第30話 金縛り

深夜、ご主人様はベッドの上で突然目が覚めた。

だが身体は動かない。頭だけ自由が許されていた。

彼は所謂、金縛り状態に陥っていた。しかし自身の異常事態に関心など無く、布団の上にいる存在を注視していた。


「……何年ぶりかね?」


その問いに、うっすらと光る全裸の女性が少し意地悪そうに微笑んだ。


その奇妙な女性は、ご主人様の布団の上に腰を下ろしているが、尻に敷く布団はその質量に応じていなかった。

よく見ると全裸の女性は布団の表面に綺麗な尻のラインを染みこませている。明らかに人ではない。


「てっきり死んだかと思っていたが――いや、この場合は成仏したというべきだったかな?」


ご主人様はその異常事態に全く動じず、笑ってさえ見せた。


「……他の住人が怖がって皆出て行って俺だけになってしまったが、まだこっちに居たのか」


ご主人様は嬉しそうに言った。

奇妙な女性は依然無言だが、その笑みが少し曇った。


「あの日、どうして俺の前から消えたのか、教えたくないならそれでもいい。そんな事はもう良いんだ、また俺の傍に居てくれないか?」


彼らしくない縋るようなその声に、奇妙な女性は頭を横に振ってみせた。


「……駄目、なのか」


残念そうに呟くご主人様の顔には、返ってくる答えを予め知っていたような冷静さがあった。

奇妙な女性はしばらくご主人様の顔をじっと見つめると、やがてゆっくりと腰を上げる。

その美しい肢体は闇の中へ染み入るように消えていった。

同時にご主人様は再び深い眠りへと落ちた。


翌朝、ご主人様は目覚めると、昨夜の奇妙な邂逅を朧気に思い出していた。


「……夢、かねぇ。諦めきれないというか女々しいというか」


大きな伸びをして起き上がり、自室から出た彼はそこでばったりと、朝の準備をしていたA子と鉢合わせになった。


「お早うございますご主人様」

「ん、あ、ああ、お早う」

「……」


不意に、A子はご主人様の顔を睨んだ。


「何だよ?」

「……いえ、何か少しお疲れの様子で?」

「あ、ああ」


ご主人様は一瞬、A子に心を見透かされたような気がした。

するとA子は溜息を吐き、


「いくら若いからってやり過ぎは……」

「イヤお前なんかモノスゲェ下品なツッコミしてるだろオイ。ちよっと夢見が悪かっただけだ」

「はいはい、そうですか」


A子は意地悪そうに笑って見せた。


「……? ご主人様どうしたんです、固まって?」

「……あ、いや」

「では朝食の準備しますので」


A子はそう言って離れた。

ご主人様はその意地悪そうな笑顔がどこか懐かしいそれに似ていたような気がした。

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