第三話 森の妖精
森の中は薄暗く、気温も低い。夜は明けているが、生い茂る木々が太陽の光をことごとく遮断しているため、あからさまに不気味な雰囲気が漂っていた。
近くに集落の一つすらない山奥ということもあって、盗賊が住みかとするには恰好の場所でもあった。
「どこ行きやがったんだ、あの獣人族のクソガキが!」
筋肉質で見るからに荒くれなスキンヘッドの男が、目を血走らせながら周囲を見渡している。そこに一緒に追いかけてきた赤いバンダナを巻いた男が、息を切らせて額の汗を拭いながら言う。
「まだそう遠くへは行ってねぇハズだ。それにこの山は、俺たちの庭みてぇなもんだ。俺たちを甘く見たことを後悔させてやろうぜ!」
「あ、あぁ……そうだよな。ここまでコケにした罪を償わせてやるぜ!」
スキンヘッドの男が気合いを入れ直したその時、奥から一人の男が走ってきた。
「おーいっ、こっちにいたぞーっ!」
ツンツン頭の男が、走ってきた方向を指さしながら叫ぶ。二人はニヤリとほくそ笑みながら頷き、再び走り出すのであった。
そして三人が向かった先には、確かにターゲットである人物の姿が見えた。
「はぁ、はぁ、はぁっ!」
獣の耳を持つ少年が、白い猫のような魔物を抱えて走る。少年は無我夢中で、自分がどこを走っているのかは全く分からなかった。
今はとにかく、追いかけてくる盗賊たちから逃げなければと、ただそれだけのことを考えて必死に足を動かしていた。
「キュゥ……」
ふと、腕の中からか細い鳴き声が聞こえる。魔物が不安そうな表情で少年を見上げているのだ。
少年は力強く笑いながら、励ますように魔物に語りかける。
「大丈夫だよ。ボクが絶対に助けてあげるからね!」
「キュー」
まるで返事をするかのように、魔物が少年にギュッとしがみ付く。
信じてくれたかどうかは分からないが、少なくとも拒否はされていない。それを幸運に思いながらも、少年は森の中を走り続ける。
もう呼吸をするのも辛い。足も段々と重たくなってきており、このまま倒れてしまいたいと思うほどであった。
もう限界に等しい少年を奮い立たせているのは、腕に抱く小さな魔物の存在だ。その確かな温もりが、まだまだ諦めるわけにはいかないと思わせてくれる。
「待ちやがれえぇーっ!!」
追いかけてきた盗賊の一人が叫ぶ。とうとう見つかってしまったのだと思い、少年は力を振り絞って、どうにか走るスピードを上げようとした。
それでも既に相当な疲労が蓄積されており、襲い掛かる恐怖も相まって、焼け石に水でしかなかったが、少年は歯を食いしばって必死に地面を強く蹴る。
少年がまだ諦めていないことを知るなり、盗賊がため息交じりに叫び出す。
「無駄な抵抗はやめろ! お前みたいなガキがいくら粘ったところで、俺たちから逃げられるわけがねぇ! 大人しく捕まりやがれ!」
確かにその言葉は聞こえていたが、少年は反応する余裕など全くなかった。少しでも気を抜けば、たちまち力尽きて倒れてしまうからだ。
もうとっくに体力は限界を超えており、思考もままならない。盗賊たちが何かを叫び続けているが、それも殆ど聞こえていなかった。
だから気づかなかった。前方が明るくなっていたことを。その先には道などないのだということも。
「えっ?」
少年は突如、宙に浮いている感覚となった。下を見てみると川が流れている。それも激流に等しいくらいの。
崖に飛び出したのだと気づいた時には、既に少年は落ちていた。
「うわあああぁぁーーーっ!」
頭が真っ白になり、叫び声を上げながらも、腕に抱く魔物は決して離さない。
少年と魔物は激流の中に消えていった。
追いかけてきた盗賊たちは、崖の上から呆然としながら思った。あれはもう絶対に助からないだろうなと。
そして流されている少年自身も、同じことを考えていた。
(冷たい……沈む……もう、ダメだ……っ)
思考が停止し、少年は目の前が真っ暗になっていくのを感じていた。
◇ ◇ ◇
