第百二話 ライザックの頼み事



「素晴らしい……どんどんオレの中で力が湧いてくるぞ……」


 森の中で切り株に座りながら、ラッセルが手のひらをギュッと固く結び、ニヤリと笑った。

 恐ろしさを覚えつつも、嬉しくて仕方がない。そんな気持ちが抑えたくても抑えきれないほどに溢れ出ていた。

 驚いているといっても過言ではないかもしれない。

 客観的にも、今の自分が普通じゃないことはよく分かっている。それでも自然と笑みがこぼれてきてしまうのだ。

 光の魔力を持ちながらも、こうして闇の魔力を抱えている。普通ならどこかしらで魔力同士が反発していてもおかしくない。しかしそんな様子は全くない。それどころかむしろ、日にちを重ねるごとに馴染んでいるぐらいであった。

 今まで知らなかっただけで、実は闇の素質も持ち合わせていたのではないか。

 ラッセルが本気でそう思っていた時、闇の奥から一人の人物が顔を出した。


「やぁ、相変わらず気配を感じさせずに現れてくるな……ライザック」

「誉め言葉として受け取っておきましょう」


 ライザックがワイン色のローブをなびかせ、ニッコリと笑みを浮かべる。


「随分と調子が良さそうですね? あの魔物使いの少年たちも、今のアナタには敵わなかったようだ」

「見てたのか。まぁそのことについては、もはや驚くまい。そんなことより、何かオレに用でもあるのか? ただ顔を見に来たって感じでもなさそうだが」

「えぇ。察しが良くて助かります」


 ニッコリとした笑みから一転、ライザックはスッと細く目を開ける。


「実はキミに一つ、頼みたいことがあるんですよ」


 ザワッと風に吹かれる葉の音が聞こえた。ラッセルは一瞬だけ眉をピクッとさせつつ、ライザックの話に耳を傾ける。

 ラッセルの表情が、段々と笑顔に切り替わる。まるで新しいオモチャを見つけた子供のように、とてもワクワクしていた。

 やがて聞き終えたラッセルは、ニヤリと笑みを浮かべながら言った。


「オレの強さを見せつける良い機会となりそうだな。面白い……その話、喜んで乗らせてもらおうじゃないか」


 踊るような口調で述べるラッセルに対し、ライザックはやれやれと言わんばかりに苦笑を浮かべる。


「楽しそうな顔をなさいますねぇ。そんなに強くなれたのが嬉しいですか?」

「勿論さ。これも全てアナタのおかげだ。あの時オレに、こんなにも素晴らしい力を授けてくれたからこそ、今オレはこうして楽しく笑っていられるんだ。本当に感謝してもしきれないくらいだよ、ハッハッハッ♪」


 散々恐怖し、散々敵意をむき出しにしていた相手に、ラッセルは心からの笑顔で気持ち良さそうに笑う。

 それに対してライザックは、再びスッと細く目を開けた。


「一応、念のために申し上げておきますが……もう後戻りはできませんよ?」


 笑いを一切感じさせない真剣な声。それを聞いたラッセルも、ピタッと笑みを止めて表情を引き締める。

 しかしそれも一瞬のことであり、すぐにフッと小さな笑みを浮かべた。


「それぐらい分かってるさ。オレがもう二度と光の下を歩くことができないことぐらいは、一応わきまえているつもりだよ」


 ラッセルの真剣な言葉を聞いたライザックは、普通に驚いたらしく、ポカンと口を開けていた。


「随分と潔く認めますね。もう少し抵抗するかと思いましたが」

「フッ……このオレを見損なってもらっては困るな。もっともここまで考えられるようになったのは、あの魔物使いを倒してからだけどな。今思えば、ヤツのおかげだと言えなくもないか」


