たった一人の魔物使い
壬黎ハルキ
第一章 旅立ち
第一話 モンスターテイム
「んー、静かでいい天気だねぇ。実にのどかだ」
とある緩やかな山道を歩きながら、黄土色のバンダナを巻いた少年が呟いた。
やや低めの背丈に、やや幼さが残る顔立ち。長めの栗色の髪の毛が、早朝の冷たい風になびいている。
少年の右手には、大きめなフタ付きの桶が持たれていた。これから河原へ水を汲みに行くのだ。
山奥らしい空気の冷たさであるが、太陽の日差しがちょうど良い暖かさを醸し出している。水汲みがてら河原を散歩するには、まさにうってつけの気候だと言えるだろう。
「本当ですね、マスター。やっぱり朝の空気は気持ち良いのです♪」
少年の傍を飛んでいる存在が、ご機嫌よろしくそう言った。
デフォルメされたような人間の姿をしており、手のひらサイズで背中に羽根が生えている少女は、この世界では『妖精』と呼ばれている存在であった。
額に黒い小さな紋章のようなマークが刻まれているその妖精に対して、少年は歩きながら小さなため息をついた。
「なぁ、ラティ? その『マスター』って呼び方、どうにかならないもんかな? 俺にはマキトっていう名前がちゃんとあるんだけど……」
「別に良いじゃないですか。マスターはマスターなのですから♪」
なんの悪びれもない笑顔を浮かべるラティに、マキトは思わず苦笑してしまう。同時に何を言っても無駄だろうと思い、もうそのままにしておくことに決めた。
呼ばれ慣れてないが故に、むず痒さを感じずにはいられないが、そのうち慣れてくるだろうと予想する。自分が現在置かれている状況自体が、どう考えても普通でないことを考えれば、細かいことを気にしても仕方がないと、マキトは思った。
そんな感じで、マキトがとりあえずの折り合いをつけているところに、ラティが首を傾げて言ってくる。
「でもやっぱりマスターは不思議なのです。人間族は妖精を見たら捕まえるって、長老様が教えてくれたのですけど」
「全ての人間がそうとは限らないんじゃないか? まぁ、実際のところは分からないけど」
そう言った直後、マキトは苦笑を浮かべながら呟くように言った。
「……そもそも俺だって、まだこっちの世界に来たばかりなんだしさ」
ラティはその言葉を聞いて、思い出したような反応を見せる。
「そういえばそうでしたね。確か『チキュウ』という世界でしたっけ?」
「あぁ。まさかいきなり異世界に飛ばされるなんてな……」
マキトが笑いながらも、この世界で目が覚めた時のことを思い出す。
とある夜、いつものように自宅のベッドで眠りにつき、目が覚めたら見知らぬ部屋にいた。ワケが分からなくなって外を見てみると、この家が明らかにいつもの自宅でないことが分かった。
住宅地とは程遠い、山に囲まれた平原が広がっていた。その時に見た真っ赤な夕焼け空の光景は、一生忘れられないだろうとマキトは思う。
ちなみにラティとの出会いを果たしたのも、まさにその時だった。
看病がてら傍についているうちに眠ってしまい、マキトが慌てて起き上がった物音によって目が覚め、バッタリと目が合った。
その後、その家の主である老人、クラーレが入ってきて、マキトは自分が置かれている状況を把握するのだった。
「でも、スライムみたいな魔物がいるってことも、かなり驚いたな」
クラーレから教えてはもらったが、マキトは殆ど信じていなかった。しかしその翌朝、庭で楽しそうに遊んでいるスライムたちの姿を見て、話が本当であったことを認識せざるを得なくなったのだった。
この世界では当たり前のように存在している『魔物』という存在も、地球の動物と同じく様々な種類がいる。
動物をモチーフにした個体や、スライムやドラゴン、ゾンビや幽霊なども確認されていることを知り、こういうのをファンタジーと言うんだろうなぁと、マキトはボンヤリと思った。