朝食を終えた後、マキトはラティとスラキチを連れて外に出ていた。腹ごなしの散歩がてら、周辺を散策しようと思ったのだ。
魔物が飛び出してくる危険性こそあるが、炎で攻撃できるスラキチがいるため、遠くまで行かなければ大丈夫だろうと、クラーレの許しも得られたのだった。
「ユグラシアの大森林?」
「ハイなのです。そこがわたしの故郷なのです」
河原へ続く道を歩きながら、マキトはラティから故郷の話を聞いていた。
隣の大陸に広がる極めて広大な大森林。その中にある『妖精の泉』が、ラティの故郷なのだそうだ。
入り組んだ森の奥深くに位置する、まさに隠れ里的な場所らしい。ここ数十年、泉に辿り着けた冒険者は、一人もいないとのこと。
ちなみにここから歩いて向かう場合は、数ヶ月もの期間を要するのだとか。
「なんでその森からここに? 簡単に来れる距離でもないだろ?」
マキトの疑問は至極もっともと言える。大陸を渡る必要があるのだから。
しかし返ってきた答えは、意外と単純なモノであった。
「盗賊さんに捕まってしまったのです。遊び心で森の外に出てみた途端に」
「……よく逃げられたもんだな」
「隙をついたのです。こう言ってはなんですが、結構オマヌケさんだったのです」
呆然としながら感心するマキトに、ラティは胸を張って誇らしげにする。
ラティ曰く、少しおだてて調子に乗らせた瞬間、一発だったとのこと。
捕まってからの割と長い期間、食事の差し入れ以外で会話ができなかったため、脱出はこの国に来てからとなってしまったらしい。
「で、あちこち逃げ回ってるうちに、じいちゃんのところに来たと?」
「ハイなのです。あの時は凄くお腹が減っていて、もうダメかと思ったのです」
「随分と運が良かったんだな」
「えっへん、なのです!」
「……褒めたつもりはないんだけどなぁ」
ここでふと、マキトは思ったことがあり、ラティに尋ねてみる。
「その……ラティは、故郷に帰りたいって気持ちはないのか?」
「ないわけじゃないですけど、マスターから離れるつもりもないのですよ。もうずっとマスターに仕える『ラティ』として過ごしたいのです」
「そっか」
なんだかくすぐったい気持ちになり、マキトは思わず苦笑してしまう。
「でも、いつかは泉にも顔を出したいところですね。挨拶がてら長老さまにも報告したいですし、マスターのこともキチンと紹介したいのです」
「じゃあ、旅がてら行ってみるか? すぐにってワケにはいかないだろうけど」
その言葉を聞いた瞬間、ラティの表情がパアッと輝き出した。
「ホントなのですか! ありがとうございますマスター! やっぱりマスターはわたしが見込んだ良い人なのです!」
ラティがマキトのほっぺたに抱き着き、スリスリと顔を動かす。
足元からはピキーという甲高い鳴き声が聞こえてきた。どうやらスラキチも甘えたいと意思表示しているようであった。
眩しい笑顔のラティを横目で見ながら、マキトは数日前の出来事を思い出す。
(そういえば、この世界に来て最初に話したのも、ラティだったっけ……)
ベッドから飛び起きて、知らない場所に来ていたことが分かった瞬間、枕元に妖精がいることを知った。
寝起きの瞼を小さな手でくしくしと揉みながら起き上がり、ボーっとした表情を向けてきた。これがマキトと妖精との初対面である。
マキトはワケが分からず混乱した。
知らない部屋に見たことがない存在が、一度に飛び込んできたのだ。これで驚くなというほうが無理な話だろう。
もしその直後にクラーレが部屋に来なければ、果たしてどうなっていたことか。
クラーレから妖精について教えてもらったマキトは、改めてその妖精と話をしてみることにした。そしてクーと名乗るその妖精と妙に意気投合してしまい、一緒のベッドで眠ってしまったのだ。
ちなみに妖精は、あまり人間に懐かない魔物であるとのこと。
にもかかわらずマキトに懐いたのは、マキトが魔物使いの資質を持っているためだとというのが、クラーレの弁であった。
