第42話幽体離脱

 世界遺産で名高い石見銀山の奥の奥に古文書に残る廃坑がある。谷と崖に阻まれる険しい山岳地帯で、足を踏み入れた者はいない。

 直角に落ち込む坑道で地獄の底まで落ち込んでいるような深い穴である。

 遠い昔の鉱山労働者がどのような方法で坑道に入り銀鉱石を採掘し、運び出したか一切不明である。

 今では、この廃坑に行き着くことは不可能であると信じられている。

 それでも明治、大正時代は挑む者がいた。

 ほとんどが途中で行き倒れになり、森の中の白骨をさらした。後に続く者はその白骨を道標に深い森を突き進んだが、行き着き、帰った者はいない。

 そこまでして挑む理由は何か。

 一つは銀鉱山探索である

 凡人、匹夫はこの目的のために廃坑を探し求めるのだが、実は、そうではない人も多かったようである。

 過去と決別したいと願う人々が訪ねるのである。

 その坑道に向かい三度、忘れたい過去を叫べば、過去と決別できると言うのである。

 その原理まで、廃坑の存在を伝える古文書に書き残されている。

 銀は毒素を見分け、毒素を無害化する。

 同じ原理で、人の心にすくう悪事の記憶まで分解すると言うのである。

 だが、それをなし遂げた者の記録はない。

 私は挑んだ。

 過去の悪事の記憶と決別したいと願う一心からである。理由は一切、言わずに山奥に眠る鉱脈探査をする仕事師であると説明しガイドを雇った。

 ガイドと二人で山中をさ迷った。

 血を吸う山ヒル、やぶ蚊を追い払い、深いやぶの中を進むのである。

 日中と言えどもうす暗い。森の中でも藪の中でも周囲は見渡せず、携帯GPSだけが唯一の頼りである。

 夜は不気味や獣の咆哮に怯えての探索である。

 とうとう発見した。

 街を出て幾日、経過しているかも不明である。

 噂とおりの廃坑入口である。四つんばいになり、底を確かめようとするが、底までの深さは測りがたい。

 石を投入し耳を澄ますが、底に到達した気配はない。

 ガイドは背後に立っているはずだが、長い探索旅行の末に、強い信頼関係が生まれていた。四つん這のまま、忘れたい過去の悪行を叫び、告白した。

 新しい人生が待っているはずであった。しかし三度目を叫んだ瞬間である。

 でん部を強く蹴りあげられ、頭から真逆さまに暗闇に吸い込まれていった。

 鈍い音とともに、肉体から魂から抜けるのを感じた。

 私は石見の町にある祠で目を覚ました。

 そばを小川が流れている。

 目の前の景色に見覚えがあった。

 ガイドを紹介してもらった観光案内所もある。ガイドも待機している。

 家に帰っても家族も近所の者も私の姿に気付かない。

 魂だけをこの世に残し、透明人間になってしまったようである。しかも忌まわしい過去とは決別できないままである。


 後日、例のガイドが、単独で石見銀山の奥山で銀鉱脈を発見したと記事が新聞に掲載されていた。

 若いガイドは悪人ではない。私の過去の悪行に激怒し、私のでん部を蹴り上げただけである。

 地獄の閻魔様の沙汰も同じであった。

 純粋な彼の心に毒を盛った私が悪人とされ、未だ成仏できずに、この世をさまよっている。

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