第12話
旅人は薄暗い虚無に存在した。辺りは真っ黒な何かによって包まれ、無と捉えてもいいものであった。
「起キテ・・・起キテ・・・」
暗闇の中から不気味な人の声が聞こえた。旅人は真っ先に声のする方向へと向かった。周囲にはいくつか煙が立ち込めており、あの襲撃現場、あの酒場を連想させるように不気味であった。
旅人はその情景を思い出して吐き気がしていた。旅人にとってあの景色は2度と体験したくない過酷な経験であった。しかし古人の残した諺には「二度ある事は三度ある」というものがある。旅人にはもうあの悪夢が再来したようにしか思えなくなっていた。それが何にも予測の出来ない不条理な条件だったとしてもだ。
不幸な事にその予想は当たってしまった。辺りには火で何かが焼け朽ちるじりじりとした音が旅人には聞こえてきた。目前の光景は赤と灰色のコントラストによって全てが構築され、匂いは死体と煙の匂いがごった煮にされていた。まさしくあの光景と同じであった。
そんな中で旅人はとある人影を見つけた。旅人はそれを声の主だと考えた。声の主とされる人物は姿が煙によって覆いかぶされていたが形の線のみは辛うじて識別しえた。それは明らかに女性の形をした流線型であった。旅人はかえって不気味に感じた。さっきから聞こえてくるうめき声はどう聞いても低音の響きを形作っていた。さらにその声は誰でもその人影の主から発せられる声だと分かるものであった。しかし人影の主は女性に間違いない。それが旅人には非常に恐ろしく感じていた。
旅人はそれでも恐る恐るであるが人影の主へ近づいた。
「どうシテ?・・・・ドウシテ?・・・・」
人影の主は突如としてそう疑問を投げかけた。それは確実に旅人に対してのものであった。声は低い地声と子供のような異質な声が近づけば近づくほどに何重にも重ねられていき、それが旅人の恐怖をより濃く、より深く増進されるものとなっていった。人影の主が何のことについて疑問を呈しているのかは旅人には分からなかった。旅人の心はその疑問に対する不審感よりも恐怖と前に進みたいという好奇心が全てを先行していたこともあり、その時はそのことを深く考えることも無かった。
旅人は人影に対してより近づこうと前に進んでいく。人影から分かるその形は前に進むにつれて人にしては歪なものに見えていた。片腕はとうになくなっているように見え、片腹には1本の凶器なのか何か鋭利なものが刺さっている。疫病による腐廃者なのか、旅人は一時はそう思い込んで自身のコートをぐっと握り締めた。それに何の意味が無かったとしても、旅人はそれをやるしか考えられる術が存在していなかった。
やっとの思いで黒い煙を切り抜けた旅人はすぐに人影の正体を見た。すると旅人は海よりも真っ青な色となって魂が抜け損ねるような感覚になってしまった。旅人が見たのは人でもなく疫病による腐廃者でも無く、焼死体や惨殺死体よりもおぞましく、あの恐るべき悪夢を具現化した存在であった。
「ドウシテ・・・・・・シタノ?・・・・」
旅人に対する尋問がはっきりと聞こえてくる中で、人影の主はようやく正体を現した。
それはあの襲撃で命を落としたウェイトレスの残骸や他の焼死体の複合体であった。皮膚は炎によって焼け落ちて部分的に骨が露となっており、体全体が血で濡れていた。
「ドウシテ・・・・・・ドウシテ・・・・・・?」
聞けば聞くほど声の重心がずれているように聞こえるその音を聞いて、旅人はようやくあの質問の意味を知ることとなった。旅人の頭には走馬灯のようにしてあの惨劇の記憶が蘇る。
「やめてくれ!・・・・・・やめてくれえええぇぇぇ!」
旅人はそういって蹲ってしまった。しかしその複合体はどんどんと旅人に近づいてくる。手に持っていた剣を振りかざしても、刺してもびくともしない。旅人はあわてて逃げたがすぐさま壁にぶち当たってしまった。旅人はそのまま倒れこんでしまった。
「起キテ・・・・・・起キテ・・・・・・」
旅人はもうどうすることも出来ない。
「やめてくれええええっ!」
そう叫んで複合体に襲われた瞬間であった。上から女性のような声が聞こえる。
「起きて!起きて!」
旅人は恐る恐るに目を開けた。目の前には修道女らしき女性が居た。旅人はそこで自分がまたもや悪夢に魘されていた事に気がついた。旅人は病床の上で荒々しい呼吸をしながら起き上がっていた。
修道女は旅人を見て、
「良かった・・・・・・。まだ心は其処にいらっしゃったようで。ですがここは神聖な教会ですので、どうか人をあやめるものはどこかに置いて下さるようお願いします」
何のことか、と旅人は聞き返そうと思ったが、ふと手を見るとあの長い剣を持ったままでいたのである。
旅人は咄嗟にそれを床において焦りながらこう言った。
「アリガトウゴザイマス・・・・・・シスター・・・・・・」
旅人の呼吸は未だに荒々しかった。
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