第7話幽霊船

 厳密には箱にまつわる話ではありませんが、せっかくですからホームに隣接する病院で起きた不思議な箱のように四角の小ビンにまつわる出来事を御話ししましょうと言った。

 病院の北側の松林の奥に広がる白い砂浜を早朝、若いひ孫のような看護士を付き添いに伴い散歩する白髪で品の良い老医師が隣を看護士に打ち明けた。

「最近、不思議な夢をみる」 

「良い夢ですか」

 幸せな夢であって欲しいと願いながら看護士は訊ねた。ところが老医師は暗い顔で頭を横に振った。

 二人の会話が終わらないうちに老医師は砂の中の小ビンを足で蹴り上げてしまった。小ビンに気付いた老医師は足を止めて微動だにせず全身を硬直させてしまった。そして鳥が鳴くような奇妙な悲鳴を上げ、足をもつれさせ砂浜を逃げ出した。後に残された若い看護士には彼の身に起きたことを理解できずに立ちつくしていた。しばらくして気を取り直し小ビンを拾い病院に帰った。それは茶色の小ビンで遠い昔の薬ビンであることは一目瞭然であった。

 看護士は一人で小ビンを栓を開けてようとしたが無駄であった。容器と栓が一体化しているのである。

 老医師は二度と病院に現れなくなった。

 このビンが原因だと思うと好奇心はますます強くなるばかりであった。彼女はその小ビンをかなづちで割ることにした。うまく割れたのですが、中には指の骨とその爪と、古い若い女性の写真が入っていたのです。写真の片隅には、生ぬるい肉片の塊らしき物が付着しているのです。

 その日を境に看護士は病院を去った。

 老医師に関する噂は真実だと実感した。

 彼が玉砕をひかえた南海の孤島で飢えをしのぐために若い女性を殺し、肉を食べたと言う話である。小ビンに詰められた写真や指の骨の欠片はその名残だったと気付いた。だからこそ老医師は狂乱したのだと思った。

 半狂乱の中で些細な悪戯心で小指と写真を詰め南海の孤島で海に流した小ビンが六十五余年の歳月を経て彼が待つ渚に打ち上げられた。

 小ビンは長い旅路をたどったはずである。

 漆黒の闇夜、月夜、満天の星の下の航海もあったにちがいにない。夜光虫が漂う海もあったろう。べたなぎで強い日差しの日、逆に黒い大暴風の日もあったろう。時にはなぎさに打ち上げられ表面にこびりついたふじつぼを取り除く安息の日もあったにちがいない。

 黒潮の流れに乗り、遠くフィリピン諸島の島々を通り抜け、台湾や尖閣諸島を眺めながら、深海に吸い込まれることなく、小ビンは幽霊船になり、旅路を辿って来たのである。

 本物の幽霊船、深海の悪霊、成仏できずに海をさ迷う多くの、死霊とすれ違ったこともあったにちがいない。

 この事件の起点のなった南洋の小島が、どこの島だったのか知る術はない。

 遠い異国のサイパン、ソロモン、ニューギニア、ラバウル。あるいは、それ以外の島だったかも知れない。もちろん彼が若い頃、どこの島で軍医を務めていたのかと言うことも不明である。

 六十数年の長き歳月、海を漂ううちに様々な霊力を吸収して、陸地に辿りついた小ビンは、記憶も遠のき感情も乏しくなった老医師の心に恐怖を蘇らせたにちがいない。

 老医師も付き添っていた若い看護士も病院から姿を消したままである。

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