 ハハハッと乾いた笑い声を上げるラッセルに、ライザックは笑みを消し、感情を込めていない表情で問いかける。


「絶望はしなかったんですか?」

「そりゃあしたさ……ほんの一瞬だけな。すぐに切り替わったよ。こんなにも凄い力をみすみす手放す選択肢なんてないだろうってな!」


 そして再び、ラッセルの表情はワクワクしたような笑みへと切り替わる。


「たとえその先が地獄だろうと、行くところまで行ってやるよ。もう恐れるモノなど何もない。この力で強くなったオレの姿を、とことん見せつけてやろうって決めたのさ! そう考えれば考えるほど、ワクワクして仕方がないんだ!」


 ラッセルは苦笑しつつ、小さな闇の魔力を右手に宿し、嬉しそうな声を出す。


「それで? オレにやってほしいことはそれだけで良いのか?」

「えぇ。それだけで十分です。お願いできますね?」


 ライザックはニッコリ笑いかけると、ラッセルは切り株に座ったままニヤリと笑みを浮かべて目線だけを見上げ――


「任せておけ」


 ゆっくりと一言一言を噛み締めるように、ハッキリとした口調で言うのだった。



 ◇ ◇ ◇



 ラッセルは立ち上がり、そのまま闇の中へと歩き出していった。

 その後ろ姿を黙って見送りながら、ライザックは思う。


(ヒトの感情は動きやすい。特に彼の場合は、それが強く感じられますね)


 強い信念と強い意志。そんな二つのぶ厚い殻で覆われたラッセルだからこそ、こうして簡単に闇へといざなうことが出来た。

 とはいえ、別にラッセル本人をバカにしているワケではないのだ。

 彼の実力は間違いなく本物であり、一人前の冒険者と呼ぶにふさわしいと。さぞかし色々な人々から、期待と信頼を寄せられてきたのだろうと。

 そしてそんな声に応えるべく、日々努力を積み重ねてきたのだろうと。


(それでも所詮は、単なる殻でしかなかった。一度ヒビが入れば、あっという間に崩れ落ちてしまう脆い殻。やはり彼もまた、ありふれた強者の一人でしかなかったことは否めない。ああして闇に馴染んでしまったのが、良い証拠と言えます)


 特別な強者であれば、こうも上手く事が運ぶことはなかっただろう。完璧な魔法などない。どこかで必ず綻びは生じる。それが強者であればあるほど該当する。

 しかしそれはあくまで、中身のほうも強い場合に限られる。

 スフォリア王都の路地裏でラッセルを一目見た時、ライザックは瞬時に思った。彼は殻に覆われているだけの、ごくありふれた仮初めの強者でしかないと。

 ラッセルという人物像については、ライザックもウワサ程度には聞いていた。裏でもその名はチラホラと耳にするほどであり、将来有望な要注意人物候補だとすら言われていた。

 期待していなかったと言えばウソになるだろう。路地裏で対峙した際、ラッセルに対して失望感を抱いていた。その後すぐに思わぬ収穫を得たため、機嫌が悪いままでいることはなかったが。


(僕は闇を仕掛けただけで操ってはいない。その行動は、その者が抱いている本来の気持ちそのもの。つまり彼の場合、今の姿こそが本来の姿……と言えますね)


 ライザックがそう考えながら脳裏に浮かべたのは、数ヶ月前になれの果てと化した盗賊たちの姿であった。

 当時はまだ魔法が未完成であり、彼らは成れの果てと化してしまった。しかし彼らを動かすことには成功した。

 性格に言えば、彼らの本性を駆り立て、自然に動かすことに成功したのだ。

 大々的に王都へ攻め込みたい。その気持ちが盗賊たちの足を、自然と動かしたのである。

 ライザックにとっても、あの展開は予想外だった。

 そこら辺を歩いている冒険者や魔物にでも襲い掛かってくれれば――としか思っておらず、自分で仕掛けておきながら、その結果には大いに驚いたモノだった。

 勿論ある程度の予測はしていた。しかしそれを確かめようにも、成れの果てでは喋ることもままならない。

 それから数ヶ月、研究の成果がここでようやく実現された。

 ラッセルに仕掛けた魔法が、彼の本心を掘り起こした。そしてそれが日に日に定着しているのだ。

 この定着しているというのが、ライザックからしてみれば重要な部分であった。


(あくまで僕は闇を仕掛けただけに過ぎない。流石に仕掛けて操るまでの芸当を持ち合わせてはいない。ラッセル君も、闇に抵抗ぐらいはできたハズだった。どんなに凄い魔力でも、人の心を完全に掌握することは不可能なのだから)


