第二十九話 シルヴィアの狂愛



 突如現れた謎の獣人族の少女に、マキトと魔物たちは戸惑っていた。

 アリシアとジルが恐怖を感じていることに疑問を抱いていると、ジルが表情を青くしながら、マキトたちにヒソヒソ声で話しかける。


「あの人はシルヴィア様。サントノ王国の第二王女よ」

「えっ、王女様? マジかよ?」


 ジルから教えてもらったマキトは、突如現れた女性の正体に驚愕する。

 自分で言っておきながら、驚くのも無理はないとジルは思った。流石に王女様が突然こんなところに姿を現すとは思わないだろう。もし自分がマキトの立場だったなら、同じように驚いていたハズだから。

 それとは別に、ジルはジルで驚くと同時に疑問を抱いていた。一体どうしてこの場所が分かったのだろうかと。

 アリシアと二人でこの森に逃げてきたのは、本当に気まぐれだったのだ。誰かが予想した話を聞いたのだとしても、こんなに早く嗅ぎつけてくるとは完全に予想外だった。

 そしてそれはアリシアも同じらしく、驚きで口をパクパクさせており、話すこともままならない状態であった。

 ここでシルヴィアに疑問をぶつけたのは、表情を引きつらせたマキトであった。


「つーか、その王女様とやらが、どうしてこんなところに?」

「簡単な話ですわ。私のお姉さまに対する『愛の心』が、私をこの場へと導いてくれたまでのこと。この世の女性ならば、誰もが持ち合わせているモノですわ!」


 当然の話だと言わんばかりに、シルヴィアは高らかと言い放つ。

 瞬間的に物音が消え、その叫びが見事に木霊して響き渡る。アリシアもジルも、そしてラティたち三匹も、揃って口をポカーンと開けて絶句していた。

 そんな中、マキトの比較的冷静な声が、アリシアに向かって投げかけられる。


「……あー言ってるけど、女って皆そーゆーもんなのか?」

「イヤイヤそんなワケないからね? 少し考えればそれくらい分かるでしょ?」


 マキトと魔物たちが揃って首を傾げる姿に、アリシアが思わず声を荒げる。すると、どこか誇らしげに胸を張りながらマキトは言った。


「だって俺、動物と魔物以外にあんま興味ないし」

「あ、あのねぇ……」


 サラッと言い切るマキトに、アリシアは項垂れる。するとそのアリシアの姿を見て、シルヴィアが嬉しそうに笑い出した。


「もうお姉さまったら、照れていらっしゃるのですね? ですが、そんなお姉さまも実に可憐でお美しゅうございます……あぁ、実にたまりませんわ!」


 両手を頬に当てながら、シルヴィアがクネクネと悶える。もはや会話が成り立つとは思えない状況の中、マキトは一つの疑問が浮かんだ。

 流石にないと思いたかったが、もしかしたらという可能性もある。自身の予想に少し恐怖を覚えながらも、マキトは真剣な表情で、アリシアに質問を投げつける。


「……アリシアはあの王女様と友達なのか?」

「違います! ぜえぇっっったい、違いますっ! 断じてあり得ませんからね!」


 間髪入れずに強く否定するアリシアに、マキトは心の中で安心した。すると今度は、シルヴィアが涙を浮かべながら、悲しそうな声を出してくる。


「そんな……酷いですわ、お姉さま! お姉様は私との運命的な出会いを忘れてしまわれたのですか?」


 目に涙を溢れさせながら、シルヴィアが腹の底から目一杯の力で叫び出す。

 その姿はまるで、悲劇のヒロインをイメージさせる。姿だけならば、同情できる部分が少しはあったかもしれない。

 しかしマキトたちは、シルヴィアに対して『コイツ何を言ってるんだ?』と、まるでアホの子を見るような視線を向けていた。当然ながらそのような視線に、シルヴィアは全く気づいていなかったが。

