第2話カッパを巡る物語(患者二号)
今日も診察室を訪れた。二日目である。
私が診察室に通されてしばらくする医師が入って来て、灰色の回転椅子に腰掛けた。その行動は最初の日と同じである。だが前の医師とは異なっていた。背が小さく白衣が大きすぎた。だが挨拶を交わした際の声は大きく腕は一流の名医にちがいないと判断した。
彼は患者二号について話したいと言ったものである。。
もちろん本名ではない。本人のプライバシーを保護するためにそのように表現する。この病院にする患者もやがて快癒し社会に出る可能性もあるのである。
彼のことを端的に表現するには、最初の来診に際し、彼に付き添って来た妻の言葉を引用するの早道であろう。
「とにかくカッチカチなのです。融通も利かず、まるで鉄の固まりのようです。いつも一人で何かブツブツ言っており、時に怒鳴っていることもあります。人より頭のねじが多いのに、さらにぎゅうぎゅうに締め付けてる感じなのです。いつかそのねじが夫を破壊するのではと恐いのです。ところが定年を迎え、やがて田舎の母を引き取ることが決まった途端に、おかしくなったのです」
妻の言葉に医師である私は彼の頭のネジが彼の頭蓋骨をぐいぐい締め上げる様子を想像した。だが生きている以上、そんな時もあろうと思い、彼を帰した。
ところが、その患者二号が問題を起こし、夜間、病院に巡査が引きづり込んで来た。私は当直で、その騒動に対応することになった。
巡査は彼が、この病院と私の名前を告げたから連れてきたと言う。
「この男が松原川に置かれたカッパの女性彫像の口には出して言えない部分を観察しながら、何か言っているのです。おかしな事件も多発していますから、とにかく本官は職務質問をした訳です」
佐賀神社の北側を流れる松原川は川幅が二、三メートルの小さなせせらぎに過ぎないが、川添いに煉瓦敷きの遊歩道と四季を彩る樹木が植えられ、閑静な市民の憩いの場として整備されている。その小川沿いにカッパの彫像が配置されており、ほとんどは子供のカッパであるが、少し上流に行くと裸体の女体像が岩でくつろいでいる。その女性もカッパだと断り書きがしてある。大人になるとカッパは人間の姿になるというのである。そして彼女はカッパの母だと言うのである。松原川の下流に遊ぶ頭に立派な皿を乗せたカッパは彼女の子供になる訳である。なるほど人間は母の子宮の中にいる時は、自由に羊水の中を泳ぎ回っている、水生生物のカッパのようなものである。母の子宮からこの世に放り出された瞬間に人間になり地上で暮らすようになるのであるから、同じ成長過程を辿っていることになる訳である。
とにかく若い巡査の説明が医師である私は理解できない。
若い巡査も具体的に説明するしかないと思ったようである。
「女性のあの部分ですよ」
これが彼の二度目の診察になった
私は巡査立ち会いのもとで、彼に事情を聞くことになった。
昼間は憚られるので、人通りが絶えた深夜を選んだそうだ。彼も一応の判断をしたそうである。ところが警ら中のこの巡査に見とがめられたと言うのである。
もちろん巡査に事情を説明しても理解してもらえるはずはない。巡査も女性の裸体の彫像のいかがわしい部分を長時間しきりにのぞき込んでいただけでは犯罪とは言えないが、当然、巡査は変質者だとでも怪しみ彼を職務質問したのである。
「それにしても非常識なことをするものだ。」と私も感想を漏らした。
最初の診察で患者二号から受けた印象は彼が生真面目であると言うことである。それは長年、彼が公務員として勤務してきた結果であろう。
年もすでに五十半ばを過ぎている。だが最近発生する事件の傾向から、この五十代という年齢も破廉恥事件と無縁ではないことは証明される。人間の嗜好も様々であり、精神構造は様々である。
「なぜ、そんな石像のカッパの恥ずかしい部分を見つめることをしたのですか」
「先生との会話で誘発されたのです。」
