第十六話 魔物使いとテイムの印



「さーて……それでは一つ、取り調べを始めていきましょうか♪」


 狭くて薄暗い部屋に、小さな一つのテーブルを挟んで、闇商人とエステルが向き合う形で座っている。

 エステルの表情は輝かしい笑顔に対し、闇商人はビクビクと怯えていた。

 目の前の笑顔が怖くて仕方がない。どうしてこんなにも笑顔に対して恐怖を感じるんだろう。盗賊の親分のような威圧感もないというのに。

 そんな考えが、闇商人の頭の中をグルグルと渦巻いている。もはやここから生きて出られる自信すらなかった。

 いっそひと思いに壊してほしい――闇商人が唇をキュッと結んだ瞬間、エステルのメガネがキランと光る。

 その瞬間、闇商人はビクッと体を震わせた。周囲にいる兵士たちも同じ反応を示していた。しかしエステルは、その闇商人の反応に疑問を示していた。


「どうしてそんなに怖がるんですか? ただ僕の質問に答えてほしいだけですよ。さぁ肩の力を抜いて、ゆったりとした安らぎを思い出してください」


 思い出せるかあぁっ!

 そんな周囲の心の声が一致した。ネルソンに至っては、手のひらで目を覆いながら、天を仰いでいる。

 それと同時にネルソンは、別の意味で針のムシロな気分を味わっていた。

 周囲の兵士たちが訴えるような視線を向けてきているのだ。どうしてアナタはこの人をここに連れてきたんですかと。

 ネルソンがチラリと視線を向けてみると、ブルブルと震えながら涙を流している兵士を見つけた。

 流石に怖がり過ぎではないかと一瞬だけ思ったが、自分はエステルとは長い付き合いということもあり、色々と慣れてしまっている。彼がこの王宮に勤めて日が浅いのだとしたら、エステルの姿に戸惑うのも無理はないだろう。

 そう思いながらネルソンは、ひっそりとため息をつくのだった。


(あー、やっぱ連れてくるんじゃなかったかなぁ……)


 とはいえ、ネルソンも後悔したところで遅いことぐらいは分かっていた。

 このまま取り調べを始めるしかない。エステルをどうにか少しでも抑えるのが自分の役目だと、それがこの男をここに連れてきてしまった自分の責任だと、ネルソンはそう思うのだった。


「さぁボチボチ行きましょうか。大丈夫ですよ、僕に全てを委ねてくださいね♪」

「ひいいいぃぃーーっ!?」


 再び眼鏡を光らせ、怪しげな笑みを浮かべるエステルに、闇商人は思わず奇声を上げてしまう。

 本来ならば、静かにしろと押さえつけるところだが、誰もできなかった。

 そりゃそうなるよなぁと、ネルソンを含む兵士たち全員がそう思っており、むしろ押さえつけるのがかわいそうになっていたのだ。

 兵士や騎士団長として、軽く仕事を放棄していることも自覚している。

 今回の取り調べは、色々な意味で特別なモノであることを、ネルソンと兵士たちは視線を交えながら認識するのだった。


(さてさて、どうなることやら……)


 闇商人の奇声とエステルの不気味な笑い声を聞きながら、まるで既に現実逃避をしているかの如く、ネルソンは思うのだった。



 ◇ ◇ ◇



 一方その頃、マキトたちはラティの特訓を行っていた。ラティの変身をもう一度見てみたいということで、色々と試しているのだ。

 マキトに話したときのコートニーは、とても興奮していた。スラキチやロップルも同じであり、さぞ驚くような光景だったのだろうと、マキトは予測していた。

 ラティが自由に変身ができるようになれば、より安全な旅ができる。コートニーからそう言われたマキトとラティは、なんとか変身能力をモノにしようと頑張ってはいるのだが、未だ成果は出ていないのだった。


「うぅ……疲れたのですぅ」


 ラティはフラフラと下降していき、やがて地面にペタッと落ちた。

 朝から何時間もぶっ通しで特訓していたのだから、力尽きるのも無理はない。そう思ったマキトは、コートニーに提案する。


「少し休憩しようぜ。ちょうど昼飯時でもあるだろ?」

「そうだね。じゃあご飯でも食べようか」


 コートニーのその言葉に、魔物たちは嬉しそうな声を上げた。

 スラキチもロップルも、それぞれ技の練習をしたり、あちこち走り回っていたりしていたので、疲労と空腹感も程よい感じとなってきていたようだ。

 食事をしている間、平原はとても静かであった。

 魔物の姿もチラホラと見られるが、襲ってくる気配はなく、ただの通りすがりという感じで、気が付いたら姿を消していた。食事の際に、食べ物の匂いにつられて近づいてくることもなかったのは、少し意外なところでもあった。

