第五章 エルフの里

第八十八話 不思議なウワサ



 エルフの里は緑の森に囲まれた小さな集落である。

 町や村ではないため地図にも載っていないが、集う人々の数は多い。冒険者や兵士の修行場所としても有名だからだ。

 自然から溢れ出る魔力が特に満ちているこの場所を目指して、魔導師や魔法剣士が旅をしてくることは、もはや当たり前と化していた。圧倒的にエルフ族が多いが、人間族や魔人族の姿もチラホラと見られる。

 多くの人が集まるため、行商にとっても貴重な稼ぎ場所となっていた。

 結果として、毎日のように物資が運ばれてくることになり、もはや小さな観光名所といっても過言ではない。

 そんな里の一日が、今日も賑やかに始まろうとしていた。


「今日はいつもよりたくさん穫れたぞー!」


 大量の野菜を積んだ数台の荷車が、集落の中央に運ばれてくる。

 その瞬間、里の人々や朝練を終えて戻ってきた冒険者たちが群がってきた。


「本当にスゴイな……こりゃあ食べごたえがありそうだ」


 朝練帰りの魔法剣士の男が、タオルで汗を拭きながら荷車の中身を覗き込む。そこに体格の良い一人のエルフ族の女性が歩いてきた。


「アンタら、朝から元気だねぇ。こんなにたくさん収穫できたのかい。こりゃオバサンもいっちょ頑張ろうかね。体を元気にする、あったかいスープでも作ってやるさ」

『おぉっしゃあーっ!』


 胸をドンと叩きながら笑顔を浮かべる女性に、男たちは大歓声を上げる。やはり美味しい料理が食べられるのは嬉しいのだ。

 おまけに彼らは皆、良い運動をして空腹となっている。美味しい料理に飛びつかない理由がなかった。


「よーし、それなら手伝うぜ。まずは川から水を汲んでこよう。あとは、湧かすための薪も用意しないとだな」

「じゃあ俺、ちょっとひとっ走り行ってくる」


 数人の冒険者たちが駆け出していくのを見て、女性は気分がよさそうに笑った。


「ありがたいね。アタシはその間に、家畜の様子でも見てくるよ」

「そっちも手伝うぜ。おーい、お前たちも手伝ってくれよ!」


 男の呼びかけに、朝練を終えて休憩していた男たちが集まってくる。

 こうして冒険者たちが里の人々を手伝うのも、エルフの里でのありふれた光景なのであった。

 自ら進んで手伝う理由は、主に美味しいご飯を食べるためである。やはり良い運動をするとしないとでは、食べた時の味も段違いというのが、冒険者たちの弁である。

 もっとも、単純に体を動かしていないと妙に落ち着かないという理由も、決して少なくはなかったが。


「そういえば、オースティン様がお目覚めになられたらしいぞ」


 左耳にピアスをした冒険者の男が、一緒にいる分厚いレンズのメガネをかけた冒険者の男に話しかける。

 メガネの冒険者は、驚いた反応を見せながら顔を上げた。


「本当か?」

「あぁ。昨日ここにやってきた行商から聞いたんだ」


 一週間ほど前に、スフォリア王都で起こった魔物襲撃事件。

 黒幕の一人がミネルバ王女であり、オースティンが立ち向かって重傷を負ったという事実は、エルフの里の人々を大いに驚かせた。命に別条がなくとも、心配の声を出す者が後を絶たない。