 とりあえずまだ分からないことだらけなので、マキトはアリシアに質問をする。


「泣くほど感動的な出会いだったのか?」

「むしろ私からすれば、衝撃的な出会いでしかなかったかな」

「まぁ、それにつきましては私も同感でございますわ! これはすなわち、衝撃という名の運命ということなのですね!?」

「……もはや何言ってるのか、全然分かんなくなってきたんだけど」


 マキトのツッコミに対し、アリシアもジルもよくぞ言ってくれたという気持ちに満ち溢れるが、言ったところで全く意味は成さないんだろうなぁとも思っていた。


「ちなみに王女様とは、どのようなことがあったのですか?」


 ラティの質問に、今度はジルが口を開く。


「えっとね……あたしたちのリーダーがシルヴィア様と模擬戦をして、終わった後になんか知らないけどこうなったみたいな……そんな感じ?」

「……何であんなに暴走してるんだ?」

「分かんないよ! むしろあたしたちがそれを聞きたいくらいなんだよ!」


 呆れ果てたマキトに向かって、ジルは感情的になる。ラティとアリシアがなんとか落ち着かせつつ、マキトが引きつりながらも、一言ゴメンと謝罪した。

 そんな彼らの様子を、実に面白くなさそうに見下ろしてくる視線が一つ。それに気づいたマキトたちは、ゆっくりとその方向に視線を向けた。


「……ところでさっきから、随分と馴れ馴れしく口を挟んできてますが……そこの人間族のあなた! お姉さまとは一体、どういうご関係ですの!?」


 地の底から這いあがってきたと言わんばかりの低い声。どう見てもシルヴィアが怒り狂っているようにしか見えない。

 下手なことを言った瞬間、地獄行きが確定してしまうのはもはや明白。マキトもそれを悟っており、どう答えるべきか必死に考えていた。

 かつてないほどの緊張感が漂う中、マキトは恐る恐る口を開く。


「えーっと……さっき知り合ったばかりの人かな」

「随分と冗談がお上手なのですわね。私には全てお見通しでしてよ?」

「いや、オミトオシって何がさ?」


 ありのままの事実が見事に一蹴されてしまい、マキトはどうすれば良いんだという気持ちとともに脱力する。

 すると、シルヴィアが目を細めてサーベルを構えだし、その刀身を光らせる。


「どうやらこれ以上話していても、時間の無駄にしかなりませんわね……私の剣を持って、人間族のあなたに捌きを与えて差し上げます!」


 ジャンプしたシルヴィアは、そのまま数本のナイフを左手で抜き出して、ジルに投げつける。すかさず横方向に飛んで躱したジルだったが、マキトたちと少しだけ距離が離れてしまった。

 その隙をついて、シルヴィアがマキト目掛けてサーベルを突き出し、猛スピードで迫ってくる。命を奪おうとしていることは明白であった。アリシアは魔法を放とうとするが、詠唱が間に合いそうにない。そしてジルも距離の関係で、助太刀が厳しいと判断せざるを得ない。

 それを瞬時に悟ったマキトはロップルと顔を見合わせる。次の瞬間、ロップルの鳴き声が淡いオーラのヴェールを生み出し、マキトの体をすっぽりと包み込んだ。

 その直後に、シルヴィアの突き技が放たれた。サーベルの刃がマキトの体を貫通させようとしたところで――――



 ガキイィィーンッ!!



 金属の鈍い音が周囲に響き渡る。サーベルがへし折れてしまったのだ。

 傷一つないマキトの姿と、折れた剣先を交互に見つめながら、シルヴィアは目を見開いていた。今しがた起きた現象が、現実に起きたことなのか。これは夢ではないのかと思いながら。

 アリシアとジルは、二人揃って目を見開いていた。フェアリー・シップの能力については未だ未知数であり、その片鱗を目の当たりにしたのだ。刃をへし折るほどの力だとは、流石に予想だにしていなかったが。