 ふとマキトは、ラティの変身について、一つ気になっていたことを口に出す。


「妖精の変身って、何で全く知られてないんだろ? そんなに凄いんなら、有名になっててもおかしくなさそうだけど……」

「うーん、そうだねぇ」


 皿や携帯食料などを取り出しながら、コートニーが少し考えて答える。


「知る機会に恵まれなかったっていうのが、一番の理由だろうね。そもそも妖精が人前に出てくることなんて、滅多にないワケだからさ」

「あ、そういやそうだったな」


 完全に忘れていたマキトであったが、考えてみれば無理もない話であった。

 なにせこの世界に来て、最初に見た魔物が妖精だったのだ。マキトからすれば、毎日当たり前のように見ている存在でもあり、滅多に見られないという事実が薄れてしまっていたのだ。

 改めてマキトは考えてみる。珍しい魔物を連れていて、なおかつその魔物が珍しい能力を使っていることを知られたら、果たしてどうなるのか。それを想像するのは、実に簡単なことであった。

 コートニーも同じことを考えており、水筒のお茶をカップに注ぎながら言う。


「能力の知名度を抜きにしても、今度ラティが狙われる可能性も否定できないかもね。盗賊だけじゃなくて、普通の冒険者から目をつけられることだって、もしかしたらあるかもしれない」

「戦力の増強みたいな感じで?」

「もしくは、見た目の可愛さを補強するためとかね」


 カップのお茶を飲みながら、コートニーが言う。


「珍しい魔物を従えているだけで、周りからの印象も変わってきたりするからね。自分たちの株を上げるためなら、手段を選ばない冒険者も珍しくないし」

「マジかよ。えげつこともあるもんだなぁ……」


 げんなりするマキトの前に、ラティが気合を込めた笑顔を向ける。


「だったら迷うことなんてないのです。わたしたちがもっと強くなれば、それだけで済む話ですから。マスターの名を汚さないように頑張るのです!」


 ラティの声に、スラキチもロップルも威勢よく声を上げる。どうやらその通りだと同意しているようだ。いかにマキトのことを慕っているかが良く分かる。

 更に付け加えるかのように、ラティはマキトに言う。


「ですからマスターは、ドーンと胸を張って構えてれば良いと思いますよ? そんなに心配しなくても、わたしたちがマスターから離れることなんてありえませんから。この額の紋章が、なによりの証拠なのです!」


 ラティのその言葉に、マキトはハッとした表情を浮かべ、そして呟く。


「そっか……そういえばそんな印があったな」

「え、どうかしたのですか?」


 首を傾げて尋ねてくるラティに、マキトが答える。


「いや、そのマークがあるんだったら、狙われる確率も低いのかなって思ってさ。だってそうだろ? 魔物使いがテイムした証拠になるんだから」


 それでもラティにはよく分からず、ただただ首を傾げるばかりであった。


「テイムの印と確率の低さって、何か関係があるのでしょうか?」

「あるんじゃないかな。……なんとなくだけど」

「って、なんとなくですか?」


 マキトはどうやら、それほど深く考えて言ったわけでもなさそうであり、ラティは思わずガクッと力が抜けて項垂れてしまう。

 しかしそこで、コートニーは何かに気づいたかのような反応を見せる。


「……いや、マキトの言ってることは、意外とあり得るかもしれない」

「そうなのですか?」


 聞き返すラティに対し、コートニーは頷いた。


「考えてもみてよ。もし仮に誰かがこの子たちを奪ったとしても、今度はその誰かが、周りの人たちから魔物使いだと思われかねないんだ」

「確かにこのマークがあれば、普通はそう見えるよな」

「魔物使いは誰も避けたがる職業としても有名だからね。盗賊ならまだしも、冒険者はむしろ狙わないかも。変な目で見られることを避けるって意味でもね」


 要するに、テイムされた魔物を連れているだけで、周囲からマイナスのイメージが付きかけないということになるのだと、マキトはそう解釈した。

 善悪抜きにして、好奇心で自分に近づく者も多くないかもしれない。しかしそれならそれで良いとも思った。下手に絡まれて面倒な展開になることを考えれば、魔物たちとのんびり過ごしたほうがずっと楽しい。そう結論付けたマキトは、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべていた。


「だとしたら、このままギルドへ行っても、そんなに問題はないってことか?」

「多分ね。まぁでも、用心するに越したことはないと思うよ。悪い人たちに狙われない保証が消えたわけじゃないからね」


 ラティたち云々にかかわらず、盗賊などの悪者は何を狙ってくるか分からない。冒険者として用心するのは、至極当然のことだと言えた。

 それを再認識したということで、マキトたちは話題に一応の区切りをつける。

 思いっきり深呼吸をしながら伸びをしつつ、マキトは西に見える大きくて立派な鉄橋に視線を向けた。

 シュトル王国とサントノ王国を結び付けている『国境』である。


「国境ってここから見ても大きいけど……あそこまではまだ遠いんだよな?」

「このままいけば、明日の朝には着けると思うよ。そこから徒歩で一日かけて渡るって感じかな。橋の距離が長いから、どうしてもそれぐらいはかかるんだよ」

「なるほどねぇ……まぁそれならそれで、別にいいよな。急ぐ旅でもないんだし」

「そうだね」


 マキトの意見に、コートニーが小さな笑みとともに頷いた。

 その後、軽い昼食を終えたマキトたちは、西の国境を目指して歩き出す。凶悪な魔物も特に出現せず、穏やかな道のりが続いていた。

 無事に辿り着いた国境で、三匹の珍しい魔物を連れているマキトを、物珍しそうな視線で見てくる冒険者たちが出てくるのだが、当然彼らはまだ、全くそのことを知る由もなかった。