彼は責任の発端は私だと明言したのである。しかも巡査の前である。彼の声色は私を責めている風ではない。あるいは私を同志と思っているのかも知れない。私は動揺した。
「どういうことですかな」
「カッパの父親は母親の子宮の中の生まれる直前の子供にこの世に生まれ出ることを望むか否か質問する。やりかたは簡単である。カッパの父親が母親の子宮にいる自分の子供に向かって聞くだけだそうであると教えてくれたのは先生です。カッパの世界ではそんな便利なことが本当にできるのか確認したかった」
と患者二号は私が発した言葉を、そのとおりに発するのである。
最初の診察で彼にそんな話を言ったのは事実だ。彼が定年後の仕事に小説家を目指している聞き、彼の緊張をほぐすために、私も文学が好きで若い頃に随分、小説を読み漁った。特に芥川龍之介は間違いなく天才で、彼の作品の中でも『カッパ』は現代にも通ずる最高傑作だと個人的な感動を述べた。彼はしきりに相づちを打ち、聞き役に徹していた。興奮して語る私が患者で冷静に聞き役に回った彼が医者のようだったと後で恥じた。
「それは小説の話です。芥川龍之介の小説『カッパ』の中の話ですよ」と思わず大声を出していた。
私の言葉に患者二号は突然、忘れていた現実を思い出し、正気に戻ったようであった。そして、言ったものである。
「ああ、そうでした。小説の中の話でした。架空の話でしたよね。あまりに現実的な描写につい架空の世界での出来事であることすら忘れてしまいました。それに人間の世界でも実現すればすばらしいと強く思い続けていたものですから、小説の中の話であることを忘れてしまいました」
小説と現実の世界を混在して語る非常識な者も多く存在する。小説は真理を表現し得ても真実を表現するものではないと言い聞かせても理解できない者は多い。だが彼はこの点はすぐに理解できたようである。
ど忘れがひどい人間も、この世にはいる。アルツハイマ病かも知れない。だが患者二号がアルツハイマ病であったとしても心療内科の分野ではない。医師として彼が心療内科で処置する患者ではないと判断したが、念を押す必要性を感じた。しばらく彼との会話を続けることにした。
「なぜカッパの世界のようなことが実現すれば良いと思ったのですか」
私は患者二号に質問した。そこに患者二号の本来の姿があると直感したのである。
人間にもカッパのような機能が備わっておれば私はこの世に生を受けることを望まず中絶を希望した」と患者二号は自己の人生に対する嫌悪感を吐露した。
「カッパの話は小説の中の話です虚構の世界でだと理解できますね」
と私は患者二号に念を押した。
「もちろんです。ですから衝動的な行為でした」
「しかもあれは生身ではありませんよ。単なる石の彫り物ですよ」
「もちろん知っています。石像にすぎないことも知っています。だがほかに研究材料がありません。例えば人間の骨格を研究したいと思う時、生身の人間を殺し骨格を見ることは犯罪です。私のような一個人が墓に行き、死体を解剖することすら犯罪に該当するはずです。私のような一個人が人間の骨格を研究したいと思ったら、先生はどうすべきだと思いますか」
患者二号は質問の矛先を私に向けた。
「図書に頼るか、あるいは骨格見本に頼るべきでしょう」
「そのとおりです。私もそうとおりにしたのです」
患者二号のいかがわしい行動の犠牲になったのは人間の女性ではない。カッパの彫像である。
未確認物体を信じるか否かは住む世界や年齢差などで個人差がある。特に年齢差での差異は顕著である。幼い子供はカッパの存在を話してやれば安易に信じるにちがいない。私の息子は小学三年生になるが、いまだにサンタクロースの存在を信じている。最近までは大人の目からは人間が着ぐるみを着て演じているとすぐに気付くはずのウルトラマンや怪獣の存在を信じ、東京では双方が血戦を繰り広げ、都民が大変な迷惑を被っていると信じ切っていた。サンタクロースについては信じている。患者二号と同じく願望が強く働いているせいである。サンタクロースの正体を知るとクリスマスにサンタからプレゼントをもらえなくなると思っているのである。患者二号がカッパの存在を信じたとしても精神的に異常ではなく治療を施す必要も病室に拘束する必要もない。