 もはや折れたサーベルは使い物にならない。愛する者の目の前で、無様に晒してしまった敗北と屈辱。今までの人生で一度たりとも味わったことがなかった。

 そんな気持ちがドス黒く渦巻きながら、シルヴィアの心を埋め尽くしていく。


「あ、ありえませんわ……こんな……こんなことじゃ私は、お姉さまに……」


 サーベルの柄を持つ右手はガタガタと震えている。目の焦点は定まっておらず、瞳孔も開いていることから、我を見失っていることが分かる。

 シルヴィアの視界が白くなっていき、そしてやがて黒くなっていった。


「お姉さま……おねえさまああぁぁーーーーっ!」


 シルヴィアの叫び声に対し、森の祠から強い光が宿り出した。

 光は黒い靄となり、シルヴィアを包み込んでいく。綺麗な白い肌が薄黒くなり、血走った目は更に真っ赤に染まっていく。叫ぶような笑い声は、まさに狂人を連想させる。

 誰がどう見ても、今の彼女は危険極まりないとしか思えないほどであった。


「な、なんだよアレ? 今度は何が起こったっていうんだ?」

「恐らく祠に封印されていた魔力の仕業ね。まさか人を乗っ取るだなんて……」


 アリシアの頬を、一筋の冷や汗が流れ落ちる。混乱気味だったマキトもなんとか落ち着きを取り戻しつつ、魔物たちとともにシルヴィアを見据える。

 嫉妬に狂っていたさっきまでとは偉い違いであった。少しでも動けば、瞬く間に命を奪われてしまいそうだと思えてくる。

 体の震えが止まらず、冷や汗がとめどなく噴き出してくる。尋常じゃない恐怖感に、マキトたちは押し潰されそうになっていた。

 それでもなんとか両足を踏ん張って耐え凌ぎつつ、目の焦点が全く合っていないシルヴィアから目を離さないでいた。


「オネエサマ……ワタクシの愛を……存分に受け止めてクダサイましィッ!」


 体中から黒いオーラを大量に噴出させながら、シルヴィアは狂ったかのように、再び笑い出すのだった。



 ◇ ◇ ◇



「人を操る魔力……よもやそのようなモノが存在していたとは……」


 ダグラスとメルニーが、南の森へ向かう馬車の中で話している。

 森の祠には禍々しい魔力が封印されている。その話をダグラスはすぐに信じようとはしなかった。何故なら全く聞いたことがなかったからだ。

 駆け出しの冒険者を守るために建てられたと聞かされていたが、それは真実を隠すための作り話だったらしい。その話が事実であると国王からも告げられ、ダグラスは頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けるのだった。


「被害は数十年前にも起こっています。大混乱に陥れた闇の魔力を、森の賢者様と協力して、祠に固く封印したと。それが今の、南の森の祠だという話です」


 メルニーのとある言葉に、ダグラスはピクリと反応する。


「その森の賢者様とは……まさか?」

「えぇ。遠い北の大森林に住んでおられる、ユグラシア様のことです」

「なんということだ。私も長くこの地にいるが、まだまだ知らないことがたくさんあるようだ……」


 驚きと感動と恥ずかしさが入り混じり、ダグラスは苦笑を凝らす。そこでふと、彼の中に一つの疑問が湧いた。


「しかしどうして、そのような危険なモノを南の森に……」

「その魔力が人を操る条件は、対象者が強い魔力を秘めていることです。サントノ王国で生まれ育った方は、多くが魔力を所持しておりませんから、封印する場所としては最適だったのかもしれません。無論、他国から訪れる方もいらっしゃいますから、何かの拍子で封印が解かれないよう警戒する必要もありました。私のようなエルフ族の宮廷魔導師がサントノ王国へ来るというのは、その監視のためでもあるのですよ」

「そんな理由が……てっきり私は、王国同士の繋がりを保つために、過去の両国王がお決めになられたことだと、そう思っておりましたが……」


 心の底から驚いているダグラスに、メルニーは苦笑を浮かべる。


「えぇ、確かにそれも当たってはいますけどね。もう何十年も続いてきたことですし、わざわざ公表することもありませんから、ダグラスさんがご存じないのも無理はないと思います。下手に話しても、周囲を不安にさせてしまうだけですからね」