 オースティンはそれだけ、里の人々から慕われているのだった。

 それ故に、彼が本当に無事だったことを知って、安心する声も増えてきていた。


「長老さんも凄いよな。王都のギルドマスターと協力して、たくさんの魔物をぶっ飛ばしたんだろ?」

「全く……衰えって言葉を知らないんじゃねぇかって、思いたくなるよな」


 メガネの冒険者に同意するかのように、ピアスの冒険者は苦笑する。


「俺としちゃあ、ブレンダさんが活躍したってのに、女たちがキャーキャー騒いでないのが不思議でならねぇんだがな」


 タオルで汗を拭きながら歩いてきたツンツン頭で赤髪の冒険者の男が、周囲を見渡しながら首を傾げる。

 里にいる女性冒険者の中には、ブレンダを心の底から尊敬する者も多かった。

 先日の事件でブレンダが活躍したことも、里にはしっかりと届いている。彼女のことを慕っている者からすれば、騒がずにはいられない内容のハズだ。

 しかし思いの外、殆どの女性冒険者たちは冷静であった。一部は確かに騒いだりしていたのだが、一言二言話した直後には、周囲が驚くほどに形を潜めていた。

 赤髪の冒険者は、それが不思議で仕方なかった。そんな彼の様子に、ピアスの冒険者は思い出したような反応を見せる。


「そっか。お前はずっと遠征でいなかったから、知らないのか」

「え、何のことだよ?」


 ピアスの冒険者は赤髪の冒険者に、数ヶ月前にサントノ王国で発生した事件のことを話した。シルヴィア王女がとある女性冒険者に熱を上げ過ぎたことがキッカケで、悪い魔力に憑りつかれてしまい、大騒ぎになったことを。


「その時ちょうど、ラッセルさんたちとメルニーさんもいて、巻き込まれちまったらしいんだよ。まぁ大事にならなかったらしいがな。それが正式に国から報告され、こっちにもしっかりと伝わって来たんだよ」

「なるほどな。女たちが冷静さを保とうとしてるのは、それが理由か」


 赤髪の冒険者は納得するかのように頷き、心の中で安心感を得ていた。

 ブレンダは手厳しくも頼れるカッコいいお姉さん剣士として、女性冒険者から絶大な支持を得ている。その影響で、女性冒険者が男性冒険者を下に見る傾向も、少なからず見られていたのだった。

 陰湿なイジメこそなかったものの、赤髪の冒険者からしてみれば、自然とやり辛さを覚えていた。クエストの遠征に誘われた時は、二つ返事で話に乗るほどだった。

 実力的に少し厳しいくらいであったが、それでも違う空気が吸えて、なおかつ冒険者の経験値を積み重ねられるならば、万々歳ではないかと、赤髪の冒険者は力強く断言していた。

 そして数ヶ月間、厳しい環境の中を生き抜いて、久々に戻ってきてみたら、なんだか様子がおかしいことに気づいた。

 セルジオに帰還報告も兼ねて事情を問いただしたところ、王都で事件が起こっていたことを、赤髪の冒険者は知ったのである。


(女どもは悔しそうな顔もしてたな。それでも口を出してこなかったのは、ブレンダさんからキツく言われていたから、ってところか?)


 赤髪の冒険者は里へ帰ってきたときの、女性冒険者たちの表情を思い出す。

 悔しさで醜く歪んでおり、無暗に触れれば爆発が起こる。それもどんな規模となるかが分からないほどに。

 別の意味でやり辛いと思いつつ、噛みついてこないだけまだマシなほうかと、赤髪の冒険者は内心でほくそ笑んだ。


(まぁそれも、ほんの少しの間になりそうな気はするけどな……)