 勿論、最初から決めつけていたわけでもなかった。研究を積み重ねていけば、心を操る術もあるのではないかと。

 しかし分かってしまった。仕掛けることはできても操るのは無理だと。仮にできたとしても、それは一時的な効果でしかないと。

 目指していたモノに届かない。そんな挫折を味わう一方で、ふとライザックは思い出したのだった。

 そもそも心というのは、綺麗さと汚さの両方を兼ね備えるモノではないかと。

 どんなに正義を貫こうとしていても、その裏には必ず醜い悪が眠っているハズではないと。

 その仮説は間違っていなかった。そしてそれを最高の形で表現してくれたのは、他ならぬラッセルだったりする。

 スフォリア王都でも、彼は必死に正義の味方を貫き通そうとしていた。しかしそれも全ては、醜い自分を必死に押し隠すためだったとしたら。

 なんとなくライザックは、そんなことを考えていた。


「もしも彼が、最初からこちら側にいたならば……さぞ幸せだったでしょうね」


 かわいそうな男だと、かなり真剣にライザックは思った。そしてすぐに吹き出すように笑い出す。


「つまらないことを考えてしまいましたね。僕もそろそろ動きましょうか」


 そう呟きながら歩き出し、ライザックもまた、闇の中へと消えていくのだった。



 ◇ ◇ ◇



 エルフの里では、ブレンダが重傷を負って運ばれたという話題が、冒険者たちの間で持ちきりとなっていた。

 里でもかなりの人気を誇るだけあって、彼女を心配する声はとても多い。看病を手伝わせてほしいという女性冒険者の姿も多く見られた。

 言葉だけ聞けばありがたいのだが、頬を染めて鼻息を荒げて興奮している様子からすると、やはりどうしても不安しか残らず、丁重に断るほかなかった。

 色々な意味で、男女問わず人気が高いことを再認識しつつ、アリシアたちは屋敷で看病がてら待機をしていた。

 今はレドリー率いる偵察隊が、ラッセルの居場所を探っている。焦らずに待つしかないとセルジオに言われていたためであった。

 頷いてはいるものの、納得しているかどうかは、全くの別問題であった。


「くそっ! すぐにでもあのバカ野郎をブン殴ってやりてぇのによぉ……」


 床に胡坐をかいて座るオリヴァーは、拳をドンと床に叩きつける。ちょうど水を入れ替えた洗面器を持って、ジルが後ろを通りかかる。


「落ち着きなって。気持ちも分かるけどさ。今は待つしかないよ」

「……そんなこたぁ分かってるよ」


 急に熱が冷めたかのように、今度は落ち込んだ声でオリヴァーが言う。

 ジルは大きなため息をつきながら、両手で持っている洗面器をブレンダの眠っている部屋へ運ぶ。

 水を入れ替えた洗面器にタオルを固く搾り、ブレンダの汗を丁寧に拭っていく。

 するとブレンダが、目を閉じたまま口を開いた。


「すまんな……苦労を掛ける」

「あ、起きてたんですか? 大丈夫ですよ。そのまま休んでてください」


 ジルが笑いかけると、ブレンダはうっすらと目を開け、弱弱しい声で問う。


「マキト君たちは、まだ帰って来てないのか?」

「……えぇ」


 落ち込んだ表情でジルが頷く。するとブレンダは手を伸ばし、そっとジルの腕に触れつつ笑みを浮かべる。


「そんな顔をするんじゃない。彼らはきっと無事だ。少しは信じてやらんか」

「し、信じてますよ! それでも心配するぐらい良いじゃないですか!」

「はは、それだけ元気があるなら、大丈夫だな」


 思わず声を荒げるジルに対し、ブレンダは小さく笑い声を上げる。その反応に、ジルは拗ねたような口調で呟くように言った。


「まったくもう……ブレンダさんこそ、思ったより元気そうに見えますけど?」

「どうだかな。少なくともまだ、上手く起き上がれそうにはないよ。それにしてもキミでさえその様子とは……アリシア君はどれだけ心配してるのだろうな」