妖精を直にその目で見たからこそ、余計にそう思えてしまっていた。
「魔物って、ラティみたいに人間の言葉を普通に話せるもんなのか?」
「いえ、普通は動物さんと同じように鳴き声だけですね。わたしみたいな妖精は、本当に特殊みたいなのです」
「ふーん。それだけ色んな種類がいるってことか……奥が深いな」
ラティの返答に、マキトは興味深そうに頷く。
実は妖精もれっきとした魔物の一種であることを知ったとき、マキトは驚きながらも興味深そうにしていた。
魔物と言えば、スライムやドラゴン、そして狂暴な獣などのイメージが強かったからだ。
マキトも最初はラティのことを『妖精』という、人間でも魔物でもない独立した存在だと思っていた。今でも正直信じられないというのが、本音だったりする。
「……実は魔物じゃありませんでした、ってことはないよな?」
「それはあり得ないのです。わたしがこうしてマスターに仕えているのが、なによりの証拠なのですよ♪」
「仕えている、ねぇ……」
ラティの言葉に、マキトはどこか浮かない表情を浮かべる。
「本当に良かったのか? だってラティは……」
マキトが何かを言おうとしたその時、茂みの中から生き物が飛び出してきた。
プルプルとゼリーのような塊に、目と口が備わっている。それがスライムであることは明白だった。
そしてそのスライムの色は、普段よく見る青い色とは、全く違う色をしていた。
「……アレって、スライムで良いのか? なんか真っ赤なんだけど」
「多分そうだと思いますよ。スライムさんにも、色々な種類がいますから」
へぇーと呟きながら、マキトは興味津々に観察する。
表情からして、やはり警戒はしているようだと感じ取ったその時、突然赤いスライムが勢いよく飛びかかってきた。
「うわっ!?」
間一髪で避けたマキトは、思わず尻もちをついてしまう。
ボヨンと弾みながらも地面に着地した赤いスライムは、再びマキトに向かって、体当たりを仕掛けてきた。
「マスターっ!」
ラティは突き出した両手から力を発する。『魔法』と呼ばれる能力であった。
赤いスライムの動きが、あからさまに遅くなる。スライムの周りだけ、時の流れが遅くなってしまったかのように。
これがラティの得意とする魔法の一つであり、使い勝手が良いから便利だというのが本人の弁である。
魔法には攻撃や回復など様々な種類が存在するが、ラティが使えるのは補助系と回復系の魔法だけらしい。まだ未熟であるため、大掛かりな魔法は習得していないとのことであった。
「それから……えいっ!」
マキトがよけるために移動しようとしたその時、ラティが赤いスライムの向きを横のほうにくるっと変えてしまった。
当然、突進する方向も変わることになり、魔法の効果が消滅した瞬間、目の前にあった大木に赤いスライムは激突してしまう。
そのままベチャッと地面に落ち、赤いスライムの動きが止まる。ピクピクしている様子からして、どうやら生きてはいるらしい。
「全く失礼な魔物さんなのです。マスター、大丈夫でしたか?」
「あぁ、平気だ。なんつーか凄いな。まさかあんなことするとは思わなかったよ」
本当に凄いと思ったのは、魔法についてだった。
魔法が実在すると聞いたときは、マキトも相当ワクワクしていたが、とある事情によってすぐに鳴りを潜めることとなる。
その時のことを思い出したマキトは、心の中でまたもや少しガッカリした。
「えっへんなのです! 攻撃魔法が使えないからといって、ナメてもらっては困るのですよ!」
得意げに胸を張るラティに、マキトは苦笑する。
「はは……それはそうとアイツは……」
未だに痙攣しつつも、全く起き上がる気配のない赤いスライム。
マキトはおもむろにポーチから薬草を取り出し、水筒の水で軽く洗った石でゴリゴリとすり潰していく。
ややペースト状となった薬草を、赤いスライムの開いた口へ、水と一緒に流し込む。すると――――