 流石にずっとこのままなワケはないだろう。きっと数日後には元の光景が蘇っているに違いない。そう思った瞬間、赤髪の冒険者は思い出した。


「そういや俺も、不思議なウワサを聞いたんだ。なんかその事件には、セド様も関わっていたらしいんだが……」

「あぁ、それなら俺も知ってるが、別に不思議な話でもないだろ?」


 ピアスの冒険者がそう言うと、赤髪の冒険者が頷きながら口を開く。


「確かにそうなんだが、俺が言いたいのはそこじゃない。セド様が人間族の魔物使いの少年と仲良くなり、一緒になって事件解決に貢献したって聞いたんだけど……」

「それもどうやら本当らしいぞ。なんせ長老さんやブレンダさんも言ってたからな。特に長老さんが、その少年をいたく気に入っているようだ」


 赤髪の冒険者は、ピアスの冒険者の言葉に目を見開いた。


「……ウワサは本当だったってことか。ちなみにその少年が、珍しい魔物を従えているってのもか?」

「フェアリー・シップを従えているってのは聞いたが……お前なんか知ってる?」


 ピアスの冒険者がメガネの冒険者に尋ねると、メガネの冒険者は首を傾げて思い出そうとする素振りを見せる。


「カワイイ妖精と、炎を放つスライムを連れているってウワサなら聞いたな。スライムのほうは、恐らく亜種だろう。前にギルドで資料を見たことがある」

「また普通じゃない魔物ばかりだな……」


 正直なところ、赤髪の冒険者は最初、その話を信じていなかった。魔物使いの少年がいることはともかくとして、その少年が珍しい魔物を従えているというのは、デタラメな話に違いないと思っていたのだ。

 スライムの亜種ならまだしも、妖精とフェアリー・シップは、出会うだけでも困難を極めること請け合いだ。それを両方従えるというのは、相当の運が必要だろう。

 しかしどうやら、それも全て本当のようだと、赤髪の冒険者は思った。

 一体その少年はどんな人物なのだろうか。そう思っていたその時、メガネの冒険者が思い出した反応を見せる。


「そういえば、近々里に客人がくるって、ブレンダさんが言ってたな」

「へぇー、また視察か何かか?」


 赤髪の冒険者が訪ねると、メガネの冒険者が首を横に振る。


「いや、長老さんの知り合いらしいぞ。人間族と獣人族の少年二人組で、数匹の魔物を連れているって言ってたかな」


 それを聞いた瞬間、眉をピクッと動かしながら赤髪の冒険者は思う。


(今しがた話していた魔物使いなんじゃねぇのか? その客人ってのは……)


 しかし断定はできないことから、決めつけるのも早計かと思った。実際来た時に全て分かることでもあるため、この話は置いておこうと赤髪の冒険者は思った。

 その時、ふと周囲を見渡して気づいたことがあった。


「ところで話は変わるけど、長老さんの姿が見えないよな? いつもこの時間帯は、外に出ているだろ?」

「あぁ、そういえば確かにそうだな」


 ピアスの冒険者もメガネの冒険者も、改めて気づきつつ見渡してみる。

 セルジオは基本的に仕事が押していない限り、毎朝欠かさず外に出てくるのだ。散歩をするだけでなく、魔導師たちと一緒に魔法の特訓をすることも多い。朝練が終わる頃には、愉快そうな笑い声が聞こえてくるハズであった。

 しかし、今日に限ってはその声は全く聞こえてきていない。他の者たちもセルジオがいないという事実に首を傾げていた。

 そんな時、一人の里の若者が、薬草を積んだ大きな籠を持って歩いてきた。


「長老様なら、さっきお墓のある場所に行きましたよ」


 その言葉に三人は目を見合わせ、そしてその若者に赤髪の冒険者が問う。


「なんでまたそこに?」

「さぁ……誰かの命日なんじゃないですかね? 詳しくは分かりませんけど」


 そう言い残して、若者はそのまま薬草を運んで去ってしまった。

 三人は再び顔を見合わせて首を傾げる。本当に誰かの命日なのだろうか、そんな情報など聞いたことはない。それが三人の共通する意見であった。


(考えてみりゃ最近の長老さん、なーんか険しい表情で、色々考えたり調べたりしている感じだったな。何か悪いことが起こる前触れじゃなきゃいいんだが……)


 ピアスの冒険者は、地面を見下ろしながらこの数日を思い返す。

 スフォリア王都で大きな事件が起こっているだけに、不安は拭えなかった。絶対的に安全な場所なんてない。どこで何が起きたとしても不思議ではないのだ。

 エルフの里も決して例外ではないだろう。

 何せ特別に魔力が溢れている場所として有名なのだから、それに付け込んで何か企む者が出てくるかもしれない。それが露呈した場合、平和な里は瞬く間に戦場と化してしまうに違いない。

