のおねーさん?」
「正確にはもうおばさんだけどね。こうして子供だって立派に生んでるし」
その口ぶりに、アリシアはほんの少しだけ硬直する。ここまで堂々と自らをおばさんと称する人物は初めてだったからだ。
とある同い年のこの母親に、何気なくおばさんと呼んだ瞬間、凍てつくような笑顔が向けられたことをアリシアは思い出す。他の母親もそれほど凄かったワケではなかったとはいえ、似たような反応を示していた。
かくいう自分の母親でさえも、肌のシワと若さを気にしていた。お母さんと言う存在は、きっとそういうモノなのだろうと思っていたのだが、どうやらそんなアリシアの考えは、ここに来て外れたらしい。
「さぁさぁ、二人とももっと遊んでらっしゃいな。お昼までまだ時間もあるし」
「ピィッ!」
「ほら、スライムちゃんたちも二人と遊びたがってるわよ?」
サリアが後ろを促すと、スライムとグリーンスライムたちが、飛び跳ねながら鳴き声を上げている。
それを見たアリシアは立ち上がり、マーキィに向かって手を伸ばした。
「マーキィ、行こう」
「う、うん……」
戸惑いながらもアリシアの手を掴み、マーキィは立ち上がりながら走り出す。
そして二人はスライムたちとたくさん遊んだ。
鬼ごっこをしたり、川の水をかけ合ったり、スライムたちの体当たり勝負を二人が審判したりと。それぞれの笑い声が絶えることはなかった。
太陽が真上に差し掛かり、スライムたちも交えてランチタイムとなった。魔物たちも一緒であることを見越して、弁当はたくさん用意されており、アリシア一人が加わったところで足りなくなるということはなかった。
数種類のサンドイッチとサラダ。そして色とりどりの木の実といった、なんてことないありふれた弁当だった。しかしアリシアは、今まで食べた弁当の中でも、特に美味しく感じたような気がしていた。
マーキィと一緒だからなのか、それとも魔物たちと一緒という珍しい環境で食べているからなのか。
そこらへんはアリシアにもよく分からなかったが、少なくとも笑いが絶えないくらい楽しい時間だということは確かであった。
やがて弁当を食べ終えたマーキィが、ボンヤリとした表情でウトウトしていることにサリアが気づいた。
「あらあら、眠くなっちゃったの?」
「ん……」
無意識な返事とともに、サリアの膝にポスンと頭を乗せるマーキィ。ふと反対側を見てみると、アリシアも軽く船を漕いでおり、思わず苦笑を浮かべてしまう。
「ふふっ、アリシアちゃんも良いわよ。少しお昼寝したら?」
「はぃ……」
アリシアも限界だったのか、自然とサリアの膝の上に頭を乗せる。川の音と風に揺れる葉の音が心地良く、段々と意識が遠のいていく。
ふと頭上から、穏やかな歌声が聞こえてきた。サリアが歌っているのだ。
マーキィとアリシアの頭を優しく撫でる手が心地良く、ふんわりと浮かび上がっているような気分になってきていた。
暖かい。何かに包まれている。自分が今、どこへいるのかさえ曖昧になる。
耳を澄ませると、遠くから声が聞こえてくるのが分かった。その声は段々と近づいてきており、確かに聞き覚えのある声だった。
ボーッとした頭で目を開けると、綺麗な夕焼け空が広がっていた。
すぐ傍でスライムたちが、鳴き声で自分を呼んでおり、ようやく自分が眠ってしまっていたことに、アリシアは気づいた。
「よく眠ってたわね。もう夕方よ?」
数匹のグリーンスライムを抱えて座りながら、サリアが見下ろしてくる。
クリーム色のブランケットが、アリシアの体をすっぽり包んでいた。体を冷やさないよう、サリアが掛布団代わりにかけておいたのだ。
アリシアが起き上がると、サリアはブランケットを回収する。マーキィはどこにいるんだろうと、アリシアがキョロキョロと見渡し始めたその時だった。
「にゃあっ♪」
ネコのような鳴き声が聞こえた。それと同時に、一匹の小さな魔物がアリシアの元へ駆け寄ってきた。
アリシアはその魔物の姿に、確かな見覚えがあった。マーキィと一緒に助けた子供タイガーだった。
「昨日の……うわっ!?」
子供タイガーが勢いよく飛びついてきて、アリシアはそれを抱きとめながら、尻餅をついてしまう。
突然の痛さに悶えている中、子供タイガーは無邪気にアリシアの頬をペロペロと舐めている。引き剥がそうにも引き剥がせない。離すもんかと言わんばかりに、ガシッと強く抱き着いているからだ。
困った表情を浮かべるアリシアに、サリアは苦笑しながら言う。
「マーキィから昨日のことは聞いてたわ。アリシアちゃんが助けたことも、ちゃんと覚えていたみたいね」
「にゃあ♪」
そのとーりと言わんばかりに、ご機嫌よろしく子供タイガーが返事をする。
嬉しくは思うが、早く離れてほしいというのが、現時点でのアリシアの一番の願いだった。
それを察したサリアは、アリシアに張り付いている子供タイガーに呼びかける。
「ほら、そろそろ離れてあげなさい。アリシアちゃんが困ってるわ」
「……にゃ」
あからさまに渋々と了承し、子供タイガーはサリアの手によって離された。