「ぴきゃあぁーっ!」
「お、気がついたみたいだな」
あまりの苦さに飛び起きた赤いスライムは、ワケが分からず周囲をキョロキョロと見渡していた。
そして、ハッと気づいたかのような反応を見せつつ、マキトとラティを交互に見上げてくる。どうやら、これまでの経緯を思い出したようだ。
赤いスライムが浮かべる表情には、もう敵対心は見られない。なにやら戸惑いを覚えているようだが、とりあえず襲ってくる気配がないので安心できる。
マキトが早く行きな、と言わんばかりに手を前後に払うと、赤いスライムはそのままピョンピョン飛び跳ねながら、茂みの中へと消えていった。
やれやれとため息をつくマキトが立ち上がると、ラティがニコニコしながらこちらを見てきていることに気づいた。
「どした?」
「いえ、やっぱりマスターはマスターなのだと、そう思っただけなのです」
「……何の話だ?」
「気にしないでください。それより、早く河原へ行きましょう!」
「お、おぅ」
ラティに後ろから押されながら、マキトは再び河原への道を歩き出すのだった。
先ほどのスライムが、後ろの茂みの中から、興味深そうに彼らのことを覗き見ていたことに、全く気づくことはなかった。
◇ ◇ ◇
広々とした河原へとやってきたマキトたちは、早速水を汲み上げる。
ラティが良く晴れた青空を見上げながら、気持ち良さそうに伸びをした。
「うーん、のどかなのです。まさに平和そのものなのです」
「全くだな……ん?」
桶に水を汲み終わったマキトも空を見上げたその時、近くの茂みが不自然にガサガサと揺れ動く。マキトがそれに気づき、音のしたほうを振り向いた瞬間、一匹のオオカミが飛び出してきた。
力強そうな四本足に荒れた毛並み。目は獲物を捕らえるかの如く、かなりギラついていた。口からは大量のよだれが流れ落ちており、腹ペコで気が立っているのだということがよく分かる。
その視線はどう考えても自分たちに向けられていると、マキトはそう思った。
できればこのままどこかへ行ってほしいという気持ちはあったが、それは恐らく無理だろうということも含めて。
「ガアァウッ!」
吠えて威嚇してくるオオカミに、ラティはビクッと驚いて涙目になる。マキトは顔をしかめながらも、ラティにとりあえず尋ねることにした。
「……アレって魔物、だよな?」
コクコクと頷くラティに、マキトは冷や汗を垂らす。この状況は流石にヤバすぎると思った。退ける手段も力も何もないのだから。
ラティがオオカミに向かって恐る恐る話しかけてみる。
「あ、あの……お願いですから、少し落ち着いてくれませんか?」
「ガアアァァウッ! ガウ! ガウガアァーウッ!」
「ふやあぁっ? いくらお腹がペコペコでも、見境ないのは良くないのですぅ!」
オオカミの言葉を聞き取ったラティは、怯えてマキトの後ろに隠れた。
妖精も魔物の一種であるためか、他の魔物とも普通に会話ができる。最初はマキトも信じていなかったが、スライムたちと遊ぶ際に会話をしていた場面を見て、信じるしかないと思ったのであった。
今もこうして、ラティが魔物と会話をしている姿を見ていると、不思議な気持ちになってくる。決して地球では見れない光景だからだろうか。
ピンチにもかかわらず、どこかのんびりしてしまったことに気づいたマキトは、左右に顔を振ってなんとか気持ちを切り替える。
オオカミが腹ペコであることはなんとなく予想していたが、今のラティの言葉で確信がついた。自分たちをエサとみなして、襲い掛かろうとしていると。
この状況をどう打開したモノかと、マキトは頭の中で思考を巡らせていく。
(ラティの力を使えば逃げ切れるか? いや、割と効き目が短いから、あんま意味ないか。途中で効果が切れたら、追いかけられるのは目に見えているからな。だとしたらどうする? 一体どうやってこの状況を切り抜ける?)