 ブレンダの脳裏には、マキトのことが心配で食事も喉を通らないアリシアの様子が浮かんでいた。

 実際あり得そうだと思っていた。アリシアがマキトに対して特別な気持ちを抱いていることは、スフォリア王都でも感じていたからだ。


「あー、それなら恐らく大丈夫かなーと。多分それどころじゃなさそうですから」

「どういうことだ?」


 ジルの軽い口振りからしても、自身の予想が外れたことがよく分かる。ブレンダが殆ど反射的に問い返すと、今度は少々言いにくそうに、ジルは隣の部屋に視線を向けながら言った。


「アリシアは今、別の部屋でコートニーから話を聞いてるんです。マキちゃんのことで、コートニーが話したいことがあるって……」


 どんな内容なのかは、ジルも聞いていなかった。マキトの個人的な事情故に、あまり軽々しく話したくないと言われたのだ。


「そうか」


 きっとそれなりに大事な話なのだろうと察し、ブレンダは短く頷いた。


「お前もそろそろ休んだほうが良い。私も休ませてもらおう」

「分かりました。何かあったら呼んでくださいね」

「あぁ」


 ジルがランプの明かりを小さくしつつ、部屋を後にする。

 次第に意識がボンヤリとまどろんでいく中で、ブレンダは改めてマキトの無事を案じるのだった。



 ◇ ◇ ◇



 隣の部屋にて、コートニーとアリシアに、マキトの出生の秘密を話していた。

 スフォリア王都で、自分がこの世界の生まれかもしれないと、マキトは自分の口から明かした。それがこの里に来てハッキリしたため、過去に関係性がありそうな彼女には話しておこうと思ったのだ。

 口止めは特にされていないし、なにより彼女は、マキトとずっと一緒に旅をしてきたのだ。聞く権利は十分にあるだろうと、コートニーは思っていた。

 と言っても話す内容は、実のところそれほど多くない。

 ずっと抱いていた疑惑が真実となって晴れた、と言ったほうが正しいだろう。

 アリシアも最初は驚いていたが、途中からは納得するかのように頷く反応を見せることが多くなっていた。

 そして、コートニーからの話を全て聞き終えた時、アリシアは満足そうな笑みを浮かべていた。


「そういうことだったんだね。ありがとうコートニー。話はよく分かったよ」


 スッキリとした口調でアリシアは言った。とても十数分前まで、倒れそうなほど心配していたとは思えないほどに。

 そのことに戸惑いつつも、コートニーが何かを言おうとしたその前に、アリシアが先に口を開いた。


「この件が落ち着いたら、私からもマキトに話してみるよ。本人抜きで話すのも気が引けるし」

「でもマキトは……」


 その先の言葉が出ないコートニーだったが、アリシアは仕方ないなぁと言わんばかりにため息をつき、まるで弟を慰める姉のような声色で言う。


「大丈夫。絶対に無事だよ。なんたって魔物ちゃんたちが一緒なんだから」


 アリシアはコートニーの肩に、ポンと優しく手を置いた。そして今一度、ニッコリと元気づけるために笑顔を見せる。

 その表情に安心感を覚えたコートニーは、自然と笑顔を浮かべ、そして小さく頷いていた。


「うん、そうだね」


 コートニーの表情から不安が消え、アリシアも満足そうにうんうんと頷いた。

 ここで話が終了し、明日に備えてお互いにそれぞれ休むことに決まった。

 アリシアは割り当てられた部屋に戻りながら、改めてコートニーから聞かされた話を思い出す。


(マキトはやっぱり、あの時の男の子だったんだね……そっか、そうだったんだ)


 自然と笑みが浮かんでくると同時に、アリシアの中で記憶が蘇る。

 十年前、森の中で出会った、一人の男の子との物語を――――


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