助かったとアリシアが深いため息をついたその時、茂みの中から大きなキラータイガーが、マーキィを背に乗せて現れた。そしてその後ろから、二人の人間族の男性が姿を見せる。
うち一人の男性が、アリシアの姿を見つけるなり、軽く手を上げながら笑顔を浮かべてきた。
「アリシア」
「あ、おとーさん」
まさかの父の登場にアリシアは驚いた。そしてラマンドは、サリアに対して姿勢を正しつつ、深々とお辞儀をする。
「サリアさん。今日は娘がお世話になりました」
「いえ、こちらこそ。息子と遊んでくれて、娘さんには本当に感謝しています」
サリアもお辞儀を交わす姿を見て、二人が知り合いだったんだと改めて知った。後ろのほうでは、もう一人の男性がマーキィと話していた。
「今日は楽しかったか、マーキィ?」
「うん。おとうさんは?」
「そりゃもちろん楽しかったぞ。ハハハッ!」
二人の会話を聞いたアリシアは、男性がマーキィの父親であることを知る。
雰囲気からして似ていると言えば似ているが、やはりどちらかと言うと、母親に良く似ているとアリシアは思う。
顔立ちもそうだが、特に魔物と仲良くする姿がそっくりなのだ。
父親のほうも同じことを思っているらしく、スライムやキラータイガーとじゃれ合うマーキィに、本当に母さんそっくりだなと苦笑しながら言っていた。
ちなみに大きなキラータイガーは、子供タイガーの親であることが判明した。
親タイガーがジッとアリシアを見ており、見られているアリシアは思わず緊張してしまう。そこにマーキィが、子供タイガーを抱っこしながら歩いてきた。
「だいじょうぶだよ。なでてみて」
アリシアにそう言いながら、マーキィがお手本だと言わんばかりに、親タイガーの頭を撫でる。表情の判断はよく分からないが、少なくとも大人しく撫でられているあたり、嫌がっているワケではなさそうであった。
流石に大きさが違い過ぎるため、子供タイガーの時と同じように撫でるというのはできなかった。それでも勇気を出して、アリシアは親タイガーの頭に手をそっと乗せる。
最初はビクッとしてすぐに離してしまったが、すぐにまた触れることが出来た。そして今度は、ちゃんと優しく撫でることに成功した。
その姿を見たラマンドは、感心するかのように驚いていた。
いつもは一歩後ろに下がって、皆の様子を見ているばかりだった娘が、ここまで行動できるようになるとは予想外だった。六歳の誕生日を迎え、何かしらの経験を得られればという気持ちを込めて連れて来たが、その成果はあったと言える。
ラマンドはそう思いながら、その場にいる皆に向かって声をかけた。
「さぁ、もうすぐ日も沈む。皆で里へ帰りましょう」
ラマンドの声に従い、アリシアたちは河原から引き上げることとなった。
スライムたちやキラータイガー親子とも別れの時でもあり、特に子供タイガーは寂しそうな鳴き声を上げていた。
「また遊びに来るからね」
アリシアはそう言って、子供タイガーの頭を優しく撫でた。そしてアリシアたちは里へ戻るべく、河原を後にする。
見送る魔物たちに、アリシアとマーキィは目いっぱい手を振り、そして前を向いて歩き出す。鳴き声は止まなかった。アリシアは少しだけでも振り向こうかと思ったが、何故か振り向けなかった。
そんな彼女の頭を、ラマンドは笑みを浮かべ、無言のまま優しく撫でた。
やがて里に着いた頃には、すっかり日は沈んでいた。セルジオの屋敷が見えてきたところで、マーキィたち親子とも別れる時がやってくる。
「それじゃあ私たちはここで」
「あぁ。明日にはもう、王都へ帰るんだろう?」
「そのつもりだ。朝早くに馬車に乗って、子供たちとともに出発する予定さ。リオも今度は、王都に遊びに来てくれよ。そちらの家族も一緒に連れてな」
ラマンドはマーキィの父親であるリオに、握手を求めながらそう言った。
二人が握手を交わす中、アリシアはマーキィがなにやら、浮かない表情をしていることに気づいた。
アリシアは自然とマーキィに歩み寄り、そして顔を覗き込むようにして尋ねる。
「ねぇ、マーキィ……またいつか、私と一緒に遊んでくれる?」
その瞬間、マーキィは驚きの表情を見せた。しばし戸惑っていたが、やがて嬉しそうな笑顔を見せて――
「……うん!」
ハッキリとアリシアに向かって頷くのだった。
「じゃあ、約束」
アリシアはマーキィに小指を差し出す。言葉のない、本当に交わしただけの指切りげんまんだった。
しかし、二人にはそれだけで、約束としては十分過ぎるほどだった。
この約束をいつか絶対に果たしたい。その気持ちは二人の間で、確かに共通していることだったのだから。
それは大人たちにも、よく伝わっていることであった。
「ハハッ、微笑ましいことだ。二人は良い友達になれそうだな」
ラマンドが嬉しそうに笑いながらそう言うと、リオとサリアは――
「あぁ……」
「えぇ、本当に……」
何とも言い難い微妙そうな表情を浮かべており、それがほんの一瞬だけ気になったラマンドであったが、別に大したことじゃないかと思うのであった。
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