手詰まりかと思いそうになったその時、小さな影が飛び出してきた。
凄まじいスピードで横から思いっきり体当たりしたことで、オオカミはわずかに吹き飛ばされるが、すぐに体勢を立て直す。
飛び出してきた影が、マキトたちの前に躍り出る。
「ピキィーッ!」
「お前は……さっきの?」
その正体は、マキトたちが出会った赤いスライムだった。赤いスライムは、マキトたちを庇うようにしてオオカミと対峙する。
自分たちを助けに来てくれたことは分かるが、本当に大丈夫なのだろうかという不安も過ぎる。体格の差では、明らかにオオカミに分があるからだ。
ラティが魔法で援護しようと前に出た次の瞬間、赤いスライムが鋭い鳴き声を放ってきた。
「ピキィッ!」
「手を出すなって、そんな……」
赤いスライムの言葉をラティが読み取ったのを聞いて、マキトは悟った。赤いスライムが自分だけで相手をしたいのだと。
オオカミにもそれが伝わったらしく、低い唸り声を上げながら、赤いスライムに飛びかかる体制をとる。
「グワアァーッ!」
雄叫びのような声を張り上げ、オオカミは赤いスライムに飛びかかった。
すると赤いスライムは、口から真っ赤な炎を噴き出した。
弾となった炎がオオカミの顔に命中し、衝撃と熱さと痛さに見舞われ、凄まじい勢いで地面をのた打ち回る。
そのままオオカミはいずこかへ逃げ去ってしまった。やがて周囲は静かとなり、川の流れる音のみが聞こえてくるようになった。
(な、なんだったんだ、今のは?)
一部始終を見ていたマキトとラティは、ただただ呆然としていた。
スライムが炎を吐くだなんて流石に予想外過ぎる。この世界ではこういうのが普通なのかと思いたくなるほどであった。
そんなふうに思考がグチャグチャになりかけていたマキトの足元に、赤いスライムが飛び跳ねながら近づいてきた。
そして興味深そうに、マキトのことをジーッと見上げていた。
「ありがとうな。おかげで助かったよ」
赤いスライムにお礼を言いながら頭を撫でてみる。
炎を吐いたにもかかわらず、他のスライムと同じようにひんやりと冷たい。気持ち良さそうな表情でマキトにすり寄ってくるその姿は、さっきまでの敵対心はカケラも見られない。どうやら懐かれたようだと、マキトは思った。
そして、その無邪気な眼差しに釘付けとなっていることに、改めて気づいた。
「……お前、もし良かったら、俺たちと一緒に来るか?」
無意識に放たれた言葉だった。
マキト自身、この赤いスライムにかなりの興味を抱いていた。一緒にいたら楽しそうだと思っていた。
赤いスライムは嬉しそうに鳴き声をあげながら、マキトに飛びつく。思わずその小さな体を両手で抱きかかえると、プルプル震えた感触がとても心地良かった。
「この子、マスターと一緒に行きたいって言ってるのです」
ラティも結構カワイイと思っているらしく、スライム特有のプニプニした体を、楽しそうに指で突いている。
返事がイエスとなったことで、マキトは右手をかざしながら、改めて告げる。
「それじゃあ、これからよろしくな」
「ピキー!」
マキトの右手から眩い光が迸る。光が止むと、赤いスライムの額に小さな紋章のような印が刻まれていた。その印はラティの額に刻まれているモノと同じだった。
「やったぁ! テイム大成功ですね、マスター♪」
「あぁ」
皆で嬉しそうに笑い合う中、マキトはあることが気になった。
「ところでコイツ、名前ってあるのかな?」
「さぁ? 折角ですし、マスターが付けても良いんじゃないですか?」
「ピキーッ!」
「この子も付けてほしいって言ってるのです」
「あ、あぁ。分かったよ」
改めて、魔物の言葉を通訳してくれるラティの存在がありがたいと思いつつ、マキトはどんな名前を付けようか考える。そして頭の中に、一つの名前が浮かんだ。
「じゃあ『スラキチ』っていうのはどう?」
マキトの自信ありげな提案に、ラティは心の底から微妙そうな表情を浮かべる。
「安直すぎるのですよ。もう少しまともな名前を……」
「キィ、キィ♪」
ラティが物申そうとした矢先に、赤いスライムが嬉しそうに飛び跳ねる。
「……物凄く気に入ったみたいなのです」
「よーし、じゃあお前は今日からスラキチだ。改めてよろしくな」
「ピキーッ!」
新しい名前をもらったスラキチは、とても嬉しそうな鳴き声をあげるのだった。
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