魔物使いとはどういうモノなのかをざっくりと説明され、詳しくは明日ということになり、妙にワクワクしながらマキトは眠りについたのであった。
(……で、次の朝目が覚めたら、何故かテイムしてたんだよなぁ)
自分が魔物使いであり、テイムした魔物には、額に印が浮かび上がる。
クラーレから教えてもらった現象が、こんなにも早く拝めるとは思わなかった。改めて思い返しても、一体どうしてだろうという気持ちしかない。
流石にマキトは戸惑わずにはいられなかった。クーも一瞬驚きこそしたが、すぐに開き直って笑顔を浮かべていた。
『まぁ、それならそれで別に良いのですよ。昨夜も寝ながらボンヤリと思っていたのですよ。マスターと一緒なら、なんか楽しそうだなぁって……』
『良いのかそれで……つーかそのマスターってのは、もしかして俺のことか?』
『そうですよ。わたしをテイムしたのはマスターじゃありませんか』
何を当然のことを言ってるのですか、と言わんばかりにクーは首をかしげる。
とりあえず本人はそれほど気にしていない様子なので、マキトもここは納得しておこうかと考えた。
『まぁ、いっか。それじゃあ、一つよろしく』
『こちらこそなのです。あ、折角なので、新しい名前を付けてくれませんか?』
『名前?』
『ハイなのです。マスターとの新しい人生の第一歩にしたいのです』
『じゃあ、そうだな……うん、ラティなんてどうだ?』
なんとなく思いついた名前を挙げてみると、クーは嬉しそうな笑顔を浮かべた。
『ラティ……いい響きなのです! とても気に入ったのです』
『そりゃ良かった。改めてよろしくな、ラティ』
『こちらこそなのです、マスター!』
気が付いたらテイムし、おまけに新しい名前まで与えてしまっていた。
冷静に考えてみたらとんでもない流れだと思えてくるが、その時は全然気づくことはなかった。今考えてみると、大いに気持ちが高ぶっていたような気がする。
自分のことを笑顔で認識してくれる。それが本当に嬉しかった。心を鷲掴みにされるというのは、ああいうことを言うのかもしれないと、マキトは思った。
(で、その後じいちゃんに驚かれて、なんか凄い感動してたんだよな。あれは一体なんだったんだろ? まぁ、そこは別に良いか)
クラーレからしてみれば、長年の疑問が解けた瞬間だったのだが、当然マキトは知る由もない。
その後も特に関連したようなことは言ってきていないため、別に良いかと自然に思っていたのだった。
ボンヤリと回想していたマキトの意識を戻したのは、ラティの声であった。
「今のわたしたちにはスラキチがいますから、魔物さんとの戦いも平気なのです。そうですよね、マスター?」
「え? あ、あぁ、そうだな」
咄嗟のことだったので、完全にしどろもどろな答え方になってしまった。ラティはそれが何を意味しているのかを察し、ジト目でマキトに問いかける。
「……もしかして聞いてませんでしたか?」
「それは、その……ごめん」
言い訳しようにも言葉が思い浮かばなかったので、とりあえず謝った。
頭を下げるマキトの姿を見て、ラティは深い溜息を吐く。
「まぁ、良いのです。スラキチの炎について話していたのですよ」
「そういえば俺も見てみたかったんだ。攻撃もそうだけど、焚き火とかにも便利そうだもんな」
「ピキーッ!」
勿論だよ、と言いたそうに胸を張るスラキチは、マキトたちのほうを振り向きながら飛び跳ねている。まるで、早く行こうよと言わんばかりに。
流石に山の中で無暗に火を使うわけにはいかなかったが、幸いその先には河原が見えていた。スラキチをテイムした場所でもあり、ここなら山火事になる可能性は低いようにも思えた。
「じゃあ、早速あの河原で……って、誰か倒れてるじゃないか?」
マキトが川岸の部分に急いで走っていく。そこには一人の人物が倒れていた。
どうやら流されてきたらしく、体が半分水に浸かっている。完全に気を失っているその顔は、どう見ても衰弱しているとしか思えない。
人物の腕の中には、一匹の真っ白な生き物が抱きかかえられていた。