それでは彼は犯罪者として刑務所に拘束されるべきか。それに対し私は専門外である。彼の犯罪行為を洗い出し調書を作成し検事に報告する者ではないが、犠牲者は石の固まりであり、犯罪は成立しない。
こういうことは患者二号は二度と起こさないだろうと判断し、その夜は妻に引き取り来てもらい彼を帰らせた。
ところが、三週間後にふたたび派出所の同じ巡査が患者二号を私の診察室に引きづり込んだ。
これが彼に対する三度目の診察になった。
派出所の巡査の話によると、また例の行為を繰り返していたと言うのである。しかも今度は暗くなった川の中でズボンの裾を濡らし、石像のカッパの裸婦像の女陰から子宮をのぞき込む怪しい男がいると市民からの通報があったと言う。
患者二号はいきなり私に告げた。かなり興奮している。
「先生は高速道路に位牌を捨てると言うニュースを見ながらしきりに嘆いていた。だが実は高速道路のゴミ箱に位牌を捨てたのは自分の母かも知れない思いながら先生の姿を見ていたのです。位牌を捨てることはそんなにひどいことでしすか。」
私の診察室では軽度の患者にかぎり、社会情勢に対する本人の反応を見るためにテレビを付けて診断することがある。彼の症状は軽度で、先回の診察でも夜の報道番組を見ながら彼とのやり取りを行っていた。最近のマナーの低下を嘆くアナウサーが高速道路のゴミ箱の中に位牌が捨てられていることもあると嘆いていた。それを聞き思わず嘆きの声を漏らしたのである。だが、その時は患者一号の表情には何の変化も認められなかった。
患者一号は言葉を続けた。
「私は親子の血縁のきずなを大事にしろと言われるのが一番嫌だった。先生はひどいことをする奴もいるもんだ、世も末だと嘆いた。だが位牌を捨てたのは自分の母かも知れない。それを母に強いたのは僕です」
「ご両親に離婚を迫るなど、おだやかな話ではないな。あなたの父親はすでに他界しているはずだが」
すでに二回の診察を経てカルテに記入された事項である。
「ですから位牌の話になるのです。」
「?」
「母が同居を希望してきました。私もいつかは母の面倒を見る時がくると覚悟していました。だが十数年、あかの他人になりたいと願い続けていた父のあらゆること記憶さえも持ち込むことは許せなかった。だから同居の条件にの位牌を持ってくるなと言った」
「それが母に父との離婚を強要したことになる」と聞きながら、カルテの彼の母の生年月日をのぞき見た。暗算で計算して八十歳前後であろう。
「母も急には理解できなかったらしく、それでは自分の面倒を見ない弟の方に位牌を預けると言った。それを聞き私は一層激怒した。彼女自身、父の位牌が子供たちの負担になることに気付いていたのである」
病院に引き籠もっていた父である。真の病なのかどうかも疑わしい。家族を捨て社会からも逃避し、怠けていただけかも知れない。病院内で軽い作業をこなし、自己の生活の糧だけを得ていた時期もあったと言う。モルモットとして自己の肉体を医師に提供していたかも知れない。その間に私たち家族が味わった世間体の悪さや貧困は想像を絶する。彼は他人を傷つけたり盗んだり詐欺を働いたりした犯罪者ではないが、許すことはできない。
「両親や目上の者を敬え、十年間分の面倒をみろ」と言う彼の言葉を聞いた時などは悪寒で反吐を吐き捨てたくなった。十年間とは言う年月は恐らく私が生まれた時から彼が健康に働いていた時期の十年間であろう。
子供を金に換算できる財産と見る古い観念である。中国の古い儒教思想に基づく観念である。