 自然と三人の間に、緊迫した空気が流れ出していたその時――


「アツアツのスープが出来たぞーっ! ハラ減ってるやつは集まれーっ!」


 お玉同士をカンカンとけたたましく鳴らしながら、とある冒険者が思いっきり叫ぶ。それを聞いた三人はポカンとした表情を浮かべ、そして愉快そうに笑い出した。


「ま、考えててもしょうがねぇや。俺たちもメシをもらいに行こうぜ」

「そうだな」

「頭使ったら俺、ハラ減っちまったよ」


 ピアスの冒険者の言葉に、メガネの冒険者が同意し、赤髪の冒険者がタオルをギュッと握り締めながら腕を突き上げて伸びをする。

 冒険者たちが群がるそこには、温かそうな湯気を出している大鍋があり、美味しそうな匂いが漂ってきた。

 三人のうちの誰かが、グゥと大きな音を鳴らし、それが再び三人を笑いに誘う。

 緊迫した空気は、もはや完全に吹き飛んでしまっていた。



 ◇ ◇ ◇



 そしてその日の昼頃――マキトたちがエルフの里に足を踏み入れた。

 これまで見てきた街並みとは全然違う、自然豊かな集落。賑やかだけどうるさくないその環境は、マキトにとって気分の良いモノだった。


「へぇ、落ち着いてて良いところだな」


 興味深そうに周囲を見渡しながら、マキトが感激するような声を上げる。

 すると、一人の女性が駆け足で近づいてくるのが分かった。


「ブレンダさん」

「やぁ。皆よく来てくれたな。元気そうでなによりだ」


 右手を軽く上げながら、ブレンダが笑顔を見せる。


「長老様もお前たちが来るのを、楽しみにしておられていたぞ。早速案内しよう」


 そう言って、ブレンダが先導する形で、マキトたちは里の中を歩き出す。

 昼時であるせいか、あちこちで食事の準備をしている姿が見られ、美味しそうな匂いがマキトたちの食欲を湧きあがらせる。

 特にスラキチやロップルは、既に腹ペコを極めており、マキトの頭や肩の上で脱力していた。そこに漂ってくる料理の匂いというのは、単なる凶器に他ならない。

 そんな二匹の様子に気づいたブレンダは、思わず苦笑してしまった。


「ははっ、どうやらまずは、食事にしたほうがよさそうだな。長老様からの話は、その後にさせてもらうよう頼んでみるよ」


 その言葉を聞いたマキトとコートニーも、揃って笑顔を浮かべた。


「ありがとう。実は俺たちも腹ペコでさ」

「思ったよりも魔物が少なくて、狩りとかもあまりできなかったんだよね」

「そうか。恐らくは先日、王都で起こった騒ぎが原因だろうな」


 王都に雪崩れ込んできた魔物の多くは、冒険者や兵士たちによって倒された。つまりその分だけ、外の魔物の数が減ってしまっているのだ。

 魔物の脅威が少なくなる、という点では確かに良いのかもしれない。しかし旅をする冒険者からしてみれば、野生の魔物は貴重な食料でもあるのだ。

 携帯食料などを十分に装備して旅立ったとしても、それだけで一週間食いつなぐというのは厳しすぎる。やはり旅を生き抜くには、どうしても狩りは必要不可欠。魔物の肉でタンパク質を補給することが、どれほど大切なことか。

 この一週間で、マキトたちはそれを嫌というほど味わったのであった。


「あそこが長老様のお屋敷だ。まずはたくさん食べて、旅の疲れを癒すことだな」


 里の奥に建っている木で作られた大きな屋敷に、マキトたちは案内される。

 何人かの冒険者たちが、魔物を連れているマキトに注目していたが、当の本人たちは全く気づくことはなかった。


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