同じく気を失っており、衰弱している。このままだと双方ともに、命が危ないことは確かであった。
「こりゃマジで一大事だな。ラティ、すぐにじいちゃんを呼んできてくれ!」
「分かりましたっ!」
ラティが全速力でクラーレを呼びに飛んでいく。その間にマキトも、できる限りのことをしようと考えた。
まずは人物を水辺からなんとか引き揚げ、頬をペシペシと強めに叩きながら、大きな声で呼びかける。
「おい、大丈夫か、しっかりしろっ!」
しかし全く反応を見せない。少なくとも心臓は動いているが、かなり危ない状態に近いだろうと、マキトは思っていた。
「そうだ……確かこういうときは、心臓マッサージが効果的だって言ってたな」
少し前に学校の保健体育の授業で、救急救命を習ったことを思い出した。
人物を慎重に仰向けに寝かせ、できるだけ力いっぱい、両手で心臓を圧迫していく。数回繰り返すと、少しずつ水を吐く反応を見せ、やがて激しく咳き込み、荒い息を吐きながら薄く目を開けた。
「がはぁ! はあっ、はぁ……はぁっ……」
どうやら最悪の事態だけは避けられたようだと、マキトは安堵の息を漏らす。
ここでふとマキトは、その人物が持つ『特徴』に気が付いた。
(動物の耳? これは一体?)
その人物の耳は、どう見ても人間のそれとは違う。
明らかに獣らしき形状をしており、毛並みも獣そのものであった。こんな目立つ特徴なのに気づかなかった。それだけ必死だったのだろうと、マキトは思った。
もっともそれならそれで、どれだけ自分は必死だったんだと、思わず疑問に思いたくなってもいたが。
ここでマキトは、白い小さな魔物の存在を思い出す。
「そういえば、コイツはどうすれば良いんだろ? 放ってはおけないけど……」
「ピキッ!」
「え?」
動物もとい魔物の措置までは知らず、マキトが頭を悩ませているところに、スラキチが威勢よく鳴きながら前に出る。
そして自らの体で、魔物の小さな腹の上でジャンプを繰り返していく。恐らくさっきの心臓マッサージみたいなことをしているのだろう。
やがて魔物の口からたくさんの水が吐き出され、荒い息を吐く。魔物のほうも無事に助かったのだと、マキトは安心した。
そしてスラキチは魔物の腹から飛び降り、明後日の方向に軽く炎を出し始める。それが何を意味しているのか、マキトは少し考えた。
「炎……そうか、温めようって言いたいのか!」
「ピキィッ!」
「だったら薪がいるな。俺、ちょっと集めてくるから、少しここを頼む!」
「ピィ!」
スラキチの返事を背に、マキトは林に向かって駆け出した。
幸い、乾いた枝はそこら中に落ちていたため、集めるのに苦労はせず、魔物が飛び出してきたりすることもなかった。
河原に戻ってきたマキトは、集めた薪を組み上げる。そこにスラキチが放った小さな炎により、あっという間に焚き火が完成した。
しかしそれでも大きな効果はなかった。水の冷たさにやられたのか、獣耳の人物も魔物も大きく体を震わせている。
「マスターっ!」
ラティの叫び声が聞こえてくる。クラーレを連れて戻ってきたのだ。
ずっと待ち望んでいた声に、マキトは思わず笑顔となる。もう大丈夫だと、心の中で根拠もなしに断言しているほどであった。
クラーレは横たわっている獣耳の人物に気づくと、すぐに険しい表情を浮かべて傍に駆け寄り、状態を調べる。
「なんと……これは確かに一大事じゃな。よし、すぐにワシの家に運ぼう!」
「あの白いのは、俺が運ぶよ」
獣耳の人物をクラーレが背負い、マキトが白い魔物を抱きかかえる。
移動中に魔物が飛び出してくるかもしれないため、ラティとスラキチが念入りに周囲を警戒していたが、幸い飛び出してくる気配は全くなかった。
(獣人族の子に、フェアリー・シップか……これまた思わぬ客が来たもんじゃ)
家まで運ぶ最中に、心の中でそう呟いたクラーレなのだった。
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