 ◇ ◇ ◇



 その夜、闇商人への尋問を(相手がどう思ったかはともかく……)無事に終えたネルソンとエステルは、揃って困った表情を浮かべていた。


「……こりゃあ、どう考えてもヤバいんじゃねぇのか?」

「むしろ考えるまでもありませんね、これは……」


 ネルソンとエステルが、テーブルの上に置かれた一つの巻物を見つめている。

 ちなみに闇商人は尋問の後、王宮の地下牢に入れられた。

 どうやら世界中にいる他の同業者との繋がりも深いようであり、ひとまず幽閉しておいて、後々情報を引き出していくことに決まったのだった。

 その際、エステルが妙にワクワクしたような笑みを浮かべていたのだが、今の笑顔は見なかったことにしようと、その場にいたネルソンと兵士たち全員が心を一つにしたのはここだけの話である。

 ネルソンは思わずその時のことを思い出し、身震いしてしまう。頭の中の考えを振り払うかのように、ゴホンと大きな咳ばらいをしながら、ネルソンは思った。

 今自分たちが考えるべきなのは、また一つ抱えてしまった、目の前の大きな難題であると。

 ネルソンはとりあえずと言った形で、エステルに言葉を投げかける。


「そもそもだ。お前の見立ては本当に間違いないのか?」

「万に一つの可能性で、タダのガラクタであると言えなくもありませんが……」

「……期待はしないほうが良さそうだな」


 ネルソンはガックリと項垂れながら、恨めしそうに巻物を睨みつける。とんでもない爆弾が飛び込んできたもんだと、心の中で悪態づいていた。


「ライザックと名乗る謎の魔導師と、禁忌の魔法が記されていると言われている巻物。せめてもの救いは、あの闇商人はハメられただけだってことぐらいか。いや、この場合は救いと言えるんだろうかな?」

「そこは別に気にしなくてもいいでしょう。ライザックとやらについても、今は判断できる材料がないため、あれこれ考えたところで答えは出ません。そんなことよりも注目すべきなのは……」

「お前さんが手に持っている巻物についてだな」


 ネルソンの言葉に、エステルはコクリと頷いた。


「これがここにあるという時点で、危険度は計り知れません。それこそ流石に、好奇心を働かせてはいけないとすらいえるほどに」


 真剣な顔をして語るエステルに、ネルソンは表情を引きつらせる。


「……お前がそこまで言うとは、いよいよもってヤバイ感じがしてきたな」

「褒め言葉として受け取っておきますよ」


 目を閉じて淡々と言い放った後、エステルは改めて表情を引き締める。


「まぁ僕が懸念しているのは、この巻物そのものというわけではありません」

「果たしてこのことを、素直に国王サマに報告して良いモノかどうか……ってことだろ?」


 ネルソンの言葉に、エステルは無言のまま頷いた。

 巻物の内容については仮説の域を出てないが、国王の好奇心と野心を動かすには十分過ぎる代物であると思っていた。

 少なくとも、人知れず破棄することは絶対にしないだろう。むしろ最大限に活用しようと、即座に考え出すような気さえしていた。

 巻物を国王に渡せば、いつか取り返しのつかない出来事に発展しかねない。それだけはどうしても避けたいとエステルは思っていた。

 だからといって、このまま隠し通すこともできないことは明白だった。既に闇商人が怪しい巻物を所持していることについては、国王に報告済みであり、国王も今か今かと報告を待っている最中なのだから。


「どのみち、選択の余地はなさそうに思えるな」

「えぇ。どういうわけか国王も大臣も、人の隠し事を見破るのが得意ですからね。僕はとりあえずこの巻物を持って、国王へ報告に向かいます」

「俺も一緒に行こう。あの闇商人の尋問にも立ち会ったからな」


 そう言ってネルソンとエステルは立ち上がり、巻物を片手に部屋を出て、国王の間に向かって歩き出した。

 足取りは実に重かった。本当にこのままで良いのか、まだ引き返せるのではないか。そんな考えが、さっきから二人の頭の中を過ぎっては消えている。これから悪いことが訪れるぞという警告音のように。


「これがもしリック王子とファナ王女ならば、どうしていたでしょうね?」

「さぁな」


 現在、公務でスフォリア王国へ出向いているシュトル王国の王子と王女の姿を思い浮かべながら、ネルソンとエステルは、国王の間の扉を開くのだった。



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