第19話ふるさと幽霊

 深夜を過ぎたころである。クスクス、クスクスと言う笑い声で目を覚ました。

 笑い声の主は、まだ三十代と若い母であった。

 四人の子供に挟まれて眠る彼女はうれしそうに全身で笑っているのである。一年前にふるさとの島を捨ててから、彼女が笑うのを見たことがなかった。ところがその夜は、彼女は三十分ほど笑い続けていたのである。

 眠れずに僕は彼女の笑い声を聞いていた。

 子供心に、ユタの予言とおり彼女の声が御先祖様に届き、御先祖様がはるばる、定期船に乗り訪ねて来て、母を励ましているのだと感じあんどした。

 ところが翌朝には彼女は昨夜のことは何も覚えていないようだった。ただ以前より少し元気になったように見えた。深夜の出来事を尋ねようとも思ったが、父親不在の貧しい家庭を支えるのは母だけであった。その彼女の秘密に触れることのように思え尋ねることもできなかった。

 実は、その一週間ほど前にユタの呼ばれる霊媒師の家を訪ねていたのである。ユタとは奄美大島から沖縄の島づたいに伝わる子孫に先祖の声を伝える巫女的な存在であった。父の病で着の身着のままで、ふるさとの島を捨て、似たような境遇の者が集まるスラム街に落ち着いたが、生活は苦しかった。島を出た者が経済的にも精神的にも追い詰めれて、最後にすがり着くのはユタであった。ユタの家も貧しく、彼女が生計を立てる本業のつむぎの織り機が土がむき出しになった土間の上に置かれていた。白髪が彼女が高齢であることを示していた。家の中に他の人がいる様子はなかった。

 母は島を捨てた理由や、移り住んでからの苦しい日々の話をした。ユタはあいづちを打ちながら耳を傾けていた。

「こんなに苦しい思いをするのは、島を捨てたことを御先祖様の恨みのせいではないだろうか」と母は打ち明けた。

 涙ぐんではいなかったが、悔しそうに唇を強く嚙んでいた。

「御先祖様が子孫を呪うことは、めったにない」とユタは慰めた後に、普通のことのように平然と告げた。

「今夜の定期船で帰る人に御先祖様に声を聞きたいと伝えるように頼んでおこう。一週間以内に先祖の声が届くはずだ。御先祖が直接、励ましに来るかも知れない」


 半世紀も前のことである。

 今でも僕はあの深夜の出来事を南の島からはるばる定期船でやって来た先祖様の幽霊が母を励ましてくれていたのだと信じている。

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