第39話 上野動物園(その9)
「どうした」
「なんですかこの『ハシビロコウ』って」
フラミンゴやナマケモノ、カンガルーと言ったお馴染みの動物たちの中に、A子は聞き慣れぬ名前を見つけた。
「ああ、これね。見た事無いのか」
「どこかのオヤカタサマ?」
「ハシビロ公なんて戦国武将おるかいっ」
「ご主人様は知ってるのですか」
「こいつは面白いぞ。ちょっと寄ってみよう」
ご主人様はA子を連れて、小獣館へ向かう道の更に向こう側へ回った。
サーカスのテントの様な形の檻の反対側に回ると、A子はそこにある檻の中に奇妙な物体を見つけて驚く。
「……何かいる」
A子はもう一度、凝らしてその物体を伺う。
「あの……なんか……凄い目つきの悪いのが……こっち……みてる……じっとしたまま……」
「あれがハシビロコウだ」
「え?」
「怖いだろ」
A子は怯えた顔を縦に振った。
「……ガチで怖いんですけど。あの動かないのが動物なんですか?」
「“動かない鳥”で知られている。でかくて微動だにしない上にあのツラだ、人によっちゃ泣き出すかもな」
「鳥が苦手な人には極北の存在ですね、あれは……」
「でも愛嬌あると思うんだけどな、あの顔」
「いやいやいや……」
どうやらA子はこの手の存在が苦手の様である。
「次、次行きましょ」
A子はご主人様の手を引っ張って先を進んだ。
ハシビロコウ舎の反対側には、キリン舎やシロサイ舎があった。動物園ではライオンやゾウ、サル山と並んで馴染みの光景である。
ふと、A子がある事に気づいた。
「そういやご主人様、チンパンジーって見ましたっけ?」
「いや……いなかったなあ」
「西園のこの反対側にはいないと思うが……」
ご主人様は動物園の入口で取っていたパンフレットを開いた。
そして園内にいる動物のリストを見て、おや、と呟いて傾げた。
「あれ、いない?」
「パスポート持ってる割に余り知らないんですね」
「昔作って、単純に更新しているだけだから、最近はご無沙汰なんだよ」
「リストからもれてるんですかね」
「端末か何かで調べられない?」
「このコミュニケータでは無理っぽいですね。スマートフォンで見てみましょう」
A子はポケットから取り出したスマートフォンのブラウザでネット検索を開始する。そしてしばらくして、溜息まじりに呟いた。
「今、上野動物園にはいないみたいですね。他にもダチョウとかも」
「何故?」
「ハッキリは分かりませんが、どうやら動物保護の観点で、分散ではなくまとめて飼う為のようです。今は多摩動物公園に集められてるらしいですね」
「そうなんだ。ちょっと残念だな。パンダもそうだが、動物園に行けば全部観られるモノと思ってたのに」
「野生の動物が減っているって話ですからね。動物園は今や、見せ物から、生態や保護の為の研究の場になっています」
「そのうち、こんな風にキリンやサイが観られなくなってしまう時代が来るんだろうか」
「来ない、と言いきれないのが哀しいですね」
二人はエサをもりもり食べているキリンを観ながら一抹の寂しさを覚えていた。
その後ゆっくりとサイ、カバ、アシカそしてシマウマ舎を観て、先ほどスルーした小獣館の前に着いた。
「残るはここと向こうのは虫類館か」
「流石には虫類館には居ないでしょうから」
「ここで間違いなさそうだ」
二人は小獣館の中に入った。
館内はやや薄暗い照明が使われていた。
「ここにいる小型の動物は夜行性が多いようですね。あ、ハダカデバネズミ」
「あの不細工なピンクのネズミだな。上野動物園にも居たのか」
小獣館に入って直ぐ左に、そのネズミが飼われているアクリル槽があった。地中の巣を再現しているその中では、ピンク色の毛のない、その名の通り裸で出っ歯のネズミが忙しく動き回っていた。
「キモいですね」
「キモカワって奴だな。まぁ俺もキモい派だな」
ハダカデバネズミ槽の先の通路の中央、ミーアキャットが飼われているアクリル槽があった。
アクリル槽の中はミーアキャットの生息地である砂漠を再現しており、その中で数匹のミーアキャットが動き回っていた。
それを横目で見ながら、二人は奥にある、ガラス窓が貼られた檻の前に来た。
「――いた」
A子が素っ頓狂な声を上げる。そして、ダダッ、と走り出してガラス窓に張り付いた。
「まーぬーるーねーこーぉーっ」
ご主人様は頭を抱えつつ、その後を追った。
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