「そうでしたか。そのお心遣いは、本当に感謝いたします」


 ダグラスの表情にようやく笑みが宿った。実は今も内心で否定していたのだが、認めるしかないと受け止めた。

 頑なになっていた自分が恥ずかしいと思っていたその時、途轍もなく嫌な気配がダグラスたちの体内を通り抜けていった。


「今の気は……まさか?」

「えぇ、間違いなく南の森からでした。急ぎましょう。シルヴィア様の魔力で、封印が解かれた可能性があります!」


 焦りが含まれたメルニーの言葉に、ダグラスは表情を強張らせる。


「そんなバカな! シルヴィア様は魔力なんて……」


 寝耳に水であった。いや、それ以前の話だと言いたかった。

 シルヴィアが魔法を扱っている姿など見たことがない。あるとしたら、サーベルを振り回している姿ぐらいだ。いや、それはそれで王女としてはどうかと問い詰めたくはなるが、今の問題はそこではない。

 そう思ったダグラスは、無意識に頭を横に振りつつ、改めてメルニーを見る。その表情はとても真剣なそれであり、ふざけている様子は微塵もない。本当であると思わざるを得なかった。

 そして更に畳みかけるかの如く、メルニーはダグラスにハッキリと告げる。


「これはまだ極秘の情報ですが、シルヴィア様には魔力の才能が眠っております。それも類い稀なるほどに。普段は全く心配はありませんが、自身の精神が不安定になればなるほど、その魔力が目覚めて暴走してしまう危険性があるのです。この際ですからハッキリと申し上げますが、今の彼女は歪んだ欲望に満ちております。だからこそ尚更だと言えるんですよ」

「……なるほど、確かにそれなら納得です」


 手綱をギュッと強く握りながら、ダグラスは頷いた。

 予想だにしていなかった急展開をなんとか受け止めながら、一つの疑問が浮かんだので聞いてみることに。


「……このお話は、国王には?」

「既に報告済みです。これから時間をかけて、シルヴィア様に魔力の手解きをする予定でした。それがまさか、このような事態に陥るとは……」


 そのメルニーの言葉で、今度こそダグラスは心から悟った。

 彼女がサントノ王宮へ来てくれたのは、宮廷魔導師の務めや祠の封印をチェックするためだけではなかった。国王が常に懸念していたことを考えれば、実に納得できるというモノだ。

 シルヴィアの第二王女としての教育。それが一番の目的だったのだと。

 無論、これはあくまでダグラスの個人的な憶測に過ぎないが、あながち間違ってはいないと、妙な自信があった。


「話はここまでにしておきましょう。今は一刻も早く、姫様をお救いせねば!」

「はい!」


 ダグラスは御者に急ぐよう命じ、馬車はスピードを上げるのだった。

 そしてその頃、南の森の入り口では、先に到着していたラッセルとオリヴァーが表情を引きつらせていた。


「これは……魔力の気配? それも尋常じゃない邪悪さだぞっ?」

「もしかしなくてもヤベェんじゃねぇか? 深入りは止めたほうが身のためだぜ。こっちは二人しかいねぇんだからよ」

「それでも確認しないわけにはいかないだろう。これはダグラスさんからの指示でもあるんだぞ!」


 ラッセルの真剣過ぎる表情に、オリヴァーは溜息をついた。

 もはや聞く耳など全くもっていない。いくら危険過ぎると説得しても、一歩たりとも引かないことだろう。長い付き合いであるが故に、嫌でもそれが良く分かってしまうのだった。


「……しゃあねぇな、わーったよ。その代わりヤバそうだったら、気絶させてでもお前を連れて逃げ帰ってやるからな!」

「それでいい。行くぞ!」


 ラッセルの掛け声に、オリヴァーも改めて表情を引き締める。二人は禍々しい気配が溢れる森の中に、堂々と飛び込んでいくのだった。


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