母が父との離婚に踏み切れなかった理由も複雑であったろう。夫婦の縁は書類の手続きで切れる。だが血のつながりのある父と子の関係は切れない。法的には父の世話を子供に押しつけることになりかねないと危惧を抱いたこともあったろう。父の兄弟に対する配慮もあったろう。
息子が父親に対し嫉妬する心情はギリシァ神話の時代からあり得る。そんな心情ではないかと患者二号に私は尋ねた。
「そんな年齢ではありません。我慢し続けてきました。血縁の重い鎖から解き放たれる権利もあるはずです。」と話して落ち着いた様子で患者二号は答えた。
実は母を連れて高速を北上したのは一カ月前のことであるらしい。若い巡査に引き吊り込まれて二度目の診察に施したのはそれから一週間後のことであろう。老け込み肥満で歩行もおぼつかなくなっていた。サービスエリアで休憩をしながら時間をかけて北上した。だから彼女が位牌を捨てる機会は十分にあった。
患者二号にとってすべてが苦痛だったと前と同じことを繰り返したのである。
「カッパは先天的に生まれる前に自分の人生を予見し、生を受けるべきか否か自分で明確に回答できる。科学も文明も進んだ。人間は文明の力で同じ機能の道具を手に入れるべきである」
八代インターチェンジの近くで突然、新幹線で鹿児島に帰りたいと言い出したのです。最後の願いだとまで言うので、仕方なく高速道路を下りた。
駅に着くと母は私と二人だけで写真を撮りたいと言い出したので、逆らわずに従った。だがホームまで見送りに行かず広場で待ち、妻とサンタクロスの存在を信じる息子が駅のホームまで行き見送った。
ホームから帰った息子が婆ちゃんは泣いていたぞと患者二号を責めた。息子の言葉からホームですすり泣く母の姿を思い浮かべ、黄泉の国に母が旅立つことが近いことを実感したと言った。
見上げると青い空には大きな鯉のぼりがゆっくりと泳いでいた。子供の日だった。突然、せつない思い出が患者二号の胸中に充満した。島から着の身着のまま母を中心に、鹿児島に引き上げた時の風景である。
ちょうど目の前の息子と同じ年頃だった。父の姿は記憶にない。母と四人の子供たちだけだった。船は混雑し二等船室にも入れず、二階のフロアから一階のフロアに通ずる階段の下で小さく固まり、身を寄せていた。船もひどく揺れた心細い一夜のことを思い出した。
患者二号の告白はここで終わる。
異常な部分と正常な部分が交互に訪れる情緒が不安定である。このまま彼を帰宅させることはできずに病院に止めた。
その後に妻に連絡をしても音信不通である。彼の精神は荒廃を深め、四階四〇四号室の住人となっている。このままでは彼は憎み続けた父と同じ運命を辿ることになる。父から受け継いだ遺伝子に勝てなかったのであろうか。しかも悲しいことに彼の母は夫である彼の父を見捨てなかったが、彼の妻は彼を見捨てた。
語り終えた医師の顔は悲しく歪んでいた。医師は白衣をひるがえし診察室を出ていこうとした。立ち上がろうと背を屈めた時に偶然に彼の頭のテッペン部分が河童のお皿のように禿ていることに気付いた。この時、この物語は彼自身の話ではないかと閃いた。、もちろん何の論理性もなく、単なる思いつきにすぎなかったが、後日、確信に変わった。
実は、その日は小さな録音機を胸ポケットに忍ばせていた。それを聞きかえした時に二人の会話が成立していないことに気付いたのである。もちろん彼に原因がある。微妙に私の質問に対する答えがずれているのである。
しかも彼の話には主観と客観が入り混じり、論理性に欠けていた。
会話に最中には、彼の堂々たる姿に圧倒されていて気付かなかったのであるが、彼は入院患者の一人ではないかと思ったのである。。
あえて会話中の自分の質問は最小限に留めたが、このことを明確にすることと、読者の混乱を避けるための処置であることも断っておく。
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